本当の冒険、第一歩①
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
実を言えば、単純な落下なんかアネモネとリオルからすればさしたる問題ではないのだ。落ちた先で全身を串刺しにされる剣山の罠とか、全身を溶かされる溶岩とかの罠があったなら危なかったかもしれないが、それらだってアネモネ達が早々に落下のショックから立ち直る事さえ出来たならどうとでもなる。その気になれば、逆に上昇して“巨像の間”に戻る事さえ出来ただろう。
その気になれなかったのは、気が動転してしまっていたからだ。その気になれなかったと言うよりは、思いつきもしなかった、と言った方が正しい。
地の底の底まで続いているような、永遠に続くとも思えるような暗闇の中を、アネモネはただただ落ちていった。空中でバランスを取り戻す事も出来ず、訳も分からないままに泣き叫んでいたような気がする。轟々と吼え猛るような風の声の中で、誰かの声を聞いたような気がする。
確かだったのは、とにかく落ちていた事。何が待ち受けているかも分からない、きっと誰も見た事が無い闇の底へ、アネモネは落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、
それから……――
「ッッッ!!!?」
目が覚めた。
バネ仕掛けの人形か何かのように上体を跳ね起こし、アネモネは先ず、兎にも角にも周囲の様子を見回した。
闇を照らしながらも闇よりも昏い雰囲気を漂わせる青い炎の篝火。その光の中に浮かび上がる床や壁は、石か何かを切り出して形を整えたものを、一部の隙も無くはめ込んで作ったものらしい。青い炎に照らされている所為か、その雰囲気は冷たくて、重い。さながら魂を押し潰さんとするかのような圧迫感があって、アネモネは小さく身震いしてしまった。
「目を覚ましましたか、姉さま」
「!」
背後から、聞き慣れた声がした。急いで其方を振り向くと、そこにはアネモネに背を向けて、地面に跪いているリオルの後ろ姿があった。
「少し時間を下さい。今、“遺灰”を回収しています」
「!」
まだ少しだけボンヤリしていた思考が、一気にクリアになったような気がした。
着地の瞬間の事は覚えていないけれど、こうして生きていると言う事は、少なくともアネモネとリオルは事無きを得たのだろう。そしてリオルが“遺灰”という単語を口にしたと言う事は、他の二人の内の少なくとも一方は、助けられなかったという事だ。リオルが回収した“遺灰”を地上に持って帰る事が出来なければ、もう本当に終わりだ。生き返る望みすら断たれる事になってしまう。
何も言わず、何も言えず、アネモネは唇を軽く噛んでリオルの背中を見詰める。やがてリオルの向こう側で、碧く柔らかい光が闇に染みるように輝き始める。闇の中に、ホタルのような小さな光が幾つも幾つも舞い踊り、周囲の闇を僅かに照らす。
けれどそれらの光はやがて闇に浸食されるように弱まっていき、程なくして消えた。
辺りはもう、真っ暗だ。
「――終了。お待たせしました、姉さま」
「うん」
口の中で短く呪文を呟いて、アネモネは光源を幾つか生み出した。四方をカバーし、アネモネの意思とは関係無く自律して動く白い鬼火をアネモネとリオルに四つずつ。簡易な命令には即座に対応してくれるし、術者に何かあっても多少は保つように設定してあるから、ダンジョンの探索にはもってこいだ。
「二人分、回収できたの?」
合計八つの鬼火の光によって照らし出された周囲は、落ちてくる前と同じく迷路の様相を呈していた。圧迫感を感じさせる狭苦しい道幅に、見える範囲だけでも多数に枝分かれしている通路。遠くの方には、上の階層にあったものと同じ、温かみを感じさせない仄暗い青の松明の光も見える。唯一の違いと言えば、天井が無い事と、あとはあちらこちらに金属製の鎧を身に纏った兵士の石像が立っている事くらいか。
「否定。男性の方は落ちている最中にはぐれてしまい、生死不明です。回収できたのは、魔術師の女性のものだけになります」
「……そっか」
アネモネとリオルならともかく、普通の人間は高い所から落ちるともう為す術が無い。とびきり運が良ければまだ死んでないかも知れないが、大怪我しているのは間違い無いだろう。
早く、見付けてあげなければ。
こんな真っ暗な迷宮の中で一人きりというのは、きっと物凄く心細い事だろうから。
「なら、探しにいかないと。生きてればそれでいいんだけど、そうでないなら、せめて“遺灰”だけでも回収しなくちゃ」
