汝、嫉妬ノ獣也②

「お前が口だけの男だったんなら、それでも良かっただろうさ」


 半ば自棄糞のような攻撃は、けれど今の魔物クラウスの巨体から放たれれば、地上を蹂躙する砲雨と変わらない。轟音に身体を叩かれ、風圧に髪や服の裾を嬲られながら、ホムラはその隙間を縫って少しずつ距離を詰めて行く。


「だが、お前はそうじゃない」


 間合いの中に、入る。


 ホムラが大太刀を構え直すと、魔物クラウスが思わずといった様子で大盾を構え直した。大盾の底、人面の顎部分が床に叩き付けられ、砕けた床の破片を含んだ豪風が正面から吹き付けてくる。


「そうじゃないから、そんな姿になっちまったんだろ」


 小さく、息を吐く。


 押し寄せてくる突風。弾丸のような破片。挑戦するような咆哮。そしてその向こう側に在る、クラウスがおのれを護る為の大盾。


 それら全てを纏めて捉え、ホムラは大太刀を、無造作に斬り上げる。無限に引き伸ばされたようにも思えた長い永い一瞬の後に、クラウスの顔面おおたての真ん中に斬線が刻まれ、黒い血が噴き出した。




 ――ガァアァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアァァァァァァ!!?




 魂が砕けたかのような悲鳴が、"巨像の間"を揺るがした。さながら小さな野生動物を思わせるような俊敏さで跳び退り、魔物クラウスはホムラから距離を取った。



 ――嫌ダ……



 啜り泣く声が聞こえる。姿形は恐ろしげな首無騎士であるにも関わらず、盾を庇い、背を丸め、弱々しく呻くその姿は、酷く儚げで、哀れだった。両断はが、それでも自身が頼るものに傷を付けられたのだ。概念や在り方に頼るという存在だからこそ、その意味も大きなモノになるのだろう。ホムラであれば、耐えられるかどうかも分からない。


 けれど。



 ――嫌ダ……!!



 それでもやはり、は立ち上がって来た。



 ――……!



 啜り泣くように震える呻き声は止まらない。背筋は曲がり、庇う筈の盾にすがり付くようになっているその様は、戦に敗れて落ち延びた敗軍の将のようにも見える。


 けれどその理想の甲冑は、未だに偉容を保ったままだ。


 啜り泣きながらも膝は着かず、明らかに怯えながらも逃げ出しはせず。


 クラウスはやがて大盾を庇うのも止めて、それを前面に出し、ホムラに向かって構えた。黒い血を未だ止まらないが、それでもその凶相は歯を剥いて、ホムラへの闘志を露にする。


 傷付いても、前に出る。押し潰されても、這って進む。


 ホムラがこの短い間に見てきた、クラウスという人間そのものだった。



 ――コンナ自分ハ、モウ嫌ナンダ……ッ!!



「だよな」


 小さく呟く。もしかしたらホムラは今、笑ったかもしれない。


「お前の嫉妬かつぼうってのは、そんなもんじゃないよな」


 理想の自分を追い求めて、苦渋を舐めて、這って進んで、それでも望むモノは手に入らなくて。他人を妬み、憎み、化物になるのも無理は無いと言うものだ。他人からの妬み嫉みというのは鬱陶しくて、本来なら相手したくないものだが、ホムラは少しだけクラウスの事を知っている。その妬み嫉みを受け止めて、昇華させてやりたいとも思っている。


「来いよ」


 最終的に、クラウスがどんなな結末を迎えるかはホムラは知らない。出来れば夢を叶えて欲しいと思うが、決断するのはクラウス自身だ。


 その為にも、気の済むまで暴れさせてやるべきだと思うのだ。リオルの言った事とは少し違うが、彼を引き戻す本当の解決策は、きっとそうだとホムラは思う。


「とことん付き合ってやる」


 思い描いた理想。降って湧いた力に酔うのは気持ち良いだろうが、それは所詮。それを言葉と道理ではなく、心と実力を以て証明してやる必要がある。"戦って"、"勝つ"のは飽くまで手段なのだ。



 ――アァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアァァァァァァッッッ!!!!



