神々の牢獄③
「う、うぅ……」
呻き声が聞こえた。元に戻った容姿を見ても分かることだが、救護対象はどうやら男だったらしい。年の頃は二十代後半くらいで、痩せ形で小柄な男である。身に纏っている革鎧や剣もよりも、魔術師のローブや杖が似合いそうだが、まぁそこは当人の意思や事情があるのだろう。
「……起きないね」
「無理に起こすのも可哀想だ。目が覚めるまで俺らも此処で待機――」
「起こします」
「「リオル!?」」
バチン、と肌をひっぱたく音がその場の空気を震わせる。音の正体はリオルが男の頬を張ったもので、その所作には一片の慈悲も無い。たった今、奇跡を以てヒト一人を死の縁から呼び戻した者がやる行為とは思えない程の思い切りの良さだった。
「起きて下さい」
バチン。
「起きて」
バチン。
「起きろ」
バチン。
容赦無い。
手首どころか身体を使ってスナップを効かせたそのビンタは、死の淵で溺れ掛けていた男に、その余韻に浸る事を許さなかった。男は瞬く間に目を覚まし、その直後にまたビンタを喰らって悲鳴を上げた。
「……惨いな」
「リオルもう起きてる! その人もう起きてるから!」
思わず呟いたホムラの隣から、アネモネが慌てた様子で飛び出していく。衝撃的な目覚めに混乱している様子の男を落ち着かせる為に、アネモネが中心になって三人掛かりで宥めねばならず、話が出来る雰囲気になるまでには少し時間が必要だった。
「いてて」
「あの、妹がごめんなさい……」
取り敢えず先ずは自己紹介を交わし、男の名前はクラウスであると分かった。アネモネやリオルと同じ冒険者志望で、魔術士や神官の適性は無いので、前衛を考えているらしい。
「あ、いや、責めるつもりは無いんだ。彼女は僕を起こしてくれたんだろう?」
「肯定」
「リオルったら!」
「はは、いいよいいよ」
頬を掻きながら場の空気を誤魔化すように、彼は力無く笑った。
「君達が来てくれなかったら、どうせ僕なんか死んでただろうし」
彼が前衛には見えないと思ったのはホムラだが、それはどうも外見だけに限った話ではないらしかった。
大概の場合、前線に立って武器を振り回すような輩は血の気が多い。そうでもなければ前線で命のやり取りなんてやってられないからだが、彼は子供であるアネモネやリオルに対しても何処かオドオドしていて腰が低い。ホムラの場合、アネモネやリオルは子供である場合に恩人だから侮った態度を取らないが、男の場合はそれともちょっと様子が違う。
何と言うか、単に腰が低いと言うより、卑屈な感じがするのだ。
「君達、上でも僕達を助けようとしてくれただろう?」
とは言え、それをわざわざ口にする理由も無い。それよりも興味を引く話題が出て来て、ホムラの意識はそちらに向いた。
「”巨像の間”で、勇敢に飛び込んで来てくれたのは君達だったよね? あれが無ければ、僕達は全員、あの怪物に挽肉にされていただろう」
「いえ、そんな。私達、結局何も出来なかったし……」
どうやらホムラと出会う前にも、アネモネ達は修羅場を潜ったらしい。話を聞いた限りでは、クラウスとその仲間が何らかの脅威に襲われている所を、アネモネ達は救助に飛び込んだのか。
まぁ、そういう性格でもなければホムラを助けようとしなかったかも知れない。既に分かっていた事だ。余計な厄介事を背負い込み易いのは間違い無いが、ヒトとして美徳であるのも間違い無いだろう。
「あの……!」
少なくともホムラの目には、クラウスは本気でアネモネ達に感謝しているように見えた。素直に喜んで良いだろうに、何故かアネモネは唇を噛み締め、何かを堪えるような表情を見せた。
「一緒に落ちてきた、魔術師のお姉さん、ですけど……!」
立ち話もなんだと言う事で、取り敢えずこの場の全員は床の上に腰を下ろしている。クラウスは通路の壁にもたれ、アネモネとリオル、ホムラはそんな彼に向き合うような格好だ。
そんな状態で、アネモネは突如、クラウスに向かって深々と頭を下げたのだった。
「ごめんなさい……! 助けられませんでした……!!」
ホムラは驚いたし、それはクラウスも同様のようだった。度肝を抜かれたように目を丸くして、それからわたわたと両手を無意味に動かし始める。
「そ、そんな、止めてくれ! 俺なんかに……!」
