仮面①

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


「――――――――――!!!!」


 目が覚めて最初に行ったのは、自分の身体をベタベタ触って、何処がどんな風に斬れているのかを確かめる事だった。先ずは身体の前面、それから、恐らくは叩き割られた筈の頭部。触ってどうにかなるものではないのは分かっていたが、それでも、状況を把握せずには居られなかった。


「え……?」


 けれど、結果は拍子抜けするものだった。頭の何処にも、傷は無い。バクリと割れた金瘡は無く、またベコリと大きく陥没した痕も無い。手が脳漿や血液で濡れる事も無かった。確かに最後の瞬間、唐竹割りにされたと思ったのに。身体の前面まで無傷だった。偶々タイミング良く後退したお陰で致命傷を避けたが、それでも決して浅くない傷を刻まれていた筈だ。あんなに勢い良く噴き出していた血は、夢幻の如く消えている。それどころか、服まで綺麗に元通りになっていた。


「夢……?」


 どうやらそうらしい。狐に化かされたような気分になりながら、ホムラは間の抜けた声で呟いた。


 生きている。霧に包まれた戦場跡も、顔に雑線ノイズが貼り付いた謎の男も、全部、全部、夢だったらしい。


 けれど夢と言うには余りにも生々しい夢だった。斬られた感触も、殺された感触も、身体の各所にしっかりと刻まされている。夢、だなんて辻褄合わせの仮説を立てた所で、納得はできなかった。


 あの時、確かにホムラは死んだ。殺されたのだ。


「肯定」


 とは言え。


「何の夢かは知らないですが、それは夢です」


 自分以外の人間から見れば、おかしいのはホムラの方、と言う事らしかったが。


「お帰りなさい、ホムラ。悪夢から目覚めたようで何よりです」


「リオル」


上体を起こしたホムラの隣で、ちょこんと座り込んでいる双子の少女。リオルは相変わらずの無表情で、けれどホムラと目が合った途端に、両の手でVサインなど作ってみせる。思えばその無表情も、何処となく得意げに見えた。どうやらホムラは、またもや彼女によって救われたらしい。


「……すまねぇな。また面倒掛けたか」


「否定。それがリオルの使ですので。それより――」


 そしてリオルの隣には、当然のアネモネが居る。ホムラと目が合った途端、その火色の双眸は怒っているようにも見えて、最初、ホムラは迂闊に大怪我した事を怒られるのかと思った。が、ホムラの見ているその前で、彼女の目尻に大粒の涙がみるみる溜まり、膨らんでいく。その口が「へ」の形になっているのは、感情を決壊させまいと我慢しているからか。とは言え、総合的に見ると臨界寸前で、咄嗟にホムラはどうして良いのか分からず、固まってしまった。


「ホムラ」


「はい」


 ポツリと紡がれたアネモネの言葉に、咄嗟にホムラは居住まいを正す。何かを言い掛けていたリオルも、それを機にピタリと押し黙ってしまう。


 何というか、場を取りなす為に一生懸命喋っていた姉弟子が、怒り狂った師匠が口を開いた瞬間に黙り込んだような、そんな感じだった。


「……すんごい、大活躍だったと、思います……」


「はい」


 ただ、雰囲気とは裏腹に、アネモネの言葉の内容はホムラを褒める内容だった。てっきり何か文句を言われると思っていたホムラは、肩透かしを喰らったような心境になってしまう。


「多分、ベストな、結果だと思うし。私だって、ホムラの立場だったら、ああしたと思うし……」


「俺の立場で良かったよ」


「……」


「あ、はい。すいません」


 とは言え、褒める言葉とは裏腹に、アネモネのは物凄い。実際にはもっと違うものを指す言葉だが、遂に涙がボロボロ零れ始めた眼で見られる圧力たるや、思わず萎縮してしまうくらいだった。


 ぎゅう、とアネモネの下唇に籠もる力が目に見えて強まる。次の瞬間、彼女はその場からバネのように飛び出して、ホムラの胴体に全身でぶつかるような頭突きをかましてきた。


「ぐぇ」


 まさかそんな行動に出るとは思わなかったから、見事に虚を突かれてしまった。良い場所に良い角度に頭突きが入って、軽く悲鳴が漏れる。けれども、アネモネはお構い無しだ。ホムラの着物をグッと握り締めてホールドし、グリグリと額を押し込んでくる。肋骨が圧迫されて、地味に苦しい。


