監視塔の番人②
そうこうしている内に、震動が遂にホムラ達の居る階に到達した。蝗達が発する音に混じって、何か巨大な――人面獅子なんか目じゃないくらいに巨大なモノの息遣いが聞こえる。塔の壁がミシミシと苦悶の声を上げているのも聞こえる。ホムラ達が隠れている瓦礫の中からでは、外の様子を伺う事は出来ない。何か巨大なモノが、塔の外から中の様子を伺っているらしいという事しか分からない。
アネモネが口の中でボソボソと呟いているのが聞こえる。恐らくは、『逃走プラン・バレた時用』とやらに使う何らかの呪文だろう。蝗達の羽音で聞こえる可能性は低いだろうが、正直今は息を潜めてジッとしておいて欲しいと言うのが本音だった。自分達より遥かに巨大な敵がすぐ近くに居て、自分達からはその様子が見えず、更にいざという時には自由に動けない。ホムラからすれば、結構な
(早く、何処かに行ってくれ……!)
巨大な何かが、具体的に何なのかは分からない。だが少なくとも、蝗達と仲が悪い様子ではないようだった。巨大な息遣いは断続的に聞こえてくるのに、蝗達は平気な様子でその場に留まり続けているからだ。
「ぐ――ぉえ……!」
直ぐ隣から、嫌な音が聞こえた。
反射的に隣を見れば、クラウスが身体を「く」の字に曲げて、口元を両手で抑えているのが見えた。
(おいおいおい……!)
こんな状況だ。汚れるのは最悪構わないが、懸念すべきは臭気だ。蝗達の感覚は分からないが、バレる可能性があるものはなるべく排除しておきたい。とは言え、ホムラは他人の吐き気を急激に消失させてやる術なんて知らなかった。背中を擦ってやるのは、あれは吐くのを促してスッキリさせるのではなかったか。それでは意味が無い。
(た、耐えろ! 耐えてくれ……!)
ホムラの必死の願いが通じたか、或いはクラウスの意地が生理現象に打ち勝ったか。
結局、彼は耐えきった。目尻に涙を浮かべながら息を荒げている彼の姿にちょっとした感動など覚えつつ、ホムラは中断していた隠れ場所の入口に視線を戻す。
硝子玉のような虚ろな双眸と目が合ったのは、まさにその瞬間の事だった。
「あ」
ホムラが目を離しているその間に、蝗の内の一匹が隠れ場所を見付け、文字通り首を突っ込んで来ていたのである。
最悪だ。これは完全にホムラのミスである。
「姉さま!」
リオルの声が、クラウスの向こうから聞こえて来た。
蝗の上半分の人面がニンマリと笑い、虫の下顎が大きく開く。ホムラは腰を回転させ、身体のバネを利かせながら、その口の中に拳を叩き込む。が、ホムラが口内の肉を適当に掴んで引っこ抜くよりも先に、蝗はそのおぞましい叫び声を周囲に撒き散らしていた。それはほんの短い間だったが、周囲にホムラ達の存在を知らしめるには十分だった。蝗は口から血を噴き出しながら地面に崩れ落ちたが、その顔には満足したような笑みが貼り付いていた。
「すまん、しくじった!!」
羽音が一斉に集まってくる中、ホムラは叫ぶ。
そのまま隠れ場所から飛び出して、蝗達の注意を引こうと考えたが、それよりもアネモネが呪文を結ぶ方が早かった。
「――Арё!!」
隠れ場所を構成していた大小様々な瓦礫が、四方八方に砲弾の如き勢いで吹き飛んでいったのは直後の事だった。それらはホムラ達の姿を晒す代わりに、集まって来ようとしていた蝗達を巻き込みながら吹き飛ばし、一時的な空白地帯を作り上げる。状況としては、まだそんなに悪くない。
(さて)
周囲には、身体のあちこちが潰れた蝗の化物達が十数体、或いはそれ以上。そしてその向こう側、ホムラの視線のその先には壁に大穴が空いていて、外の様子が窺える。
その向こうから、何かが見えていた。只でさえ暗い上に、あまりにも巨大過ぎて最初の一瞬は分からなかったが、アレは目だ。虚ろで何かを映しているようには見えないが、確かな意思を以てホムラを視ていた。多分、目が合ったのだと思う。心臓が掴まれたというような感覚は、或いはこのような感覚を言うのかも知れない。
――m……――iiiiiiiiiiiiiiiiIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIiiiiiiiiiiii……
その場一帯の空気が、波打った。それが音、或いは声だと直ぐに気付けなかったのは、それが耳だけではなく身体全体を揺るがしたからだ。
――uuuuuuuuk……aaaaaAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaAA――……aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaAAAAAA!!!!
