■■門 ~■■深度A+/■定~

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


 辺り一面、乳白色の霧の世界だった。


 あまりにも濃い霧の所為で、周囲は一寸先も見通せない。そういう意味では、この霧は闇と変わらない。視界は効かず、それを晴らす明かりも無く、けれど自分の両足は、勝手に前へ前へと進んでいる。躓く事も、何かにぶつかる事も無い。自分の身体の筈なのに、自分の意思を無視して勝手に身体は動いていた。思考はボンヤリとして緩慢だったが、それでもその中に妙な冷静な部分があって、これは夢だと断じていた。


「……?」


 自分は、どうしてこんな所を歩いているのか。


 制御が利かない身体の主導権を取り戻すのは一旦諦めて、ホムラはそんな事を考える。


「俺は、確か……?」


 確かホムラは、アネモネの助けを借りながら、人面獅子の”解体”を行っていた筈だ。生き物のように動くとは言え、相手は血も涙も無い石像だ。しかもその辺をうろついていた雑魚とは格が違う強敵で、だからこそ念入りに砕いて無力化しようとしたのだ。


 そう、そうだ。


 確か、四肢の二本を戦いの中で斬り落とし、人面獅子の移動能力を大きく削いでやった。これはハッキリ覚えている。それから、暴れる人面獅子の攻撃を掻い潜り、残った二本の足も斬り落とした。これも上手く行ったのは覚えている。移動能力を完全に奪えば、遠く離れたアネモネやリオル、クラウスに危害が及ぶ可能性はあるまい。のも覚えている。


「……ん?」


 それから。それから……?


 そう、次は獅子の胴体と首を斬り離したのだ。そうした事に、特に深い意味は無かった気がする。ただ、より細かく破砕する前に、塊を二つに分けておいた方がやりやすいかなと考えたとか、精々その程度の理由だった。今から思えば実に浅はかな思考で、直後にホムラはその代償を支払う羽目になったのだ。


「……んん?」


 浅はか? 代償?


 それは一体、どういう事だったか。


「あ」


 そうだ。


 奴はたてがみや牙、爪などを赤熱化させる能力を持っていた。だがそれは、奴の能力の片鱗でしかなかったのだ。奴はホムラがその首を両断する直前に、鬣を赤熱化どころか炎そのものに変えた。勢い良く燃え盛る炎の勢いは、直後に切り離された人面獅子の頭を吹っ飛ばす程の推進力と化した。奴はそれを以て、最後の特攻とばかりにアネモネ達の方へ突っ込んで行ったのだ。


 ヤバい、とか、どうしよう、とか考える前に、ホムラは走った。


 幸い人面獅子の頭は重く、炎の噴射の何割かは浮力を稼ぐのに持って行かれていた様子だった。全力で走れば奴を追い越すのは可能で、ホムラはギリギリで奴を追い越し、先にアネモネ達の所に到達した。流石と言うべきかアネモネとリオルはさっさと退避して特攻の軌道上から逃れていたが、クラウスが逃げ遅れていたからホムラは彼を突き飛ばした。


 そして人面獅子の口の中に呑まれたのである。


「そうだったそうだった。そうか、じゃあ俺はしくじったんだな……」


 一応、大太刀をつっかえ棒にしたり、身体を小さく丸めたりして、噛み砕かれて即死するという事態を防ごうとはしたのだが。どうやら無駄な努力だったらしい。恐らく、此処は死後の世界というヤツだろう。霧しか見えないこの世界も、意志を無視して歩き続ける身体も、そうだと思えば合点がいく。ホムラは選択を間違え、死んだのだ。何とも締まらない結末だが、まぁ、仲間を庇って死ねたのなら、男の死に方としては上等な部類なのではないか。


「……ま、仕方無ぇか」


 正直、未練が無いと言えば嘘になるが、それに拘った所で仕方無い。今も足は動き続けている。その内三途の川が見えてくるのだろう。記憶が無いから定かではないが、どうせ自分は地獄行きだ。閻魔様の説教で震え上がらぬよう、今からでも心構えをしておいた方が良いのかも知れない。


 相変わらず霧は深く、先は見えない。


 けれど、自分なりに仮説を立てて納得したお陰か、さっきよりも気分は軽くなった。取り敢えず行ける所まで進んでみよう。そんな風に思ったのが切っ掛けだったのか、何時の間にか身体の制御もホムラ自身の意思の下に戻って来ていた。歩いていればその内何かが見えてくるさと、ホムラは黙々と歩き続ける。


