義理と人情と痩せ我慢①
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
当てが外れた。
てっきり、彼は逆上して、マリオンに襲い掛かると思ったのだ。
だからホムラはその瞬間、素早くマリオンに近付いて、彼女を背後に庇った。最悪、急所を抉られる事まで覚悟していたのだ。マリオンの言い分には、一理ある。ホムラの稚拙な親切心がこの事態を招いたのなら、相応の報いを受けるのも仕方無い。そう思ったのである。
だが、抉られたのはホムラの急所ではなく、彼当人の喉元だった。
クラウス。
彼の行動には迷いは無く、淀みも無かった。ハッキリ言って玩具に近しい筈の彼の剣は、信じられない程の切れ味で本人の首を刺し貫いた。予想外の行動に理解が追い付かず、硬直している間に、彼の身体は突き刺さったままの剣をグルリと回して、自らの首を完全に刎ね飛ばした。それこそ、「あっ」と声を上げる間も無い僅かな間の出来事だった。
「は……?」
背後から聞こえたマリオンの声は、事態をまるで把握できていない声だった。
「え、何。何で……?」
普段ならば、ホムラは此処でマリオンの方に注意を割いていたかもしれない。目の前で、大事な人間が悲惨な死に方をしたのである。取り乱すのは当然で、思い余った行動に出る事だって無いとは言えない。
だがその時、ホムラはクラウスから目を離せなかった。正確には、クラウスの首の断面から溢れ出す血から目を離せなかった。
黒い。
血が酸化して黒ずんでいる、とかそう言う話じゃない。血とは異なる、別の何か。ドス黒く、ドロリとした禍々しい液体がクラウスの首から溢れ、ゆっくり、けれど着実にその身体を覆っていく。
ヒソヒソと、誰かが囁き交わすかのような微かな声を聞いた気がしたのは幻聴だろうか。一瞬の事で、聞こえたと思った次の瞬間にはもう聞こえない。だが、確かに気配を感じる。今こうしている間にも陰の気が何処からか噴き上がり、この場に濃く立ち込めていっているのを感じる。
何かが、変だ。根拠も確信も無いが、本能が最大限の警鐘を鳴らしていた。ふらふらと、マリオンがホムラの身体を避けて前に出ようとしたのはその時だ。何も無ければ好きにさせておいただろうが、今回はそうも言っていられないと思った。咄嗟にその手を掴み、引き留める。マリオンはきっとその手を振り払おうとして、凄まじい形相で此方を振り返り、
「なん――」
直後。
クラウスの身体が、弾けた。
「!?」
否、弾けたと言うのは正確ではない。弾けたと見紛う程の速度と勢いで、その身体が爆発的に膨れ上がったのである。ボコボコと内から沸き立つマグマのように、クラウスの身体を覆っていた液体が、膨張と収縮を繰り返し、別の何かへとその形を変えていく。
広い肩幅。長く、太い手足。歴戦の勇者が着るような黒く勇壮な鎧に、片手に装備されている、人面の大盾。
一言で言うなら、それは首の無い巨人の騎士だった。
――
新たな形に生まれ変わった産声だろうか。そいつは形が定まるなり、地面を踏みしめて咆哮を上げた。存在しない首の代わりに大盾の顔が放った大音量の咆哮は、物理的な衝撃すら伴ってホムラ達に押し寄せて来る。
「――ッ」
歯を喰い縛りって耐えつつ、ホムラは掴んでいたマリオンの手を引っ張って、俵のように肩に担いだ。更にその場で反転し、行き先も特に決めないままに、とにかくその場から離脱する。
何か、尋常でない事が起こっている。死んだ人間が、化物に変質した。そんな事が有り得る事自体が不可解だが、とにかく目の前でそれは起こった。だったら、今は理解するよりも先に行動だ。
「止めろ! 離せ!! 兄ちゃん、兄ちゃん……!!」
抱えられてから我に返ったように、マリオンが叫びながら暴れ始める。あんな風になっても彼を兄と呼ぶその気概は大したものだが、流石に放り出す真似は出来なかった。
背後から追い掛けてくる、轟音。巨大な何かが床を踏み付けているようなそれは、文字通り彼が床を踏みつけているからだろう。正確には、逃げるホムラとマリオンを狙って。どうやら少なくとも、彼はホムラ達を味方だとは思っていないらしい。
「此方です、ホムラ!」
丁度行く先に、"巨像の間"の出口があった。其処からリオルが身を乗り出して叫んでいる姿を見て、ホムラは一も二もなくそちらへ向かう。
