仮面②

「ま、好きにすりゃいいさ」


 大体こんなものだろう。


 どうせこの問題は、彼が自身を赦せるかどうかに掛かっているのだ。他者の言葉に散々叩かれて歪んでしまった彼の考え方を、たかだかホムラ一人の力で覆せる筈が無い。


「俺は別に、失望だとかそういうモノをアンタに対して抱いちゃいない。前線で無理に敵と殴り合わなくたって、やる事成す事一々裏目に出たって、アンタがアンタなりに出来る事をやって、このチームに誠実に向き合ってるなら、それでいいと思っている」


 、と冗談交じりに付け加えた言葉は、残念ながらクラウスにはあまりウケなかった。


 だが少なくとも、は伝わったらしい。クラウスは毒気を抜かれたポカンとした顔で、ホムラの顔を見返していた。


「アンタが自分で自分を赦せなくて、勝手にどっかに離れて行くんなら、それはどうしようもない。だが、傍に居る分には、俺は変わらずアンタも守る。仲間だからな」


 脇に置いていた大太刀を掴み、立ち上がる。話は終わり、という事を示す為だけに行った行動で、立ち上がったは良いがその先どうするかは考えていなかったのだが、幸い視界の端でリオルが此方に目配せしてくるのが見えたので、其方に向かうことにした。


 何処ぞへ案内するように歩き出したか彼女の後ろについて、歩き始める。アネモネがついてくる様子を見せなかったので横目で様子を確かめると、彼女はクラウスの傍に寄って、何事かを話し掛けていた。


「肯定。お疲れ様でした、ホムラ」


「大した事はしてないさ。本当にキツいのは本人だろ」


「肯定。他者の言葉だけで積年の悩みが晴れるなら、”魔物化”なんて現象は存在しないでしょう。しかし、ホムラの言葉は何らかの光にはなったかと」


「だと良いんだが……」


 それはあまりにもさらっと流された言葉だったから、ホムラも思わず、聞き流し掛けた。


 だが、はやっぱり余りにも異質だ。


 一度は流し掛けたにも関わらず、後になってから猛烈に気になって来て、ホムラは改めて聞き直す。


「魔物化――?」


 魔物。魔物化。物騒な言葉である。


 抽象的な比喩表現である可能性を考えないでもなかったが、何しろ死者が蘇生される世界だ。人が物理的な意味で魔物に変わるという現象も、有り得なくはないのかも知れない。そこの所をハッキリさせておきたかったのだが、残念ながらリオルの返事は聞けず終いだった。


「二人共、待ってよ」


 アネモネが追い付いてきたのである。光翼を広げてホムラの脇を滑るように横切ると、先を行くリオルの隣に優雅に降り立つ。


「まさか、クラウスさんを置いていったりしないよね?」


「まさか。ちゃんと着いてくるだろ」


 本来は通せんぼするつもりだったらしいアネモネを軽く押し退けつつ、ホムラは答える。


 そうでもなければ、他人からの心ない言葉や態度に散々叩きのめされて尚、自らの夢を追い掛け続けるなんて事は出来やしない。意地を通すにも根性が要るもので、クラウスにはそれがある。こんな所で死ぬ事を、彼は善しとしないだろう。


「でも、二人してどんどん先に行っちゃうんだもの。置いていこうとしているみたい」


 今度は走って追い付いて来て、アネモネはホムラの隣に並びながら顔を見上げて来る。腕を掴んで来たのは引っ張って歩みを止めようとしたからだろうが、遠慮がちだった所為で単にホムラの腕を取っただけという形になっていた。


「下手に考える時間をやると悩むからな。ちょっとくらい追い立ててやる方が丁度いいのさ」


 言いながら、ホムラは軽く顎をしゃくってアネモネに背後を見るよう促した。彼女は素直にそれに従い、丁度、クラウスが歯を喰い縛りながら立ち上がり、此方を追い掛けるように足を踏み出すのを目の当たりにしたようだった。


「よかった……」


 思うに、アネモネはクラウスに共感する部分があるのではないだろうか。クラウスは、本人曰く実力不足で悔しい思いをしていたらしいが、アネモネもまた自身の年齢で似たような経験をしてきたらしいから。


 とは言え、だからと言ってアネモネが同情を露わにすれば、それはそれでクラウスにはキツいだろう。アネモネは年齢が足りないだけで、実力は十分過ぎる程にあるからだ。彼女とは対照的に、歳を食っている上に実力不足で悩んでいるクラウスの目には、アネモネの同情は却って厭味に映るかも知れなかった。


(うぅむ……)


 難しい。やっぱりホムラは、こういう小難しい事を考えているより前線で大太刀を振り回している方が性に合うらしかった。


(ま、なるようになるか)


「ホムラ、注目をお願いします」


 リオルの声に、我に返る。


 リオルは何時の間にか立ち止まっていて、前方を指差していた。


「ホムラが気絶している間、リオルが軽く周辺を見回りました。あの人面獅子は、これを守っていたものと思われます」


 それは闇の中に紛れるように、ひっそりと建っていた。


 一言で言えば、それは塔だ。大きな円柱のようにも見える塔が、遙か上空を呑み込む闇の向こうまで伸びている。ホムラ達から見て正面には入口らしき穴が空いていて、そのまま視線を上げていくと、同じく空いた穴から階段が飛びだして塔の外周で螺旋を描き、また気紛れに塔の内部に引っ込んだりしている。少なくとも、上に向かう手段ではあるらしい。


「デカいな」


「肯定」


 アネモネ達は、上から落ちてきたと言う。リオルの仮説が正しく、またさっきの人面獅子がリオルの言う通りこの塔を守っていたのなら、この塔は”上”に続く道である可能性が高い。


 これまでは、ずっと似たような景色が続く迷宮の中を彷徨ってばかりで、先に進めている実感はあまり無かった。


 だが、門番らしき強敵と新たな道の出現でその実感も漸く出て来た。遙か遠くまで続いているらしい塔を、階段で登っていくと言うのは一種の苦行のようにも思えるが、そこは文句を言っても仕方が無い。中に昇降機の類がある事を祈るばかりだ。


「迷宮の次は塔か。つくづく脱走者に楽をさせてくれない牢獄だな」


「否定。牢獄とはそういうものでは?」


 確かにそうだ。


 軽く苦笑いしながら歩き出し、ホムラは先陣を切って塔の入口の中に踏み込んでいく。塔の中も、これまでの迷宮とそんなに変わり無い。青い鬼火に、黒い石のような素材で出来た壁や床、天井。もう何年、何十年、もしかしたら何百年も人は立ち入って無さそうだ。空気は埃っぽく、朽ち果てていく建物特有の匂いが充満している。


 敵の姿も、気配も無い。罠の心配も無さそうだ。ついでに昇降機の類も見当たらなかった。代わりに奥には階段があって、それが長い、長い拷問みちのりの始まりのようだった。 


「大丈夫だ。入って来ていい」


 入口で待っていたアネモネ達に向けて、声を掛ける。直ぐに入って来た彼女達から一拍遅れて、クラウスもまた塔の中に入ってきた。どうやら、ちゃんと追い付いてきたらしい。しばらくは距離を空けて付いてくる可能性も考えていたので、これは嬉しい誤算だった。一カ所に固まっていてくれた方が、守る立場からすれば大分楽だ。


「……」


 声を掛けるべきだろうか。一瞬そんな事を考えたが、クラウスはホムラと目を合わせず、脇を通り過ぎて行ってしまった。


 ……まぁ、今はまだ流石に気まずいか。


「大丈夫かな?」


 ホムラの直ぐ傍に居たアネモネが、やはりまだ心配している様子でそんな事を言うのが聞こえた。リオルはと言えば、クラウスが孤立するのを防ぐ為か、先を行くクラウスについていくようにゆっくりと歩き出していた。


「なるようになるさ」


 彼等二人に置いていかれる訳にはいかない。ホムラもまたアネモネを連れて、その場から歩き始める。


「結局の所は本人次第だからな。俺は俺のやる事をするだけさ」


「……」


 アネモネは、返事を返してこなかった。


 別に期待をしていた訳ではないが、なんとなくその沈黙が気になって、ホムラは歩きながらアネモネの方に視線を落とす。


 彼女は、ホムラを上目遣いにジッと見上げていた。何処かに行くのを引き留めようとするかのようにホムラの着物の裾を摘まみ、自らの言葉を我儘だと恥じるように気まずそうな顔をしながらも、ボソリと呟くように言い添えてくる。


「無理は、しないでね?」


「――……」


 ホムラはどうやら、単純な男らしい。あと七、八年経っていたら、グラッときていたかも知れない。


「はは」


「!? な、なんで笑ったの……!?」


 言ってしまってから恥ずかしくなってきたのだろう。誤魔化す為のホムラの笑いに過剰に反応し、アネモネは両の拳を振り回しながら抗議してくる。子供の拳の、しかも只の照れ隠しの攻撃などホムラからすれば痛くも痒くも無いし、ホムラも誤魔化し方が悪かった自覚はあったので、好きにさせておく事にした。こんな新たな面を見せてくれた事も、親しさが増している証だと思えば可愛いものだ。


 ……とは言え。


「あ、そうだ」


「?」


 そんなアネモネの抗議てれかくしは、直ぐに止んでしまったのだが。


「さっきも思ったんだけど、ホムラ、何か懐に持ってる?」


「……? 懐……?」


 さっきというのは、アネモネが頭突きしてきた時だろうか。


 何か入れていただろうかと無造作に懐へ手を突っ込む。何かつるつるしたものが指の触れ、特に何も考える事も無く引っ張り出す。


 何だろう。一応、自分の持ち物は一度全部調べた筈なのだが、何か見落としでもあっただろうか――




「――!!?」

 

