巨像の間①
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
床を埋め尽くす木の根の中に半ば埋もれている魔方陣は、今は淡い白の光を放っている。ゆっくりと長いサイクルで明滅しているその様は、さながら穏やかな寝息を立てているようだった。
けれど光っているのは、それだけではない。
寝息を立てる魔方陣の傍らで、それぞれ向かい合うようにしゃがみ込んでいるアネモネとリオル。彼女達の周りには、記号っぽい文字や幾何学的な紋様、或いはそれらを纏めて含んだ小型の魔方陣が浮かんでいて、さながら公転する星のようにゆったりと回っているのだった。
丁度陰になっているこの場に置いて、幾つもの魔方陣や姉妹の背中に展開している光翼は、強調されて美しい。
魔術の心得も才能も無いホムラだったが、こうしてその産物を見るのは、結構楽しいものだった。
「んん……や、これはダメだ。行き先は確実に地上だけど、安全証明が消失してる。何処に跳ばされるか分かったもんじゃないよ」
「此方は?」
「うぅん……これ、さっきの監視塔に戻るヤツじゃないかな?」
「では、これもボツですね」
「うん」
熟練の職人のような顔付きをした姉妹は、時折自分達の周囲を漂う幾何学模様や魔方陣に手を伸ばし、ひょいとその場から払い除けてしまう。払われたものは音もなく霧散して、宙に溶けるように消えていく。
顔付きだけじゃなく、手際までが熟練の職人のようだった。邪魔だからと言う理由で脇に追いやられたホムラは、何となく気になって隣のクラウスに聞いてみる。
「ああいうののって、魔術師なら子供にでも出来るのか?」
「まさか」
答えるクラウスの声は、複雑そうだ。
「神代の魔方陣の解析なんて、王立学校の学生にだってそう簡単に出来る事じゃないですよ。あの子達、本当にただの冒険者志望なんですか?」
「そうらしいぞ」
転移陣の行き先を設定し直す。
話を聞いた限りでは、どうやら姉妹はそういった感じの事に挑戦しているらしかった。それというのも、この空間には出口らしい出口が存在しなかったからである。本来ならこの空間に来て真っ先に思い当たるべきだったのだが、疲労で頭が回っていなかった所為かホムラはその事に考えが及ばなかった。沐浴で汗や汚れを落とし、火に当たりながら残りの食糧も食べてしまい、少しだけだが昼寝までかまして穏やかな時間を堪能し、さぁ出発しようとなってから漸く気付いて慌てたのだが、リオルはそんなホムラに、何でも無いように言ってのけたのだ。
自分達が転移してきた魔方陣には、行き先が複数用意されているようだ、と。
『それで、此処から脱出出来るのか?』
『肯定』
そんな風に聞いたホムラの言葉に、リオルは事も無げに答えた。
『至極ザックリと説明しますと、この魔方陣は一部が未完成のままとなっています。その未完成の部分には幾つかの候補があって、そこに特定の形を填め込む事で、この魔方陣はそれぞれに応じた行き先に繋がる転移陣として機能するようになるのです』
一部が未完成で、特定の形を填め込む事で完成する。”何処何処へ行く”という文章だと分かり易いかも知れない。この場合、未完となっている部分は”何処何処”、つまり行き先の部分だ。行き先を指定する単語を填め込む事で文章を完成させ、転移するという現象を実現する。少なくとも、ホムラはそんな風に解釈した。
『ま、どうせその手の話は俺には分からん。任せる』
『肯定』
『おっけー、任せて』
そういう事になった。作業の邪魔だとホムラとクラウスは脇に追いやられ、アネモネとリオルは件の転移陣の傍らに陣取った。そして今に至るのである。
「……天才って居るもんなんですね。はは、格が違ぇや……」
何処か諦めが滲んだ声で、クラウスがそんな事を言った。言ってる事自体は今までの彼のものからそんなに外れていないが、その声質からは芯にあった暗い重さが抜けていた。
「もう、年齢がどうとか誰も言わないでしょうね。何処の冒険者達からも引っ張り蛸だ」
「……それはそれで、問題だけどな……」
「え?」
「声から陰の気が抜けたな。何か吹っ切ったのか?」
余計な事を口走った。
話を逸らすのも兼ねて、彼の心境の変化について聞いてみる事にした。クラウスはビックリしたように言葉を詰まらせたが、少しの間を置いた後、自分で自分の心中を確かめるように言葉を紡ぎ始める。
「……実力が無くても……俺より、”あの子”の方が断然強くても……――」
あの子。
彼が監視塔でぽろりと漏らしていた、”冒険者にならなくてはいけない理由”となっている人物の事だろう。良くも、そして悪くも、その人物が彼の行動原理の中核になっているのは間違い無いだろう。
「――俺があの子を守る、その資格そのものが無くなる訳じゃないんだって。そう思うと、なんか、えぇっと……」
「気が楽になった?」
「……はい」
次の世代の為に尽力するのは大人の義務、辺りの発言だろうか。ホムラ自身は信じて疑わない信念だし、その為には命を賭ける事も吝かではないが、それで他人を洗脳する気は更々無い。その点、彼は大丈夫だろうか。沐浴していた時の最後の様子を思い出す限り、ちょっと心配だ。
「……そうか」
とは言え、彼の言葉を聞く限り、"誰かを守りたい"という気持ちはきっと嘘偽りの無い彼の原点なのだろう。彼は間違い無くそう思っていて、けれどその理想と自身の
彼がホムラの言葉に少しでも光を見出だしてくれたのなら、それを否定するような事は言いたくなかった。
だからホムラは少し考えて、少しだけ視点を広げて貰うよう、言葉を添える事にした。
「とは言え、そのやり方は人それぞれだからな? 俺は偶々――」
敵と正面から殴り合う事しか知らなかっただけなんだから。敵と殴り合う事と誰かを守る事は、また別の話なんだ。
そう続けようとしたホムラの言葉は、けれど直後、嬉しそうに弾んだアネモネの声に遮られてしまった。
「できた! できたよ!」
邪気の無い喜びを詰め込んだ声と言うのは、時に周囲から声を奪う。
思わず口をつぐんでしまったホムラは、何となく再び口を開く気勢と言うか、タイミングを失ってしまった。そんなホムラの様子には気付かないように、アネモネは男二人に向かって、おいでおいでと手招きをする。
「早く早く! もうすぐ家に帰れるよ!」
「!」
どうやら、仕事の出来は上々のようだった。男二人は顔を見合わせ、それからどちらからともなく、座り込んでいた地面の上から立ち上がる。
アネモネのあの様子ならもしかして、この迷宮から脱出するまで、戦いの機会はもう巡って来ないかもしれない。
そんな風に考えて、ホムラは出しあぐねていたクラウスへの忠告を胸の奥に仕舞い込んだ。別れ際に伝えればいいか、等とそんな見通しを立ててしまったのだ。
「随分と自信ありそうだな。一気に脱出まで行けそうか?」
「あはは、流石にそれは無理そうだったけど」
のんびり歩くホムラ達が焦れったかったのか、自ら駆け寄ってきて、それぞれの手を取り、引っ張って歩き始めるアネモネ。
あれよあれよと言う間にホムラ達は魔方陣に辿り着き、背後に回ったアネモネに、その中へと押し込められる。
「でも、私達が良く知ってる場所に続く転移先を見付けたんだ! あと一回、戦わないといけないかもだけど、ホムラが居る今なら……!」
「あ、もしかして……」
「肯定。ご明察です、クラウス」
アネモネの言葉を聞いていたクラウスが何かに気付き、リオルがそれに正解を出す。何も分からないのはホムラだけだ。若干寂しい気持ちになりながら、ホムラは周囲の三人を見回した。
「……すまん、俺にも分かるように話をしてくれないか?」
「肯定。姉さまとリオル、そしてクラウスが此処に来るキッカケとなった転移先を見付けました。"巨像の間"という場所なのですが、姉さまから何か聞いていませんか?」
「"巨像の間"……」
アネモネ達が上で巨大な石像と戦ったとか、その時にクラウスが男を見せたとか、そういう話なら聞いている。その場所の事だろうか。
「聞いたかも知れん」
「肯定。なら話は早いですね。安全証明は確立されていますが、それは飽くまで生存環境的な意味合いです。転移が完了した瞬間、動き出した巨像に襲われる可能性もありますので、ホムラには
「なるほど」
