剣と翼、邂逅②

「ふむ」


 冒険者。自分が、冒険者。


「正直、いまいちピンと来ないが……――」


 手を伸ばし、脇に置いていた大太刀に触れる。記憶が無くても、少女達の話や推測に実感が持てなくても、これが手に馴染む感覚だけは本物だ。そして彼女達がホムラにとっての恩人であり、彼女達が此処に落ちてきて困っているのは確かな事実である。そしてどうやら、ホムラの剣を振り回すという唯一の特技が、彼女達の力になるらしい、という事も。


「まぁ、それでいい。どうせ何も思い出せないしな。今からは俺は、冒険者志望だ」


「なんか、投げやり……?」


「そんな事は無いさ。それよりも、だ」


 触れていただけに留めていた大太刀の鞘を掴み、ホムラは立ち上がる。少し前から、のだ。乱れてはおらず、一定の間隔で響いているから、恐らくはまだ此方に気付いてはいない。”巡回中”といったところか。


「俺も、貴方達に同行して良いだろうか。俺は剣を多少扱える。二人が魔術を発動させるまでの時間を稼ぐ事くらいの事は出来ると思うのだが、どうだろうか?」


 話の最中にいきなり立ち上がった事を、彼女達は不審がるだろう。そんな風に思っていたホムラの予想は、けれどモノの見事に外れた。まだ幼い子供にしか見えない彼女達は、ホムラの行動にハッとしたように立ち上がったのだ。少なくとも、彼女達はこのような状況に慣れている。冒険者志望というのは、決して伊達や酔狂ではないようだった。


「確認。それは、姉さまやリオルとパーティを組みたい、という事で宜しいでしょうか?」


「そういう認識で構わない。どうせ何も思い出せないんだ。ダラダラ空気を消費するよりは、命を救ってくれた恩人に奉公する方がずっと良い」


「……むぅ……」


 アネモネは、何か気に喰わないらしかった。ホムラは立ち上がると同時に彼女達に背中を向けていたので表情は見えなかったが、それでも気配や物音は伝わってくる。勿論、アネモネが洩らした不服そうな唸り声もだ。


「そっ――」


 もしかしたらアネモネは、その理由を言ってくれようとしたのかもしれない。ホムラとしてもそれは聞いておきたかったのだが、残念ながらタイミングが悪かった。ホムラの視線の先、広間の出入口に複数の人影が入って来て、ホムラはそれを迎えるように抜刀する。


 瞬間、空気が変わった。


 耳に重く圧し掛る、昏く、冷たい死の息遣い。広間の光源ほのおがそれから逃れんとするように身をよじり、周辺の温度が微かに下がる。


 アネモネも、リオルですら、思わず息を呑んだ様子だった。結果として黙り込んだ彼女達の方には振り返らずに、ホムラはなるべくのんびりした口調を心掛けて言葉を紡いだ。


「二人は此処に。あぴーるたいむ、ってヤツだ。俺が役に立てるかどうか、しっかり見極めて欲しい」


 どうやら、もホムラに気付いたらしい。それまで二列縦隊で歩いていたのが、一糸乱れぬ連携を見せて二列横隊に展開した。前列の三体は装備している盾と槍を構え、段々と包囲網を狭めるようにそのまま前進。後列の三体はその場に留まって、槍を投擲する構えを見せた。


 さながら人間の様に行動する、金属の鎧と武器で身を固めた石像の兵隊達。奴等の事は、ホムラにも良く分からない。それこそ、この迷宮のそこかしこを徘徊する番兵のような存在であるという程度の認識しか無い。話をしようとは思わないが、此方を見付けた途端に行動する辺り、向こうにもその気は皆無なのだろう。


「さて」


 背後に庇う者が居る以上、今までのように好き勝手に暴れる訳にはいかない。具体的には此方から突っ込んで下手に距離を空ける訳にはいかず、それに伴って戦術の幅が狭まっている訳だ。


 けれど、何故だろう。本来なら不利でしかない筈のこの状況が、ホムラには妙に心地良かった。


 ずっと前。それこそ、消え失せた記憶の中に在ったホムラもまた、こんな風に背後に誰かを庇って戦っていた気がする。


「やるか」


 ホムラが呟くのと同時に、後列の石像達が一斉に槍を投擲してくるのはほぼ同時。更にそれにタイミングを合わせて、前列の石像達が一斉に突撃してくる。


 どれか一つでも当たればいいと言わんばかりの、一枚の木の葉を複数の箒で掃くような大雑把な攻撃だ。


 飛んでくる槍の速度や軌道、突撃してくる石像達の走る速度を瞬時に見極め、その上でホムラは一歩、前に出た。突撃してくる前列に先んじて此方に届いた後列の槍、その中からホムラやアネモネ達を軌道上に捉えている一本に狙いを定め、携えていた大太刀を下から上へと跳ね上げる。


