巨像の間②


 ……なんだ。普通に物凄く想われているじゃないか。


 微笑ましいような、羨ましいような複雑な思いに囚われつつも、ホムラはそっと割り込むように口を開く。


「感動の再会を、邪魔するようで悪いんだが――」


 そんなホムラが、"気を抜いている"ように見えたのだろう。背後から、微かにような気配を感じた。


「今すぐ決めようぜ」


 直後、鉄槌が降ってきた。


 間髪入れずに抜刀した大太刀を頭上で構え、鉄槌の軌道に割り込ませる。ホムラ自身よりも大きな鉄槌を、力任せに受け止めるのではなく、受け流す。関節をたわめ、相手からは力を込めにくい角度で刃を傾け、自身を瞬間的に、生物ではなく力を受け流す為の機構へと変化させる。


 轟音と共に、巨大な鉄槌がホムラの脇に落ちて床にめり込んだのは直後の事だった。


「撤退か、決戦かをな」


 アネモネとリオルが瞬時に反応し、クラウスの所まで跳び退った。アネモネが背中に光翼を展開しつつ呪文を唱え始め、リオルはホムラが口にした命題を吟味する為だろう、一旦振り返ってこの広間唯一の出口に向かって視線を走らせた。


「決戦と行きましょう!」


 殆どノータイムで言い放ったリオルの声を、ホムラは背中で聞いていた。


「追い掛けてられて、街に引っ張り込むのも厄介ですので!」


 なるほど。街の皆に迷惑を掛けまいという判断か。善いと思う。


 了解だと力強く返したい所だったが、ホムラが身を置く前線は刻一刻と状況が変化する。


 自身の渾身の一撃をいなされたと気付いた巨像は、最早只の石像のフリは通用しないと判断したらしい。床にめり込んだ鉄槌を力任せに薙ぎ払い、ホムラを曳き潰さんとしていた。


 だからホムラは、リオルが声を張り上げている時にはもう動いていたのだ。


 振り返ると同時に、跳躍。丁度、足元を通過しようとしていた鉄槌の上に着地する。着地と同時に腰を落として身を低くし、空いていた掌を鉄槌の表面に這わせて五指に力を込めたのは、巨像が鉄槌を振り抜く勢いに弾き飛ばされないようにする為だ。大太刀の鋒を突き立てられればそれが一番良かったが、石像獅子や芋虫女がそうであったように、この石像も普通の石や鉄とは異なる性質と奇妙な密度を備えている可能性は十分にあった。此方の方が、まだマシだと思ったのだ。


 が、ホムラのそんな葛藤や備えは、結果から言うと全く意味が無かった。


 アネモネが、唱えていた呪文を結んだのは、まさにその瞬間の事だったからだ。


「――Арё!!」


 空間が炸裂する音と共に、巨像の眼前で小さな太陽が咲いた。芋虫女の顔面を抉ったものと同じ術で、つまり威力もそこそこある。少なくとも、巨像の身体を大きく仰け反らすには十分だ。


 弾かれた頭部に引っ張られるように、巨像の身体が大きく仰け反る。


 リオルが鋭く叫んだのは、まさにその瞬間の事だった。


「姉さま、ホムラの剣を!」


 このパターンは、迷宮の探索の中で既に何度か経験している。指示の意図を聞き返したり、そもそも疑ったりもせずに、ホムラはその場から勢い良く駆け出す。


 坂道と化した巨大な長柄を駆け上がって手首を到達、跳躍を繰り返して二の腕から肩へ、肩から額へ。


 広間の天井近くまで大きく跳び上がり、体勢を大きく崩した相手を眼下に見下ろしながら、ホムラは大太刀を大きく振りかぶる。


 ふわり、と時間の流れから切り抜かれたような一瞬の中で、再びアネモネが呪文を結ぶ声が力強く響いた。


「――Арё!!」


 細かな紫電が視界の中を這い回り、髪の毛の先や肌の産毛がパチパチと跳ねる。


 次の瞬間、ホムラが振り上げた大太刀に稲妻が落ちた。稲妻はバチバチと激しく放電しながらも大太刀の刃の上を這い回り、それを基盤にして文字通りの稲妻の刃を形成する。


 雷の属性ありかたの一つである"貫通"を付与された大太刀を振りかぶったまま、ホムラの身体が落下を始めたのは直後の事だった。眼下では、巨像は未だグラついている最中だ。


