巨像の間③

 バテた様子のまま、アネモネはと顔を緩ませる。誉められて喜ぶその表情は、戦術兵器ではなく、等身大の少女のそれだ。


「本当は、貫通属性、の、雷撃で砕くのが、セオリーなんだけど……ふぅ………今回は、このままで……はぁ……一回、それで失敗しちゃった、し……」


「ふん?」


 ホムラとしては、敵が動けないでいる内にトドメを刺しておきたいというのが本音ではある。が、まぁ、あれだけ厳重にされているのなら、無力化という意味ではわざわざトドメを刺さずとも良いかもしれない。アネモネがそれで失敗したと言うのなら、今の状態を崩すのも却ってリスキーだろうし。


「なら、ここまでだな。取り敢えず此処を――」


 "出るか"と続けようとした、その時だった。


 遥か遠くで、が聞こえた。足元から振動が伝わってきて、この時点でホムラは、とても嫌な予感がした。


「まただ……」


 ポツリ、とマリオンが呟く声。その場の視線が一斉に集まった所為だろう、彼女は若干たじろいだ様子だったが、そのまま言葉を続けた。


「今日の迷宮、なんかおかしいんだ。定期的に揺れたり、何かの吼え声が聞こえてきたりして――」


 地面が震えたのは、まさにその時だった。それは微かだったが、地下で巨人が大地の芯をブン殴ったような、奇妙な力強さを持っていた。


 何だ、と口の中で呟くよりも先に、もう一度。その震動は、さっきよりも少しだけ大きい。否、と言うべきか。


「これは……――」


「肯定」


 推理、と言うよりは予感である。


 断続的に響き、段々と近付いてくる震動。監視塔で、ホムラはそれと同じものと遭遇した。ホムラの呟きに即座に反応したリオルも、口元を固く引き結んで頷いたアネモネも、きっと同じものを連想したのだろう。


 手首をぶった斬る程度では不足だったらしい。手首ではなく、首を刎ねるべきだったと後悔したが、まぁ、今更そんな事を言い始めても仕方無いか。


「逃げるか?」


「否定。問題の先延ばしにしかなりません。此処で決着を付けましょう」


「あいよ」


 言ってみただけだ。即座に観念し、広間の方に向き直りながら、大太刀の柄を握り直す。


「兄ちゃん! 逃げるよ!?」


「……」


「ちょ、何やってんだ兄ちゃん! 行くよ! 行くよったら!!」


「……」


 背後から聞こえて来る、何やら焦ったようなマリオンの声を塗り潰すように、震動の音が近付いてくる。"下"から聞こえていたそれは、今や"奥"から聞こえて来ている。どうやら少なくとも、はホムラ達と同じ階層にまで辿り着いたらしい。壁をブチ破り、道無き道を力任せに掘り進み、はこの場へ一直線に突き進んできているのだろう。この分だと、例え逃げても直に追い付かれていたに違いない。


 全く、大した執念深さではある。


 が。


は、ちょっとなぁ」


 轟音。


 ”巨像の間”最奥の壁が大きくたわみ、揺れた。天井からパラパラと細かい粉塵が落ちてきて、壁の向こうから血の凍るような叫び声が聞こえて来る。


 轟音。


 壁に、皹が入る。壁の中央からクモの巣状に走ったそれをじ開けんとするかのように、轟音は凄まじい勢いで連発される。皹は段々と大きくなり、ホムラ達側へとめくれ上がっていく。大きくなった壁の亀裂の向こう側に、見覚えのある口元が見え隠れした。


 轟音。


 遂に、壁がブチ抜かれた。破片と粉塵の奥から何かが飛び出して来て、広間の中央辺りで凍り漬けになっていた巨像に激突し、粉々に粉砕してしまう。


 固まった血が張り付いた、白い肌。虫のそれのように左右へ開く、凶悪な顎。監視塔で初めて遭遇した時は整った造りをしていた鼻先や目元に掛けては、今は乱雑に抉れ、そこから新たな赤黒い肉がボコボコと音を立てて盛り上がり、見るも無惨な有り様だ。どうやら再生している途中らしい。目も鼻も利かないようなのに、どうやって此処まで追い掛けて来たのか。



 ――忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌iiiiiiIIIIIIIIIIII忌忌忌忌忌忌忌IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIiiiiiiiiiii!!!!



