迷宮遺跡の番人①

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「ホムラ、ホムラ」


 注意を引く時、アネモネはホムラの着物の裾を引く場合が多い。リオルほどではないにしろ、子供にしてはしっかりしているというのがホムラの彼女に対する印象だが、やはりリオルに比べると彼女は年相応に子供っぽい。素直と言っても良いだろう。


「あの、大丈夫かな?」


「クラウスの事か?」


「うん」


 旅路はおおよそ順調と言って良かった。リオルの仮説は正しかったらしく、少なくとも今のホムラ達は、同じ所をグルグル回ったり、袋小路に囚われたりはしていない。石像達の集団や迷宮内に仕掛けられた罠と定期的に遭遇する事になったが、そちらも今の所は無事に切り抜けられている。


 ただ一つ問題があるとすれば、クラウスの様子が、少し引っ掛かるという事だった。


「何か思い詰めているようには見えるな」


「やっぱり、そうだよね」


 先頭をクラウスが歩き、逆に殿しんがりはホムラが務める。この陣形はクラウスが言い出したもので、リオルが賛同し、ホムラもアネモネも特に反対しなかったから採用された。今も実際、その陣形でホムラ達は迷宮内を進んでいる。リオルとアネモネは進む方向を考える為にクラウスの直ぐ後ろについていたが、今はアネモネだけがホムラの所まで下がってきた形になっている。後ろでヒソヒソと内緒話をするホムラとアネモネの様子にクラウスが気付いている様子は無い。ホムラ達が気を付けているのもあるが、何より彼が前方の注意に全神経を傾けているというのが大きいだろう。


「生真面目で、やる気も、度胸もあるんだが……――」


 陣形の提案を持ち掛けてきた時、クラウスは、自分の実力では後ろから奇襲を受けた時に対応出来るか分からないからだと言った。それを言った時の彼の表情は、ホムラの中に強烈な印象を残した。きっと、アネモネも似たようなものを感じているのだろう。


「自己評価が低過ぎるんだな。あそこまで行くと、悲壮感すら感じるな」


 理由は、良く分からない。今のホムラに察せられるのは、クラウスはクラウス自身を認めていないと言う事だ。憎悪している、とすら言い換えても良いだろう。自身の自己嫌悪の炎で身体の内側を炙られているような、そんな苦悶の表情にも見えた。


「あの人、上で私達が大きな像と戦った時――」


 クラウスに話し声を聞かれない為の配慮だろう、アネモネは光翼を出現させて空中を浮遊し、歩く耳元で囁くように喋ってくる。その行動自体は微笑ましいが、少しくすぐったい。


「転んだリオルを助ける為に、自分から敵の目の前に戻っていったの。だから私は、すごく感謝してるし、尊敬してるんだけど……」


「本人に言っても、それが伝わらない、か」


 ホムラと出会う前、アネモネ達やクラウスがどのような経緯でこの迷宮に落ちてきたのか、ホムラは既に彼女等から聞いていた。アネモネがクラウスを信頼している理由も分かったし、ホムラ的には、いざという時に動ける人間はそれだけで好感が持てる。もう少し親交を深めたい所だが、他ならぬクラウスがそんな事を許さない雰囲気だ。


 血走る目で前方を睨み付け、自身の存在価値を自身に証明し続ける姿は、見ている此方の息も詰まる。もっと肩の力を抜いていいのではないかと思うのだが、残念ながらホムラとクラウスは知り合って間も無く、またホムラは徳を積んだ僧でもない。


 ホムラの言葉では、彼の心の表面を虚しく滑るだけだろう。


「……難しいもんだな」


「何か良い方法、無いかな?」


「アイツ自身がアイツを認めてないからな。何を言っても、素直に受け取って貰えない気がする」


「うーん……せめて、理由が分かればなぁ」


 難しい顔をして腕組みするアネモネ。空中を泳ぐように浮遊したまま、そんな顔をされるのは、ちょっと面白い。本人が至って真剣な様子だったので、顔には出さないようにしたが。


 そもそも、これは他人がおいそれと首を突っ込んで良い問題でも無いような気がするが、そう言った所でアネモネはクラウスを心配するのを止めないだろう。アネモネとも出会ったばかりなのは変わらないが、彼女の性格は分かり易いので、その程度の推測は容易である。”良い子”と言うのも、中々気苦労が多いものだ。


 「ま、どちらにせよ直ぐに解決できそうな問題でもないだろう。今は様子見だけに留めておいた方がいいと思うぜ?」


「そっかぁ……うん、分かった」


 彼女が素直で助かった。結局その話はそこで終わって、話題は他愛の無い世間話に移っていった。通路を護る石像達と何度か戦い、罠が仕掛けられた通路や罠を幾つか越えて、さて、一体どれ程歩いただろうか。