自分より取り乱している者を見ると逆に落ち着くと聞いた事があるが、どうやら本当らしい。取り敢えず話の行方を見守る事にして、ホムラはその場に座り直した。
……クラウスの様子を見る限り、激昂してアネモネに殴り掛かる、といった事も無さそうであるし。
「……彼女は、苦しんだのかな?」
「否定」
クラウスの質問に答えたのは、アネモネではなくリオルだった。
「即死でした。超高度からの落下、その衝撃により頭部が一瞬で破壊され、絶命しました。何かを感じる間も無く死亡したと思われます」
「……そうか」
「彼女を最後まで捕まえていられなかったのはリオルの責任です。よって、その責めは姉さまではなくリオルが負うべきものと考えます。お詫びのしようもありませんが……」
アネモネは何か言おうとしたらしいが、リオルはそんなアネモネを、口元に人差し指を当てるジェスチャーで黙らせた。
同時に彼女は、懐から小さな袋を取り出して、それをクラウスに向かって掲げて見せた。
「せめてものケジメとして、遺灰は回収しておきました。お納め下さい」
立ち上がり、リオルはクラウスの目の前にまで行って袋を押し付ける。袋を押し付けられたクラウスは最初こそ戸惑った様子だったが、掌の上に乗せた袋を見ている内に理解が追い付いたらしい。遺灰が入っているらしい小さな袋に視線を落としたまま、彼はホッとしたような笑みを浮かべた。
「いや、責めるだなんてとんでもない。彼女も生き返った暁には感謝するだろう」
……。
……。
「……ん?」
今、さらっととんでもない言葉が紡がれたような。
聞き間違いかと思ってアネモネやリオルの方を盗み見るが、彼女達は別段気にしている様子は無い。
と言う事は、ホムラの方がおかしいのか……?
一人で混乱するホムラの表情を見て察したのか、クラウスの所から戻って来たリオルはそのままホムラの隣に座り、ヒソヒソと声を潜めて補足してくれた。
「遺灰と言うのは、そのヒトの”人と為り”が記された魂の情報体です。見た目が灰っぽいので、一般的に遺灰という俗称で呼称されています。神官の業の中には、遺体からこれを抽出するものがあり、これを然るべき場所に持っていき、然るべき処置を施せば、対象の人間を蘇生する事も可能となります」
「そんな事が出来るのか!?」
「肯定。常識です」
蘇生。瀕死の人間を快癒させるだけでなく、死んだ人間を生き返らせる事まで出来るとは。
ホムラの中では、死は絶対的な終わりである。剣が鈍るので個人的にはこの基準を曲げるつもりは無いが、まさかこれが世界全体ではなく、ホムラ個人の基準になる日が来るとは思いもしなかった。
「しかし勿論、全てが蘇生出来る訳でもありません。死んでから時間が経ち過ぎた場合、死んだ本人が未練を残していない場合、教会への布施を用意できない場合、遺灰を抽出する神官がヘボだった場合、等々、蘇生には失敗する要素が数多くあります」
「死なないに越した事は無い、と?」
「肯定。若しくは、”上手く死ぬ”技術を身に付けるかです。しかし、ホムラにはリオルが付いているので、少なくとも遺灰の抽出は必ず完璧に行われるでしょう。死に方に関する心配は不要です」
薄々そうではないかと思い始めていたのだが、どうやら素のリオルは結構口が悪いようだった。最初はただただ淡々としているように見えた無表情の中にも、彼女なりの色はあるらしい。ホムラの心境としては苦笑半分、微笑半分といった所か。
「あの、貴方は……?」
クラウスの注意がホムラに向いたのは、その直後の事だった。
どうやら、ホムラとリオルの会話が聞こえていたらしい。彼等にとっては常識である事を今更初めて知った風なのだから、彼からすれば気になるのも当然か。
隠すような事でもないので、ホムラは正直に自分の身の上を説明する事にした。
「さっきも名乗ったが、俺はホムラと言う。それ以外の記憶が無くてな。上から落ちてきた時に、頭を強く打っちまったらしい」
「……と言う事は、貴方も冒険者試験に参加を?」
「その可能性が一番高いそうだ。俺もそれでいいと思っている」
「ふむ」
何かを考え込むように、クラウスは唸った。腹芸と言うよりは単に訝しんでいる様子だったが、判断を下すには情報が足りなかったらしい。直ぐに次の質問を口にした。
