廃墟で吼える首無騎士④

 だからやっぱり、マリオンは此処で退く訳には行かないのだ。


 今のマリオンには鎧も武器も無いし、例えそれらがあったとしても、魔物相手に何か出来るかどうかは正直分からない。それでもやっぱり、何かしたい。あの時、クラウスがマリオンを理解しすくってくれたように、マリオンもクラウスを助けたい。


 だから、マリオンは叫ぶ。走る。


 大声で叫んで魔物クラウスの注意を自分に向けて、彼が煩わしげに剣を振るってくれば、魔術師の少女の助けを借りてその攻撃から逃れる。それを何度も繰り返していると、やがて魔物クラウスは段々とマリオンに意識を向け始め、徐々に逃げるマリオンを追い掛けて、大剣の男の傍から離れるようになった。



 ――マリオン………!



 苛立たしげに、大盾くびが吼える。それは意味の無い咆哮だった筈なのに、何故か自分の名前を呼んでいるようにマリオンには聞こえた。



 ――マァァァァぁァァリィィオォぉォおン………!!



  迷宮を揺るがす地響きと共に、巨体が軽やかに宙を舞う。跳躍の勢いを味方に付けた長剣の突き落としから、避けたマリオンを追い掛けるように薙ぎ払い。その足元に逃げ込んだマリオンを踏み潰さんとばかりに足踏みを繰り返し、命からがらその範囲外へ逃れ出たマリオンを待ち構えていたかのように、大盾くびを連続で叩き付けて来る。


 優秀な魔術師の援護を受けていて尚、背筋が凍るように圧倒的な暴力の数々だった。一体、何個の肝が潰れたか分からない。只ひたすら相手の攻撃に専念しているからまだ何とかなっているが、気を抜けば一瞬で曳き潰されるのは間違いない。


 ただ、その甲斐はどうやらあったらしい。


 視界の端に、こっそり"巨像の間"に入り込んできた神官の少女が、魔物クラウスの死角を抜けて、大剣の男の下に辿り着くのが見えた。あおい銀色、星の色の光翼を展開し、早速治療を開始しているようだ。


 とは言え、マリオンに確認できたのはそこまでだった。


 魔物クラウスは次の標的を、完全にマリオンへ定めたらしい。蹴りに長剣、盾の打撃と、次から次へと殺意が押し寄せて来て、余所見をする余裕が殆ど無い。



 ――アノ子ダケニハ、身限ラレタクナイ………!



 クラウスの声は、未だ途切れずに続いている。攻勢そのものは凄まじく苛烈なのに、その声を聞いていると、暗い部屋で彼の独白を聞いているような、そんな気分になってくる。


 "身限る"という単語を聞いた瞬間、マリオンは思わず動きを止めてしまった。魔術師の少女が咄嗟に攻撃魔術を発動させて、敵の気を引いてくれなかったら、マリオンは魔物の攻撃によって潰れた肉塊になっていただろう。ハッとして魔術師の少女に目線を送り、礼を伝えると、酷く消耗した様子ながらもサムズアップを返してきた。分かっていた事だが、彼女の魔力の回復は十分ではないらしい。余計な魔力を使わせるべきじゃない。しっかりしなければ。



 ――、アノ子ダケニハ………!!



 とは言え、クラウスのは、やはり無視出来ないものだった。


 歯を喰い縛る。拳を握る。


 魔物が振りかぶった長剣を振り下ろし始めたその瞬間を見計らって、マリオンは地を蹴り、逆に前へ飛び出した。



 ――全部無駄ダッタ………



 長剣が叩き付けられる直前、風の加護の力を借りて真横にすっ飛び、攻撃範囲に逃れ出る。そのまま駆け続けて魔物の足下へ飛び込んで、跳躍。鎧の凹凸と風の加護の機動力を頼りに、その身体を登り始める。



 ――アノ子マデモガ俺ヲ見限ッタ……!!



 「勝手に決めんな」


 どうやら魔物は、今のでマリオンを見失ったらしい。あの巨大な鉄槌すら破壊してのけた武力を誇る大剣の男ならいざ知らず、丸腰のマリオンはすばしっこいだけで大した脅威だとは見なされていないのだろう。自動防御とやらもせず、だからこそマリオンは目的を達成する事が出来る。キョロキョロと辺りを見回すように身体を動かすその振動を堪えながら、マリオンはその巨体をよじ登っていく。



 ――畜生、畜生、ドウシテダ!? ドウシテ俺バッカリコンナ目ニ遭ウンダ!?



