監視塔②

 移動時はホムラが纏めて持ち歩いているアネモネとリオルの背嚢の中には、まだまだ沢山の食糧が詰め込まれていた。ホムラが始めてアネモネ達と出会った時、若干ホムラが理性を失い掛け、アネモネを引かせた例の握り飯だ。結構な量をホムラが消費したと思ったのだが、どうやらまだ残っていたらしい。


「あ、これ……――」


 竹の葉を模した弁当箱の包みを見て、クラウスが微かに弾んだ声を上げた。確か、”銀粒屋”とかいう店のものだったか。クラウスも知ってる店らしい。


「金華国出身の奥さんと、黄金の国ジパングの民の旦那さんがやってるお店ですね。私も時々行ってます」


「金華国?」


「東方にある獣人達の国です。地理的には黄金の国ジパングに近いですが、似て非なる文化を形成していて、黄金の国ジパングの民とはまた少し違う神秘的な国なんですよ」


「ほー」


 人に教える事が好きな性質たちなのだろう。説明するクラウスの口調は、少しだけ元気を取り戻しているように思えた。


「時々行ってるって事は、アンタも好きなのか? 米」


「私と言うより、知り合いがね」


 そしてどうやら、ホムラは良い話題を引き当てたらしい。”知り合い”とやらが話題に出た途端、ずっと特定の表情かたちに固まったままだったクラウスの顔が、柔らかく綻んだのをホムラは見逃さなかった。


「元から新しいモノや珍しいモノに興味を示す子だったんですが、ジパングの食べ物は口に合ったようで、ちょくちょく行ってるみたいです。私も時々連れて行かれるんですよ」


 知り合い。知り合いか。それにしては、随分と優しい顔をするじゃないか。


 とは言え、それを此方から指摘するのは無粋だし、折角回り始めたクラウスの口を止めてしまう事にも繋がると思った。だからホムラは相槌代わりに一つ頷くだけに留めて、手の中の握り飯を頬張った。


 美味い。


「――小さな頃は、いつも後ろから付いて回って来ましてね。私が話す冒険者の話を、目をキラキラさせながら聞いてたものです……」


 弟分か、妹分か。本物かもしれないし、違うかもしれないが、少なくともクラウスは兄の視点でソイツを見ているらしかった。懐かしそうな、でもどこか寂しそうな顔をしているのは、過ぎ去った時間を思い返しているからか。


「……だから俺は、冒険者に


「?」


 話が飛んだ。もしかしたら今の一言は、クラウスも口に出したつもりは無いのかもしれない。それでも尚口の端から零れ落ちたと言うことは、余程強い決意であるという事か。


 何にせよ、その決意の原点に今出てきた人物が関わっているのは間違いないだろう。


「じゃあ、尚の事生きて戻らないとな」


 誰かの為に決意を抱けるなら、その決意は必ず果たした方が良い。それなら此処で無為に死ぬなんて、彼は許さないだろう。最悪死んでもリオルが居るなんて野暮な事は考えないとして、だ。実際、上手く遺灰の抽出が成功したとしても、そこから蘇生が成功するか否かは別の話らしいし。


 夢や約束の実現を果たすなら、生き残る事に越した事は無い。


「……そうですね」


 クラウスは、小さく頷いた。心なしか、その表情からは悲壮感が少し薄まっているように見えた。


 食事を済ませ、十分な休息を取ってから、ホムラ達は再び行軍を開始した。道の先は見えず、あとどれ程で目的地に辿り着くかも分からない。道程はひたすら階段で、疲れは溜まりやすく、あまり楽しくはない。


