男子、三日会わざれば

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 というのがマリオンの正直な感想だった。


 それは人格的に嫌だとか生理的に受け付けないだとか、そういった平凡な理由によるものではない。


 前衛は後衛の為に命を張って時間を稼ぎ、後衛は前衛の信頼と献身に答える為に全力を尽くす。より具体的に言うのなら、奇妙な大剣を携えた前衛の男は、明らかに個人で引き受けるような相手ではない化物に躊躇無く向かって行く。そして小さな少女にしか見えない魔術師は、マリオンと同じ銀等級の冒険者でも使える者が居るか分からない高等魔術を平然と連発し、化物を仕留める。


 誰も泣き言を言わないし、そもそも言葉すら殆ど交わさない。


 理想的な関係だ。


 だからマリオンは、クラウスと一緒に現れた三人組が好きになれなかった。正直に言えば、"気持ち悪い"とすら思ったくらいだ。


「……」


 けれど。けれど、だ。本当はそれ以外に、或いはに、マリオンにはあの三人組が気に入らない理由がある。


 それは端的に言うと、クラウスがその彼等の中に半ば溶け込んでいるように見える事だった。と言った方が正しいかもしれない。


(どうかしてる)


 思い出すのは、マリオンの引っ張る力に抵抗する予想以上に強い力だった。巨像が動き出した時、見た事も無い化物が壁の向こうから現れた時。当たり前のように残って戦う事を選択した莫迦三人は放っておいて、マリオンはクラウスを連れて逃げ出そうとした。誰が考えたって当たり前の事だ。死ぬ為に戦う奴なんて居ない。勝てないと感じたら、即座に撤退するのが長生きする冒険者の鉄則だ。


 だが、クラウスは抵抗してきた。マリオンを振り返らず、当たり前のようにそこに残った。面喰らったマリオンは、思わず引っ張る力を緩めてしまった。彼が何を考えて居るのか、分からなくなってしまった。


 どうして。


 だって、マリオンのこの考え方を教えてくれたのは、貴方なのに。と教えてくれたのは、貴方なのに。


(こいつらの所為?)


 そうこうしている内に、あの三人組は二体の化物を退治してしまっていた。全く、どっちが化物なのか分かりゃしない。本当なら一刻も早くオサラバしたいと言うのがマリオンの本音だったが、クラウスが全然動かないのでマリオンも動けない。


 その場はすっかり”終わった”ムードで、マリオンもそんな風に思っていた。女の頭を持った(持っていた)化物を見ていたのは、只の偶然だ。偶々、クラウスの身体の向こう側に、その巨体があった。それだけである。


「!」


 頭を吹き飛ばされた筈の芋虫女の身体が、。気の所為だと思う前に本能が警告を発し、一気に身体が戦闘状態になる。今度こそクラウスを引き摺ってその場から離脱しようとし、けれどその直前に、大魔術を連発しているへたり込んでいる少女の魔術士の姿が目に入った。


 ……化物は化物でも、一応は小さな子供だし。何より今なら、マリオンにもギリギリ余力がある。


「――!」


 気が付けば、行動に移った後だった。その場から飛び出し、先ずはクラウスを脇に突き飛ばして安全圏に逃げるよう促す。へたり込んでいる少女の脇の下に腕を突っ込み、抱え上げながら、もう一人の少女に視線を走らせて、助けが要るかどうかを確かめる。


 幸い、そちらの少女に助けは不要のようだった。まるでこれから何が起こるのか、すっかり分かっている様子でマリオンの顔を見詰め返していて、心得たように一つ頷いてみせる。まだ小っこいくせに、すっかり修羅場に慣れている様子なのがまた不気味である。


「え? え? なに!?」


 状況を分かっていないらしい魔術師の悲鳴は、無視する。そもそも、反応してやる暇など無かった。首を失くした筈の芋虫女の巨体が、魂が入ったかのようにいきなり動き始めたのは直後の事だったから。


「行くよ!」


「了解です」


 ダラリと床の上に投げ出されていた幾つもの人間の手が、地面を掴む。ブヨブヨの巨大な肉の塊が持ち上がり、直後、暴走する猛牛のように動き出した。地響きのように迷宮を揺るがせながら、真っ直ぐ一直線に、此方に向かって突進してくる。


「……ッ!!」


 怖い。


 前衛は怖いもの知らずでなければ務まらないと言うが、怖いモノは怖い。


 けれどそれに囚われてしまえば、呆気無く死ぬ。本当に、呆気無く、あっさりと死ぬ。”待った”は無いし、やり直しも利かない。幸いマリオンは、その事を小さな頃から知っていた。が、