 は、不意に訪れた。


「――おい、皆。止まってくれ」


 長い、長い一直線に伸びた通路を抜けて、これまでにない広大な広間に足を踏み入れた瞬間の事だった。


 肌にヒリつくような違和感を感じて、咄嗟にホムラは、皆に声を掛けていた。


「俺が先に行く。アネモネ、いざという時は援護を頼む」


「ん。任せて」


 アネモネの頼もしい返事に背中を押されつつ、ホムラは一行の最前列に移動して、背中の大太刀を抜いた。広間の中は静かで、他と変わらず闇が吹き溜まっているものの、あちこちに置かれている青い炎のお陰で大体の広さは測る事が出来る。これまでに無い、まるで壁も天井も無い空間に出たかと錯覚してしまうような、とにかく広い空間だった。荒ぶる石像の気配も、牙を研ぐ罠の微かな駆動音も無く、聞こえるのは

アネモネ達の息遣いと、足音だけだ。


「……」 


 空気の淀みを感じる訳ではなく、またその流れが不自然な訳でも無い。


 ただ、何か奇妙なのようなものがある。その圧迫感を放つ何者かが、闇の中に紛れて此方をの様子を窺っているのが分かる。肌をジリジリと灼き焦がすようなこの感覚を、ホムラは確かに知っていた。記憶が無くとも、身体に感覚きおくが刻まれていた。


「!」


 嗚呼、そうだ。


 これは、強敵の気配だ。


 ハッとしたホムラがその場から跳び退るのと、上空から巨大な何かが落ちてくるのはほぼ同時。石床を破砕する轟音と共に、今の今までホムラが立っていた場所に着地したそいつは、警戒したように一旦その場から飛び退き、距離を取ってくる。


 ホムラが二人になっても抱え切れなさそうな四肢に、絡み合ったような太い針金を思わせる立派なたてがみ。まるで本物の筋肉のように、うねり、躍動し、隆々と盛り上げる石の体躯は獣のそれで、けれどその顔は、皺を刻んだ歴戦の戦士のそれだ。


 それは巨大な、人面の獅子の石像だった。人間の顔であるとは言えその顔には理性も知性も無く、口の中には剣のような鋭い牙がズラリと並んでいる。仮にあれが限界まで口を開けば、ホムラなど丸呑みに出来てしまうだろう。


「――戦闘準備! 姉さまはホムラの援護を! クラウスさんはリオル達の護衛、並びに背後の警戒を! ホムラ、抑え役は任せてしまっても宜しいですね!?」


「……ああ」


 背後から飛んで来たリオルの声に、ホムラは一々振り返らない。振り返る余裕が無い。


 今にも飛び掛からんばかりに姿勢を低く保っていた人面獅子が、開戦を宣言するように咆哮を上げた。本来であれば即座にその隙につけ込んでいただろうが、雷鳴のような咆哮は鼓膜どころか全身を叩くような大音量に、咄嗟に動く事が出来なかったのだ。


 間違い無く、強敵だ。きっと辛い戦いになるだろう。


「任せときな」


 前に出る。大きさスケールが違い過ぎる相手は、その気になればホムラを軽々と飛び越えて、アネモネ達を狙う事も出来るだろう。それをさせない為には、ホムラがヤツにとって無視出来ない脅威になる必要がある。その為にはただ止まって戦う縛りを解放して、全力で戦う必要があった。


 地面を後方に置いていく要領で疾駆し、一息に人面獅子の鼻先にまで距離を詰める。繰り出したのは、一切遊びの無い大上段からの振り下ろしだった。


「――阿ッッッ!!!」


 轟音。


 有り得ない程に頑丈な大大刀の刀身が、石床を派手に叩き割る。これまでの石像達ザコなら間違い無く唐竹割りになっていたその一撃は、けれど人面獅子を鼻先を掠っただけに終わる。本物の猫科の動物宜しく、パッと弾けるように頭を上げて回避した相手は、お返しとばかりにその前足を連続で叩き付けてくる。


 要するに猫パンチだ。相手が子猫なら癒されようが、この猫は顔がおっさんだし石で出来ているし、何より巨大だ。喰らえば、濡れ煎餅と化してしまうのは間違いないだろう。


 だからホムラは、


 大大刀が空振った事を悟った瞬間、ホムラは重心に身を任せるようにして更に前進し、その腹の下に潜り込んでいた。石の前足が地面を乱打する音を背後に聞きながら、ホムラは敵の腹に向かって、刃を返した大太刀を再び振るう。


 が、浅い。


 両断してやるつもりで繰り出したにも関わらず、その斬撃は面獅子の腹に引っ掻き傷程度の傷しか残す事が出来なかった。人面獅子が驚異的な反応速度で真上に跳び上がり、ホムラの間合いの外へ逃れた所為だ。


「……!」


 跳び上がったものは、その後当然落ちてくる。ハッとしてホムラがその場から思い切り跳び退いたその直後、人面獅子の巨体がその場全体を押し潰し、その場一帯を轟音と共に揺るがした。


