迷宮遺跡の番人②

 此処はまだアネモネ達に近過ぎる。何よりさっきの魔術の所為で、アネモネの脅威度が引き上げられた可能性もある。よって回避系の選択肢は有り得ない。


 だからホムラは、自身へのダメージを完全に無視して正面から突っ込んだ。途中で更に加速して、敵の虚を突き、その眼前ふところへ。相手がその大口を開ける前に、肩に担ぐように構えていた大太刀の刃をその鼻面へ。力任せに怯ませた所で更に其所から一歩踏み込み、大太刀の柄頭をその顎に向かってカチ上げる。


 顎をカチ上げられた衝撃で人面獅子は前脚を浮かせて後ろ脚で立ち上がり、強制的に方向転換させられる。だがその代償として、ホムラの身体の前面も焼け焦げた。目を開けていられなくなり、外気に晒されていた肌は全部痛くて熱い。掌の中に握っている筈の大太刀の感覚すらも曖昧になり、自分が今立っているのか膝を突いているのかも分からなくなる。


 痛み分けどころか、ホムラの損失の方が明らかに大きい。人面獅子は気を取り直して方向転換すればそれで良いが、ホムラは実質戦闘不能である。


 だが、ホムラだって後ろに仲間が居なければこんな行動を取りはしなかった。そして後ろに仲間が居ると言う事は、行動が制限される代わりに、彼等から援護を受けられると言う事でもある。


「――КориЫо」


「――Θαρηυο 」


 声が聞こえた。アネモネとリオルが二人揃って詠唱するその声は、音も旋律も違うのにも関わらず上手く重なり合って、美しい合唱のように聞こえた。


「Κηζαμε ΣακαμκηNι」


 ふわり、と奇妙な感覚が身体の中を吹き抜けて行く。


 熱で潰されたホムラの五感が、嘘のように快癒したのはその瞬間の事だった。目が見える。息も出来る。感覚は最初からそうであったように反応を返し、焼け焦げるような熱さはもう何処にも無い。火傷を負う直前の時間まで巻き戻されたかのように、ホムラは完全に回復していた。


 リオルの”奇跡”だ。戦場においては破格の性能だとは思っていたが、まさか現在進行形で戦っている相手も対象にしてしまえるとは。これなら、この人面獅子が相手でも何とか凌ぎ切れるかもしれない。


 そして、やはり彼女の事も忘れてはならない。リオルがチームの生命線なら、彼女はチームの戦術の要である。


「Атсумарё, МурёНоГотоку. Карё, КёмоноНоГотоку……!」


 そっぽを向かされる形になっていた人面獅子が、獣のしなやかさでホムラの方に向き直ってくる。次々と怒濤の如く振るわれる巨大な炎爪を、時には下がりながら掻い潜り、時には跳んで躱しながら脇に移動し、ホムラは”ギリギリで当たらない”状況を演出する。再び皮膚は焦げ、呼吸は荒れ、ついでに衣服の裾はボロボロになったが、今回はそこまで苦ではなかった。直撃は避けたというのもあったし、何より”その時”は直ぐにやって来たからだ。


(さぁ、来い……ッ!)


 最後の瞬間。

 

 ホムラは敢えてその場から動かず、人面獅子の攻撃を誘った。動きに動いて散々敵を煽った果ての、一瞬の空白。人面獅子はさながら吸い込まれるように、ホムラに炎爪を叩き付けてくる。


 火傷上等でホムラがその前脚に大太刀に叩き付け、のと。


 アネモネが発動させた魔術が、人面獅子に襲い掛かったのは同時の事だった。


「――Арё!!」 


 それは魔力で生成された氷の産声か、それとも無理矢理冷却された空気の断末魔か。


 幾重にも重なった群狼の吼え猛るような音と共に、人面獅子の巨体が、突如出現した氷の剣山に半分以上呑み込まれた。獅子の赤熱と氷の冷気がぶつかりあって白い蒸気が辺り噴き撒かれ、辺りの視界は一気に悪くなる。


「――ホムラ、準備を!」


 だが、ホムラの目はまだ見える。リオルが指示を飛ばす声も聞こえる。


 人面獅子の熱がホムラの肌を灼くその瞬間に、アネモネの魔術の冷気が爆発的に広がったそのお陰で、火傷の具合が軽減されたのだ。


「氷から飛び出た前脚を狙って下さい! !」


「――……ッ!!」


 準備って何の準備だ、とか。アネモネは何をやるつもりだ、とか。


 そんな疑問が湧かなかった訳では無かったが、それらの一切を無視してホムラは動き出した。リオルの声に混じってアネモネの詠唱の声が聞こえ始めていたし、何よりホムラは只の剣士だ。頭よりも身体を動かすのが本分だ。


