第10話キーラの宝箱

 人の声と物音が聞き分けられないほどの喧騒の中、騎士風の全身鎧を身に着けた大男と、いかにも探索者然としたみすぼらしい格好をした男のチグハグな二人が歩いている。

 ラポとトロイだ。

 油の匂いを漂わせている店の前を通ればトロイが客引きに群がられて捉まりそうになり、それをラポが追い払う。

 強烈に甘い香りを振りまく店の前では露出の多い女どもにラポが囲まれるが、そんな奴らは金のなさそうなトロイが親しげに近づけば露骨に興味を無くし、散っていく。


「…なんか納得いかないんですが」

「何が」

「…別に」

「怒ってんの?」

「ムカついてるんです」

「ふぅん?さてはモテモテな俺が羨ましいんだろ」

「何誇らしくしてるんですか…、ラポの中身は一応ノーマルの女性でしょう?」

「はー嫌だ嫌だ。お前は遅れてるやつだなぁ。

 いいか。俺はこの体になってからも心の欲望に忠実だった。だがそれだけじゃつまらねぇだろう?だからな、最近は体の欲望にも忠実ってわけだ。

 パーフェクトだ。俺はこの体を得て完全体になったのだ!」

「ようするに男も女も食いまくりってわけですか。

 こっちにきてから楽しんでますね、ほんと」

「おうともよ!」


 道行く人々は溢れ、誰も彼もが喧騒に負けじと大声で話し、鎧姿の人間も多い。時々客引きとトラブルを起こす人間がいると、野次馬と事態を収拾しようとするラポの同僚が騒ぎを拡大し、好き放題に事態が悪化していく。だがそれも日常の光景で、対処に慣れた者はそそくさと逃げ出すか、関わらないことを決め込んで見物人になっている。

 赤の地区の南、キーラの宝箱を目指して大通りを行く二人の姿は見事に人の流れに溶け込んでいた。

 響く怒声に追い立てられ足早に進む二人は、気付けば目的地前にたどり着いていた。


「ここか?」


 ラポが横に両手を広げたよりも大きな看板に書かれた文字はキーラの宝箱。その看板の端には、デフォルメされた赤髪で橙色の目をした少女が様々な財宝を手にして笑っている。

 目を凝らしても分からないが、メッキに隠れて本物の宝石が僅かに使われており、ただの看板を煌びやかに彩っていた。


「そうですよ。前に来た時は…」

「いらっしゃいませ!」


 ギルドよりもしっかりとした造りのスイングドアを押し開け、店に踏み込んだ途端、二人に歓迎の挨拶が方々から響いた。店内に散らばった給仕達は、わざわざ動きを止めてこちらを向いてお辞儀したようだ。庶民向けの店とは思えない待遇に二人が驚いて足を止めると、後続の客が詰まってしまい、慌てて進むことになった。


「…ここまで混んではいなかったんですがね。

 忙しそうですし、さっくり聞いて直ぐに出ましょうか」

「その辺は任せるわ」


 席はまばらにしか空いておらず、忙しそうにしている給仕からも盛況ぶりが窺える。

 先ほど食事を済ませたばかりである二人の胃を刺激する香りが店を満たしている。それが堪えられなかったらしいラポが、鼻を鳴らしながら不躾に店内を見まわしていると、そのうちにトロイが給仕を捕まえた。


「どうなさいました?」

「仕事の邪魔をしてすみません。私たちは客ではなく、訪ねたいことがあってここに寄りました」

「構いませんよ。どのようなご用件でしょうか?」

「助かります。この店の近くにエルシーという何でも屋がありませんんか?」

「エルシーですか…。申し訳ありませんが、私は存じておりません。

 ですが、もしかしたら店長が知っているかもしれないので確認してみます」

「ありがとうございます。お願いします」


 愛想のいい給仕は、一礼して厨房まで下がって何やら呼びかけている。

 ほどなくして、一本の糸に吊られているかのように背筋を伸ばし、等間隔の歩幅で足早に近づいてくる女性が現れた。

 髪は赤みがかった金髪で、目は仄かに橙色をしている。

 看板に書かれていた少女と同じ髪と目をしているのに雰囲気はまるで違っていて、目線は鋭く、佇まいに隙はなく、怜悧な印象を与える微笑みをたたえている。

 皴が目立つことから、それなりの年齢だろうにキビキビとした所作がそれをまるで感じさせない。


「お待たせしました。店長のキーラです」

「トロイです。

 先ほどの方から店長のキーラさんなら何でも屋の場所を知っているかもしれないとのことでしたが、ご存知ですか?」


 キーラは考えるように目を伏せ、目を開けた後もしばしの間を持ってトロイに返答した。


「はい。存じております。

 ですが、まずは確認させてくださいませ。その情報はどこで手に入れたのですか?」


 キーラの声は、質問でありながら拒否を許さない気迫があった。


「ラポ、依頼書を」


 有無を言わせないキーラの迫力に押され、間髪入れずに帰したトロイは、挨拶もせず隣でボケっとしていたラポを肘で小突き、依頼書を出させた。

 トロイは丸めてあった依頼書を広げ、相手の向きに合わせて読みやすいよう、依頼内容の書かれた表が見えるようにして手渡すと、無意識に大きく息を吐いた.


「…なるほど。古いものをお持ちですね。

 恐らく、この依頼書があれば問題ないでしょう。

 それでは、簡易ですが地図をお書きしますので少々お待ちください」

「お願いします」


 去っていくキーラに、どこかホッとしたトロイは様子のおかしいラポに向き合った。


「どうかしました?さっきから変ですよ」

「あ?あー。んー、なんつーか。ビビってた」

「はんっ!ビビってた?ラポが?何にです?」

「それがわっかんねぇんだよなぁ。なんか怖い」

「ふぅん。戦闘職の勘とかです?

 気配だの殺気だのって話なら、そういうのは俺にはまるでわかりませんね」


 トロイは、首をひねるラポを放っておくことに決めてキーラを待つことにした。トロイに理解できない話では気休めも言えない。

 騒がず暴れずという普段の様から想像できないくらい静かなラポを、トロイが物珍しげに観察していると、地図を描き終えたらしいキーラが戻ってきた。二人に向かってくるキーラは先と変わらず、隙を感じさせない動きであった。


「お待たせしました。こちらが地図になります」

「お手数をお掛けしました。本当に助かります」

「それでは、私は戻らせていただきます。

 …お気を付けて」


 見惚れるほど流麗なお辞儀をすると、靴音すらさせずに素早く体を反転させお決まりのように背筋を伸ばし、等間隔の歩幅で帰って行った。


「なーんか疲れましたねぇ」

「同じく。

 用は済んだ。さっさと出るぞ。落ち着かん」


 その大きな体で客の流れに割って入りずんずん進むラポを、トロイは慌てて追いかけた。

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