剣と煙と空腹と
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
腹が減った。
休憩の為にとは言え、適当な場所に座り込んで、何をするでもなくボンヤリしていれば、そんな余計な事に気が回ってしまうのは至極当然の流れなのかもしれない。
腹が減った。それも、「ちょっと小腹が空いた」程度の話ではない。割と洒落にならない、空腹と言うよりは飢餓と言ってしまった方が相応しいようなヤツである。暴れ出さなかったのは、そんな暇が無かったからだ。ただ彷徨わせるだけの迷宮ならまた話は違ったかも知れないが、ここはそんな場所と違って、悪意も殺意も随分と高い。押し寄せてくる敵や罠に対処する為には、受け取った大太刀を早速振り回さなくてはならなかった。
「――」
溜息と一緒に、腹を齧るこの飢餓感も身体の外に出て行けばいいのに。
そんな事を頭の隅で考えながら、ホムラは深く、深く息を吐いた。既にもう何度同じ事をしたのかは分からないが、何をやってもこの飢餓感は紛れないし、そもそも今のホムラには、気を紛らわせる為に出来る事の選択肢が絶望的に少ない。せいぜい物思いに沈むか、何も考えないでボーッとするか、歩くか、暴れるか。今は敵が居ないから暴れる必要は無いし、気力が尽きたから歩く気も起きない。自らが作った死屍累々の上に腰掛けてボンヤリするか物思いに沈むしか無いのだが、そのどちらも気を紛らわせるには効果が薄い。
つまり、状況は相当拙いと言うことだ。
ぐぅ、と恨めしげな声を上げる自らの腹を両手で押さえて、ホムラは特に意味も無くもう一度溜息を吐いた。大太刀を渡してきた老人は「剣さえあれば迷宮は突破できる」とか何とか言っていたが、あれは嘘だ。このままでは一生出口は見つからない気がするし、寧ろ人生の出口の方が先に見つかってしまうのではないかという気すらする。いっそこの大太刀で壁を叩き斬り、文字通り道を斬り拓きながら出口を目指そうかとも考えたが、そもそも出口の方向が分からないし、気力や体力が先に尽きる可能性も高い。壁を破壊すれば、当然その音を聞きつけたアイツらが再び集まって来るだろう。ついでに言えば、さっきみたいに偶然そこに仕掛けられていた罠が暴発する可能性だって無くは無い。
只でさえ既に二度も祭りを経験しているのだ。
底を突いた体力を気力で何とか補っている今の状態で、無謀な賭けに再挑戦する勇気は、ホムラには無かった。暗闇の中、特に何もせずに一人でずっと黙りこくっていると、胸が潰されるような閉塞感がある。
とは言え、代わりに良い事もあった。しんと静まり返っているから、ちょっとした変化にも直ぐ気付く事が出来るのだ。
「……?」
ぉん、と。何処か遠くで空気が揺れたような気がして、ホムラは俯かせていた顔を上げた。
この迷宮には天井が無い。否、無い訳ではないのだろうが、少なくともホムラの目には見通せないような、暗い黒い闇の向こうに向こう側にある。恐らくこの迷宮は何処かの地下空洞かそれに似た場所にあって、壁と罠と番人、その他諸々を配置して作っている。迷宮というよりは、要塞と言った方が感覚的には近いだろうか。中枢である主郭に侵入者を近付けない為に、壁やら何やらで進行方向を制限して侵入者を絡め取り、罠と番人で仕留める。そんな悪意と殺意が、この迷宮にはある。
とは言え、ホムラに感じ取れたのはそれだけだった。牙を剥く迷宮の悪意と殺意の対処に精一杯で、見えもしない天井なんて意識もしなかったし、ましてやその向こうから何かが落ちてくるなんて想像もしていなかった。
「……!」
光だ。
視線を上げたホムラの目に映ったのは、この迷宮においては異質に思える金と銀の光だった。距離がある所為か随分小さいかったが、それでもそれらには、迷宮の光源である青の篝火には無い“力強さ”のようなものがあった。
「……」
なんだ、と呟いたつもりだったその声は、掠れ過ぎてちゃんとした音にならなかった。その間にも金と銀の二つの光は、上空から
或いは、高所から突き落とされた誰かのように。
「――……ぃぃぃやぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁ……──」
声を聞いた。
暗闇と風が成した幻聴かもしれないし、静寂に耐えかねたホムラの精神が過去から掘り起こして来た記憶かも知れない。少なくとも頭の隅で、ホムラはその可能性を考えてはいた。