「逃げろ逃げろ逃げろ!!」
リオルに向かって叫びながら、ホムラは背後から追い掛けて来る轟音に追い付かれる直前で"巨像の間"から飛び出した。通路に入って少し進むと、気を失ったアネモネが寝かされているのが見えた。
其処まで辿り着いてから、一度背後を振り返って様子を確認する。幸い、あの巨体では出入り口から腕を突っ込んでくるのも難しいらしい。未練がましく出入口付近に貼り付いているのがチラホラ見えたが、今のところは、それ以上の行動をしてくる事も無い。
一息吐けそうだ。
……とは言え、肩に担いだマリオンを解放する事は出来なさそうだったが。
「兄ちゃん! 兄ちゃん!! うわぁァァァァァァァァァァァァァッッ!!」
「おい、あれは何だ?」
号泣して我夢沙羅に暴れるマリオンは放っておいて、ホムラは、アネモネの傍に跪いていたリオルに声を掛ける。
「人間が、化物に変わったぞ。何かの魔術か?」
「否定。あれは"魔物化"です。ヒトの強い想念が、肉体に影響を及ぼす一種の現象です」
「違う! 違う!! 兄ちゃんは魔物なんかじゃ、魔物になんかなってない!! 適当な事を言うなァ……!」
魔物、という言葉を聞いた瞬間、マリオンが怯えるように身体を震わせた。直後、彼女はその言葉を掻き消さんとするかのように、リオルに怒りの矛先を向ける。
魔物化。そう言えば一度、リオルの口からその言葉を聞いた気がする。あの時は詳しい話を聞けなかったが、今回は嫌でも聞かせて貰う事になりそうだ。
「貴女に失望されていると思い込んで、余程ショックだったのでしょうね」
怒りを向けられても平然としている様子で言葉を紡ぎながら、リオルはアネモネの頬を何度も叩く。吃驚した様子で飛び起きたアネモネは、周りの様子を見て更に混乱を極めた様子だったが、少なくともホムラには彼女に説明してやる余裕は無かった。
「渇望と呼べる程に強い願いを持っていたのに、それが果たされぬと理解してしまった。並の人間には持つことすら叶わない感情の飽和に呑み込まれ、ヒトでないモノに変質してしまった。魔物とは、そういう者達の総称です。此処から先、彼は目に付くモノ全てに当たり散らし、害を為すでしょう」
「え? 魔物化!? 誰か魔物化したの……!?」
話の要点を掴んだらしいアネモネが、驚いたように辺りを見回す。が、直ぐに分かったようだ。酷く落ち込んだ様子で、彼女はシュンと肩を落とした。
「ああ……クラウスさんが……」
「違う、違うんだ!! 兄ちゃんは魔物なんか、魔物なんかじゃ……!」
アネモネにまで噛み付いて、けれどその勢いは先程よりも確実に弱くなっていた。その内彼女からは烈火の如き勢いがみるみる失われていって、やがてポツリと呟いた。
「……私の所為で……?」
先程までの叫び声に比べれば遥かに小さな声だったのに、最も響いた声だった。
「私が、弱いなんて言っちゃったから……?」
リオルも、アネモネも、何も言わない。勿論、ホムラに何か言える筈も無かった。
ホムラはそっと、力の抜けたマリオンを自らの肩から下ろし、壁にもたせるように座らせる。思い余った行動を取るようなら叩きのめしてでも止めるつもりだったが、幸い彼女にそのような気力は無いようだ。
……ひどく、打ちのめされている様子だった。
「……その、魔物化? というやつにはいまいち実感が持ててないんだが……」
魔物化したクラウスが苛立たしげに吼える声が響き渡る。
「その、魔物化した奴ってのは、どうなるんだ?」
「大概の場合は殺処分です」
希望を噛み切るようなリオルの物言いに、マリオンが火箸を押し付けられたように肩を跳ねさせる。
「魔物は非常に強力です、ホムラ。元となった人物の願望が一対一のスケールで無条件に実現されている場合が殆どですし、その人物の在り方が拡大解釈されて、非常に強力な特殊能力として昇華されているケースも散見されます。彼の姿を見ましたか、ホムラ?」
「ああ」
マリオンの様子に留意しながらも、ホムラは頷いた。
首の無い騎士。そう、騎士だ。
元のクラウスでは絶対に着れなかったであろう、重く、分厚く、勇壮な鎧をあの巨大な魔物は纏っていた。クラウスの首から噴き出していた、あの真っ黒なドロドロが彼の願望を映したのだろうか。さながら物語に語られる勇者の甲冑のような、そんな印象まで受けたのだ。本人に首が無く、また鎧そのものも真っ黒だったので、却って禍々しさが強調されていたが。