 が、文句など言える筈も無かった。


「――……よかったぁ……」


 ポツリ、とそんな言葉が溢れるのが聞こえた。それは心の底から安堵したような声で、ホムラはその瞬間、自分がどれだけ彼女に心配を掛けたかを思い知った。


 そう、彼女はそういう人物なのだ。リオルは勿論、クラウスやその他の誰かが怪我して死にそうになれば、心を痛める。救えるものならば救おうと奔走し、彼等が無事に息を吹き返せば安堵するだろう。その逆もまた然りだ。今回のホムラのザマは、ハッキリ言ってホムラの油断と実力不足が招いた事態で、要するに自業自得なのだが、恐らくアネモネはそんな事は思っていない。そういう発想すら、無いかも知れない。


「悪い」


 珍しい人種だ。戦場に似た環境下において、しかもその環境に適応している部分も持ち合わせているのだから、尚更である。


「次は、もっと上手くやる。怪我なんかしないくらいに、完璧にな」


「……本当?」


「ああ。約束する」


 小さな背中に両腕を回し、宥めるように軽く叩く。記憶を失う前のホムラは、こんな事なんか殆どやらなかったのだろう。我ながら慣れなくて、ぎこちない動作になってしまった。それでもアネモネは顔を上げ、そっと笑ってくれた。


「私も、次はもっと上手く援護できるように頑張るね」


「今のままでも助かってるのに、もっと良い援護が来るのか。頼もしいな」


「うん」


 もしかしたら、アネモネはアネモネで責任を感じていたのかも知れなかった。自分が援護できていれば、ホムラが怪我する事も無かったのではないか、とかそんな感じで。


 しかし、その手の懺悔はドツボに嵌まるだけである。だからホムラは余計な事を言わないようにして、話が掘り返されるのを回避した。事が終わった後の”たられば”は、時間が経てば経つ程に悪い方向へ肥大化していくものだ。後ろ向きの後悔よりは前向きの反省の方が全然良い。


「そう言えば、クラウスのヤツはどうしたんだ?」


「彼処です」


 指の代わりに視線で方向を示したリオルに倣って、視線を巡らせる。


 今更だが、此処は人面獅子が現れた広場の入口付近だった。直ぐ近くには半壊した人面獅子の頭部が無造作に転がっていて、リオルが示した広場の中央付近には、砕けて岩の塊と化した人面獅子の身体が散乱している。


 クラウスは、その残骸の中に埋もれるようにして座り込んでいた。ホムラが目を覚ましたのにはとっくに気が付いている様子だが、何故かそっぽを向いて、頑なに視線を合わせようとしない。


「あー……」


 責任を感じると言うなら、あっちの方が重傷か。


 アネモネの身体をそっと押し退け、脇にあった大太刀を掴みながら、ホムラはのそりと立ち上がる。その動作にあらぬ想像を抱いたのだろうか。アネモネがひどく慌てた様子を見せた。


「ホムラ、あの……!」


 ”怒らないで”だろうか。それとも”落ち着いて”だろうか。何にせよ、アネモネのそんな心配は的外れだ。


 軽く笑って彼女の頭に掌を置き、それから視線を改めてクラウスに向ける。クラウスは目に見える程に大きく身体を跳ねさせたが、その場から逃げ出したりはしなかった。ホムラが歩いて近付いても、覚悟を決めるように深呼吸を数度繰り返しただけだ。


「よぅ」


 彼の前に、ドカリと勢い良く腰を落とし、胡座を掻く。大太刀は、取り敢えず今この場では使わない事を示す為に、脇に置いた。


「何やってんだ、こんな所で」


「……」


 クラウスは答えない。そもそも視線すら合わせてくれない。こういう手合いは厄介だ。話をしようにも話をさせてくれないんじゃ、話が一向に進まない。


「――失望……」


 だが、幸いな事に。


 沈黙はそんなに、長くなかった。


「失望、しましたよね」


「うん?」


「気を遣わなくて結構です。貴方は失望した筈だ」


 相変わらず視線は合わせてくれず、口調そのものは投げやりだ。これまで片鱗として顕れていた彼の闇が、言葉と共に噴き出して行くのを目の当たりにしているかのようだった。


「俺は、いつもそうなんだ」


 息を切らして、アネモネが飛んでくる。ホムラとクラウスの中間辺り、ホムラから見て右手側に着地して、クラウスとホムラの顔を交互に見る。一拍遅れて、リオルもそれに追い付いて来た。但しリオルはその場の誰にも目をくれず、周囲の視線を投げていた。この話し合いの間の歩哨は、彼女が受け持ってくれるらしかった。