 たった一人であれば、拷問にも思える苦行だったかもしれない。話せる相手が居るという事は、それだけで恵まれた事なのかも知れなかった。


「何の為の建物なんだろうな、此処は」


 移動する速度が一番遅いのはクラウスだ。単純な歩行速度であるなら当然アネモネ達だろうが、彼女達は飛べる。


 クラウスに気付かれないようさり気なく行軍速度を合わせながら、ホムラは気を紛らわせるように適当な話題を皆に振っていた。


「こりゃまるで拷問だ。囚人はともかく、看守とかこの階段を毎日毎日登り下りしてたって事か?」


「否定。ヒトの尺度を神々に当て嵌めるのは変ですが、それを差し引いても――」


 答えたのはリオルだった。こう言った考察系の話題には、彼女が乗ってくれる事が多い。


「この階段を、神々が実際に利用していたかは正直疑問です。あまりにも非効率が過ぎます」


「そーだねぇ」


 ふわり、とホムラ視界の脇を横切りながらアネモネが答える。彼女達にとって、飛ぶという行為はそんなに体力を消費しないものらしい。気楽な様子で会話に参加した彼女には、疲れの色はまだ全然見えなかった。


「こんなに長い階段を歩くなんて大変だよ。私達は飛べるからいいけど」


「肯定。看守達はこの塔を利用する際、転移装置などの専用の方法を利用していたのかもしれません」


 万が一脱獄者が出た場合はその方法を封鎖し、長い階段を歩かせる。疲れさせた所へ一気に攻勢を畳み掛ければ、それだけ捕らえ直す確率も上がる。


 念の入った事だ。別に脱獄者でも何でも無いホムラ達からすれば、迷惑な話でしかないが。


「その転移装置ってのが使えれば良いんだがなぁ」


「肯定。ホムラ、クラウス、共に体力の方は問題ありませんか?」


「ああ」


「はい」


「二人とも、キツくなったら直ぐに言ってね」


 この塔はどうやら、迷宮の様子を見張る監視塔のような役割も果たしていたようだ。各階毎にある空間には、必ず迷宮を見下ろす為の設備が残っていた。壁の一部は必ず切り抜かれているし、そこを切っ掛けに一部崩れている階も少なくない。中には迷宮を照らせるようなサーチライトらしきもや、何か射出する大弩のような物の残骸が放置されている。


 つまりこの塔は、常に何らかの形で外と直接繋がっているのだった。


 中には石像兵が隠れる場所が多く存在するし、外からも敵は入って来ようと思えば幾らでも入ってこれる。一度戦闘が始まれば、中々終わらない理由は此処にあるのだろう。かと言ってホムラ達は待ち伏せを受ける側だ。戦闘を避ける事は出来ない。既に相当に登ってきているので、方針を変えるにも直ぐさまこの場から離脱、と言う訳にもいかない。


(……ジリ貧だな)


 状況は圧倒的に此方が不利だ。この道程がこのまま続けば、いずれはこの面子でも押し潰されるだろう。今はまだ余裕があるが、疲労と不安が精神を蝕む前に、自分達が正しい道を歩んでいるという確信が欲しい所である。


 そんな事を考えながらも会話を続けつつ、時には石像達との交戦を交えながら、一体どれだけ歩いただろうか。


 既に数えるのを止めた、百何十回目かの階層に到達した時点で、ホムラは肌を刺すような嫌な気配を感じた。


 誰かが、何かが、ホムラ達を見ている。ホムラがさり気なく周囲を見回ってもその姿は見えなかったが、辺りを浸してる闇の中に隠れて、確かに何かが此方を見ている。


 石像達の気配ではない。彼等の殺気は、何と言うか、もっとだ。けれどそれは獣のような直接的なものでもないし、ヒトのようにドス黒いものでもない。


「……」


 カサ、と衣擦れのような微かな音が、頭上から聞こえたような気がした。


 間髪入れずに大太刀を引き抜いて、次の瞬間にはホムラはそれを、頭上から襲い掛かって来た”それ”を振り返り様に両断していた。生暖かい液体がそこらにブチ撒かれ、”それ”は左右に分かれながら床の上に叩き付けられる。