 金属同士が噛み合う残響音と共に、投擲された槍ははクルクルと回りながらホムラの頭上を舞う。軽く手を伸ばして落ちてきたそれを掴み取り、ホムラはそのまま、それを自らに突っ込んで来る石像達の一体に向かって投擲してやった。


「一」


 ホムラが投げ返した槍に盾ごと胴体を貫かれ、三体の内真ん中に居た一体が後方に吹き飛ぶ。相手が人間ならその光景に怯みもしただろうが、彼等は只の石像だ。刹那の間も怯みもしない。彼等はそのまま直進し、二方向からホムラを串刺しにせんと槍を勢い良く突き出してくる。


 だが、急遽一体が脱落し、其所に出来てしまった一体分の隙間はどうしようもない。


 ホムラは突き出された槍から逃げない。わざわざ大太刀を振るって弾きもしない。


 ただ、一歩。一歩前に踏み出して、本来なら其所にも槍があった筈の真正面の空間に入り込んで、二方向からの槍を躱す。石像達は即座に何らかの連撃に移ろうとしたのかもしれないが、もう遅い。彼等が何をするよりも間合いの内に入ったホムラの方が早い。


「二」


 ホムラから見て、右斜め前に居た石像の直ぐ脇をすり抜ける。大きく腰を落とし、大太刀を斜めに振り落とした格好のホムラの背後で、袈裟斬りの軌道で両断された石像のがずるりと落ちて、派手な音を立てた。


「三」


 ガシャリ、と金属の足甲が地面を踏みしめる音が聞こえた。背中を向ける形になったホムラに、残った石像が身体ごと向き直った音だ。掛け声も無ければも無い、一切の遊びが無い突き込み。それがのを、ホムラは凪いだ気持ちで眺めていた。落とした腰はそのままに、左からぶん回すように上体を大きく反らして槍の突き込みを回避。ついでに大太刀を走らせて、ガラ空きだった石像の胴を上下に分断。


「――……うん」


 石像の上体が地面に落ちる音を背後に聞きながら、ホムラは素早く立ち上がる。人間相手なら今までの流れで十分だが、こいつらは石像だ。大雑把に叩き斬った程度では、完全に無力化したとは言えない。ジタバタと藻掻く二体に靴底を叩き落とし、踏み砕きつつ、ホムラは口の中で小さく呟く。


「やはり腹いっぱいだと、調子が良いな」


 視線を巡らせる。


 槍を投げ返してやった一体は、思ったよりも遠くに吹き飛んでいた。盾の下で腕を胴に縫い止められ、バランスが悪くなったらしく、起き上がるのに相当苦労している様子である。戦線に復帰してくるまでには、もう少し猶予がありそうだ。


 その更に奥に居る後列の三体は、腰に吊った剣を抜き、今まさに突撃を仕掛けて来ている最中だった。遠距離攻撃の手段は、先の投擲でネタ切れのようだ。さもありなん、やつらは組織だった集団ではあるが大規模ではない。せいぜい歩兵集団の”伍”にあたる班といった所だろう。戦闘における複数の機能――歩兵の機能、弓兵の機能といったものだ――は、持ち合わせていない可能性が高かった。そして奴等は、見るからに歩兵の伍である。


 これ以上本格的な遠距離攻撃は無いと判断し――とは言え、最低限の警戒は残しつつ――ホムラは前線を押し上げる事を決めた。街中を歩く感覚で歩を進め、突撃をかまして来る三体の石像達を自ら迎えに行く。走ってくる石像達との距離はみるみる埋まり、遂にはホムラを間合いの内に捉えた真ん中の石像が、突撃の勢いをそのままに剣を振り上げる。


 その剣が最高速に達してホムラの頭を叩き割る直前。ホムラは石床を蹴って一気に加速し、同時に大太刀を相手の剣に叩き付けて鍔競りに持ち込む。相手は複数だ。一人を止める為にホムラまで止まっていては、残りの敵から瞬く間になますか串刺しにされてしまう。


 だから、ホムラは止まらない。突進してきた相手の質量を受け止め、瞬時に押し返す。一気に四、五歩分は突き進んだ所で、同時に大太刀の刃を相手の肩口に当てて一息にし斬ってやった。今更ながら、この大太刀は頑強でありながら斬れ味も凄まじい。きちんと刃を立ててやれば、金属も石も豆腐のようにするりと斬れる。伊達に妙な気配を発していない。