「――む?」


 こん、と爪先に何かが当たったのは、一体どれ程歩いた後だっただろう。


 無性に気になって足を止め、ホムラは視線を落として自らが蹴ったモノを見る。霧の所為でよく見えなかったから、わざわざ屈んで拾い上げる羽目になった。


「これは……」


 それは、白い狐の仮面だった。朱く縁取られた目元や、喰い縛るように牙を剥き出しにした口元が下がっていて、まるで嘆き悲しんでいるように見える。何故だか落ち着くと言うか肌に馴染む雰囲気で、手放し難い。何度か裏返し、汚れらしい汚れが無いのを確認してから、ホムラはその仮面を、自分でも驚くくらいの自然さで懐にしまった。我ながら軽率な行動だったが、どうにも抗えなかった。


(……まぁ、いいか。閻魔様に咎められたら正直に言おう……)


 こぉぉ、と奇妙な風のような音が聞こえて来たのはその時だ。今まで音らしい音なんて聞こえなかった事もあって、ホムラは反射的に顔を上げる。


 そして、


「!?」


 度肝を抜かれた。


 乳白色の霧に覆われて、一寸先も見通せなかった筈の周囲の光景。何時の間にか霧が少しだけ引いて、白い闇の中に影がじんわりと滲み出る形で、見通す事が出来るようになっていたのである。


 焼け焦げ、半ば倒壊した幾つもの建物の跡。彼方此方の地面に突き刺さる、幾千もの朽ち果てた刀塚。それらの合間を縫って、多少薄くなった霧を突き破るように生えているのは、まさか野晒しになった骸の手足だろうか。ついさっきまで何にもぶつからずに歩いていたのが信じられない程に、荒れ果てた何処かの戦場跡。荒涼としていて寒々しい光景を見て、動揺してしまったのだろうか。何時の間にか呼吸が微かに乱れていて、息苦しかった。


「……」


 こぉぉ、と再び妙な風の音が聞こえた。


 誘われるように視線を遠くの方にやると、行く手の遙か先に、巨大な”門”の影がボンヤリと浮かび上がっているのが見えた。こぉぉ、こぉぉと誘うような空気の音も、そちらの方角から聞こえてくる。


 誘われるように、歩き始める。あの”門”の所に、何かある。失われた自分の記憶に関わる何かが。根拠は無いが確信に満ちた予感に突き動かされて、ホムラは臆しながらも前へと進む。


 そう。ホムラは脅えていた。


 荒涼とした周囲の景色に対してではなく、ましてや今更自身の死に怖じ気付いた訳でもない。


 ただ、この空気の音が怖かった。ズシリと圧し掛ってくる、この場の空気そのものに脅えていた。肌はジリジリと灼け付く程に熱いのに、身体の芯は痛くなる程に冷たい。


 知っている。


 これは、


「……!」


 やがて、は現れた。


 霧の中にポツンと佇んでいる、大柄な男。その背中にはホムラのものと同じような大太刀を背負い、その身にはホムラが着ているような着物を纏っている。大太刀の見え方から察するに、どうやら此方に背中を向けて立っているようだ。顔は見えず、従って詳細も分からない。


「……誰だ?」


 先程から聞こえていた、こぉぉ、こぉぉという風の音は、どうやらそいつの呼吸音だったらしい。どうやら意図的にそんな呼吸をしていたらしく、ホムラが声を掛けた途端にその音はピタリと止まった。


「まさか、アンタが閻魔様か? 参ったな、まさかこんなにおっかねぇお方だとは思わなかった」


 冗談めかした言葉を紡いだのは、そうでもしなければ己を保てそうになかったからだ。空気が重い。それどころか、ビリビリと小刻みに震えているような気すらする。肌を灼く熱も、身体の芯を凍てつかせる冷気も、さっきまでとは比べものにならない。まともに呼吸する事が出来ず、まだ相手が振り返ってすらいないのに、息も絶え絶えになってしまう。


 ……なんだ、コイツは?


 今にもなりふり構わず逃げ出したいのに、それを許さない重圧に必死に耐えながら、ホムラはそんな事を考える。


 相手がゆっくりと振り返ったのは、まさにその瞬間の事だった。


「――ッッ!!?」


 呼吸が、止まった。


 振り返った相手の顔は、。顔の代わりに、が、そいつの顔の辺りで蠢いているばかりだったのだ。


 けれどそれにも関わらず、その瞬間にホムラは確信した。


 、と。


「ぅ……!!」


 咄嗟に大太刀の柄に手を掛けながら、その場から大きく跳び退る。


 ホムラの身体の前面が袈裟懸けにパックリ割れて血が噴き出すのと、ホムラが今の今まで立っていた場所が地の底深くまで叩き斬られたのは、直後の事だった。


「は――?」


 何が起こったのか分からない。けれどホムラが混乱しているその間にも、自らの大太刀で地面を叩き斬った相手は、距離を詰め直してくる。


 速い、なんてモノじゃない。


 


 気が付けば相手はホムラの目の前で、大上段に構えた大太刀を振り下ろしている所だった。


「――!!」


 
































































          オ










                                  マ































                       ノ



   セ





















                       イ










                ダ









◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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