立ち上がりながら、アネモネは言った。けれどいつもなら直ぐに返事を返してくれるリオルが、この時は何も返してくれなかった。聞こえなかったのかと思ってアネモネはリオルの方を見たが、彼女はちゃんとアネモネを見ていた。
ジッと、見詰めていた。
「……いつも、姉さまは変わりませんね。絶対にその選択を取ります」
「? 当然でしょ?」
何だろう。何か変な事を言ってしまっただろうか。
内心で不安になってしまったアネモネを余所に、リオルはアネモネから視線を外し、立ち上がった。膝の埃を払い、周囲を見回して、最後に上を見上げる。その様は、今後の方針を確認しているように見えたが、
「では、彼と合流するべくこのエリアを探索しつつ、出口を目指す。この方針で宜しいですね?」
「……! うん!」
やっぱり、それで間違い無かったらしい。ちょっとだけホッとしながら、アネモネはリオルに続いて立ち上がった。
言い出しっぺはアネモネの方だ。いつまでも座り込んだままでいるのは、何だか間違っている感じがする。
「目的を遂行するにあたって、リオルに考えられる障害は二つです。出発する前に共有しても宜しいですか、姉さま?」
「うん」
「一つ目は、出口、並びに捜索対象の位置の手掛かりが一切無いという事です。一先ず上層に上がる為の何らかの手段を見つける事に目標を設定し、その探索を行いながら捜索対象の捜索を行う。そういう方針で動く事を提案します」
「えーと……うん、そうだね。私達は上から落ちてきたんだもんね。とにかく、上に戻らないと」
リオルが先程やっていたように、アネモネもまた、自分達が落ちてきた方向を見上げた。
真っ暗な闇に覆われているそれは、星一つ無い夜空のようで、見ていると何だか不安になる。あんな場所に到達する為のルートなんて、本当にあるんだろうか。最悪、アネモネとリオルなら飛んでいく事も可能だけれど、翼の無い人間はそういう訳にもいかない。「ルートが無い」なんて可能性はなるべく考えたくはなかった。
「二つ目は、敵対的なの存在の有無です。此処は恐らく、誰も発見していない未知のエリア、もしくは新たなダンジョンそのものです。もし敵対的な存在がいた場合、その殺意は試験用のゴーレムとは比較にならないでしょう。上で遭遇した巨像と同じくらいのものを想定していた方がよろしいかと」
「うん……」
上――"巨像の間"で遭遇した巨像。文字通り一切の躊躇無く、人間を潰してジャムのように塗りたくったあの光景は、今でもアネモネの脳裏に焼き付いている。あまりに凄惨過ぎたせいだろうか。覚えては居るが何処か現実感が無くて、どうにも実感が持てなかった。
もしも今、アネモネとリオルがあのような敵に遭遇したら、果たして生き延びる事が出来るだろうか。只でさえ、魔法使いと神官というバランスの悪い編成なのだ。奇襲でも受けようものなら、きっとひとたまりも無いだろう。
「慎重に探索しないと。敵が居なければいいんだけどね」
「――肯定」
リオルは、小さく嘆息したようだった。それはアネモネの言葉に反応したと言うには若干の間があって、何だか違和感があった。
何だろう。今のリオル、アネモネの背後をジッと見つめていたような。
「……?」
リオルの視線につられるように、アネモネは背後を振り返った。鬼火の光に照らされている其所にあったのは、壁を背にして立っている一体の石像だ。目の前で魔術の炎が煌々と光を放っているのにも関わらず、目を逸らさず、顔も背けず、忠実な門番のようにその場に佇んでいる。
「……どうかしたの?」
「いえ」
特に何も無い。
そう思ったから、アネモネはさっさと視線を逸らした。
否、本当はあんまり目にしていたくなかったから、適当な理由を付けて強引に視線を逸らしてしまったのだ。暗くて静かな場所に佇む石像は正直不気味で、そうでなくともアネモネの脳裏には、先程の“巨像の間”の光景が焼き付いてしまっていた。実感が伴わなくともそれは凄惨で、徒に思い出したくないものだった。
「もう、行こう? ここに居たって始まらないし――……」
嗚呼、でも、もしかしたら予感みたいなものはあったのかもしれない。
背後から、微かに金属が軋む音が聞こえたその瞬間、アネモネが躊躇いなくその場から飛び出せたのは、単なる反射ではなく、最初から構えていたからだと思う。警告の声を上げるリオルよりも先んじて、彼女にタックルをかますように飛び掛かる。
石床に金属が叩き付けられる音が響いたのはその直後の事だった。
リオルを下に敷いたまま、アネモネが急いで振り返ると、さっき見た兵士の石像が、ついさっきまでアネモネが居た場所に叩き付けた剣を再び振りかぶろうとしている所だった。
(ああ、もう、やっぱりそんな気はしてたよ!!)