 目が合った。


 もう遅い。



「――疾……ッ!!」



 一閃。


 停滞していたように感じていた時間の流れが一気に加速する中で、ホムラは重力に引かれるままに一直線に落ちる。


 着地と同時に、両膝をたわめて衝撃を逃がす。しゃがみこむようになっていた体勢から立ち上がり、血振りするように大太刀を振ると、役目を終えた雷刃が千々に千切れて宙へと消える。


 巨像の身体が、左右に別れて床の上に投げ出されたのは一拍遅れた後の事だった。軽い地響きのような音を二重に立てて細かな破片を周囲に散らしたそれを一瞥し、それからホムラは仲間達の方へ視線を巡らせる。


 時間は殆ど掛からなかったし、敵の攻撃もホムラにしか振るわれなかった筈だ。


 一応分かってはいたが、前衛を預かる身としてはやはり、後ろの者達の安否は確かめておきたい所だった。幸いホムラの認識は正しくて、視線に気付いて手を振ってくるアネモネも、油断無く気を張り詰めているリオルにも、特に怪我は無さそうだ。


 その更に後ろのクラウスとマリオンも、しっかり元気な様子だった。彼等の位置から察するに、マリオンはクラウスを引き摺って、ホムラやアネモネ達を置いて撤退しようとしたらしい。薄情者、となじるような話ではない。軽装過ぎてあんな巨大な敵と戦えるような状況にない彼女の立場からすれば、それが最善の選択だ。


 ……気になるのは、クラウスが彼女に抵抗するかのような体勢になっている事だった。自身を引っ張る彼女に全力で抵抗したのだろう。着衣が僅かに乱れ、肩で息をしている。そのくせ目を爛々と輝かせているのは、彼も戦闘に加わろうと戦意を露にしていたからか。


「クラ――」 


 直ぐに分かった。先程のホムラの言葉と、彼が冒険者を目指す理由マリオンの出現。それらが悪い方に重なって、彼は暴走し掛かっているのだと。


 即、言葉を掛けようとした。が、喉まで出掛かった言葉を、ホムラは咄嗟に呑み込んでしまった。この広間に、巨像は二体ある。鉄槌持ちの相方が戦闘不能になったのが引き金だったのか、残ったもう一体の巨像までもが動き出したからだ。


「――抑えてろ!」


 主語すら無い、不親切な怒鳴り声。仲間達やマリオンが、自分の意図を汲んでくれたかはホムラには分からなかった。


 と言うのも、ホムラには余裕が無かったのだ。二体目の石像は、一体目の石像とは動きからして違った。動き出すなり跳躍し、空中で腰に差していた長剣を抜き放って、重力を味方に付けた力任せな一撃をホムラの頭上に見舞ってくる。


 瞬時に大太刀を構え直し、覚悟を決める。相手の剣はリーチが長過ぎる。下手に避けようものなら、後ろが巻き込まれる。逃げる訳にはいかなかった。


「――ッッ!」


 砕けんばかりに奥歯を噛み締め、真っ直ぐに脳天目掛けて落ちて来た巨大な刃目掛けて、自らの大太刀を薙ぎ払う。巨大な刃に、敵の剣からすれば針のようでしかない黒の刃が真横から噛み合わさり、僅かに、けれど致命的にその軌道を書き換える。


 轟音。


 衝撃が、爆撃と変わらぬような突風となってホムラを嬲る。が、ホムラにそんなものに気を遣っている暇も無かった。剣の一撃をいなされるや否や、巨像はその剣を放棄し、代わりにホムラが居るその場一帯へ、無茶苦茶に拳を叩き込んで来たのである。


「う、ぉ……!?」


 初めからホムラを追い掛ける気など無い、"面"の攻撃。否、これは最早爆撃だ。豪雨の如く次々と叩き付けられる拳は広間全体を揺るがして、砕けた床の破片は弾丸のように飛び散ってホムラを掠めていく。


 幸い、この攻撃は背後のアネモネ達を間合いの内に捉えていなかった。だからホムラは大人しく、逃げ回る事を選択する。可能な限り敵の攻撃を引き付け、ギリギリで躱していったのは、敵にホムラ自身の次の挙動を悟られにくくする為、そして敵に「ホムラには余裕が無く、あと少しで捉えられる」と思わせる為である。少なくとも敵がホムラに執着している間は、敵の攻撃がアネモネ達に向く事は無い。つまり、彼女達が援護の準備を整える時間が稼げるのだ。