 こういう時は、迷い無く動くのが何よりも大事。その事は最初から知っていて、今は場数も踏んで経験も積んでいる。


 だから、問題なんて無かったのだ。確かに怖いが、それだけだ。生き延びる自信は十分にあった。


「――こっちだ!!」 


 なのに、どうして。


 よくよく知った声がそう叫ぶのを聞いた時、マリオンは全身から血の気が引くのを感じた。


 反射的に足を止め、振り返る。突き飛ばした筈のクラウスが何時の間にか前に出て、芋虫女を、マリオン達とは全く関係無い方向に誘き寄せようとしているのが見えた。自分の盾に自分の剣を何度も叩き付けて、嗚呼、あれなら相手にはもってこいだ。実際、芋虫女の巨体は吸い寄せられるように、クラウスが居る方向に軌道を変えようとしていた。


「待っ――」


 "待った"は無い。やり直しも利かない。


 こっちだ、と小さな頃にも聞いた台詞が、耳の中で反響している。今でも夢に見る、記憶の中の両親の姿が、今のクラウスの姿が重なって見えた。


「姉さま、しゃんとして」


「ど、どうすれば――」


 身体が、凍ったように動かない。時間の流れは妙にゆっくりで、芋虫女の巨体がクラウスに迫っていく姿が鮮明に見えた。直ぐ近くから聞こえた双子の少女の短い会話は、まるで遠い世界の他人の会話のようだった。


「ホムラ。剣」


「……! うん、それくらいなら、うわっ……!?」


 抱えていた魔術師の身体を落とす。今更ながらに、クラウスに向かって走り出す。マリオンはもうのような無力な存在じゃない。戦えるし、守れる。助けられる。その為に力を付けたのだ。


 でも、力を付けたからこそ、心の何処かで悟ってもいた。


 あれは無理だ。助けられない。どんなに頑張っても、もう間に合わない――


「兄ちゃ……ッ!!!!」


 マリオンは、届かなかった。


 けれど、クラウスが芋虫女の突進に巻き込まれる事は無かった。


「――止まりやがれ糞虫野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」


 "巨像の間"全体に、男の怒声が響き渡る。魔術師の爆破魔術の余波に巻き込まれ、脇に吹き飛んでいた前衛の男だった。静かだと思っていたが、どうやら戦線に復帰してきたらしい。叫びながら、必死な形相で此方に駆け戻って来ていた。


 その叫びは何の捻りも無い稚拙な悪罵だったけれど、けれど、けれど芋虫女は反応した。反応してくれた。クラウスの所に辿り着く直前で、その巨体が急ブレーキを掛けて動きを止める。動きを止めて、悪罵の主の方に向き直ろうとしたのだろうか。


「俺の、仲間に……!」


 だが、それよりも男の方が少しだけ早い。ある程度まで加速が付いた所で、男は人間離れした脚力で地を蹴り、空中へ高々と舞い上がった。大きく振りかぶられる、寒気がする気配を放つ特徴的な大剣。まるでタイミングを計っていたかのように、魔術士がブツブツと呟いていた呪文を結んだのはその時の事だった。


「Арё」


 魔術士の掌から、稲妻が放たれる。それは振りかぶられた大剣を捉え、バチバチと爆ぜながら巨大な雷刃を形成していく。


「手ぇ出してんじゃねぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!!」


 落雷と、ほぼ変わらなかった。


 落下と共に打ち下ろされる、大剣の一撃。魔術士が放った雷は、男の大剣だけじゃなく、男自身の身体にまで纏わり付き、その能力を強化していたのかもしれない。激情と共に放たれた一撃は、動きを止めて中途半端に振り返りかけていた芋虫女の身体を、一刀両断に叩き斬っていた。


 皮が裂け、肉が斬れて、中に詰まっていた血や臓物を零れ出す。電熱で焼かれた肉が焦げ、一部の血が沸騰し湯気を立てるが、大部分はその場にブチ撒かれて"巨像の間"を汚した。


 "本当の危険"とは無縁である筈の試験会場が、一瞬で戦場跡だった。真っ二つに断ち割られた芋虫女の身体が、重力に屈してそれぞれ好きな方向に崩れ落ちる。それを成し遂げた男は、着地したその場所で立ち上がり、油断無く左右に視線を走らせていた。どうやら、対象が完全に事切れたのかどうかを確認したらしい。


 人間のそれに酷似している何本もの手が、死んだ虫のそれのように痙攣している様は想像以上におぞましかった。が、そこに意志は無く、どうやら芋虫女は今度こそ、完全に死んだようだった。


「きゅう」


 パタリ、と誰かが倒れる気配。反射的にそちらに目を遣ると、どうやら完全に魔力が切れたらしく、魔術師が目を回して倒れていた。


「お疲れ様です。姉さま」


「おこして……ホムラを、むかえないと……」


「否定、姉さま。少しでも寝て、魔力の回復を。後でまた、叩き起こしますので」


「えぇ……」


 魔術師にとって魔力切れとは、相当にキツいものらしい。大魔術を二度も使った挙げ句、最後の"属性付与エンチャント"にも相当な魔力を込めたのだろう。その顔は蒼白で、正直に言えば死人に近い顔色をしている。休ませた方が良いのは間違いないようだった。


「ぐぁー……ねぇリオル、なにしてんの……?」


「姉さまを隅っこに運んでいます。引き摺って」


「せめて、やさしく、はこんでよー……」


「愛は込めているつもりです」


 ズルズルと、脇の下に手を突っ込まれた魔術師が、"巨像の間"の出口の方に引っ張られていく。その様をボンヤリと見送った所で、マリオンはハッとして視線を元に戻した。


 クラウスは。


 そうだ、クラウスは一体どうなった?