 


 朱く縁取られた、目尻が垂れ下がっている双眸。喰い縛るように牙を剥き出し、何かを嘆いている口元。


 それは、夢の中で見た白い狐の仮面だ。


 こぉぉ、と。


 夢の中で聞いたあの音が、何処からともなく聞こえた気がした。


「……ッッ」


 心臓を恐怖で鷲掴みにされ、身体の芯が冷たくなる。


 あの夢の中で感じた、空間そのものを埋め尽くし、押し潰すような殺気が、ホムラの身体にズシリと圧し掛って来る。間違い無く、アイツだ。夢の中では飽き足らず、今度こそホムラを殺す為に、あの霧の世界から追い掛けて来たらしい。


 咄嗟にホムラは大太刀の柄に手を掛けながら、もう片方の腕で直ぐ傍に居たアネモネを抱き寄せる。 


「ホムラ!?」


 アネモネがびっくりしたような声を上げる。彼女はこの殺気を感じ取れないのだろうか。あのかおが無い化物と戦うには彼女の魔術による援護が不可欠だが、今は説明する時間すら惜しい。


 いざという時には、自身の骨肉を盾にしてアネモネだけは逃がす。


 最悪の場合の覚悟を瞬時に固め、ホムラは、あの無貌の男の呼吸音と殺気の出所が何処なのか特定するべく辺りを見回し――


「……え……?」


 けれど、見付からなかった。


 前は勿論、後ろにも左右にも、あの無貌の者の姿は何処にも無い。黒くボロボロな着物の裾が目の端に映る事も無ければ、黒い墨で塗り潰されたあの貌がいきなり顕れる事も無い。階段の所でビックリしたように此方を見詰めているクラウスと、相変わらずの無表情でホムラに近付いてくるリオル。それからホムラの腕の中で硬直してしまっているアネモネが居るばかりである。


「どうかしましたか? 此処には警戒する敵が居るようには思えませんが?」


「……いや……」


 気の所為、だったのだろうか。心臓は未だに身を捩るように暴れているし、冷や汗が身体中から噴き出して、滝のように流れている。だが、それはホムラだけなようなのだ。悪夢の中で見た品物を現実でも見た所為で、夢と現実がごっちゃになってしまったのだろうか。


 軽く瞑目し、息を吸って、吐いて。


 改めて目を開くと、何時の間にか殺気は消えていた。安堵する反面、自分の精神状態は大丈夫なのかと、ちょっと不安になってしまった。


「……悪い、気の所為だった。まだ寝惚けてたみたいだ」


「肯定。解決したのなら姉さまを解放して下さい。ヒトは恥ずかしさでも死ぬ事が可能らしいので」


「!」


 慌てて、アネモネを解放する。彼女はよろけるような足取りで、けれどそそくさとホムラから離れていった。腕を広げて受け入れの体勢を取ったリオルの胸に吸い込まれるように入って行き、リオルはそんな彼女を抱き締めて、親が子供をあやすように頭を撫でる。どうやらアネモネは相当苦しかったらしい。悪い事をした。


「……すまない」


「否定。気にする事はありません。気の所為だったとしても、危険を感じて姉さまを庇う為にああしたのでしょう? 良い騎士っぷりだと思います」


 リオルは無表情だ。だが、自身が抱き締めるアネモネの頭を見下ろすその目には、少しだけ、慈愛の色が滲んでいるように見えた。


「それに、これは照れているだけです。姉さまも別に怒ってないので、どうか気にせず――」


 べし、とアネモネの手がリオルの二の腕を叩く。リオルはピタリと口を噤み、アネモネは相変わらず顔を上げない。このままだと階段の辺りで一人ポツンとしているクラウスが可哀想だし、取り敢えず話を進める為にも、ホムラは一旦彼女等から離れる事にした。


 背後を確認し、危険が無い事を確信してから、ホムラはその場から歩き出す。ふと思い出したようにリオルが声を掛けてきたのは、ホムラが彼女達の脇を通り過ぎようとしたその瞬間の事だった。


「ホムラ、呼吸器官に何らかの異常があるのですか?」


「うん?」


 質問の意図が分からずに立ち止まり、彼女の方を見る。リオルは変わらずアネモネを抱いたまま、顔だけをホムラに向けていた。


「その呼吸法です」


 ホムラがこれまで意識してなかった自身の呼吸に、意識を向けるのと。


 リオルがを口するのは、ほぼ同時の事だった。




「――こぉぉ、こぉぉ、と音を立てるその呼吸法ですよ。何か意味があるのですか?」





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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