「え!? 何事!?」


 アネモネが驚いたような声を上げる。


 ただ、そんな事を言いながらも、素早くホムラの陰に隠れて戦闘の態勢に移行したのは流石と言うべきか。リオルはそんな彼女の隣に控えているし、クラウスもまた、一拍の遅れはあるが、ホムラの目が届かない背後をカバーすべく、陣形の一番後ろに回っていた。良い感じだ。


「……敵だ。新しい趣向らしい」


 言いながら、ホムラは改めて自身が斬って捨てた”それ”に目を遣った。言うまでもなく石像ではないそいつは、四本の人間の腕と二本肥大化した人間の足、蝗の顎を持った人間の顔と、人間大の大きさの蝗の身体を持っていた。


「うわ……」


 後ろ足に当たる人間の足が、ビクビクと死んだ昆虫のように痙攣している。半分に分かれて血にまみれているものの、人間の顔の部分は整った女性の顔をしていて、それがまたおぞましさも引き立てている。アネモネがドン引いた声を出した理由も頷けるというものだ。


「石像じゃない、生きている敵が居るとはな。マトモな生物には見えないが」


「肯定。マトモな生態系から誕生した生物だとは思えません。この形態は、何か、こう――」


 確認するべくホムラが死体に近寄ると、リオルもそれについてきた。とは言え、流石に気持ち悪かったのだろうか。飽くまでホムラより前には出ず、後ろから見解を述べる程度だったが。


「人間に対する、悪意のようなものを感じます。思い切り醜い姿にして、貶めているような」


「神とやらがか?」


「否定。それは明言できません。この生物が神々の由来である証拠は何もありませんから」


「或いは――」


 ホムラとリオルの姿を見て、勇気が出たのだろうか。クラウスが会話の輪に加わった。そうなるとアネモネも心細かったのか、彼の後ろから恐々とついてきた。


「神々がこの牢獄に捕らえていたのは、コイツなのでは? こんな非道いモノを神々が産み出したなんて、ちょっと考えられない」


 そうだろうか。


 喉まで出掛かったその反論を、ホムラは咄嗟に呑み込み、沈黙を通した。


 アネモネ達から、地上の話は既に聞いている。この迷宮の上にある都は、人間の王が神々から王宮と土地を譲り受ける形で成立したという、言わば王権神授の典型だ。其処の住人の前で神を否定するような発言は、ちょっと危ないかもしれない。そう考えたのだ。


 だからホムラは、別の事を口にした。そもそもこの場に存在しない神々の話ではなく、今ホムラ達の目の前にある、切実な問題の話だ。


「……仮に、クラウスの意見が正しかったとして、だ」


 視線をゆるりと巡らせる。


 人間ホムラの視覚で捉えるには暗過ぎる場所を上手く選んで、闇に紛れて外から入り込んで来た気配が一つ、二つ、三つ。耳を済ませばもっと遠くの方からも、翼を震わせる音や、顎を噛み合わせる音などが微かに聞こえてくる。


 “一匹見掛ければ”なんて言葉は、さて、一体誰が、何に向けて言ったものだったか。


「クラウス」


「はい?」


 どうやらこの塔は、ホムラ達に楽をさせてくれる気など毛頭無いようだった。


「悪いな」


「へ……!?」


 クラウスの頭上から、弾けるような勢いで四つの腕が伸びてきたのと。


 ホムラが大太刀を彼の頭上に閃かせたのは、同時の事だった。


「ひゅ……ッ!?」


 二本の腕がクラウスの首を締めるように掴み、更に二本の腕が彼の左右の肩をそれぞれ捕まえる。だが、それだけだ。次の瞬間には胴体から分断された人面蝗の前半分と後ろ半分がバラバラに落ちて来て、血を撒き散らしながらバタバタと暴れ回った。


「う、うわ……!?」


「すまないな。気付いた事に感付かれたら、却って仕留める好機が遠退くと思ったんでな」


 人面蝗の上体に縺れ合いながら尻餅を突いたクラウスに近寄り、邪魔な蝗の身体を蹴飛ばしてやや乱雑にクラウスを助け起こす。仲間の奇襲が失敗した事を見ていたのだろう。耳障りな羽音や顎をカチカチ鳴らす音、ヒトの呻き声とも虫の鳴き声ともつかぬ不快な音が、其処らの闇の中から響き始める。