「あの鎧は彼の願望の現れでしょう。敵の攻撃を全て引き受け、あまつさえ殲滅する勇士。間違いなく並外れた白兵能力を有している筈です。並の人間が相手なら、恐らく束になっても敵わない程の。そして、はい。あの大盾ですが」
本人の首を加工して作られた、大盾の事だ。
正直、あれを見た時は震えが来た。張った皮と肉、その下にある骨の輪郭。上部にはご丁寧に髪まで生えていて、落ち窪んだ目はギョロギョロと動き、大きく裂けた口の中では鉄板のような歯がガチガチと鳴っていた。鎧とは違って、材質の質感がそのまま残っているのである。
「鎧とは違って、あれは本人の在り方が具現化したものでしょう。道中、ホムラも感じたのではないですか? 彼にとって頭とは、彼の心を守る大事な盾を紡ぐ場所だった」
「……"言い訳"か」
「肯定。拡大解釈されたあの盾は、文字通り全てを防ぐでしょう」
リオルの表情は、凪いでいた。項垂れたまま動かないマリオンを、ホムラやアネモネが気にしているのには気付いているだろうに、彼女は残酷な一般論を紡ぐのを止めなかった。
「幸い、我々は既に脱出する事が可能です」
彼女にとって、一番大切なのはアネモネだ。道中を共にしてきたとは言え、既に安全圏に逃れられる場所に居る以上、クラウスの為に下手な冒険はしたくない、というのが本音だろうか。
例え、それでマリオンに恨まれたとしてもだ。寧ろ、リオルは敢えて言いにくい事を口にして、自ら憎まれ役を買って出ているような気配さえ感じられた。
「このまま撤退して、増援を呼ぶ。一般的に最も賢い選択は、それでしょう」
けれど、何故だろう。
ホムラには、彼女が単に撤退を促しているようには思えなかった。
「繰り返しますが、魔物は強力です。存在が発覚すれば、可能な限り強大な戦力が集められ、全力で対処されます。殺すだけでも手一杯だからです。わざわざその人間の事を理解して、その嘆きや怒りを真正面から受け止めて、暴走した感情に始末を付けてやる余裕など、普通は無いのです」
ほら。
黙っていたら尋ねるまでもなく、その道を匂わせるような事を言い始めた。
「”それ”をしたらどうなるんだ?」
「”それ”とは?」
「たった今、お前が言った事だ。理解して、受け止めて、感情に始末を付ける、だったか」
「人間に、戻る可能性があります」
あっさりと、リオルは答えた。
マリオンがハッと顔を上げて、リオル、ホムラ、アネモネの顔を順々に見る。魔物化というのは、余程絶望的な状況なのだろう。彼女にとっては願ってもない話が飛び出した言うのに、彼女の表情は希望より、驚愕の色合いの方が多かった。
「飽くまで可能性がある、というだけですが。普通に勝てないケースの方が多いですし、仮に勝てても、普通に殺した場合と同じで灰に還る可能性もある」
「だが、戻ったケースもある。そうだな?」
「肯定」
「しかし、具体的にどうするんだ?」
理解して、受け止めて、暴走した感情に始末を付ける。
言葉にすれば単純だが、些か抽象的に過ぎる。
「個人に拠って方法は様々ですので、確かな事は言えませんが」
ホムラが何をする気なのか、リオルは知っていると言わんばかりだった。いつものように無感動に、けれど言葉の端に微かな呆れと諦めを滲ませながら、彼女は肩を軽く竦めて見せる。
「彼の場合は、鼻っ柱を叩き折ってやれば良いんじゃないですか? 願望の鎧を叩き割ってやれば、頭も冷えるような気がします」
「なんだそりゃ」
思わず、笑ってしまった。
「結局、戦って勝てって事じゃねえか」
「機械的に処刑されるのと、頭に拳骨を落とされるのとでは意味合いが全く異なりますよ。対象を理解出来ない一撃は、ギロチンの刃にしか成り得ません」
「なるほどな」
思った以上に脳筋な解決方法だ。が、それならそれでやりやすい。
どうせホムラには剣を振り回す事しか出来ないのだ。小難しい手順や方法を要求された所で、うまく出来ない可能性は高かった。ホムラ一人でも何とか出来るようなら、それに越した事は無い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます