監視塔の番人①

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


 遺跡迷宮での戦いが防衛戦なら、この監視塔での戦いは撤退戦だ。尻に喰い付いてこようとする蝗のバケモノ共を逃げながら撃退し、ある程度数が溜まってきたら、良さげな場所を見付けて一気に殲滅する。


 状況は此方が圧倒的に不利で、それどころかハッキリ言って完全な負け戦だった。地の利を得られなければ、瞬く間に数の暴力に押し潰されていただろう。逃げる最中ですら、道を通るタイミングを誤れば似たような結果になっていたに違いない。


 ホムラ達が此処まで上手く逃げて来られたのは、偏にリオルのお陰だった。アネモネの手を引いて先を行く彼女は、逃げる最中にも細かい加速や減速、時には停止までをも織り混ぜて、蝗のバケモノに気付かれるを的確に操るのだ。お陰で、彼女達が早い段階で敵に気付かれ、前方から襲われるという事態は極めて少なかった。仮に襲われたとしても、予め呪文を唱えながら待機していたアネモネが対処してしまえるような少ない頻度だ。その分、敵はその殆どがホムラに群がって来たが、それは全く問題ない。寧ろこれこそが、ホムラの仕事である。


 とは言え、敵の数にも限界はあるようだった。


 何処かから増援が送られてきているのか、或いは何処ぞの畑から生えてきているのかは知らないが、確かに蝗の数は尋常じゃない。一度に現れる量なら、石像兵を遥かに凌駕するだろう。


 が、現れるタイミングにはラグがある。畳み掛けるような追撃を乗り切れば、少しの間はのんびり歩くだけの猶予も与えられた。彼等の事情は良く分からないが、与えられた穏やかな時間は大切にするべきだ。


「――否定。だからと言ってこれは無いです」


「無い事はないだろう。この中じゃお前が一番の重労働者だ」


「そうだよリオル。休める時はちゃんと休まないと」


 何の気配も無い、暗く、さびれた塔の中。景色だけ見ると酷く陰鬱な光景だったが、一行の雰囲気は比較的明るい。幾つもの大きな流れを乗り越えた事で、少しだけ“慣れ”て来たのかもしれない。


「否定。これでは、ホムラがいざという抜刀出来ません。リオルの娯楽よりチームの実用性を重んじるべきです。したがって、ホムラはリオルを下に下ろすべきだとリオルは声高に主張します」


「いざという時、フラフラになって潰れられる方が困る。休める時には休むのも務めの内だ。十分実用的な理由だろ?」


「ですが――」


 ぐ、と力が僅かに強まる。無意識か否か、それはヒトが意識を落とす部分を的確に圧迫していて、ホムラは思わず苦笑してしまった。彼女は神官だが、仮にホムラと同じ世界に身を置いても、案外上手くやっていけるかも知れない。


「締まってる、締まってる」


「! も、申し訳ありません」


 ホムラの首を挟んでいるのは、リオルの太股だ。早い話が、ホムラはリオルを肩車をしているのである。取り敢えず体力に余裕がある間は先を急ぎたいが、リオルの消耗が気に掛かる。そこで、敵が来ない間は少しでも楽をして貰おうという話になった。リオルは遠慮したが、そこはアネモネとホムラが結託して押し切った。具体的にはアネモネがあれこれ適当に反論している間に、ホムラが強引に肩車して今の状態に持っていった。目配せだけでそういう意思疎通が出来るようになったのは、短いながらも共に死線を潜り抜けた仲だからだろう。


「!! ホムラ、無闇に頭を動かさないで下さい。変態ですか?」


「ん? ……え? すまん、そんなつもりは無かったが、気を付ける」


「……」


 軽く頭をはたかれた。痛くなかったし、当然怒りも無い。ただただ困惑しか無かった。なんでいきなり殴って来たのか、反射的に聞き返そうとしたが、彼女としても突然の事にビックリして緊張していたのかもしれない。そんな風な考えが脳裏に浮かんで、咄嗟に言葉を呑み込んだ。


 思い返せばさっきの発言も、このくらいの少女特有のマセた発言……なのだろうか?


 良く分からないが、ホムラが何を言ってもロクな事にならないのは確かな気がした。つまりホムラに出来る事と言えば、なるべく頭を動かさないように気を付けつつ、話の流れが変わるまで黙って黙々と歩く事のみだ。


 幸い、話の流れはホムラの隣を歩くアネモネが引き継いでくれたので、場の空気が辺に張り詰める事は無かった。


「えっ……と、その……そうそう! 皆は地上に戻ったら先ず何をしたい?」


 話の出だしが絞り出すような感じだったのは、その通り、急いで話題を絞り出したからだろうか。彼女の気遣いに感謝しつつ、ホムラは遠慮無くそれに乗っかった。


「銀粒屋って所に行ってみてぇな。そこの主人と話をしたい」


「そっか、黄金の国ジパングの話を聞くんだね?」


「ああ」


「いいなぁ。私もついて行って良い?」


「勿論」


 寧ろ一人で、見知らぬ街の中を見知らぬ店を探して歩くのは大変だ。此方から頼むつもりで頷くと、アネモネは花開くように朗らかに笑った。この迷宮を抜けた後の、楽しみが一つ増えた。


「リオルは?」


「リオルはいつも通りです、姉さま。姉さまがホムラについていくなら、リオルもそれに同行します」


「肩車して貰いながら?」


「……ね え さ ま ?」


「あはははは!」


 珍しく、アネモネが優勢だ。今の年相応なリオルの姿は、アネモネにとっても珍しいものなのかも知れない。


 とは言え、アネモネが妙に元気なのはそれだけが理由でないだろう。きっとリオルもそれは分かっていたに違いない。だから彼女は軽く威嚇しただけで反論を止め、アネモネの気勢を削がないようにしたのだ。


「えっと――」


 アネモネが妙な元気の理由。それは言わば、ジャンプの前のステップだ。


「クラウスさん、は……?」


 歩く足は止めないまま振り返り、アネモネはホムラ達の数歩後ろを歩くクラウスに話し掛けた。初めはやや過剰なくらいに勢い込んでいたその言葉は、途中から急速に尻窄みになっていき、やがて消えた。その気になればホムラだって制圧出来るだろうアネモネだが、大人が機嫌悪そうにしていると、やはり怖いものらしい。


 少し前から、クラウスはむっつりと押し黙り、あまり喋らなくなっていた。機嫌が悪いと言うよりは、何やら思い詰めているように見えたが、アネモネからすれば大した違いは無いだろう。……流石に、これはちょっと目に余る。


「おい」


 立ち止まり、身体ごとクラウスに向き直った。クラウスは肩を跳ねさせて立ち止まり、アネモネも酷く慌てた様子でホムラの横顔を見る。クラウスの反応を見る限り、彼はアネモネの言葉を意図的に黙殺したのだろう。あまり良くない傾向である。


「腹でも痛いのか? さっきから随分と深刻そうだが?」


「いや……」


 蝗のバケモノと初めて遭遇して少しの間、彼は使い物にならなくなっていた。


 指示は聞かない。周りも見ない。戦闘からもたらされる刺激にはやたら怯えるし、酷い時には呪文詠唱中のアネモネに縋り付いて邪魔をする、という場面すらもあった。


 時間にしたらせいぜい五分程の、短い時間だったと思う。だが、永遠にも思える程の五分間だった。元はと言えばホムラの所為だし、最後まで面倒見るつもりではいたものの、一瞬、頭の隅に「彼を見捨てる」という選択肢がチラ付いたのも事実だった。ホムラだけならともかく、それで双子まで巻き添えにするのは宜しくない。


 幸い、彼はきた。が、今度はひたすら何かを思い詰めて、今のような状態である。アネモネはずっと心配していた。


「大丈夫か?」


「……」


「何か考えてる事がありそうだが。言いたい事があるなら聞くぞ」


「……」


 クラウスは、頑なに目を合わせようとしない。固く閉じられて「へ」の字にひん曲がっている口元は、もしかしなくとも彼自身の意志を表しているのだろう。ただ単に言いたくないのかもしれないし、ホムラの態度が気に喰わないから口を開かないのかもしれない。にはよくある反応だと思う。少なくともホムラには、今のクラウスのような状態には覚えがある。


 とは言え、今のクラウスの態度は一行の雰囲気を悪くするだけだ。状況が許す限りは付き合う腹積もりで、ホムラはクラウスをジッと見つめる。視線も、無言も、時には”圧”になる。今回は、それを使わせて貰う事にした。


「……」


「……」


 蝗のバケモノの襲撃も無く、その場の誰もが喋らないと、此処は静かだ。


 アネモネは泣きそうな様子で、ホムラとクラウスの顔を交互に見比べている。今のような状況に陥った時は、大体彼女はこのような行動を取る。きっと彼女には、この場が一触即発に見えているのだろう。心労を掛けて、ちょっと申し訳無かった。


