義理と人情と痩せ我慢②
「……どうするの?」
何らかの予感はあったのだろう。不安げな様子で、アネモネが恐る恐る聞いてくる。
「一応、世間様への責任も果たしとかないとな。万が一の時、一早く知らせる奴が必要だ」
結論を先に言わなかったのは、彼女達の返答が予想できたからだ。遠回しな言い方で煙に巻き、上手く言いくるめる言葉を考える時間を稼ごうとしたのである。
結局、何も思い付かなかった。
「お前らは先に戻れ」
頭も口も回りが悪い。我ながら呆れてしまいつつも、仕方無くゴリ押しで押し通す事にした。
「出口は直ぐそこなんだろ。先に脱出して、誰か助けを呼んで来てくれ」
「そんな事出来る訳無いよ!!」
憤慨したように、アネモネが声を荒げる。
「魔物ってすっっごく厄介なんだよ!? 国の兵士達が束になって掛かっても、討伐に失敗する事だってあるくらいなのに! たった一人で、しかも剣一本で立ち向かうなんて、そんなの無茶だよ!!」
一応、広間に居るクラウスに気付かれないよう、声を抑えてはいた。それくらいの冷静さはあったようだが、それでも、これまでホムラが見た中では一番感情が昂っているようだ。
どうやら彼女は、立ち上がろうとしたらしい。床に手を突き、重心を持ち上げようとして、
「わ……ッ!?」
よろけて崩れ落ちそうになった。思った以上に力が入らなかったらしい。予め心得ていたかのようなリオルが支えたお陰で転ぶ事だけは回避出来ていたが、そんな様では戦力にはなれない事は彼女が一番分かっているだろう。
「お前が力不足って訳じゃねえ」
彼女の前にしゃがみ込み、フォローを入れる。彼女は視線を下げて目を合わせてくれなかったので、その表情は見えない。が、噛み締めた唇から血が垂れるのは見えた。
なんとまぁ、気合いの入ったガキである。もうちょっと年相応の権利を甘受しても、バチは当たらないと思うのだが。
「ちょっと、想定外に戦闘が続き過ぎただけだ。本当に、背中を預けられる相棒として、お前は力を証明してくれたよ」
「……一人でなんて、無茶だよ……ッ」
噛み締めた歯の隙間から絞り出すように、アネモネは言った。
それに対して、ホムラはゆっくりと頭かぶりを振り、立ち上がった。
「大人は、
"この偽善者"。
先程、マリオンから叩き付けられた言葉は、ホムラを痛烈に打ちのめしたのだ。
そんなつもりは無かった。
そんなつもりは無かったけれど、だからこそホムラはホムラ自身の言葉を証明しなくてはならない。
「あの」
不意に、それまで黙っていたマリオンが声を上げた。会話の流れを見守る内に、多少気持ちが落ち着いたようだ。
「……私も一緒に」
となると、当然そのような事を言い出すだろう。
「ダメだ」
「何で……ッ!?」
一息に切り捨てると、彼女は予想通りの反応を見せた。先程のように激昂する訳ではないが、明らかに納得していない彼女に対し、ホムラはなるべく冷たく聞こえるように言い放った。
「残るのは構わねえ。お前には見届ける権利があるだろうからな。だが、戦うのは無しだ。鎧も武器も無ぇお前に、何か出来るとは思えねぇ。仮にお前がその身を犠牲にしてアイツを救ったとしても、アイツは自分の所為だと自分を呪いながら、お前の献身を無駄にするだろうな」
「……そっ――」
マリオンは、咄嗟に何か言い返そうとしたらしい。けれど、直後、苛立ったようなクラウスの咆哮が"巨像の間"から響いてきて、彼女は強制的に黙らせられる形となった。
自分がクラウスを追い詰めてしまったという負い目が、彼女にそれをさせたのだろうか。
慄くように硬直した彼女の隙を突くように、ホムラはその場で踵を返そうとする。
「……ま、待てよ!!」
が、流石にそう甘くは無かった。思った以上に早く硬直から回復して、マリオンはホムラに掴み掛かってくる。
「私も、連れてけ! 確かに鎧も武器も無いけど、アンタと違って私には理由がある!」
「理由」
「そうだ理由だ! アンタは赤の他人だろ!? 本当は別に戦う理由なんて無いのに、義理立てして戦ってくれようとしてるだけだろ!? でも私にはちゃんとした理由がある! 寧ろ、私が戦わなくて誰が戦うんだ……」