「実力が無くて、お荷物で。良かれと思ってやった事だって、目論見が外れる」


 話す内に、クラウスは畳んだ両足を片腕で抱えて、小さく丸くなるような体勢を取った。その様は自身の殻に閉じこもろうとしているかのようで、恐らくそれは彼なりの防御反応なのだろう。ただ、その殻の内側で、彼は目からは涙をボロボロ零し、嗚咽を堪える為か歯を喰い縛っている。


 彼は、彼を苛むものを根本的にのではないか。


「最初は優しく接してくれてた人達も、その内見限って、離れていくんだ。俺が頑張ってようと関係無い。使えないヤツは要らないから」

 

 鬱陶しい。お前の事情なんか知った事か。ところで俺はお前が棒立ちになってた所為で死にかけたんだが、それについて何か一言無いのか。


 そういう言葉の数々が思い浮かばなかった訳ではないし、世の中には今のクラウスに対してそういう言葉を実際に叩き付ける者もいるだろう。チームというのは、人間の集団だ。失敗した挙げ句、駄々を捏ねるように言い訳を並べ立てる一人の人間を容認していれば、皆が巻き添えになって迷惑を被る。なじりたくなるのも仕方無いし、切り捨てるのも一つの判断だ。別にそれを間違っているとは思わない。ホムラだって、余裕が無ければそうしていただろう。


 けれど。


って何の事だ?」


 ホムラには、どうやらまだ心に余裕があるらしいから。


 ちょっと気になってしまったのだ。


『最初は優しく接してくれてた人達も、その内見限って、離れていくんだ。俺が頑張ってようと関係無い。使えないヤツは要らないから』。そんな言葉を吐くようになるまでに、彼は一体どれ程の人間から、自身の実力不足を突き付けられたのか。


 


 そして、と。


「アンタ、俺が助けに行った時、明後日の方向見てたよな。アンタの言う目論見ってのは、それに関係するものなのかい?」


「……」


 クラウスは答えない。アネモネはハラハラしている様子で、クラウスをジッと見つめている。せめて何か言った方がいい、だんまりは良くないよ、と言わんばかりだったが、実を言えばホムラはこの沈黙に好感を持った。


 結果を出せなかった以上、ヘマはヘマだ。本当はこうするつもりだったんだ、と言い訳を並べ立てて同情を引くような真似をするのは、何だか格好悪い。


「当ててやろう」


 飽くまで、ホムラだったらこうする、という勝手な共感だ。クラウスが黙り込んだ理由は、単にビビって口を閉ざしただけかもしれない。そもそも、言い訳云々の話なら、彼は直前に特大のものを垂れ流していた訳だし。


 まぁ、それならそれで構わないのだ。


「アンタは、広場の入口を見張ってたんだ」


 弾かれたように、クラウスがホムラの顔を見る。見事なその反応に思わず笑ってしまい、ホムラは内心でちょっと得意になりながら言葉を続ける。


「他の石像があの広場に入ってくる可能性を、アンタは考慮して見張ってた。そうだろ?」


「……どうし――」


 思わずといった調子で呟き掛けて、クラウスはハッとして口を閉じる。


 十分だ。これ以上この話を引き延ばしたって仕方無いと、ホムラはさっさと話を締めに掛かった。


「仕方無い仕方無い。目論見が裏目に出る事なんて良くあるこった」


「でも貴方は――!」


「結果論さ。あん時は偶々、俺がアンタの窮地を救った。もし、アンタの心配通りに入口から別の石像共が入り込んで来ていたら、その時は俺達の窮地をアンタが救っていただろうよ」


「――」


 クラウスは、酷く複雑な表情をしていた。


 許された事に対する安堵と、自身の目論見を理解して貰った事に対する驚きと喜び。そして、そんな感情を抱いてしまった事に対する恥と、結局自分の所為でチームに迷惑を掛けてしまったのは変わらないという、自身に対する憎悪。そんな感じだろうか。

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