10 夏祭


               *


 桃色のかすみの中をボクは歩いている。夕闇が迫り、遠くからかねが聞こえる。お囃子はやしというそうだ。お祭りが始まる。

 ――長い夏休み。パパが生まれた国、日本に来ている。

 ボクは小学校エレメンタリーに入学したばかり。わくわくする思いが胸に充ちてくる。

 手をつないでいた。自分の手は小さく、柔らかな手にすっぽり包まれていた。包む手に続く腕を伝って見上げると、栗色の髪をアップにした女性が慈しむように微笑んでいた。

 ママ。

 人垣がある。人垣のむこうを山車だしが通る。かねと太鼓の音が大きくなる。

 人垣にいる二人の子供が、同時にこちらをふり向いた。

 日本人ではなかった。ブロンドヘアの少年とチョコレート色の頬をした少女。マイケルとドロシー。揃ってこちらに笑窪をくれた。

「ボブは?」自然にそう訊いていた。

 マイケルが少し寂しそうな顔をした。「来ない。にぎやかな処は嫌いだって」

 デレク。横から呼ぶ声がした。

 顔を向けると、日本人の少女がいる。

 アケミ。

 未来に妻となる少女の名前を、ボクはもう知っている。

 アケミはうす桃色の浴衣姿。つややかな黒髪が華奢な肩に流れている。お祭りの日だけ紅をさした唇が、白い顔の中に咲いている。露店からこぼれる明かりに、その唇が濡れたように光る。ボクはどきりとする。

 やっと逢えた、回線越しでなく。手を伸ばせば、届く──大人の男の声が、頭の中で聞こえた気がした。

 露店の陳列ネットに並び掛けられた色とりどりの風ぐるまが、アケミの背景でカラカラ廻っている。

 ドロシーが、なんだか怖い目をして、アケミの顔を見つめている。ケンカでもしたのだろうか。

 つないでいた手は、いつの間にか空になっていた。見廻してもママはいない。

「おうちへ帰ろう」アケミが言う。泣きだしそうな顔をする。なんとなく、姿が頼りなげに透けていく。赤い鼻緒の下駄は僅かに宙に浮いている。

 このまま消えてしまうかと怖れて手を伸ばすと、スッとアケミの姿は退く。寂しげに微笑んで退いてゆく。ボクは追いかける。急ぎ足になり、そして駆け出す。でも追いつけない。

 かねの音が小さくなる。お祭りが遠ざかる。

 ふり返ると、マイケルとドロシーは小さな影絵になって、ボクを見送っている――


 目覚めて、デレクは深く息をついた。

 窓のむこうに大きな月が浮いている。

 覚める夢なら、見ないほうがマシかな……

 しばらくぼんやりしていたが、奇妙な疑問にとらわれた。

 どうして家族と触れ合えない? いつも通信画面のむこうに居たり、今は真横に居たのに手が届かなかった。姿がかすむように薄くなっていった。

 他のみんなは違う。ハグしたりキスしたり、夢を拒むボブ以外は家族と触れ合うことができるのに……

 ママとは手をつないだ。でも、アケミや娘たちにはさわれたためしがない。そして、彼女たちは決まって「家へ帰れ」と言う。何故だ? 

 はっとした。心臓をつかまれたように。

 に、ニルヴァーナには居ないのだ、アケミもミチルもナナも。

 マイケルの息子――ジョンは瞬時にここへ来たというのに。

 突然、出発の日の約束が怖ろしい響きと共に蘇る。

 ――ちゃんとで待っていなさい。

 ――ずっと、待ってるよ。で。

 背に汗が浮いた。

 ケースもある――マキルはそう言った。

 三人の〈思念〉はボルチモアに居る。父との約束を守って。必ず帰ると言った父を白い家で待っている。との再会には、動かずに居ることが大切とばかりに――

 窓の外、宇宙の闇に目を凝らす。月の彼方、その先にある地球こきょうに。

 家族は待ち続けているのだ。九年間。 

 喉の渇きを覚えてベッドを出た。

 ダイニングには灯りが点いていた。ボブの姿はない。テーブルにボトルとグラス、それに空になった睡眠薬の瓶が放置されている。

 水を飲んでいると奥で物音がした。不審に思い、折れた壁のむこうを覗く。

 武器庫の前にボブの背中があった。

「何してる」

 応えがない。

 近寄って肩に手をかける。「ボブ!」

 ふり向いた顔は正気を失っていた。手は武器庫の取っ手を握っている。

「武器庫に何の用だ?」

 虚ろな目はデレクを見ていない。口の端からよだれが垂れている。

「おい!」

 両肩をつかんで揺さぶると、ようやく目が焦点を結んだ。

「デレク」泡を溜めた口が言う。

電子鍵キイはここだ」ペンダントトップのように首に下がる電子鍵キイを示した。「これがなければ開かん。開けてどうする?」 

「……自殺」親指とでL字を作った人差し指を、こめかみに当てた。「拳銃でズドン」

「バカなことを言うな」

「睡眠薬じゃあ、死ねねえ」

「あたりまえだ。自殺できる睡眠薬なんか大昔の話だ」

「そうなんだよォ。だから銃がいるんじゃねえか」へらへら笑いだした。

 急にバランスを失い、支えを求めた手が棚の器材を払い落した。ハデな金属音が響く。

 デレクが躰を受け止めたが、そのままズルズル床に崩れた。

 マイケルとドロシーがやって来た。経緯を説明する。

 ドロシーは脈をとり呼吸の状態を確認した。

「アルコールと睡眠薬の過剰摂取。朦朧状態になって自分を撃つ気だった……」ため息をつく。「丸一日眠り続けて目が覚めるわ。それだけ」

 ボブは盛大にイビキをかき始めた。

宇宙船ふねの武器もすべてロックしておいて良かった。自棄になってるな。アルファnine に適合できないタイプだ。このタイプの連中はみな地球へ引き揚げた。残念ながら、ボブは引き揚げることができないが」マイケルが言った。

 窓の外は白み始めていた。

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