廃墟で吼える首無騎士③

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「"どんな攻撃でも防ぐ"という説明には、二つの概念が含まれます」


 "化物"。


 マリオンの胸中にあったのは、マトモに観察する事すら諦めたような、そんなな感想だった。


 化物。化物だ。魔物と正面切って殴り合うなんて、王国騎士の一部の団長達か、白金級の冒険者くらいのものだろう。所謂、"ヒトの形をした兵器"とまで評される者達である。あの黄金の国ジパングの民もまた、そういった者達の一人だったようだ。身のこなしや戦いぶりから只者じゃないとは思っていたが、まさかとは。


「一つ目は、文字通り"堅牢"の概念。如何に高威力な攻撃も、あの盾を前にすれば何の意味もありません。それこそ、戦術級の術をぶつけたとしても傷一つ付かないでしょう。故に、姉さま。姉さまに出来る援護とは、。それは必ず念頭に置いて下さい」


「う、うん……!」


 魔物の得物、巨大な鉄槌を破壊してのけた男が、魔物の反撃を上手く利用して、その頭上を取った。堅牢を誇る大楯、その守備範囲の内側に入り込み、大上段に構えた奇妙な大剣を魔物の本体に向けて打ち下ろす。誰が見たって、完全に入ったと思っただろう。魔物の身体は反撃を繰り出した体勢から戻りきれていなかったし、男は完全に魔物を間合いの内に捉えていた。


 あれで、終わりだ。巨大な鉄槌すら破壊してのけた奇妙な大剣が、次は魔物の鎧を打ち砕く。そんな光景を、幻視すらしてしまった。


「そして二つ目が、"自動防御"の概念です」


 だが、魔物はやはり理不尽まものだった。


 金属が断末魔を上げたかのような、異様な轟音。視線を外した訳ではない。瞬きをした訳でもない。けれど、男の大剣は魔物の盾によって受け止められていた。盾の位置は勿論、魔物の姿勢や、男と魔物の距離までが。訳が分からなかった。


「速度、距離、タイミング。そういったモノを、あの盾は本体に向けられる攻撃の前に立ち塞がるようですね」


 男の身体が、弾き返される。何とか空中で体勢を立て直し、両足から着地するが、すかさず其処へ魔物が飛び掛かった。


 位置エネルギーを存分に味方に付けた、巨人の一撃。比喩じゃなく、ダンジョン、或いはダンジョンを含む王宮全体が揺れた気がした。男はギリギリでかわしたようだったが、此方からすれば心臓が凍り付く光景だ。魔術師の少女などは、小さい悲鳴すら上げていた。


「魔物とは、肥大した願望と、拡大解釈された概念の塊です。その概念を打ち破るには、その概念の矛盾を突いて、現実を突き付けるか――」


「り、リオル、リオル! まだなの!? もう助けに行った方がいいんじゃないの!?」


「まだです、姉さま。まだです。……それから、そう。か、です。寡兵な一般人が正攻法で挑んだ所で、打ち破る事は不可能と言って良いでしょう。分かりますね?」


「あわ、あわわ……」


 神官の少女は、淡々とした様子で喋り続ける。魔術師の少女は気が気でない様子で、きっと神官の少女の解説なんて半分も聞いていないに違いない。話が頭に入ってきていないのは此方も同じだったが、あんまり平穏には二人の様子を見ていると、ちょっと冷静になってしまった。


(あー……)


 そんな訳で、マリオンは幾分か思考する余裕を取り戻していた。思考する余裕があれば、周囲を観察する事が出来る。周囲を観察すれば、それまで見えなかった物事の別側面も見えてくる。


 大剣の男のピンチに、分かりやすく動揺し、狼狽している魔術師の少女。これは普通だ。マリオンだって、クラウスが魔物化してしまったと理解した直後は、きっとあんな感じだった。あれより酷かったかも知れない。今だって十全に冷静という訳じゃないが、とにかく大事な仲間が窮地を立たされれば、あんな感じになる。とても分かりやすい反応だ。


 対して、淡々と魔物に対する知見を述べ、解説している神官の少女。魔術師と違って慌てている様子などちっとも無いし、その様は手駒の動向を見守る冷徹な指揮官のようにすら見える。大剣の男を心配しているようにはとても見えないし、ましてや魔物化したクラウスの事を配慮してくれるとはとても思えない。


 ……こんな奴に従って、果たしてクラウスは戻ってくるのか。そもそもコイツらはガキだ。マリオンよりも修羅場を潜り抜けた経験は少ない筈の、正式な冒険者ですらない小さなガキである。今からでも遅くない。マリオンはマリオンで、クラウスを救う為に動くべきではないか。