間髪入れずに、ホムラは跳んだ。
巨大な目が覗き込んでいた穴から、これまた巨大な何かが突っ込まれて来たのは直後の事だった。それは跳躍したホムラの爪先を掠め、轟音を立てながらホムラの背後にあった壁をブチ抜いていく。弾力と温かさを備えたそれの上に、重力に引かれるままに着地しつつ、ホムラは背中の大太刀を抜き放つ。
「――羅ッ!!!」
正体は良く分からないが、取り敢えずは敵のものだ。ならば奪ってやった方が得策だろうと言う事で、ホムラは骨まで断つつもりで大太刀を振るう。が、返ってきたのは異様な密度で刃を絡め取るゴムのような弾力だった。下で戦った人面獅子と少しだけ似ている、けれどアレとは違って何処か肉々しい感触だ。
(無理か……! くそ、なんだこれ……!?)
覚えが無いのに妙に馴染みのある感覚だった。そこはかとない気持ちの悪さを感じつつも、ホムラは自らの思惑を即座に断念。大太刀の柄頭を引いて表層を浅く切るだけに留め、ホムラは自らが踏んづけていた”足場”の上から離脱する。
アネモネ達を探して視線を巡らせると、彼女達は既にこの階の出口――次の階段の前に移動していた。
「ホムラ、早く――!」
「いいから行け! 走れ走れ走れ!!」
背後では正体不明の何かが、侵入してきた大穴へと引っ込んでいく。雷の破音に勝るとも劣らない叫び声が響き渡り、塔のあちこちでミシミシと壁が悲鳴を上げる。外に居る巨大な何かも、どうやら移動を始めたらしい。自分が離れている間に他の三人が狙われては拙いと、ホムラも急いでその場から走り始める。階段を駆け上がると言うよりは跳び上がり、数秒掛けずに三人に追い付いた。
「すまねぇ、しくじった!」
「さっきも聞いたよ! もう言わなくて良いから!」
「どうする!? 戦うか!? 塔そのものを破壊されたらひとたまりも無いぞ!?」
「否定! 相手も場所も悪過ぎます! 現段階では戦っても意味がありません!」
「分かった! お前等は飛べ! 俺等は気にせず全力で上がれ!」
「ホムラ達は!?」
「こうする!!」
言うが早いが、ホムラは会話に参加する余裕も無く必死で足を動かしていたクラウスを、警告無しで米俵の如く担ぎ上げた。クラウスの驚いたような悲鳴は無視し、足腰に掛かる負担も無視する。運動機能に大した影響は出ていない。それを言葉ではなく示す行動で示す為、ホムラは足に力を込めて跳躍し、双子の頭上を飛び越して前に出る。
破音の咆哮と共に壁が外からブチ破られ、巨大な掌がホムラが今の今まで居た場所を壁の残骸ごと握り潰したのは、直後の事だった。
「姉さま!」
「うん!」
ガラガラと壁が崩れる轟音の中で、姉妹が短く言葉を交わす。金と銀の光が闇の中で花開き、次の瞬間、光翼を展開した彼女達がホムラを追い抜き返して前に出る。背後では巨大な掌が握り潰したモノを零しながら、再び外へと引っ込んでいく気配がしていた。動き続けるホムラ達はその場から急速に離れていく訳だが、複数の震動がそれを追い掛けて来る。恐らくこれは、外に居る巨大な何かの足音だ。ホムラ達にぴったりくっ付いて、逃がしてくれるつもりは無いようだった。
更に悪い事には、再びあの不快な羽音が聞こえ始めていた。
「おい、多少揺れるぞ」
返事など想定していない、一方的な警告。視線の先では、たった今双子が通過した壁の穴から、最早見飽きた人面の蝗が侵入してくるのが見えていた。
即座に跳躍し、壁を蹴り付けて駆ける。その壁を更に蹴って宙を跳び、こちらに襲い掛かろうとしていた蝗の顔面に着地。壁とホムラの蹴り足に挟まれ、敵の頭蓋が破裂する。その感触を足裏で感じ、飛び散った飛沫が頬を掠めるのを感じながら、ホムラは濡れた壁を蹴って階段に戻った。
「――舌、噛むなよ!」
背筋に怖気が走るような、嫌な予感。既に走り出していた速度を瞬時に緩め、一時的に減速したホムラの鼻先を、壁と天井を破壊しながら侵入してきた巨大な手刀が掠めていったのは直後の事だ。
反射的に壁に空いた穴の向こうへ目を遣ると、同じく穴の向こうから此方を覗き込んでいた巨大な女の顔と目が合った。造形自体は貞淑な若い女のそれであり、細い目は瞑目して敬虔に祈りを捧げているように見えない事も無い。が、直後、ホムラに向かって憤怒の叫び声を上げたその口は、爬虫類か何かのように耳元まで裂け開き、その顎には細かくも鋭い歯がズラリと並んでいるのが見えた。