サイズこそ普通の人間の大人と同じくらいだが、分類としては“巨像の間”の動き出した巨像と同じようなものだろう。只でさえ石で出来ているのに、その上から更に金属の鎧を纏っているから、余計に固そうな印象を受ける。
何より悪いのが、その石像は明らかに前衛型という事だった。魔術師は、魔術を使う為にはどうしても呪文を唱えざるを得ない。足止め役が居ない今のアネモネ達では、呪文を唱え終わる前に接近されて殺されてしまう。
「逃げるよリオル!」
「肯定」
いきなり突き飛ばされて倒されても、リオルは文句一つ言わなかった。アネモネが身体の上から退くや否や、彼女は素早く身体を回転させて両手を突き、起き上がる。そのまま、ほぼ同時に起き上がったアネモネの
「飛ばないの!?」
「否定! 二人分の翼を広げる十分なスペースがありません! 先ずは広い所を探します!!」
「分かった!」
背後で再び、剣を床に叩き付ける残響音。二度も獲物を逃した事に苛立ったのかのような、石と石を擦り合わせたかのような咆哮が聞こえて来たのはその直後。リオルに手を引かれたままアネモネが振り返ると、石床にめり込んだ剣を力任せに引き抜きつつ、石像がアネモネ達を追い掛けて走り始めるのが見えた。石で出来ている上に重そうな金属の鎧を纏っているにも関わらず、その足の回転は速く、また歩幅はアネモネ達より遙かに広い。
「このままじゃ拙いかも!!?」
「肯定!!」
リオルに手を引かれるまま、一つ目の角を曲がり、それからまた直ぐに二つ目の角を曲がる。
みるみる距離を詰めて来ていた石像の剣が、アネモネの髪を掠めて曲がり角にぶつかった。目で見なくても音と感触で分かってしまった。一歩間違えば首を刎ねられていたかもしれないと思うと血が凍る思いだったが、止まっている時間など無いし、手を掴んでいるリオルも足を止めない。十分に翼を広げられる広い場所を求めて、ひたすらにひたすらに、走る。何度も何度も追い付かれ、その度にヒヤリとさせられたが、その度にリオルは丁度良いタイミングで地形を利用し、上手く攻撃を躱してくれた。まるでリオルには後ろに目が付いていて、どのタイミングでどんな攻撃が来るのか、全部分かっているかのようだった。
とは言え、それも直ぐに限界が来た。
ダン、と大きく踏み込む音。丁度そこは真っ直ぐな一本道で、周囲に曲がり角や使えそうなオブジェは無い。代わりに、広間らしき空間への入口が少し進んだ先に見えていた。あと少し走れば其所に飛び込む事が出来るのに、そうしさえすれば姉妹揃って翼を広げて飛んで逃げる事が出来るのに、このままじゃ絶対間に合わない。背後の石像は既に最後の一歩を踏み込んで、剣を振り下ろすなり突き出すなり何らかの動作を始めている所だろう。
考える暇も、ましてや迷っている暇もありはしなかった。
「――……ッッ!!」
翼を展開し、アネモネは前を走るリオルに飛び掛かる。ぞん、と背中に走った熱は気にしないでそのままリオルをかっ攫い、最後の数歩分の距離を文字通りひとっ飛びで通り抜け、広間に飛び込む。
そこは“巨像の間”を思わせる、無駄に広大な広間だった。周囲の観察もそこそこに、アネモネはリオルを抱えたまま上空へ逃れようとして、
「――姉さま!!」
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