 そんな考えが、頭の隅に浮かばないでもなかった。 


 けれど。


「なぁ、ちょっと落ち着きなよ」


 ある程度経験を積んだからこそ、マリオンにも一つ、分かった事があったのだ。


 神官の少女の、視線。やや早口でズラズラと紡がれる解説とは対照的に、彼女の視線は動かない。


 ただ一点――というよりは、一歩離れた所から盤面を喰い入るように凝視しているようなその視線は、間違い無く戦場を何とかしようとしている指揮官のそれだ。


 神官の少女は平静という訳じゃない。寧ろ、逆だ。極限まで緊張し、その上で。誰も聞いていない解説を延々と語っているのも、本当はマリオン達に聞かせる為のものじゃないだろう。極端に緊張するといきなりマニュアルを暗唱しだしたり、やたら饒舌になる奴が居る。神官の少女も、そういうタイプだという事か。


「ねぇ、一つだけ聞かせて」


 基本、マリオンは誰ともつるまない。つるまない故に、自身の勘は割と信じる。


「お前は兄ちゃ……最後までクラウスを見捨てない?」


 その勘が、言っているのだ。


 此処は一人で自分勝手に戦うよりも、彼女達を信じて共闘した方がいいのではないか、と。


「肯定」


 元々マリオンの専門は何も考えなくていい正面からの戦闘で、勝つ為に複雑な条件を達成しなくてはならない戦いは、あまり得意ではない。その複雑な条件を考える参謀として、神官の少女はとても優秀な気がした。


「それが、姉さまとホムラの望みですので」


「よし」


 それだけ聞く事が出来れば、マリオンとしては十分だ。自らの頬を叩いて気合いを入れ直し、軽く深呼吸をして気持ちを切り替える。


 "巨像の間"では、大剣の男が一方的に追い詰められている所だった。あの様子なら、神官の少女が言う"出番"も直ぐにやって来るだろう。


 実際、直ぐにやって来た。


「――そろそろですね」


 魔物が、床に転がっていた巨大な長剣を蹴飛ばした。刃先に力を加えられ、猛烈な勢いで回転を始めたそれを嫌がり、大剣の男は跳躍して逃れようとする。その滞空時間を、魔物は見逃さなかった。


「マリオン。とにかく声を掛けて、魔物の気を引いて下さい。あの魔物がクラウスである以上、貴女の声だけは無視出来ない筈ですので」


「了解」


 大剣の男が宙に跳び上がったその瞬間、魔物は剣を掬い上げるように蹴り上げ、その柄を掴む。空中で身動きが取れない大剣の男は成す術も無くそれを喰らい、床に叩き付けられた。


「姉さまはマリオンに”風の加護”を。繰り返しますが、火力に関係無く、あの盾は普通の攻撃を一切通しません。マリオンの生存の為に尽力して下さい」


「――ッ、Τοππ ψο」


 返事よりも先に、魔術師の少女は呪文を詠唱し始める。


 床に叩き付けられた大剣の男に、魔物は駄目押しとばかりに連続で剣を叩き付けていた。そうかと思えば、中々死なない相手に業を煮やしたかのように、その身体をボールのように蹴り飛ばす。大剣の男の身体は塵屑のように宙を舞い、壁に叩き付けられて床に落ちた。


 言葉を挟む間も無いくらい、あっという間の出来事だ。


 その「あっ」と言う間しか無い僅かな時間で、大剣の男の身体はになっていた。あれではもう、戦えまい。


「――出番です、マリオン」


 それでも。


 神官の少女は、彼に一縷の望みを賭けているようだった。


「リオルがホムラを復活させるまでの時間を稼いで下さい」


「……任された」


 言いたい事は、勿論あった。


 何であの男に拘るのか、とか。こうなれば自分達で何とかする方法を考えるべきじゃないか、とか。他にも腑に落ちない点、引っ掛かる点は沢山あって、その全部を今すぐ整理して言葉にするのは、マリオン自身にも難しいくらいだ。


 でも、だからこそ、マリオンはそれらを全部呑み込んだ。呑み込んで、迷いを絶ち切るようにその場から飛び出し、"巨像の間"の中に飛び込んだ。


 今はとにかく、時間が惜しい。うだうだ言っている場合ではない。


 大剣の男にとの距離を悠然と詰めようとしている魔物――クラウスの背後に近付いて、マリオンは大きく息を吸い、叫んだ。


「クラウスーーーーーーーーーーーーーーっっ!!」


 きっと、見間違いじゃない。


 首の無い巨体が、不意打ちで電流を喰らったかのように微かに跳ねた。刹那にも満たない空白の後、魔物クラウスは大剣の男の所に向かう足を止めて、ゆっくりとマリオンの方へ振り返った。


(よし……!)


 注意を引く事。取り敢えず成功だ。


 同時に、これまで大剣の男が一身に引き受けていたのであろうプレッシャーが一気に圧し掛かって来て、マリオンは一瞬、文字通り呼吸の仕方を忘れてしまった。


 冗談じゃない。こんなものを、あの男は一人で引き受けていたのか。


 マリオンは精々、言葉を途切らせないように声を張り上げるだけで精一杯だった。


「随分と楽しそうじゃない!? でも弱い者虐めそんなのが貴方のやりたかった事!? えぇ!?」


 違う。そうじゃない。


 マリオンは知っている。他の誰が知らなくても、マリオンは


 彼の望みゆめは、冒険者になる事。世界中を見て回る事。


 ……


「すごい力を得られて、満足!? ははっ、夢想家のクソガキか!? 誰かを一方的にブン殴るって気持ち良いよね!? でもハッキリ言って今の貴方はすんごくダサいよ!!?」


 彼は、のだ。才能に溢れた人々に囲まれた彼には居場所が無くて、息が出来なくて、"冒険者"という夢は彼にとって唯一の逃避場所だった。彼の家は所謂上流階級で、冒険者というヤクザな商売とは殆ど無縁だったから。


 最初、彼はいつも家族から隠れるように、家の裏手の路地でひっそりと、冒険者に関する本を読んでいた。マリオンと出会ったのも、その頃だ。


「――


 魔物クラウスが、吼える。マリオンの言葉を塗り潰すかのような、悲鳴のような怒号と共に、手に持っていた長剣を振り被る。


 背後で魔術師の少女が何事かを叫び、身体が信じられないくらいに軽くなったのはその時だ。思い切り跳び退ると、もうそれだけで魔物クラウスの攻撃の範囲外へ逃れ出る事が出来た。まるでマリオンの身体に突風が纏わり付いて、マリオンが望む方向に運んでくれているかのようだった。


の……ッ!」


 これなら、行ける。魔物クラウスを大剣の男から引き剥がし、神官の少女が彼を復活させるまで時間を稼ぐ。マリオンがマリオンの仕事をきっちりこなしている限りは、彼女が勝手にやってくれるだろう。


 だから、マリオンは目の前に集中する。そうでなくとも、言葉が、想いが、勝手に溢れ出していた。



冒険者になろうって言ったじゃん!!!!」



 小さな頃、マリオンは三つの痛みを抱えていた。


 一つ目は、目の前で両親がオーガに喰われた事。


 二つ目は、それで自分だけが生き残った事。


 そして三つ目が、周囲のヒトビトが、否応無しに押し付けられた事。


 辺境と言えるような、王都から離れた小さな漁村だった。兵隊は居らず、村人達は次々と喰われていった。


 父は船の櫂を武器にオーガの前に立ちはだかり、村人が逃げる時間を稼いだ。とは言え、瞬く間に数匹に取り囲まれて、素手で手足を引き千切られて喰われていた。マリオンは担ぎ上げられた母の肩の上から、その光景を見たのだ。


 母は自らを餌にして、幼いマリオンがオーガから逃れる為の犠牲となった。隠れた場所で恐怖のあまり硬直し、動くどころか悲鳴すら上げられなかったマリオンの目の前で、あのオーガは母を散々弄んだ後、呪いの言葉と侮蔑の嘲笑を以て、その身体をわざと汚ならしく喰らい散らかした。


 無力でちっぽけなマリオンには、何も出来なかった。その事実は今でもマリオンを苛んでいるし、あの時のオーガを皆殺しにしない限り、それは決して晴れないだろう。


 だけどそれよりも何よりも辛かったのは、その後縁あってこの街の孤児院に引き取られて来た時、大人達がマリオンの両親を



 ――"その身を犠牲にして、村人達を守った"――



 違う。



 ――"その身を犠牲にして、この子を守った"――



 違う。



 ――"きっと、この子だけは守りたかった"――



 私は、私も連れていって欲しかった。



 ――"お前は、彼等の為にも幸せに生きなくては"――



 なれる訳ないだろ。



 ――"素晴らしい"――



 ――"感謝を"――



 ――"せめて貴方は幸せに"――



 分かっている。


 彼等は別に、間違った事を言っていない。両親の死を、尊厳あるものだと言ってくれた。無駄死にではないと、何度も何度も。彼等は間違いなく善良な人で、でもだからこそ、マリオンの胸中の思いには気付かなかった。



「……兄ちゃんだけだったんだぞ……!」


 

 苦しくて、息が出来なくて、気が狂いそうなくらいに塞ぎ込んでいた。そんなある日、小さな裏路地で、マリオンはと出会った。



「気付いてくれたのは、兄ちゃんだけだったんだ……!」



 どういった経緯で、見ず知らずの彼に身の上話をする事になったのかは、もう覚えていない。



 ――""――



 その後のの一言が、余りにも衝撃的だったから。



 ――""――



 ずっと、隠していたのに。ずっと、堪えていたのに。


 恥じて隠していた無力でちっぽけこどもな私を、あの人は容赦無く暴き出した。日の下に晒された感情が爆発して、何がなんだか分からなくなって、馬鹿みたいに泣き喚いた。ずっと胸の内に支えていた何かが、それで流れていったような気がした。


 詰まる所、マリオンにとってはそれが全てなのだ。が自身の居場所が無くて苦しんでいる事も、何事においてもめざましい活躍が出来るようなタイプでない事も、その後の交流で全部分かったが、マリオンにはそんなのどうでも良かった。


 彼が冒険者になって目覚ましい冒険をしたいのなら、自分がそれを助ける。彼が居場所を得られなくて苦しんでいるのなら、自分がその居場所になる。


 義理とか、人情とか、そういうのじゃない。


 あの時マリオンは、彼に、クラウスに、どうしようもなく惚れまけてしまったのだ。

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