「その剣といい、その服といい、もしや”
「
曰く、
だが、最初に
「じゃあ、俺もその
「恐らくは。しかもこの国に迷い込んできた
彼の話が本当なら、ホムラは二度と故郷には戻れないという事になる。
が、別に悲しいとか残念だとか、そういった気持ちは全く湧いて来なかった。郷愁を覚える前に、記憶が一切無いのである。興味はあるし、探してみたい気もするが、それだけだ。
「ま、このまま冒険者を目指すという理由の一つにはなるか」
「……軽いですね?」
「実感が湧かないんだから仕方無い。今の俺にとっちゃ、この二人に恩を返すってのが一番の目的だ。故郷はいつか、そのついでに見付けられたらいいなって感じだな」
「そうですか……」
クラウスはあまり納得いっていない様子だった。まぁ、こういうのは個人の感覚や生き方の違いだ。理解するものでも押し付けるものでもないだろう。
話題を変えるついでに、ホムラはさっきから気になっていた事を話題に上げる事にした。
「アンタは随分と博識なんだな。元は学者の先生とかだったりするのか?」
「は? 学者……?」
クラウスは最初、自分が何を言われたのか分からない、と言った様子でキョトンとしていた。
ついで、首を振り、両手を振り、何だったら身体全体を振る勢いで、ホムラの言葉を否定しに掛かる。
「そんな、違いますよ! 学者なんて選ばれたエリートがなるもんです。俺なんかがなれるもんじゃない」
「……」
「おれ……僕は、只の冒険者志望ですよ。小さい頃から、ずっと憧れてて……」
「……そうか」
何処か遠くを見るような目をして、クラウスは小さく言い添えた。但しその目は、遠い過去の日を懐かしんでいるようには見えない。どちらかと言えば、手が届かない程に遠い場所を、諦念と共に眺めているような――
「……」
まぁ、他人の人生だ。ついさっき会ったばかりのホムラが、口を挟めるような事は無い。
「何にせよ、先ずは此処から生きて出ないとな。アンタ、前衛って話だが、腕前にはどのくらい自信がある?」
「え。あー……」
言いにくそうに口ごもるクラウス。それで大体分かったので、ホムラはさっさと結論を出す事にした。
「ま、病み上がりだし無理はしない方が良いだろ。俺が一人で前に出て敵を引き受けるから、アンタは俺が敵を討ち漏らした時、アネモネとリオルを守ってやって欲しい」
「あ……はい。分かりました……」
「アネモネとリオルも。勝手に決めちまったが、お前達から何か意見はあるか?」
「否定。前衛の事は前衛同士で決めた方が効率的でしょう。特に反論はありません」
「私も。クラウスさんだったら安心だし」
「え……」
クラウスは予想外と言わんばかりの様子だったが、アネモネは随分とクラウスの事を信頼している様子だった。困惑しているクラウスに向かってニッコリ笑い、宜しくお願いしますとか言って頭を下げている。ホムラと出会うより前、例えば”巨像の間”とかで、彼等の間に何かあったのかも知れない。
何にせよ、上手くやれそうならそれに越した事は無い。
それなりに時間を使って話し込んでしまったし、それに伴って休息も十分に取る事が出来た。出発には丁度良い頃合いではないかとホムラがその場の全員を見回すと、彼等も似たような事を考えていたらしく、誰からともなく立ち上がり始めた。
「しかし、似たような風景でいい加減飽きてきたな」
「あはは……きっともう少しだから」
「肯定。恐らくこの後、何らかの進展がある筈です。気を引き締めて下さい、ホムラ」
「……三人とも、随分と慣れている様子ですね……」
「アンタも直ぐに慣れるさ」
迷宮は相変わらず真っ暗で、先に進むべき道はまだ見えない。
今やクラウスを加えて面子は四人。全員に目立った怪我なく、チームとしての実力も雰囲気も悪くない。クラウスの実力だけは未知数だが、まぁ、何とかなるだろう。
(ま、順調な方か)
願わくば。
このまま何事も無く、四人全員が無事に脱出出来ればいいのだが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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