一旦言葉を切って、思考を整理する。
「要するに気合入れとけば良いんだな?」
「肯定」
つまり、いつも通りだ。
飯も食ったし、昼寝も楽しんだ。気力も体力も十分で、既に一度敵を見ているアネモネが「ホムラが居るなら」と太鼓判を押した。それなら、躊躇する理由など一つも無い。
「では、行きましょう。姉さま」
「うん」
姉妹が転移陣を起動させる。
姉妹達が調整していた時のものとは違う、鮮烈な光が転移陣から放たれる。瞬く間に白く染め上げられていく視界の中、ホムラは視覚を潰されないよう、反射的に目を閉じて――
「――」
空気が変わった。
水と草木の匂いに代わって、黴びた空気と乾いた血の臭いが鼻腔を
お馴染みの気配だった。目を開くと、予想通りと言うか、見覚えのある雰囲気の大広間が、ホムラの周囲に広がっていた。最初に彷徨った迷宮よりは明るいが、ヒトが居着くには適さない闇が、その場一帯に圧し掛かって来ている。
「皆、居るな?」
「うん」
「肯定」
「はい」
声を掛けて確認しつつ、ホムラは周囲を見回して様子を確認していた。暴れ回るには十分な広さと高さを備えた空間。人面獅子と戦った広間と、少しだけ似ている。
「"巨像の間"ね」
知らず知らずの内に、呟いていた。
ホムラの視線の先には、この広間の名の由来となっているのだろう、巨大な兵士の石像があった。全身を重装でガチガチに固め、その手には長柄の大槌が携えられている。血で汚れているのは、それで人一人を曳き潰したからか。
さながら巨人の重戦士だ。話を聞いた限りでは、この石像はいきなり動き出して、アネモネ達を襲ったらしい。最初から敵だと分かっているならいざ知らず、これまで只の置物でしかなかったコレがいきなり動き出し、その武器を振るい始めたのなら、その場の恐怖と混乱も容易に想像出来ようというものだ。
「……」
今は只の物言わぬ石像のようだが、さて、どうだろうか。今、警戒して巨像を見詰めるホムラを、巨像もまたジッと見返して来ているのが分かる。
他の物を見回す事もせず、ホムラは石像から視線を切らない。
聞き覚えの無い声が背後から聞こえてきたのは、その時の事だった。
「――兄ちゃん……?」
直ぐ近くで、ハッと息を呑む音が聞こえた。クラウスである。警戒は巨像に残したままホムラも振り返ると、そこには動きやすそうな軽装の、顔立ちの整った少女が立っていた。年の頃は、十代の半ば頃。気の強さを思わせる鋭い目を今は大きく見開いて、彼女はクラウスをジッと見つめている。
「マリオン……!?」
クラウスが口から零したその名は、少女の名前だろう。さながらそれが合図であったかのように、少女――マリオンは床を蹴立ててその場から跳び出した。軽やかな足取りで、文字通り飛ぶように駆けて来た彼女はそのまま一直線にクラウスの懐に飛び込んで、クラウスの胸を、背中を、その頬を、確かめるようにペタペタと触る。
「兄ちゃん……本当に兄ちゃんだ……」
「……えっと……」
「このバカ!!」
どん、と鈍い音がその場に響き渡ったのは、その直後の事だった。クラウスの胸の中にすっぽり納まっていたマリオンが、弾けたような見事な動きで全身の筋肉を弾けさせ、クラウスの胴体を零距離で殴りつけたのである。
その展開は、ホムラも流石に予想していなかった。アネモネも同様だったようで、思わずといった様子で、その口元を掌で押さえているのが見えた。
リオルは、良く分からない。呆れているのか、何とも思っていないのか。少なくとも、関心は無さそうだった。
「今の今まで、何処ほっつき歩いてた! 冒険者になりたいなら命を第一に行動しろって、いつも言ってるだろ!」
「ちょ、マリオン、止め……人前……!」
「うるさい、うるさい! 私がどれだけ、どれだけ……!」
マリオンは、どうやらクラウス以外の全てに興味が無いようだった。その場に居るホムラやアネモネ、リオルの事などお構い無しにクラウスの革鎧の縁を掴み、ガクガクと凄まじい勢いで揺さぶり始める。どうやら相当な感情の
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