 芋虫女。嬉しくない再会だった。


 目と鼻が利かない様子の相手の状態を見て取って、ホムラは即座に前に出て、アネモネ達から距離を取る。


 叫んだ。


「俺は此処だ!」


 芋虫女の動きが、一瞬止まる。


「掛かってこい!!」



 ――AAAAAAAAAA痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾aAAAaAAAAAAA痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾aaaAAAAAAaaaaaaAAAA痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾……!!!



 巨大な顔の向こうから、何本もの手が一斉に延びてきた。少なくとも、ホムラの位置からはそのように見えた。


 あれらの手は、どうやら、ある程度の伸縮が可能らしい。


 ホムラが声を発した場所目掛け、幾つもの掌が怒涛の如き勢いで落ちてきたのは直後の事だった。唯一の手掛かりホムラの声に向けて、全力を叩き込んで来たのだろう。


 ……この様子なら、背後のアネモネ達に危害が及ぶ事は無いだろう。今の相手は目が見えない。ホムラが注意を引けば敵の攻撃を一身に受ける事になるが、闇雲に攻撃されて、それにアネモネ達が巻き添えを食うよりはずっと良い。


 巨大な敵から延々と攻撃される事が怖くない訳じゃないが、近くにアネモネ達が居ないなら、「避ける」という選択肢も許されるのだ。実際、この時のホムラも、さっさとその場から移動して、掌の乱打の範囲から逃れ出ていた。


 向かった先は、芋虫女の顔前である。


 相手の顎の下を潜り抜け、喉元へ。敢えて足音を立てて自らの存在を主張しつつ、ホムラは丁度良い位置まで降りてきている相手の喉仏目掛けて、大太刀を薙いでやった。上半身のバネを最大限に用いて振るった一撃は、けれど分厚いゴムのような肉の感触に阻まれ、止められてしまう。


(ダメか……!)


 腹の底が、沸々と沸くような感覚がある。自らの矜持や在り方が否定されているような、そんな強い苛立ちがある。


 が、今のホムラはアネモネ達の盾役だ。個人的な感情はグッと堪えて、ホムラは即座に地面を蹴り、芋虫女の顔の下から離脱した。直後、芋虫女は身体を支える力を抜いて、ボディプレス宜しく全身でその場一帯を押し潰して来る。噴き上がってくる風圧を堪えつつ、ホムラは丁度自らの眼前に落ちてくる形となった芋虫女の首筋目掛け、上段からの一撃を叩き込んでやった。


「俺は此処だ、木偶の坊め!」


 即座に反応される。


 さっきまで床を叩きまくっていた沢山の巨大な掌。その一部が、ホムラを捕まえようと迫って来た。即座に地を蹴り、さながら奔流のように地面の溢れ落ちている芋虫女の金髪の上を駆け上がり、一先ずはその掴み攻撃を回避。足を止めずに飛び、跳ね、駆け回って、懲りずに追い掛けてくる掌達を回避する。回避し続ける。



――AAAAAAAAAA痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾aAAAaAAAAAAA痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾aaaAAAAAAaaaaaaAAAA痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾……!!!



 苛立たしげに芋虫女が吼える。握り潰さんとする五指が空を切り、滅茶苦茶に振り回す掌が床を、壁を、時には天井までを叩き回る。まるで嵐の中だった。


 そうやって、一体どれだけ敵の注意を引き続けただろうか。


 状況の停滞を引き裂くように、アネモネが高らかに歌い上げる声が聞こえた。


「――Арё!!」


 その気配を、どう表現するべきか。


 丁度、掴み掛かってきた芋虫女の掌を蹴り付け、宙を舞ったホムラの身体を掠めるように、"熱"が凄まじい勢いで駆け抜けて行った。


 それは、一筋の光線だ。針程ではないにしろ、細い。一見、そんなに大したものではないように見える、橙色の細い光線だった。


「……!?」


 それが何なのか理解出来ずに、ホムラが困惑するのと。ジュッ、と嫌な音がしたのは、ほぼ同時の事である。


 反射的に視線を音がした方へ目をやると、芋虫女の顔面、アネモネが吹き飛ばしたクレーターから、溶けて蒸気を噴き上げている血肉が溶け出しているのが見えた。先程の、光線。あれがアネモネの発動した魔術だと見て間違いないだろう。