「……」
マリオンは必死だった。見てて痛々しくなるくらいに必死だった。
「
「え……」
どちらにせよ、彼女の言い分には根本的な間違いが一つあった。
「――俺はアイツを、本気で応援してるんだよ」
「は?」
恐らく。
マリオンはその瞬間、思考が停止したのだろう。動きが止まり、掴み掛かる手から力まで抜けたその隙を突いて、ホムラはなるべく自然にその手を払った。
「大体はお前の言った通りさ。"前衛として大事なモンを持ってる"なんて言ってな。俺はアイツを煽った」
再び、クラウスが吼える声が聞こえた。ホムラ達を見失い、当たり散らす相手を失って、今は"巨像の間"の中を彷徨っているらしい。
或いは彼自身、最早どうすればいいのか分からないのかもしれない。
何となく、そんな事を思った。
「……馬鹿っぽいと思うかもしれないがな。大事な誰かを身体を張って守るとか、そういうの男は堪らなく好きなんだよ」
確かに彼は、フィジカル面での素養は壊滅的だった。例えばホムラのような戦い方は絶対に無理で、彼はこれまでの道行きの中でずっと、自分が憧れているのに届かない境地を延々と見せ付けられていた訳だ。
彼はずっと、暗かった。アネモネに対して態度が悪くなった事もあるし、危なっかしい程に思い詰めて、ハラハラする場面も沢山あった。
けど。
けれど、それでも。
「這ってでもその道を進もうとするアイツを、俺はどうしようもなく格好良いと思った」
それでも彼は、自身の芯を曲げなかった。最後の最後まで自身の理想と、それに伴わない自身の能力と向き合い続けて、あんな事になってしまった。
「応援したいと思ったんだ」
嘘を言ったつもりは無い。寧ろ彼は、恐らくホムラよりも強いハートを持っている。
ホムラが敵に立ち向かえるのは、当たり前だ。だってホムラは強いからだ。敵に勝てる勝てないは置いておいて、少なくともホムラは敵と戦う為の武器や肉体を持っていて、その事に関しての自負がある。
クラウスにはそれが無い。それが無いのに、彼はそれでも、何度も恐怖を捩じ伏せて行動した。泣きながら、震えながら、それでもいつか、自分の描く理想に届く為に。"大事な者を守れる存在になりたい"。きっと、その一心で。
馬鹿な男の、手前勝手な自己満足だ。嗤いたければ嗤えば良い。少なくともホムラは嗤わないし、嗤えない。
だってホムラも、そんなバカな男の一人だから。
「流石に、"一生面倒を見る"なんて事は言えねぇけどな」
マリオンはまだ固まっている。きっと、此方の言い分が理解できないのだろう。
「少なくとも俺には、アイツの夢がこんな終わり方をするのは看過出来ねぇ。アイツは今俺の剣の届く範囲で苦しんでいて、俺の言葉が苦しむ原因の一つになっている――」
理解されないのは別に構わないが、鎧も武器も無い彼女について来られるのは困るな。
そんな事を考えながらふと視線を巡らせると、リオルと目が合った。任せろと言わんばかりに、微かに頷いたような気がした。
マジか、コイツ。
一体どれだけ優秀なんだ。
「理由としてはそれで十分だろ?」
「……意味が分からない……馬鹿なの……?」
「はは。ああ、そうだ」
馬鹿どころか狂人を見る目をして呟いたマリオンに対し、ホムラは笑った。
「そうだとも」
説明の義務は精一杯果たした。会話を切るように踵を返し、"巨像の間"に向かって歩き始める。
きっと今の自分は、賢い連中から見れば最悪な間抜けだ。合理的じゃないし、クラウスを助けるにしても、もっと賢くて安全な、格好良くて英雄的な方法があるだろう。
でも、自分はこれでいい。これしか無いし、これしか出来ないから、これで良いのだ。
記憶は相変わらず戻らないけれど、わざわざ思い出すまでもなく確かな事が一つある。
「――
ホムラ・ナルカミは、大馬鹿者なのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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