 彼は歯を喰い縛って、いつか目標まで辿り着ける人だと思っていた。


 どんなに辛くても、どんなにへこたれても、人だと。


 でも、違った。彼は耐えていただけだった。本当は周囲を羨んで嫉妬し、自分は悪くないんだと自分に言い聞かせて何とか心の均衡を保ちながら、何とか立っているだけだったのだ。


 それに完全にトドメを刺してしまったのは、他ならぬマリオンだ。頭に血が上っていて、言い方に配慮しなかった。よりによって彼の目の前で、彼の尊厳を傷付けるような事を言ってしまった。彼の心が限界まで軋んでいる事なんて、そんなの全然気付けなかった。


 ……でも、でも。


 だからこそ、彼に一つ伝えたい事がある。


「ねぇ」


 マリオンの代わりに、魔物は"巨像の間"の隅で大剣の男を治療する神官の少女を見つけたらしい。何やってるんだ貴様と言わんばかりに咆哮を上げ、そちらへ向き直ろうとし始める。


 でも残念。マリオンの方が少しだけ、早かった。


 到達したのは、魔物の胸部。心臓の真上。


 握り締めるのは拳。或いは、言葉。





 握り締めた拳で、ただ殴った。


 鎧を傷付けるとか砕くとか、そんな事は考えなかった。その後でどうなるとか、そういった戦略的な諸々もその瞬間だけは頭から吹っ飛んでいた。


 ただ、伝わって欲しかったのだ。見限ったとか、とんでもない。例え他の奴がどうだろうと、マリオンはクラウスを見限らない。頼れる兄のようでなくとも、魔物に身を落とすような事があっても、少なくともマリオンだけは、絶対に彼を見捨てない。世界で自分は一人ぼっちだとか、誰からも見限られたとか、そういう勝手な思い込みは止めて欲しかった。


「――」


 マリオンの殴った衝撃なんて、きっと虫に刺された程も効かなかった筈だ。


 けれどその瞬間、驚くべき事に、魔物は思い切り突き飛ばされたようにその巨体をグラつかせ、耐えかねたように何歩か後ろへ後退した。まさかそんな事になるとは思わなかったので、マリオンの方も驚き、鎧にしがみついていた手を離してしまった程だ。当然、支えを失ったマリオンの身体は床に向かって落ちていく羽目になったが、そこは魔術師の少女がフォローしてくれた。風が渦巻き、マリオンの身体は柔らかく床の上に下ろされる。


(今のは……?)


 取り敢えずハンドサインで魔術師の少女に感謝を伝えつつも、マリオンが考えるのは今起きた現象の事だった。マリオンはただ、殴っただけだ。それなのに魔物は強力な衝撃にド突かれたみたいに吹っ飛ばされた。自動防御とやらで防御する事も無く。



 ――違ウ……



 混乱するマリオンの言葉に答えるように、魔物が呻く。



 ――俺ハ皆カラ見限ラレタンダ……! 俺ノ傍ニハモウ誰モ居ナインダ……!!



 長剣を取り落とし、代わりにその手で押さえているのは、心臓の位置。マリオンがぶん殴った――自身の想いを、直接叩き込んだ場所。


(嗚呼、そうか――)


 神官の少女曰く、クラウスはマリオンに見限られたと思い込んだのがトリガーとなって魔物化した。勿論マリオンとしてはそんなつもりは全く無かったが、クラウスにはマリオンの頭の中なんて覗けないから、そんな事知りようもない。


 では、何らかの理由でマリオンの胸中を知ってしまったらどうだろう。



 ――ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!



 魔物で居続けるにも、大義名分とやらは必要らしい。


 或いはこのまま今の行動を続ければ、マリオン自身の手でクラウスを助けられるのではないかという思いが頭の隅を掠めた。が、直後、蹴り上げた長剣を掴み取り、威嚇するようにその刀身を床に叩き付け、吼える魔物を見て、マリオンは自身の欲を押さえ付ける事にした。


 ダメージ自体は、全然入ってなさそうだ。確かに同じ事を繰り返せば倒せるかもしれないが、あの魔物は今、完全にマリオンを脅威だと認識した。長引けばマリオンが殺される可能性の方がずっと高い。


「……"バカでもなけりゃ、前衛なんてやってられない"だったか」


 上等だ。彼に救って貰った人生を、彼に絶たれると言うならそれもまた一興である。マリオンは最後の最後まで自身の思いを伝えて、クラウスの馬鹿な思い違いを否定し続けてやる。


「あんだけ派手な啖呵を切ったんだ」


 でも、それでマリオンが死んでしまったら、やっぱりクラウスは辛いだろうから。今、あの時の両親の気持ちがマリオンには少しだけ分かったけれど、マリオン自身のあの時の気持ちだって、色褪せた訳ではないから。


「さっさと起きて、都合良く全部解決して見せろ……!」


 未だ目覚めない"大馬鹿野郎"に、手前勝手な願いを託しつつ。


 マリオンは、咆哮を上げて突進してくる魔物に向かって、自らも全力で駆け出した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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