 すんでの所で芋虫女に轢殺されなかった所までは確認したが、その後、何かの余波に巻き込まれたりしてはいないだろうか。


「……!」


 居た。


 彼はまるで石像のように、或いは阿呆のように元の場所に佇んでいた。ヒーローを見詰める無邪気さと、野望を見据える業火のような激しさが混在したような視線を以て、何かを見詰めたままボンヤリと佇んでいた。


 何を見ているかは、わざわざ確かめるまでもない。馬鹿、と思わず叫び出したくなった。冷静な人だと思っていたのに、自分に出来る事をコツコツ頑張って、夢を叶える人だと思っていたのに。


 


「……」


 さっきの絶望を思い出す。真っ黒なそれは、瞬く間に真っ赤な怒りに変質していった。


 アイツか。アイツが原因か。


 胸の内で燃え盛る憤怒に突き動かされるように、マリオンはの方に歩き出していた。彼は血や臓物で尻が濡れるのも構わずにその場に座り込んでいたが、マリオンの接近に気付くと、大剣を杖にして立ち上がった。


 結構、消耗しているようだ。万一の事になっても、何とかなるかもしれない。


「……すげぇ顔だぞ」


 言葉は返さなかった。


 その代わりに、固く握り込んだ拳をその頬にブチ込んでやる。男は避けもせず、防ぎもせず、黙ってそれを食らった。まるで巌のようだった硬くて、重くて、ビクともしない。憎たらしくてイライラする。後ろから、吃驚したようにクラウスが叫ぶのが、またカンに障った。


「アンタか」


「……」


「アンタの所為か」


 男は、何も言わない。後ろから駆け寄ったクラウスが、後ろから羽交い締めにしてマリオンを引き剥がそうとする。だけど彼がマリオンを力尽くでどうにかしようなんてちゃんちゃら可笑しいのだ。あっさり振り解いてやった。そんなに力は込めなかったが、彼は呆気なく地面に転がった。


「見たろ」


 転がったクラウスが何処かぶつけてないか確かめ、直ぐにまた男に視線を戻す。



 少なくとも、フィジカル的には。



 この人の強さとは、そことは別の所にある。そこを履き違えれば、彼は死ぬ。強いからこそ逃げないで、結果的には無駄死にする。それは、それだけは、マリオンが絶対に避けたい事だ。


 マリオンにはもう、彼しか居ないのだから。


「しかし、そいつだって大人の男だ。向いてないからって、そいつの理想自体を否定するのは、幾らなんでも――」


「赤の他人が、好き勝手な事抜かすな」


 腹の底が沸き立つようだった。神妙な顔をして何を言い出すかと思えば、そんな使い古された綺麗事とは。


「そうやって無責任に煽り立てて、善人ヅラ出来れば満足か!?」 


 世の中には綺麗事があまりにも多い。綺麗な言葉はタダで吐けるからだ。


「アンタにとってはどうでも良くても、この人は私にとって大事な人なんだ!!」


 耳に聞こえの良い言葉を吐いて、自分が良い奴だと勘違いしている奴の何と多い事か。そういう奴に限って、自分の言葉には責任を持たないものである。


 自分の手に負えなくなった途端、自分にとって都合が悪くなった途端、"そんなつもりは無かった"、"真に受ける方が悪い"等と言ってそっぽを向いて、自分が騙した者を嘲笑う。


「アンタはあの人を殺す所だったんだ!!」


 そういう卑怯者の事こそを、


「この偽善者!!!!」


 そう呼ぶのだ。


「……」


 男は、何も言い返して来なかった。瞑目して、言われる事に耳を傾けていた。一通り捲し立てたマリオンが言葉を切り、肩で息をし始めても、暫くは言葉の続きを待つように黙っていた。


「すまん」


 やがて彼は、それだけ言った。好き勝手言われて苛立っている様子も無ければ、そんなつもりは無かったのに、自分はとても傷付いた、等といった感じで沈痛な面持ちをする事も無い。


 無表情で、無感動で、何を考えているか分からない。


 出鼻を挫かれた形になって、ついでに少々拍子抜けしたのも手伝って、何を言うか、この後どうするか、一瞬迷う。




 

「――――――――――ひ」





 掠れた声が割り込ん出来たのは、まさにその瞬間の事だった。


 

「ひひひひひひ……」


 泣いているような笑い声だった。


 聞いた事の無い声に吃驚して、マリオンは反射的にそちらを見遣る。


「ひはははははははははは……――――」


 クラウスだった。


 魂が抜けたような顔で、クラウスは地面にへたり込んだまま、泣くように笑っていた――




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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