第19話あばら家にて
藺草の匂いが鼻を突く。
畳の山に押し返される感触が懐かしい。
「座布団も茶も出せぬが許せ」
「構いませんよ。自分達が招かざる客という自覚はありますから」
スイに案内されて来たここは、隙間風が目立つあばら家で、障子がなく、机もなく、大凡生活感を感じさせるものがまるでなかった。
これでは例え歓迎されていても、今と何ら変わらない対応をされるに違いない。
「それならスイ、何か食べ物ありません?」
「あ、俺も欲しい」
いつの間にか並んで胡坐をかいて厚かましい要求をしている奴らは、自分勝手な者同士相性が良いらしく、先ほどから頻繁にコミュニケーションを取っている。
「…ない」
スイは、そんな二人を無表情に一瞥すると、俺の方に体を向けた。
「それで」
「ええっと、エルシーさん?」
どうも、あの二人を相手したくないらしいスイは俺に話を促したが、正直言って全く現状が分かっていない俺ではどうにもならないので、エルシーにぶん投げた。
「あぁ、はいはい。
まずは私とスイの仲直りからしましょうか」
「そうか。
ならば治してみせろ」
どうやら因縁があるらしいスイとエルシーは、エルシーが一方的に関係改善を望んでいるようだが、スイは乗り気でないみたいだ。
何をどうする気なんだか。
「んふふ、食べていいですよ」
「何を…」
スイが目を見開いた。
緋色の瞳がラポを見る。
俺を見る。
鎖が蠢いた。
「一石二鳥でしょう?」
「お前の客と言っていたな」
手足を縛られた。
動けない。
首にも巻き付いた。
声が出ない。
「わたくしにお前の尻を拭えと」
「結果的にそうなりますねぇ」
何を言っている。
こいつらは何の話をしている。
「トロイくん、申し訳ない。
ラポ
いやぁ、大分参っている人にこんなに悪影響を与えるとは知らなかった」
「先に鎧から頂く」
「なんだかんだ言ってやっぱり乗り気じゃないですか」
スイがラポに近づく。
ああ、ラポも拘束されちまったか。
食うってのは穏やかな響きじゃねぇ。
何してやがる。
クソが。
「それじゃあね、空き時間でちょっとしたカウンセリングですよ。
最初の質問です。貴方のお名前は?」
違ぇ。
そうじゃねぇだろうが。
それは俺の名前じゃない。
「んふふ。次です。
貴方の出身は?」
日本の…、ああ、でてこねぇ。
この歳でボケかよ。笑えねぇわ。
いや、俺の歳は幾つだったか。
またかよ。
なんで。
「その顔を見るに引っかかるものがあるようですねぇ。よかったよかった。
ではでは、ついでにもう少し。
仲良くして頂きましたが、初めて会った時から随分と、無警戒でしたねぇ。鈍感なんですかねぇ?
我々を信用するに足る何かがありましたか?
もしかして我々のような存在は貴方にとって見慣れたものでしたか?」
は?
ああ、そう言えば。
言われてみれば。
気が付かなかった。
何で俺はこいつらとよろしくやってた?
方や真っ二つになって女に変身する怪物。
方や鎖の生えた錆びだらけの日本人形。
正気の沙汰じゃない。
「ああ、怖がらないで。
それが正しい反応です。
いやぁ、本当に申し訳ない。
お二人の持っていたあの依頼書。あれにはね、ちょっとした思い込みを誘発する仕掛けがあるんです。この国に迷い込んだ
今回の場合、精神的に追い詰められていた貴方に暗示が効き過ぎたようです」
何となく心当たりがある。
依頼書を手にした際に感じた、背を押されるあのなんとも言えない奇妙な感覚。
あれ以来、俺は根拠のない肯定感に身を委ね、常の警戒心など置き去りにして暴走していた。
今思えばラポも普段と違った様子だった。俺ならそれに気付けたはずなのに。
「大抵の
しかし、貴方方はタイミングが悪かった。私が少々複雑な依頼を受けていたせいです。あの部屋で封印されていた為に、私手製の依頼書が出回らなかった。
そうして、どれ程の月日を貴方方が過ごしてきたのかは分かりませんが、私は私の依頼を満了し、依頼書は無事貴方方の下へと届いた」
そこで、エルシーは話を止めた。
スイだ。多分あいつを見た。
ラポに何かして、それが終わって、次は俺の番というわけだ。
「ラポちゃんは終わりましたか。
ところで、男性をモノにするには胃袋をつかめ、とはよく聞きます」
おい?
「女性をモノにするにしても同じことが言えるとは思いませんか?
特に、スイはお腹を空かせています」
嫌な予感がするぞ。
「と、そういうことで、トロイくん」
待て待て待て!
鎖が這いずる音が聞こえる。
近い。
来る。
「治療の一環です。パクっといかれちゃってください」
来た。
鉄の匂いがする。
時々、ムッとした花の香りが混じる。鈴蘭と菊と、多分他にも。
首を撫でる鎖は徐々に締め付けを強め、気まぐれに緩めたかと思えば鎖の先が擽る様に耳を撫でる。
「お前は、好い匂いがする」
着物の袖が頬に触れた。
「あっちの鎧は味気なかったが、お前は食いでがありそうだな」
スイが物騒なことを言っているが、どこにも血なんぞついていないし、ラポが抵抗する物音も聞こえなかった。
状況は最悪に見える。しかし、先ほどのエルシーの言を鑑みても、こいつらからはどうにも敵意を感じない。
いや、こいつらの言うところの食事がどういうものかわからないが、命に係わるものではないように思える。
どっちにしろ、俺は逃げられない。
もうどうにでもなれ。
「その貌も、また好いな」
額と額がつき、鼻が擦れる。
また、鉄と鼻の香りが鼻孔をくすぐった。
体をよじって頭を引くと、追いかけてきた彼女の舌が執拗に目尻を舐める。丹念にそこを舐められた後、体を拘束する鎖によって強く引かれ、彼女の胸に飛び込む形になった。
胸に抱いた俺を、彼女は頭に鼻を押しつけ、深呼吸を一つ。
「鬱屈とした諦念の香りだ。
然れども、お前は強いな。
照らす灯のない蹊においても尚、己を忘失せず、手弄りに進む在り様は酷く眩しいよ」
束になった鎖が、繊細な動きで俺の頭を撫でた。
前後する鎖の錆が髪に引っかかる。
痛い。
「だからこそ、わたくしが食らってやろう」
初めて見る彼女の笑顔は、錆びの浮いた、しかし、見惚れそうなものだった。
「わたくしの本当の名は、悪意啄む緋色の水玉。
珍奇な名であろう?」
呵呵、と大笑した彼女は、その緋色の瞳で俺を見つめた。
耳元で、じゃらりと、鎖が鳴る。
それが、最後に聞いた音で。
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