汝、嫉妬ノ獣也①
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
二度目の
目を開く。前回のようにその場で跳ね起きなかったのは、目を開くと同時に此方を覗き込んでいるリオルの顔が見えたからだ。身体の中心に、異物が通り抜けて行った
「肯定。いつもながら迅速な目覚めですね」
「……」
彼女の声は穏やかだ。いつも通りの平静さで、ホムラは一瞬、自身が悪夢を見る前、何処で何をしていたのかを思い出す事が出来なかった。
「治療は終わってます。何時でも戦線へ戻る事が出来るでしょう」
「……せんせん」
せんせん。戦線。
一瞬で全てを思い出したホムラが勢い良く跳ね起きるのと、すぐ近くで
そう、ホムラは確か、
……。
…………。
………………。
おい、ちょっと待て。何でコイツらが此処に居るんだ。
「肯定。情熱的ですね、ホムラ」
「バカ、お前ら、先に逃げろって……!」
特に抵抗無く抱かれたまま、ホムラの腕の中で顔だけ上げて見上げてくるリオルに、咄嗟に小言を言いそうになる。
が、それは直後、再び聞こえてきた
"巨像の間"の中で巨大な長剣を振り回し、縦横無尽に暴れ回っている
「……」
結局、彼女達は此処に残って戦う事を選んだらしい。ホムラとしては苦々しい思いを否定出来なかったが、結局ホムラは
「……俺はどれくらい寝てたんだ?」
「五分程です。急いで下さい。姉さまもマリオンも、もう限界です」
「お前は? この場に残るのは危ないと思うが」
「肯定。姉さまの所に戻ります。ホムラには派手に復活して敵の注目を釘付けにする事を期待します」
「分かった」
リオルに対する礼も、自身に対する嫌悪も、今はグッと呑み込んで、ホムラは行動を開始した。リオルの身体を離し、代わりに直ぐ傍に転がっていた大太刀を拾い上げる。その直ぐ傍にあった鞘は、治療する時にリオルが外してくれたものだろう。今は必要ないもので、後で取りに戻ろうとか考えていると、解放されたリオルが視界に中にすぅっと割り込んできて、それをホムラの代わりに拾い上げた。どうやら回収しておいてくれるらしい。まるでホムラの考えている事が分かっているかのようなその行動に、内心で舌を巻くのはもうこれで何度目か。
「ホムラ」
「うん?」
戦線に復帰する前に、拾い上げた大太刀を軽く振って、身体の調子を確かめる。リオルが声を掛けて来たのは、まさにその瞬間の事だった。
「何か策はあるのですか? 何も無いまま突っ込めば、またさっきと同じ事になります。その場合、リオルとしてはやはり撤退を提案したいのですが」
「策は無い」
身体の調子に、取り敢えず問題は無さそうだ。
漸く思い出したとは言え、記憶を取り戻してからこっち、実践するのはこれが初めてだ。リオルへの説明義務を果たす間、手順を丁寧になぞるのも良いだろう。
「でも大丈夫だ」
「根拠を聞いても?」
「モノの斬り方ってヤツを思い出したからな」
悪夢の主。無貌の男。
ヤツの一撃を喰らった瞬間を、ハッキリ自覚した事が引き金となった。
体重を上手く乗せ、刹那刹那に正しい姿勢を保つ事。正しい刃の角度を瞬間的に見極める事。技術的な要点は他にも沢山あって、それら全ては過不足無く必要だ。
でも、それだけではない。
ホムラ自身を構成する血と肉、臓器、骨。けれど、肉体とはそれだけではない。血のように体内巡るモノは他にもあって、それは通常、呼吸のように目には見えない。意識しなければ知覚する事も無いだろう。
呼吸を入口にして認識出来るようになるこれを、ホムラの周りでは"氣"と呼んでいた。これを認識し、自身を認識し、それを内に凝縮し外に拡散出来るようになって初めて、人は真に何かに干渉出来るようになる。
斬るとは。断つとは。
自らが携える得物にまで自身を広げ、一体となり、その上で物理的な技術を全て活用して行える、一つの"偉業"なのだ。
「――肯定」
リオルは、特に否定も肯定もしなかった。彼女からすれば唐突で、また具体的な説明が出来ず抽象的な内容になってしまったのにも関わらず、その声には驚きも無ければ疑いも無い。
寧ろ何かを確信したかのように、彼女はあっさりとホムラを解放してくれた。
「では、御武運を。ホムラ」
それでいいのか。我ながら全然説明になっていない説明だったのに。
そう思わないでもなかったが、身体は勝手に動き出していた。リオル曰く、マリオンもアネモネも限界らしい。
地を蹴り、走り出す。
視界の先では、丁度マリオンが窮地に陥り始めている所だった。
「呼ぉぉ……――」
走りながら、ガチリと奥歯を噛み締める。
砕かれ、耕されているようになっている石の床の上を駆け抜けて、マリオンの前に飛び出す。落ちてくる鋭い鉄塊を正面に捉え、自らの大太刀を低く構えたのは、ほぼ同時。体内を巡る氣の流れを増幅させ、加速させる行為を練氣と呼ぶが、それは既に完了している。後は、解放するだけだ。