全貌はまだ見えないが、取り敢えずどうあってもお近づきにはなりたくないタイプであるのは確かである。即座にその場から走り出し、その場から逃げ出したホムラの背後で、壁の穴から再度突っ込まれた拳が誰も居なくなった階段を破砕する音が聞こえてきた。
「――おぐぇぇえ!」
「おお、そうだな! おっかねぇな! 俺も吐きそうだ!」
肩の上のクラウスに声を掛けながら、ホムラは走る。抜き身の大太刀は腕だけでなく、走る勢いを利用して身体全体で振り回し、落ちてくる瓦礫や群がってくる蝗のバケモノ達を斬り払う。その勢いを今度は加速や方向転換に利用して、時折横槍を入れてくる外の巨人の一撃から逃れる。
先を行くアネモネ達の姿は、既に遠い。一応は彼女達も距離が離れ過ぎないように速度を調節しているらしいが、やはり翼の有るのと無いのとでは速度に大変な違いが出るらしい。そして彼女等は飛ぶ事に慣れていて、蝗のバケモノ達は群れを以てしても捕まえるのは難しいようだった。
そうなると、彼等はどうするか。
答えは簡単だ。より捕まえ易そうな方に群がって来る。飛べる素早い小さな獲物よりも、地べたを走るしかない大きな獲物の所に集まってくる。
要するに、此処でもホムラは囮役だ。幸い彼等も外の巨人もホムラには興味津々で、アネモネ達の方にはあまり積極的には行っていない様子だった。こうなると、クラウスは自分で走らせた方が却って安全だったかもしれない。
「ま、結果論だ。許せクラウス」
「はい!?」
名前を呼ぶのが聞こえたのだろう。クラウスの泣いているような怒っているような声が聞こえてくる。冗談のような危機的状況を目の前にして、逆に活力が戻ってきたらしい。何と彼は何時からか、盾と両腕を振り回し、ホムラの背後から迫ってくる蝗のバケモノを威嚇するという大仕事を始めていた。喚き声は自棄っぱちで、ホムラや世の中に対する罵詈雑言も少なからず混じっているような気がしたが、この状況でそれが出来るなら大したものだ。実を言えば、ホムラもその罵詈雑言のお陰で逆に勇気が湧いていた。
「よっしゃ! 生き残るぞ、クラウス!」
「う、おぉ、おおぉぉおおおおおぉぉおおおお!!!」
楽しくなってきた。刃の上に命を乗せた時に感じられる、ヒリヒリと灼け付くような生の実感。迫り来る死の爪牙をヒラリ、ヒラリと紙一重で躱し、次の一刹那を生き延びていく感覚。独りだけではなく、仲間と共にというのが良い。普段は考え方も見ている世界も何もかも違うだろうが、今この瞬間だけは、ホムラとクラウスは同じ境地に立っている。
戦いに於いては、冷静さが必要だ。そして笑うしかないような絶望的な状況に於いては、心を預けるに足る熱い衝動が何よりも大事だ。
「「――ぅぅぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」」
走り抜け様に薙がれた大太刀が、獲物を捉え損ねた蝗の胴体を喰い千切る。滅茶苦茶に振り回された小剣が、後ろからホムラの頭にかぶりつこうとしていた蝗の人頭の目を抉り、狙いを致命的に外させる。最早柔軟さなど捨てたホムラの疾走は、正面から襲ってきた複数の蝗共を纏めて壁まで運送し、押し潰す。鬼気迫るクラウスの
「……なんか、男の子二人で楽しそう」
「あれを見てそんな感想が真っ先に出る辺り、姉さまも潜在的には大概アレですね。前衛の華であると言うのは否定出来ませんが」
ホムラは嗤う。クラウスも嗤っている。追い掛けてくる"死"は片っ端から喰い散らかして、ホムラ達は刹那程生き延びる権利を得る。そうして得られた時間の、何と愛おしい事か。自分が生き延びられる奇跡の時間の、何と有り難い事か。
原始の炎に炙られた生存欲求が求めるままに、ホムラは、ホムラ達は、走って、殺して、奪って、喚いて、殺して、殺して、走って、走って、走って、走って……――
「お」
突き抜けた。永遠に続くかと思われた、塔の最上階。勢い余って空中にポンと空中高く飛び上がり、だだっ広く何も無いその様を眺め遣りながら、ホムラは様子を把握する。
此処が脱出口なのかどうかは置いておいて、"追い駆けっこ"は此処でお仕舞いなようだった。
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