「――Ανατα Νο Ψυβισακι Ηα Σειζψακυ Ωο」


 囁くようなアネモネの声が聞こえる。


 魔力を繰る魔術士の声には”力”があり、例え囁くような微かなものでも、奇妙な存在感があるものだ。


「――Ανατα Νο Τοικι Ηα Τσυμετακι Ψαιβα Ωο」


 視界の端に、チラリと白い欠片が舞った。敵の巨拳を躱した際に吐き出した息は白く染まり、鋭く切るような冷たい風が頬を撫でる。


 今回の詠唱はいつもより長く、感じられる力も強力だ。流石に敵も気付いたらしい。落ちてくる拳の勢いが弱まり、巨像が顔を上げてアネモネ達の方へ視線を遣った。


「――Σηιροκι Κορομο Νο Κεν Νο ζψουψο Κοκονι!」


 即座に動いた。


 標的をアネモネに移したらしい巨像が立ち上がり掛けるのと、ホムラがその足の前に移動するのはほぼ同時。駆け出すと同時に構えていた大太刀を、例の呼吸と共に巨像の足首に向けて薙ぎ払ったのは、その直後。


 残念ながら、今回は身体の中で何かが”嵌まった”ような感覚は無かった。ただただ力任せに振るった大太刀が、巨像の足首に弾かれて金属特有の金切り声を上げただけである。もしもこの大太刀が普通のそれだったら、刀身が折れるか刃が潰れるかで、使い物にならなくなっていただろう。


 しかし幸い、この剣はただの剣ではない。斬る事は叶わなくとも、その威力を伝える事はしてくれたらしい。不意打ちで足下を掬われる形となった巨像は重心を迷わせてすっ転び、体勢を致命的に崩す結果となった。ホムラが狙った結果には遠く及ばないが、取り敢えず最低限の時間を稼ぐ事だけは出来たようだ。


 最初は密やかに、しかし段々と高らかに謳い上げるようなものに変わっていったアネモネの詠唱。頃合いを感じてホムラが思い切り跳び退ったのを見計らったように、それはいつもの言葉と共に結ばれる。


「――Арё!!」


 白く輝く冷気が、音も無く、けれども迅速に、巨像の周囲へ流れ込んでいった。蜷局とぐろを巻く大蛇のように巨像の周囲を渦巻いたそれは、次の瞬間、。ホムラの見間違いでなければ、冷気が幾つもの獣の頭――見た感じ、狼かそれっぽい何か――の形を象って、一斉に巨像の身体へ喰らい付いたのだ。顎が喰らい付いた箇所から氷の華が幾つも咲いて、巨像は瞬く間に氷漬けとなる。それだけでも結構な戦果だが、今回の魔術はそれだけで終わらなかった。


「――こ!」


 只ならぬ気迫に満ちたアネモネの声に思わず振り向く。


 彼女は普段からは想像を付かないような、凜々しい戦士の表情を浮かべて、両手を天に向かって突き出していた。その上空では、今まさに空気中の水分が急速に冷凍されて、バキバキと凶悪な音を立てながら、強大な氷柱が形成されている最中だった。


「お!」


 出来上がった氷柱は、巨像の全長に勝るとも劣らない程に巨大なモノだった。大雑把に剣の形を模しているそれをブン投げるように、アネモネは突き上げていた両手を前方に振り下ろす。 


「れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 戦場において、魔術師は戦術兵器と同様の価値を有する。その事を実感する光景だった。


 巨大な氷柱は待機を揺るがしながらホムラの頭上を通過し、巨像に突き刺さる。否、突き刺さると言うよりは巨像に触れる傍から砕け散り、その破片が既に巨像を覆っていた氷の華達と結びついて巨大な氷の結晶へと急成長していった。既に巨像は完全に氷に覆われて、その周辺も氷が咲き乱れる白い平原と化す。寒々しくも幻想的で美しい、空恐ろしい光景だった。


「”古戦場ヴァルハラ”……!?」


 氷と冷気が雑音を吸い込んでいる所為だろうか。相変わらずアネモネ達の更に背後に陣取っているマリオンが、茫然と呟く声が聞こえた。


「嘘でしょ……こんな子供が……」


「――ぷはっ」


 背後からの恐懼きょうくの視線には気付いていない様子で、アネモネは気を抜いたように息を吐いた。


「どう……? とまった、んじゃない……?」


 肩で息をしながらも途切れ途切れに言葉を紡いでくる様は、既に戦闘態勢を解いている状態だった。


 あれだけの規模の魔術を使った後だし、本人も随分と気張っていた様子だ。残心云々を指摘するのは酷というものか。


「ああ」


 視線を巡らせる。アネモネの言う通り、巨像は完全に無力化されているように見えた。分厚く冷たい結晶の中に閉じ込められているその様は、動きどころか時間まで凍結させられているように思える。


「大したもんだ。あんな大規模な術まで使えるのか、お前は」


「……えへ……」

 

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