 白い蒸気の中に自ら突っ込み、氷の剣山に呑まれた人面獅子との距離を詰め直す。リオルが言った通り、氷の剣山から飛び出していた人面獅子の左前脚に向けて、大太刀を大上段に振り上げる。


 アネモネが次の魔術を発動させたのは、その直後の事だった。


 「――Арё!!」 


 破音が轟く。振り上げた大太刀に決して小さくない衝撃がぶつかって来て、ホムラはそれに押されるように大太刀を振り下ろす。


 先程は、質量と密度を以て弾かれて刃が立たなかった。だが、今回は違う。バチバチと猛り狂う稲妻を纏った黒い刃。アネモネが何らかの強化を施したらしいホムラの大太刀は、人面獅子の太い前脚に、その中程まで一気に喰い込んだ。


 後は胆力の問題だ。下腹の辺りに力を込めて、ホムラは気合と共に大太刀を一息に振り切った。


「羅ァッ!!!!」


 斬る、と言うよりは割る感覚に近い。斬るのとはまた別の爽快感と共に、人面獅子の左前脚が地面に落ちた。それによって危機感を煽られたらしく、人面獅子は目に見えて激しく藻掻き始める。元々、纏っている熱量が氷の冷気を浸食していたのだろう。氷の剣山はギシギシと目に見えて軋み始め、直後にはあっさり砕け散った。脱出の勢いをそのまま利用して喰らい付いてきた顎を後退して躱し、ホムラは大太刀を構え直す。


 追撃が来ようものなら即座にカウンターを叩き込んでやるつもりだったが、


「!」


 人面獅子は、そこで即座に身を翻した。三本足でも力強く地面を蹴って向かう先は、アネモネ達が固まって立っている場所である。


 ホムラと正面切って戦うよりもアネモネ達を先に潰した方が良いと、いい加減気付いたようだった。


「――ま、いい加減気付くわな」


 人面獅子を眺めながら、ホムラは呟く。追撃に対する備えは飽くまで予備だ。そろそろこういう展開になるだろうというのは予想出来ていた。三本足になった事は、やはり身体機能に影響を及ぼしたらしい。追い付き、追い越し、回り込むのは造作も無かった。


 人面獅子は、咄嗟に躱そうとしたのだろう。ホムラが回り込んできたのに気付くや否や後ろ脚に力を込めるのが見えたが、それに付き合ってやるつもりは毛頭無い。一歩踏み込んで間合に入り、大太刀に横薙ぎに振るって人面獅子の横っ面を張り飛ばす。右から振るったのは、人面獅子の左前脚が無いからだ。足を突っ張って支える事が出来ず、人面獅子は頭から横倒しに倒れ込んだ。


「――Арё!!」 


 再び、アネモネが魔術を発動させる。氷の剣山が倒れた人面獅子を再び呑み込み、その動きを一時的に奪う。さっきと同じようにいずれその拘束は破られるだろうが、氷から飛び出している後ろ右足を断ち割るには十分だった。未だ雷光を纏っている大太刀を振り上げ、挽回の機会を与えずさっさと断ち割る。回数制限か、それとも時間か、大太刀から雷光が消えたのは直後の事だった。


「これで、二本。マトモに動くのは難しくなって来たんじゃないか?」


 氷の剣山が、砕け散る。


 だが暴れるのはともかく、既に人面獅子は立ち上がるのも難しい様子だった。万が一を考えて一旦距離を取り、ホムラはその場で剣を高く掲げる。程なくして、背後から再びアネモネの強化呪文がホムラの大太刀に掛けられた。一々言わなくても欲しい術を掛けてくれる辺り、やはりあの子はとびきり優秀な人材である。それが良い事だと言い切ってしまって良いのかは、ホムラには分からなかったが。


「残り二本の脚も貰う。頭も胴体も砕いておこう」


 普通の生き物が相手であれば勝負あったも同然だったが、相手は言わば殺戮兵器だ。地面を残った二肢で引っ掻いて、此方に向かって首を精一杯伸ばして牙をガチガチと噛み鳴らしているその様は、見ていて心胆が冷えるような光景だった。自身の生存の為ではなく、此方の殺害の事しか考えていないというのが、また何とも恐ろしい。


「……」


 しかし、そのお陰で同情は湧かなかった。勿論、油断は最初から全くしていない。


 刀身を稲妻が這う大太刀を上段に構え、ホムラは、目の前の人面獅子を粉々に解体すべく、その場から飛び出したのだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る