「Aa^――」


 けれど、アネモネの声は未だに聞こえていた。意味を成さないように聞こえる只の音だったが、ホムラは重力に引かれて落ちていきながらも確かに見た。芋虫女の顔の傷から溢れ出していたのは、血肉だけじゃない。橙色に光る、文字と記号が組み合わさった幾何学的な紋様。アネモネの声に刺激されているかの如く、それは急速に広がっていき、やがて芋虫女の頭部全体を覆ってしまう。

 

「――Арё」


 静かに紡がれたその声は、まるで死神のそれのようだった。


 それはホムラが着地したのと同時の事で、芋虫女の頭を覆った魔術紋様が一際明るく輝いたのは、更にその直後の事である。予感のようなものがあって、ホムラは咄嗟に腕を上げ、顔を庇う。


「――ッ!」


 その場一帯が閃光に染まったのは、直後の事だった。


 芋虫女の頭が文字通り爆散し、血肉や脳漿を爆炎と共に撒き散らす。それは中身の詰まった巨大な質量を、完全に吹き飛ばす威力の爆発だ。瞬時に広がった爆風に耐える事が出来ず、ホムラはもんどり打って後方へ転がってしまった。世界がグルグル回り、なんだか良く分からないでいる内に後頭部を強打する。


「ぐぇ」


 壁際まで転がって、そこにぶつかって強制的に止められたらしい。即座に立ち上がろうとするが、どうやら打ち所が悪かったらしい。思うように身体に力が入らず、ちょっと身体を浮かせてから、再び壁に身体を預け直す羽目になった。散々だ。


(敵、は――!?)


 ならばせめてと、芋虫女を見る。


 完全に、無くなっていた。残った首の傷口から幾筋も噴き出ている血流が、今の今まで彼女が生きていた事を想わせる。ユラユラと揺れているその身体は、最後に残った脳からの指令で、身体の各部が支えているからだろう。それも直ぐに消えて、巨大な芋虫の身体は地響きを立てながら崩れ落ちた。


「……」


刃を通さない忌々しい外皮も、内側からの攻撃には耐えられなかったらしい。或いは、アネモネの魔術の腕が凄まじ過ぎるのか。恐らくは両方だろう。


(……時間を、稼いだ甲斐はあったか)


 視線を巡らせる。先程の氷のものも含め、大規模な術を続けて行使した所為だろうか。流石のアネモネも疲れた様子で、その場にへたり込んでいた。何処か休めそうな場所に連れて行こうとでもしているのか、リオルがアネモネの腕を掴み、引っ張ろうとしているが、やはり彼女一人の腕力では無理があるのだろう。アネモネが動く様子は無かった。


 マリオンは、アネモネを化物か何かのような目で見ていた。見掛けは小さな子供が、こんな惨状を生み出したのだから無理も無い。特にアネモネに攻撃を加える様子も無いし、目くじらを立てる必要など無いだろう。


 そんなマリオンの隣で、クラウスは何とも言えない表情で芋虫女の残骸を見詰めていた。半ばギラついている眼光には不穏と言うか、危ういものを感じたが、既に戦いは終わった。既に此処はアネモネ達が知る場所だというから、出口は目と鼻の先だろう。別れる前にもう一度話をして、彼が取り憑かれているを取り払ってやれたら良いのだが。


「ふぅ」


 何にせよ、山場は越えた。


 そんな風に考えて、ホムラは大きく息を吐いた。緊張感が途切れた所為か、打ち所が悪かったのか、身体が妙に重い。正直、気が抜けただけだとは思うが、打った所が悪かったのは事実だし、リオルに見て貰った方が良いかも知れない。


「……リオ――」


 億劫なのを堪えて身体を動かし、壁から身を離す。息を吸って、リオルを呼ぶ。


 否、呼ぼうとした。


「――!!?」


 今。


 芋虫女が、動かなかったか……?



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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