それでも気が付いた時には、ホムラは立ち上がっていた。その拍子に、ホムラ自らが作った屍の山がガラガラと音を立て、崩れ落ちていくのを感じたが、それは気にならない。
自ら身体の均衡を崩し、屍の山を滑り降りる。床の上にも散乱している砕けた石片やひしゃげた金属を踏み付け、蹴飛ばし、跳び越えて、ホムラは、二つの光が落ちてくる地点に向かって歩き始める。
「……あ?」
けれど、最後に光が消えた方角へ一〇歩程歩いた時だった。
ガラ、と屍の山から不自然に崩れる音が聞こえて来て、ホムラは本能的に足を止めた。
振り返って確認すると、屍の山から一体、屍になり損ねた個体が這い出してきているのが見えた。ホムラと同じく人の形をしていて、左手に盾を、右手に直剣を携えているが、人体にとって重要な頭部は見当たらない。多分、ホムラが斬り飛ばしたからだろう。
「……生きてねぇってのも難儀だな。四肢が残ってりゃ、まだ戦力か」
獣のような四つん這いから、膝を突いた片足立ちへ。そこから立ち上がって剣と盾を構えてみせれば、そいつは首が無いにも関わらず、ホムラより少しだけ背が高い。コイツらは皆そうだが、どうやら筋骨隆々の男をイメージして作られているらしい。身体を覆う壮麗な装飾入りの銀の鎧や、同じような装飾の入った剣や盾を見ていると、まるで“勇者”のように見えなくもない。尤も、血の通っていない無機物の勇者など、誰も有り難がったりしないだろうが。
どのみちコイツは、“勇者”等とは程遠い。言葉も持たず、慈悲も無く、あるのはただただ殺意のみ。己の身が文字通り砕け散るまで、延々と対象を追い詰める殺戮人形。ホムラがそれ以上言葉を紡がず黙り込んだのも、言葉がコイツらに対して無意味だという事を、既に嫌と言う程思い知らされているからだった。
「――……」
ホムラの出方を窺うとか、ホムラとの距離を測るとか、首無の勇者はそんな事に一切時間を掛けなかった。鎧をガチャガチャと鳴らし、声無き雄叫びを上げながら、彼は真っ直ぐにホムラに向けて駆けてくる。
重装と言っても良いくらいの装備のクセして、その動きは速さが自慢の軽装の戦士のように軽快だ。迎撃から自らの身を守るように盾を構え、その裏でいつでも斬り掛かれるよう剣を振り上げつつ、そいつは十歩程の距離を、瞬く間に詰めて来て――
「は」
次の瞬間、そいつは盾や剣や鎧ごと、唐竹割りに真っ二つになっていた。
綺麗に左右に分かたれたヤツの身体が、拝み打ちの体勢になっていたホムラの両脇を通り抜けていく。片手と片足のみでは走る事が出来る訳も無く、そもそもバランスを保つ事が出来る訳もない。ホムラの両脇を抜けた辺りで二つの身体はガラガラと派手な音を立てて転がっていき、やがてそれぞれが別の屍の山に突っ込んで行って見分けが付かなくなった。
「……」
先程、「剣さえあれば迷宮は突破できる、というのは嘘だ」等と思ったのはホムラ自身だが。仮にホムラが方向感覚やら専門の知識やら、迷宮の踏破に必要な能力を剣の代わりに受け取っていたとしても、それはそれでこの迷宮を突破するのは難しかっただろう。
冷たく禍々しい気配を振り撒く大太刀を背中の鞘に納め、朱の着物の裾を翻し先程見た光の方角へ向き直りながら、ホムラはそんな事を考える。
今はもう大分薄くなった煙の臭いが鼻腔をくすぐる。四方八方から聞こえてくる瓦礫や鉄屑が擦れ合うような微かな音は、バラバラにされて尚、ホムラへの殺意に忠実に動こうとしている屍、もとい“人形”達のものか。
全く、この迷宮の殺意と来たら大したものだ。
やたらめったら硬い石の身体に金属の鎧を纏う、さながら本物のように動き回る石像の兵隊。グルリと戦場を囲むように設置され、味方である筈の石像ごとホムラを吹き飛ばそうとしてくる自律型の大砲。しかも彼等は何故か味方同士の攻撃では全然傷付かず、ただただホムラのみを狙って来るのだから苦労した。
――……潰した大砲は、三〇門。斃した石像の兵士達は、二〇〇を越えた時点で数えるのを止めた。
「――……はら、へった、な……」
ぐぅ、と恨めしげに腹の虫が鳴く。
宥めるように片手を腹に置き、我ながら情けなく呟きながら。ホムラは先程見えた光の方角を目指し、のそのそと歩き出したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます