第5話酒のない夕飯

 ギルドの酒場で食事なんて久しぶりだ。

 腹具合と相談しながら馴染みのないメニューをめくり、周囲を観察する。

 どうやら見知った顔はいないようだ。いたとしてもこの混雑具合の中で見つけるのは困難を極める。

 ギルドの一階の多くを占有している酒場はやや高い値段設定だが、酒盛りしている者は非常に多い。本当に金のない探索者はもっと安いところで済ませるが、大抵の者は立ち寄りやすさからついついここを利用してしまう。

 俺だって今日みたいな気まぐれでなければ滅多に来ない。


「注文いいですか」


 暇そうな給仕を捕まえて値段と量のバランスがよさそうなスープとステーキのセットを二人前で注文をすると、本当に二人前でいいのかと確認されたが、もちろんそれでいいと答えた。

 料理が厨房から運ばれてくるのを待ちながら、行儀悪くフォークを弄ぶ。

 ペンを回すように指の間を滑らせ、手の平と甲を行ったり来たりするフォークの速度を上げていく。




 ああ、今日は随分とトロイっぽく振舞えたな。




「あっ」


 隣の長机から食器を下げていく給仕女性の尻に目を吸い寄せられていると、意識が逸れたせいでフォークが手を離れて飛んでいってしまった。

 物音を聞いて振り向いたその給仕は、俺と目が合うとフォークを落としたことを察してくれたようで、直ぐに替えを用意してくれた。

 申し訳なさでいっぱいになりながら軽く頭を下げて礼を言うと、営業スマイルを返してくれた。

 その給仕が離れるのとちょうど入れ替わりで料理が届く。やけに早いのは客の少なさと作り置きでもしているからだろうか。

 一品目はスープ。トマト、ニンジン、ジャガイモ、キャベツなど豊富な種類の野菜がたっぷりと入ったミネストローネは彩りが美しい。どれも形が崩れるまで煮込まれていて、濃い赤色をしたスープは食欲をそそる香りだ。

 二品目はステーキ。大雑把に焼き目のついた厚切りの牛肉から溢れる肉汁と油が鉄板の外にまでで跳ねている。鉄板上には窮屈そうに乗っかったステーキしかなく、ソースが見当たらない。多分味はついているのだろう。

 一応は二人前のはずだが、肉体労働の後には物足りなく感じる。

 いい加減に空腹も限界になってきたので、久々のご馳走に心躍らせる間もなく食事に取り掛かろうとした絶妙なタイミングで、頼んでもいない小さなバスケットが運ばれてきた。


「こちらは本日のサービスです」


 覗かずとも匂いでわかる。

 これはパンだ。

 しかも黒くない、もっと上等なやつだろう。


「どうも。こいつはいいね。ここじゃあいっつもこんなサービスがあるんですか?」

「まさか。毎度こんなことしてたら赤字ですよ。週始まりの夕飯だけです」

「もう一年くらい通ってるのに全然気づきませんでした」

「宣伝してるわけじゃないですからねぇ。始めたのが一月前なんで、間が悪いとそうなんでしょう」

「それにしたって気前がいいですね。ずいぶん、上等なパンだ」




 鬱陶しい。パンなんてどうでもいい。




「んーとほら、この時期って外に出る人は稼ぎが減るでしょう?だからですかね。組合長が少しでも気合入るもの出してやれってんで、まぁそれがきっかけですよ」

「そういう訳ですか。ありがたい話です」

「今後ともごひいきに」


 給仕が立ち去るやいなや、猛烈な勢いで食を進める。

 ナイフなど使わずフォークで持ち上げ、かぶりつくようにステーキを噛み千切り、口中の肉が半分になったくらいで手の平サイズの丸パンを押し込む。

 口の中から肉汁も水気もすっかり消えたころにはスープを流し込み、息つく間もなく鉄板とスープボウルに満載された料理を消費していく。

 ミネストローネの最後の一滴を飲み干したところでようやく落ち着き、早々に終わってしまった食事のことを反芻していると、肝心要の酒を忘れていたことを思い出した。

 すぐさま注文をしようと長机を掃除していた給仕の男性に声をかける。


「申し訳ないんですがね、ちょうど今さっき今日の分は終わりました」

「…もう、ない?」

「はい」

「…からっきし?」

「ええ。こんなでかい酒場が情けない話ですが、あんまり在庫の余裕がないんですよ。明日以降もお出ししなきゃならないわけですし…」

「そう、ですか…」


 すっかり意気消沈してしまった俺を見た男性は、申し訳なさそうにしながらも次はサービスしますよと慰めてくれた。

 ちゃっかりと次を期待されたが、万年金欠探索者の俺ではいつになるかわからない。




 金がない。娯楽がない。生きる楽しみが見つけられない。




「はぁ…」


 最初の注文なら間に合ったかもしれないと思うとため息がでる。だが、ここは無駄な出費が抑えられたと前向きに考えることにして切り替よう。安酒ならいつでも飲める。

 幸い、今回の報酬を含めれば一か月分の食費と宿代が手元にあるから余裕がある。宿も飯も質を望めないのが辛いところだが、今日みたいな贅沢をしなければなんとか不毛の春が終わるまでしのげるはずだ。

 予想外の出費に対する備えも欲しいが、その程度なら数日で稼ぎきれる。




 また、大して金にもならない葉っぱ拾いか。




 面倒くさい。




 大体、不毛の春ってのはなんだ。



 春は恵みの季節じゃないのかよ。



 どうなってやがる。

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