 反面、リオルは傍観の構えのようだ。ホムラの頭にゴリッと押し付けられているのは、もしかしなくとも彼女の肘か。どうやら彼女は、ホムラの頭で頬杖を付いているらしい。何となくだが、ホムラは彼女が無関心な無表情を顔に貼り付けているのが想像できた。今みたいに我関せずみたいな態度を取る事もしばしばだし、逆に驚く程積極的に話の渦中に首を突っ込んで来る事もある。ホムラは未だに、彼女がどういう判断基準で動いているか、いまいち掴めないでいるのだった。


「俺は……」


 絞り出すようにクラウスが口を開いたのは、それから少し後の事だった。


「俺は、大丈夫です」


 彼は、相変わらず目を合わせてくれない。紡ぎ出した言葉も、半分は彼自身に言い聞かせているようだった。


 だがその響きは、決して虚ろではない。重く、暗く、そして固い決意が滲んでいるのを、ホムラは確かに感じ取った。


「絶対、生き残ってやる」


 ブゥゥゥゥ――ン……と唸るような羽音が微かに聞こえたのはその時だ。一つだけではない。一〇か、二〇か、そんなものではきかないくらいに膨大な数が重なって、一つの旋律を成している。


 今はまだ遠い。だがいずれ押し寄せてくるだろう。


 休憩時間は、そろそろ終わりのようだった。


「……そうかい」


 視線を上げてリオルを見上げると、彼女は心得たようにホムラの肩の上から舞い降りた。耳を傾けるように微かに首を傾げ、一つ頷く。アネモネがそれを見て表情を引き締め、クラウスはその一連の流れを見て表情を強張らせた。


「ま、それなら尚の事助け合わないとな」


 伝わるかな。伝わるといいな。無理かな。


 本当はもう少し腹を割って話したかった所だが、ままならないものだ。先に歩き出したリオルと、彼女に手を引かれていったアネモネを追い掛けるべく、さっさと踵を返してクラウスに背を向ける。


「は――」


 ギチリ、と奥歯を噛み締める音は、聞こえなかったフリをした。


「助け、ね……」 


 先を行く双子達に追い付く。この辺りはどういう訳か塔の崩壊度合いが激しく、塔内部の散らかり具合も然ることながら、壁に空いた大穴の数はやたら多い。蝗のバケモノは基本、塔の外から壁の穴を通って侵入してくる。あまり宜しくない状況だ。


「どうする? 俺が先陣を切るか?」


「否定。強行突破は確実に上手くいかないと断言します。一先ずは見付かりにくい場所を探し、其処に隠れて波をやり過ごしましょう。その後は、再びホムラに殿を務めて貰います」


「了解した」


 司令塔は彼女だ。つべこべ言わずに頷いた。


 良い隠れ場所が見付かる前に敵と遭遇した場合に備え、心の準備だけはしていたが、幸いそれから少しも行かない内に隠れ場所は見付かった。壁の残骸か、幾つもの大きな瓦礫が重なって奇跡的な空間を成している小さな隙間。


 ホムラは一見しただけでは気付かなかったが、リオルはわざわざ道を外れてそれに近付き、その中に潜り込んでいったのである。


 何にせよ、計画通りに物事が進むのは良い事だ。クラウスを先に押し込んで全員で隠れ、息を潜めること十数秒。


 やがて、彼等はやって来た。


(ひー……)


(肯定。音だけでも気持ち悪いですね)


 その場一帯の空気を叩き、掻き混ぜ、粉々にするかのような羽音。金属を擦り合わせる音の中に老若男女様々な掠れ声を混ぜ混んだかのような不快な喋り声。ベタベタと、幾つかの手足がホムラ達が隠れている瓦礫の上を這い回る音が聞こえる。その中の一匹でも、ホムラ達が隠れている空間の入口に気付いたら終わりだ。最悪、自身の拳をその顎の中に突っ込んで声帯を潰し、仲間を知らされる事を防ごうと考えていたホムラだったが、幸いそんな事にはならなかった。


「――!」


 ズン、と。


 塔全体が、微かに震えたような気がした。


 一度だけではない。ズン、ズンと、それは規則的な間隔で響いてくる。しかもそれは、回数を重ねる毎に段々と近付いてくるのだ。


(姉さま)


(な、なに?)


(万が一の備えです。『逃走プラン・バレた時用』の準備をお願いします)


(あ、そうか。そうだね。わかった)


「……?」


「???」


 『逃走プラン・バレた時用』とは何だろうか。事情の呑み込めないホムラとクラウスは、暗く狭い中で顔を見合わせる。変な所で、彼との心の距離が少しだけ近くなった気がした。きっと一時的なものだろうが。

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