「四」


 後ろから気配。どうやら残った二体は、アネモネとリオルではなく背中を見せたホムラに標的を定めたらしい。それを狙ってこういう立ち回りをしたのだから、ホムラとしては万々歳だ。


 振り向き様に大太刀を跳ね上げ、今まさに打ち下ろされてきた二振りの剣、その刀身を纏めて斬り飛ばす。槍が無くなれば剣。剣が無くなれば次の武器か、或いはその場から離脱して仕切り直すか。歴戦の戦士ならば刻まれた経験と元来持つ生存本能で瞬時に答えを導き出すが、何者かに与えられた命令で戦闘をこなす被造物は、それらの判断にすら細かい計算を必要とする為、どうしても決断を下すまでに刹那程の遅れが生じる。


 結局のところ。


 自身の道に轍を刻んでいない戦士など、幾ら寄った所で脅威には成り得ないのだ。


「六」


 大太刀を横薙ぎに一閃し、二体の石像の胴体を纏めて上下に分断する。即座に大太刀を引き戻して刺突を繰り出し、一体の石像の頭を貫いて空中に縫い止めておきながら、地面に落ちたもう片方の石像の上体を靴底で踏み砕く。それから大太刀を一旦肩に担ぎ、それを適当に地面に叩き付ける。突き刺さってそのままだった石像の上体が、それで粉々に砕け散った。


「――ふむ」


 バラバラと大太刀から剥がれ落ちる石像の破片を払い、ホムラは再び視線を巡らせる。そろそろ投げ槍で貫かれた最初の一体が復活してくる頃合いかと思ったが、幸いな事にそいつは未だに立ち上がれないようだった。一旦立ち上がるのを諦め、座り込んだ姿勢のまま、残った片手で刺さった槍を引き抜こうとしているらしい。随分と悠長な事だが、自身の命に執着が無い非生物の兵隊ならばそんなものだろう。


「こんなもんか」


 歩いて近付き、最後の最後まで槍を引き抜いて身体の制御を取り戻そうとしていた石像を適当に刻み、バラバラにしてトドメ。周囲への警戒は最低限残しつつ、ホムラがアネモネ達を振り返ると、アネモネは驚いたように目を丸くし、リオルは感情の分からない眠たげな無表情でホムラを見詰めていた。


 ……アネモネはともかく、リオルの眼差しは何だか不安になる。そこまで酷い内容だったとは思わないが、ホムラの戦いぶりは、果たして彼女達のお眼鏡に適ったのだろうか。


「……どうだった?」


 彼女達の下に戻り、先ずはそこらに放置していた大太刀の鞘を拾い上げて刃を納めた。この大太刀は明らかに妖刀魔剣の類で、用も無いのに長時間刃を晒しておくのは好ましくないと思ったのだ。


「取り敢えず今回は好きに戦ったが、戦い方の幅はもう少し広げられると思う」


 それが終わってから、ホムラは双子の少女と目線の高さを合わせるべくその場に跪いた。


「例えば、アネモネが魔法の呪文を唱える時間を稼ぐ為にひたすら耐え凌ぐ事も出来るし、逆に前に飛び出して行って敵を殲滅する事も出来ると思う。少なくとも損はさせないと思うが、どうだ?」


「……」


「……」


 双子は黙って、顔を見合わせる。


 と、そう思った次の瞬間、ホムラは両の掌をアネモネにしっかりと握られていた。


「ホントに!?」


 キラキラした眼差しで見上げられて、却って困惑してしまう。


「ホントに私達と組んでくれるの!?」


「まぁ……そのつもりだが。むしろ俺からそう頼んだつもりなんだが」


「否定。姉さま、急き過ぎは良くありません。ホムラは若干引いています」


「あっ、ごめんなさい」


 妹から窘められて、アネモネはハッとしたようにホムラの手を放す。が、興奮は未だ冷めやらぬ様子だった。


「ホムラさんって、すごく強いんですね!? そんな凄い剣を、軽々と振り回して! もしかして、本職の冒険者だったり……?」


「否定。本職の冒険者が此処に居る可能性は低いと思われます、姉さま。本職の冒険者は王宮の地下に来る事はありませんから。服装からして、調査中に行方不明になった王の調査隊という事も無いでしょう。やはり彼は姉さまやリオルと同じ冒険者志望の人間である可能性が高いかと」


「そっかー……そっかぁ!」


 さっき、この娘は何やら不満そうな唸り声を洩らしていなかっただろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る