「Ηικαριψο」


「一瞬明るくなります、注意を」


 アネモネが何事かを唱え始め、リオルが素早く注意を飛ばしてくる。ホムラはややパニック状態に陥り掛けているクラウスを片手で捕まえたまま、目を細めて“その時”に備える。


「Арё!!」


 照らすというより白く塗り潰すかのような閃光が、弾けた。瞬時に顔を背け、目を閉じたホムラは大した被害を受けなかったが、普段から闇に慣れきっている奴らはそういう訳にもいかなかったらしい。明らかな悲鳴と共に、何か重いモノが地面に落ちてくる音が複数。即座にホムラは目を開いて状況を確認、アネモネとリオルの背後に人面蝗が一匹、ホムラ達の近くに二匹落ちて、六本手足をバタつかせているのを見て取った。


「……ま、蝗ってのは大量にいるもんだからな」


 近くに居た二匹の人面蝗へ適当にトドメを刺しつつ、直ぐ様アネモネ達に近寄って、傍に居た蝗も処理する。リオルは顔色一つ変えなかったが、流石にアネモネは顔を顰めていた。


「クラウスの考え通りなら、この牢獄はコイツらを閉じ込める為に造られたって事になるんだろ? だったら、この牢獄の規模に見合うくらい大量に居ると考えといた方がいいな」


「肯定」


「私、虫がキライになりそうかも……」

 

 豪胆と言えばそうだが、異常と言えば異常だ。こんなおぞましい光景に前にしてさえ、この二人は大して冷静さを欠いていない。少なくとも、戦士としての才能は十二分にあるだろう。


 其処の所を行くと、クラウスは残念ながら凡人だ。蝗の血を浴びた所為か、それとも尻餅を突いた時に人面蝗と目が合ったのか。或いは喉元にまで掛かった死の指先の感覚に、勇気を削り取られたのかもしれない。


 何にせよ、ホムラに助け起こされた所でボンヤリと突っ立ったまま、焦点の合ってない目で小刻みに震えているその様は、現状に対応出来るようには見えなかった。


 人としては仕方無い反応だが、状況を打開する戦力には程遠い。


 「おい、しっかりしろ」


 素早くクラウスの所に戻り、気付けとばかりにその頬を軽く叩く。それで我に返ってくれる事を期待したが、残念ながら彼は殴られても視線をそっぽに向けたまま、帰ってくる気配が無かった。


「……参ったな」


 ここまでショックを受けるとは思ってなかったとは言え、彼をこうしてしまったのはホムラだ。彼が現実に戻ってくるまで気長に付き合ってやるのが筋だろうが、残念ながら今はそんな時間は無い。唸るような羽音が次々と、外からこの階に入ってくる音が聞こえる。ホムラを追い掛けてきたアネモネが後ろに回ったアネモネが呪文を唱え始め、リオルはクラウスをサポートする為か、彼の隣に並んでその手を繋いだ。


「此処はリオルに任せて、ホムラは前線に」


「了解」


 此処は不利だ。とにかくこの場は逃げ出して仕切り直したいが、ただ背を向けて逃げるには敵の数が多過ぎる。兎にも角にもある程度一掃しなくては、圧倒的な物量差と怒涛の如き勢いに、瞬く間に呑み込まれてしまうだろう。


 ホムラが前線で蝗達の注意を引きつつ牽制し、その隙にアネモネが魔術を唱えて敵を一掃する。それが終われば直ぐに撤退だ。後から後から敵の増援がやって来るこの状況下では、空白すきは出来たとしてもほんの一瞬だろうから。


「忙しいな、本当に……!」


 胸中に溜まった苛立ちを、毒と共に吐き出して。


 ホムラは気合いと共に大太刀を上段に構え、蝗の注意を一身に集めながら前に一歩、踏み出したのだった。

 


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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