第8話

混濁した意識の中、後藤は初めて乗る救急車で、何かを話しかけられたが、認識できず、気がついたら行ったこともない大きな病院にいた。


先ほどは気がつかなかったが、ひじを擦りむいていたらしい。消毒液を塗られたその痛みで気づいた。

慌ただしい病院で、後藤はなんとなく大変な事が起きたと感じた。

(あれは……夢か?)

左手を眺めてそう思う。いや、思いたかった。しかし、手の血は夢だとごまかせてもあの感触にまで嘘はつけない。

(……じゃあ……)

割られた頭、散らばる脳みそ……。あれでは、きっともう……。


後藤は手を開いたり閉じたりして、それを見つめた。

ボーッとそれだけを見つめていた。


しばらくすると、彼は立ち上がり、

「あいつらは……」

幽霊のように立ち上がり、ふらふらと歩き始めた。

多分、普段の彼ならあり得ないような遅さで歩いている一人の医者らしき人に会ったので、にたどり着き、三人の名前を聞いてみるが、

「今は無理だ。君は元気なのだろう? なら帰ってくれ」

と強めの口調で言い返される。しかし、後藤は引き下がらない。

「教えて下さい!」

すがるように言うが、医者に押し返されてしまう。

その隙に医者は逃げようとしたが、後藤の手の方が速かった。

「待ってください! お願いします!」

後藤は医者の服をつかむが、

「うるさい! こっちは忙しいんだ!」

突き飛ばされてしまう。

もう一度手を伸ばすが、届く事はなかった。


後藤は放心状態で無人の廊下にいたが、しばらくするとその耳は一つの足音をキャッチする。

聞き慣れたような、聞き慣れてないような……。

足音は大きくなって、後藤の横で止まった。

「あれ? 貴志じゃないかい! こんな所でどうしたんじゃ?」

その声は貴志と同居している祖母の菊江のものだった。杖はついているものの、まだまだ気力は衰えない婆さんである。

しかし、話しかけられても後藤はビクともしなかった。

「……どうしたんじゃ? そんなに呆けた顔して……」

後藤は揺すられて初めて、自分の祖母を認識した。

「………………行っちゃったんだ……」

消え入りそうな声で、後藤はそう答えた。

「…………詳しく話してくれないかい?」

おばあちゃんは状況を察したらしく、後藤の横に寄り添って話を聞き始めた。


「……今日は、みんなで花火大会に行くはずだったんだ……」

後藤はゆっくりと話し始めた。

「そしたら……急に古い電車に乗っててさ……、」

その一言はおばあちゃんの目を開かせるのに十分だった。

「怖い石像に追いかけられたりしたんだけどさ……、オレだけ帰ってきちゃってさ……」

下を見ながら言う後藤だが、菊江は上を見ていた。

「そしたら…………、みんな……ぐちゃぐちゃで……」

後藤の脳裏にもう一度あの光景がフラッシュバックする。

「もう……いないんだ……。健も沙那も……」

その言葉は後藤の心の防衛線を崩してしまい、涙が滝のように流れ出して、止まらなかった。


話を聞いていたおばあちゃんは床に手をついて水浸しにしている後藤に、

「顔を上げな、貴志」

と言った。

後藤が顔を上げる。


バチン!


おばあちゃんは両手で涙がたまる頬を叩く。

「しっかりせえ、貴志! アンタ、男だろう? まだ、死んだと決まってないのに諦めてんじゃないよ!」

「で、でも……」

「『でも』じゃない! まだちゃんと見てないんだろう?」

その言葉に後藤はうなずくしかなかった。

「なら、死んでないかもしれないじゃないか。 そうだとすれば、こんな所で座り込んでる場合じゃないじゃろ? 」

「じ、じゃあ……どうやって助けるの?」

村田も三上も岩永も病院に搬送されているはずである。しかも事故は起きてしまっている。

どうやって助けろと言うのだ。

「ああ、それはここで話してもしょうがないから家に帰ってからにしよう」

そう言われて、後藤は家に引きずられていった。


兄弟はおらず、両親も働きにいっているので灯りは一つも点いていない我が家。

夏の長日も落ちて真っ暗なのに、その影を見るだけでほっとする。

その二つ鍵のドアが開く音もやはり安心するし、玄関の先にある廊下なんか見ていると心が安らぐ。


しかし、後藤はその廊下をさらに引きずられ開いたふすまから埃っぽい臭いがする和室に入らされた。

昔、亡くなった祖父の部屋だった和室は死んで以降、物置と化している床をおばあちゃんは器用に避けて和室の奥へ。

そして、祖父の机の引き出しを開けると、後藤の方を向いて、

「もう一度聴くが、アンタ『きさらぎ駅』に行ったのじゃろう?」

「う、うん……」

「なら、話はカンタンさ。そこにさ迷っている友達を連れ戻せばいいのさ」

とそれが常識であるかのように言った。しかし、後藤はどこがどう簡単なのか分からない。

「どうやって行くの?」

「そりゃもちろんこれを使って行くのさ」

そう言って後藤の手に握らせたのは、

「なにこれ? 切符?」

「そうじゃ。それがあれば『きさらぎ駅』とかもっと先にも行けるぞ?」

古びた切符だった。しかし、その切符は行き先はかすれて読めないし、始発もどこか分からない。

「……どうやって使うの? これじゃ使えなくない?」

「ああ、安心しろ。それは駅のアレに差してつかうものじやありゃあせん。それは夢の中で使うものなんじゃ」

「夢の中?」

「まあ、正確には違うのじゃが……、ともかく、寝るときにそれを握りしめていれば、あっちに行けるぞ」

「へえー……」

分かったような分からないような顔をする後藤。

そんな事は意にも介さず、おばあちゃんはさらに続ける。

「さて、貴志」

おばあちゃんの顔が一段険しくなり、後藤も唾を飲み込む。

「これを使えば、向こうに行けるがお前も道連れになるかもしれん。それでも使うかい?」

「道連れ?」

「死ぬということじゃ」

その言葉に後藤は一瞬震えたが、すぐに居直り、

「…………行く」

とだけ答えた。

「…………そうかそうか。……ならもう寝な! 夜も遅いぞ」

後藤は自分の部屋への階段を上っていく。だが、その瞳はどう考えても寝ようとしているものでは無かった。


(本当に助けられるのか……?)

後藤はそんな疑問を抱いて、切符を両手でしっかり握って目を閉じた。

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