 自らを鼓舞するように、クラウスが吼える。跳躍し、一息でホムラとの距離を詰めて来ると同時に、大きく振りかぶっていた大盾をホムラに目掛けて叩き付けて来る。


 回避は無い。真っ向から受ける。


 巨大な盾が落ちて来るのに合わせ、全身で大太刀を横薙ぎに振るい、その一撃の軌道を強制的に横へ流してやった。大盾はクラウスが振るったそのままの勢いで地面へ叩き付けられ、爆風と振動、大小様々な破片を以てホムラを襲う。


「……!」


 大盾を流した大太刀の刃を返しつつ、ホムラは歩く。


 直後、クラウスは体勢を流された状態から強引に大盾の薙ぎ払って来て、地面を広範囲に渡って曳き潰した。が、ホムラには当たらない。既に内側にまで進んでその間合いの内に潜り込み、攻撃範囲から逃れ出ていたからだ。


 直後、目の前に聳えていた巨人の足が消えた。追い掛けるように視線を上に上げると、跳躍して重力に身を任せた巨人の両足が、今まさに勢いを付けて落ちて来ようとしているのが見えた。



 ――ガァアァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアァァァァァァッッッ!!!!



 轟音。


 床を踏み抜くのではないかと不安になるような激震が、"巨像の間"全体を激しく揺らす。その場に残っていれば間違い無く潰されていたであろうその攻撃を、けれどホムラはギリギリ範囲の外れた所で見送っていた。跳躍した敵を視認してその意図を確認すると同時に、そのまま前進。落ちてくる相手の足元を通り抜けて、相手の背後を取った形になっていた。


 クラウスが、慌てたように振り返る。その大盾に、今度は右下から左上へと走る巨大な斬閃が刻まれたのは、その直後の事だった。


 轟き渡る、悲鳴。新しい傷痕から黒い血が噴き出す大盾を、けれどクラウスは直後、


 見栄と外聞。心を守る為に必要なそれらを守る為の大盾を投げ捨てて、最後の最後にクラウスが選んだのは、嫉妬の対象ホムラを倒すという単純で原始的な闘争本能だった。



 ――トォォォォォぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……ッッ!!!!」



 落石のような巨大な拳。破城鎚にも匹敵する凶悪な蹴脚。嵐のような獰猛さで次から次へと繰り出される攻勢に、ホムラもまた正面から向き合った。


 躱す。払う。受け止める。


 避ける。弾く。斬り返す。


 朱い着物の裾が千切れ飛び、金瘡を刻まれた手甲や脚甲から黒い血が飛び散った。どれだけ攻撃を返しても、どれだけ傷を刻んでも、クラウスは引かなかった。そもそも防御すらしようとしなかった。理不尽な迄に思い通りにならない現実への呪詛を全てホムラに叩き付けるように、クラウスは吼え、暴れ、猛り狂った。一度、二度、危うくホムラの方がその攻撃に曳き潰されそうなった瞬間があったくらいだ。


「――すー……」


 だが、そこまでだ。


 戦いながら延々と体内で練り続けていた氣が、臨界を超えた。先の一撃、初めてクラウスの大盾に傷を刻んだ時と同じか、それ以上の不可視のエネルギーが身体から溢れるのを感じる。


「――はー……」


 クラウスもそれを感じ取ったのだろう。一瞬、ほんの一瞬だけ、彼は自らが投げ棄てた大盾の方に気を遣った。物理的には見えなくても氣の流れでそれが見えた。


 けれど結局、彼はもうそれに頼らなかった。


 運命に挑み掛かる英雄そのものの雄叫びと共に、その巨体を存分に躍動させて、ホムラに向けて真っ直ぐに全身全霊の拳を突き下ろして来る。


 避けようとは思わなかった。そして何より、敢えて喰らってやろうとも思わなかった。


 敢えて負けてやる事。それは相手を侮り、格下と見なす行為だ。それをやれば、クラウスの心はへし折れるだろう。今度こそ真に魔道に落ち、二度と戻る事は叶うまい。


 全身全霊で撃ち込んで来たからこそ、全身全霊で応える。


 相手の拳に合わせるように、ホムラは大太刀を大上段に構え。


 振り下ろした。








「――――――――――――ぁ……」








 最後の瞬間、小さく声を聞いた気がした。遥か遠くに在るものを諦めるような、けれど同時に、ずっと詰めていた息をそっと吐き出したような、そんな声だった。


「……なぁ……」






 一閃。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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