「――――――」
けれど、十分な練氣のお陰だろうか。恐怖は無く、逸りも無く、気持ちはただただ凪いでいた。無限に引き延ばされたようにも感じる一瞬の中で、ホムラは小さく息を吐き、そして
「
斬った。
多少の防御など関係無く轢き潰すであろう巨人の一撃は、けれどホムラとマリオンを捉える事は無い。斬り上げたホムラの大太刀がその刃に喰い込み、斬り裂き、割り断ったから。中程から斬り飛ばされた巨大な長剣の刃が回転しながら落ちてきて、ホムラ達の遙か後方へ轟音と共に突き刺さったのは、一拍遅れた後の事だった。
「お前……!」
「すまん。迷惑を掛けた」
驚いたようなマリオンの声が背後から聞こえ、ホムラは
「もう大丈夫だ。下がってろ」
「……っとに大丈夫なんだろうな……!」
正直、多少はごねられるかと思っていた。何しろ彼女はクラウスを一番大事に思っているし、見るからに大事な事は自分でやりたいタイプの人間である。ホムラも彼女の目の前でヘマをやらかしてしまったし、絶対再び「自分でやる」とか、そう言った類の事を言い出すと思っていた。
「ああ。俺もモノの斬り方を思い出して来た」
「なんだ、それ」
とは言え、彼女の息は切れていて、一言喋る間にも息を数回挟む有様だった。ホムラ不在の間に相当頑張っていたようで、それが彼女の思考を冷静にしたのかも知れない。
「じゃあ、任せた。結構、ボコボコに、して、やっといたから。あとは、最後の、意地を、引っ剥がして、やる、だけだ」
「ああ」
ボコボコとはまた、穏やかじゃない。鎧も武器も無い彼女がスケールが違う巨人相手に何か出来たとは思えないが、只の強がりと斬って捨てるには、言葉に奇妙な厚みがあった。
何にせよ、此処で選手交代だ。距離を取り、警戒するように此方の様子を窺っていた
「は」
だが、まぁ。
いい加減、泣き言も聞き飽きた。
「うるせぇよ」
一閃。
押し寄せてきた呪いの波が、真っ二つに裂かれ、霧散する。音そのものですら急速に空気中に溶けて消えていくその中を、ホムラは一歩、クラウスに向けて踏み出した。
「泣き言を喚き散らせば、満足か?」
クラウスが即座に防御の構えを取る。大盾を床に叩き付けるように突き立てて、その向こう側に隠れてしまう。その様には、自らの盾に対する絶対的な信頼が見て取れた。
「誰にも届かない欺瞞と誤魔化しを並べ立てて、それで平穏は得られるか?」
相手が早々に防御を固めてくれたお陰で、時間は十分過ぎるくらいにあった。一歩、一歩、また一歩。歩み、距離を詰めていくその間に、呼吸を重ねて氣を練り上げる。敵の大盾の目の前に立ち、睨み下ろしてくる落ち窪んだ双眸に見せ付けるように大太刀を構える。
「なぁ、おい」
ホムラが、大太刀を斬り上げるのと。
それまで不動の構えだった
「お前の
大盾が、吼える。
”たまたま才能を持っているだけのクセに”。”俺だって努力しているのに”。”俺は悪くない”。”才能が無いから時間が掛かる”。”俺は悪くない”――
咆哮そのものは意味の無い只の音だが、それは確かに叫びだった。他人への羨望が変質したであろう嫉妬に、自身の心を守る為の言い訳。それらが混ざり合って他者に対する憎悪と呪いとなって、ホムラに向かって押し寄せてくる。
「言い訳を言い訳だと、本当は自分で認識しちまっている。お前が口だけの男だったらそれでも良いが――」
練氣と共に大太刀を閃かせ、咆哮ごと呪いを叩き斬る。叩き斬る毎に歩を進め、
――止メテクレ……!
必死な様子で紡がれる
――俺カラコレヲ奪ワナイデクレ……!
悠然と歩を進め、
――コレヲ失ッタラ、俺ハ、俺ハ……!!
いよいよ壁際に追い詰められた
頭上に影が射したのは、まさにその瞬間の事だった。長剣の投擲は、ホムラの気を逸らす為の陽動だったらしい。間髪入れずにホムラが斜め後方へ退がったのと擦れ違うように、巨大な足がその場を踏みつけ、大きな蜘蛛の巣状の皹を入れる。どうやら
何処か、痛々しい闘志だった。
――嗤ウナ! 嗤ウナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!
「嗤ってなんか、ない」
大盾を庇いながらも、クラウスは巨体を活かした攻撃を次々と繰り出して来る。その悉くを躱し、往なし、時には弾きながら、ホムラは小さく呟いた。
「お前を嗤っているのも、憎んでいるのも、他ならぬお前自身だ」
世界は、当人が思っている以上に個人に関心が無いものだ。"思うからこそ我は在り"とは何処ぞの偉人の言葉だが、故に個人は当人が思うようにしか在れない。
幾ら、アネモネが慕おうと。幾ら、ホムラが褒めようと。
クラウス本人がそれを聞き入れず、"才能の無い弱者"としてしか自分を見る事が出来なければ、それ以上のモノには成れないのである。
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