 咄嗟に押し潰しの範囲外に逃れる為には最短の手法だったは言え、思い切り跳び退ったのは悪手だった。ただ後ろに跳び退るのは、次の瞬間には追撃を喰らうからだ。人面獅子も当然そのセオリーに従って、腹這いの状態から無理矢理四肢を床に突きながらホムラに向かって突進してくる。馬鹿デカいおっさんの顔が、剣歯がズラリと並んだ大口を開けて突っ込んで来る様を真正面から見てしまい肝を潰しつつも、ホムラは即座に真上に向かって跳躍した。


 躱す為ではない。背後にはアネモネ達が居る。下手に避けたりして道を譲れば、彼女達を巻き込む恐れがある。ホムラが真上に跳んだのは、そうしなければである。


「――くたばれ……!」


 空中で、ホムラは自らの重心と大太刀の重さを利用しつつ一回転。此方を呑み込もうと突っ込んで来た人面獅子の鼻面に向けて、ホムラは余分に加速を付けた大太刀をカウンターで叩き込んでやった。文字通り出鼻を挫かれた人面獅子は、轟音と共に顎から床に叩き付けられる。


 ホムラはそんな相手の頭の上に着地しつつ、駄目押しとばかりに大太刀の鋒をそのたてがみの中に突き立てやった。微塵の疑いもなく、と潜り込んでいくものと思っていたそれは、けれど直後、ギチリと異様な圧に阻まれる。


(硬ぇ……!?)


 雑魚とは違い、人面獅子こいつはその質量と密度で大太刀の刃を押し返してくる。痛みも疲れも知らない石像達こいつらを止めるには、破壊して動きを止めるしかないのに、それが出来ていない。


 一撃でダメなら二撃目を重ねる他無い。それでダメなら更にもう一撃だ。それでもダメなら、刀剣を越える超常の力に頼ってしまうのもいいだろう。


 硬い音と共に止められた大太刀を即座に引っこ抜き、二度、三度と大太刀をその頭頂部に叩き付けて敵が立ち上がるのを邪魔してから、ホムラはおもむろに足場を蹴ってその場から離脱した。


 空気がバチバチと音を立て、細かい紫電が肌の産毛を刺激する。


 言うまでも無い。アネモネの魔術が、来る。


「――Арё!!」 


 ドンピシャだった。

 

 ホムラが人面獅子の頭を蹴ってその場から離脱して直ぐ、当たりは真昼の如き明るさにに覆われる。人面獅子の頭上に出現した、巨大な魔方陣。そこから巨大な雷光が落ちてきて、人面獅子を呑み込んだのだ。


 文字通り空気を破る破音と衝撃に吹き飛ばされつつも、ホムラは空中で体勢を制御し、両足で着地する。そこは丁度、アネモネ達の五歩程前の場所だった。衝撃を殺す為にやんわりと畳んでいた両膝を伸ばし、普通に立ちながら、ホムラは背後に向けて声を掛ける。


「派手にいったな。耳が聞こえなくなるかと思った」


「あ、ごめん。大きいから、あれくらいは必要かと思って――」


「違いない」


 一瞬だが強い光が目を灼いた所為か、辺りは一気に暗さを増しているように思えた。更に、アネモネの雷が生み出した熱量と破壊力は相当なものだったのだろう。人面獅子が居た辺りはもうもうと煙が立ちこめていて、人面獅子がどうなったのかは確認する事が出来ない。


「……やったかな?」


「さぁな。でもま、こういう時、やったと思って行動する奴はあんまり長生き出来ないと思――」


 低く、深い唸り声が聞こえて来たのはその時だった。


 もうもうと立ちこめる煙の向こうに、ぼぅっと赤い光が浮かび上がったのはその直後の事である。


「……肯定。ホムラの言う通りです。ホムラ、まだいけますね?」


「ああ」


 煙の向こうから、ぬっと人面獅子が顔を出す。一歩、また一歩と自らの無事を見せ付けるように、悠々と煙の中から歩み出て来る。


 その双眸は、さながら熱された鉄のように赤く輝いていた。更にたてがみが、剣のような爪が、牙が、急速に熱されたように赤く、鮮烈に輝き始める。


 蒸気を噴き上げ、熱気を纏い、人面獅子は戦線に復帰しようとしていた。


「……今までは小手調べだったって訳か」


 ホムラの呟きは、直後、大音量で響き渡った人面獅子の咆哮で掻き消された。


「舐めた事しやがる」


 ホムラが大太刀を脇に構え直して前に出る。それに反応したのか、或いは単にタイミングが重なっただけか、人面獅子もまたその場から勢い良く飛び出して来る。今や相手は、単なる岩の塊ではない。触れれば焼け爛れるに違いない熱量を纏った、死の塊だ。マトモにぶつかり合って、勝てる筈も無かった。 


あっちぃ……!!)

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