第2話 夏(10)

「カタカタカタ」


静かな部屋の中にシャーペンが机を叩く音だけが鳴る。


航が連絡してから三十分が経っていた。


床にはカップラーメンを二つ食べた元喜が寝ている。


いったい何しに来たんだろうか?と疑問に思うが、そんな元喜よりも俺の方が全然課題が終わってない事に焦りを感じる。


「大地、英語まだ?」


夢が俺の写している英語の課題を早くしろと急かす。


夢は電話を切り終えた後、すぐに航の家に来た。


歩実は後から来るらしく、先に航の家に出向いたみたいだ。


部屋に入るなり「航、課題見せて」と言うと、元喜を押しのけ俺の正面に座った。


夢も俺達の仲間かと思ったが、その期待は大きく外れた。


夢の課題は一通り済んでいて、空白の所だけ航の課題を見て埋めていた。


そして残りの課題が英語だけになった夢は、さっきから俺を急かし、待っている。


「あ、先に見る?」俺はよそよそしく言うと「やった! ありがとう」と笑顔で課題を受け取る。


俺はその間に休憩しようと思ったが、ものの数秒で俺の元に英語の課題が返ってきた。


「終わったぁ」と両手を天上に突き上げながら体を伸ばす夢が不思議そうに俺に尋ねてきた。


「大地、もしかしてここにある課題全部終わってないの?」


夢は俺の横に散らばっている課題を指差した。「イエス」と俺は首を大きく縦に振る。


「ドンマイ。その量は終わんないね」夢は呟く。


「手伝って」俺が嘆く。


「そもそもギリギリまで放置し過ぎだろ」航が口を挟む。


「疲れた! 休憩!」


俺は握っていたペンを机に投げ捨て、大の字になって床に転がり、膨大の課題の量に挫折した。


「聞いて、聞いて」と夢が夏休みにあった出来事を語りだす。


家族での旅行や友達とショッピング、女同士のお泊り会など次から次に話題が出てくる。


まるで子供の様にはしゃぎながら話す姿は、綺麗な外見からは想像も出来ない。


「でさぁ、夏休みもう終わるでしょ? 最後に皆でバーベキューしようよ!」


夢は夏休み最後の思い出を作ろうと提案したが、道具も無ければ場所もないのでバーベキューは即中止となった。夢はふてくされながらも諦めずに何か考えている。


「別に無理にする事ないだろ」航が夢の気持ちを考えずに冷たく扱うが夢は諦めてなかった。


「じゃあさ、花火しようよ! 私買ってくるから!」


「花火か。まぁお金もそんな掛かんないし、いんじゃない?」俺は夢に賛同する。


「場所がねぇだろ」航が言うと「庭でいいじゃん」と夢が外を指差して言った。


「じゃあ決まり! 私行ってくるね!」夢はソファの上に置かれた鞄から財布を取り出し、部屋を出た。


「おい! それ俺の財布だろ!」航が夢を追いかけるように部屋出て行った。


俺は課題を終わらせる事を諦め、航のベッドに飛び込み昼寝をする事にした。


フワフワの布団に包まれ、俺は溶けるように眠りについた。


「大地、いつまで寝てんの?」


俺は目を開けるとそこには元喜が立っていた。


「お前本当に課題終わんねぇぞ」


航が呆れた顔なのか、怒った顔なのか目がぼやけてわからなかった。


一つあくびをして、目を擦り部屋の時計を探す。時計の針は二と五の位置を指していた。


二時二十五分……待てよ。針の長さがぼやけて見えなかったのが次第に見え始める。五時十分だ。


俺は航達が部屋を出てから三時間程寝ていたようだ。


「うそだろ! もうこんな時間かよ」


跳び起きる俺を怒る声の主は恐らく航だろう。


男にしては甲高い声で笑うのは元喜だ。高く綺麗な声で笑うのは夢で間違いないだろう。


もう一つ、包み込むような声で優しく笑うのは歩実だった。


俺が寝ている間に航の家に到着していたみたいだ。


歩実は俺と目が合うとすぐに視線を外し、他の三人の会話に混ざった。


明らかに避けられている……。航の言うように俺が逃げ続けた成果が皮肉にもしっかり形になって出ていた。


四人は他愛もない会話で盛り上がり、話題が切れると課題を進める俺の邪魔をする。


「お前ら俺に課題させる気ある?」俺は四人を順番に見て言った。


「今更足掻いても無駄だよね」元喜はもう課題を諦めて楽しむ事にシフトチェンジしたようだ。


その切り替えの早さと潔さに俺は尊敬した。


「だってその量は終わらないでしょ?」夢が更に追撃してくる。


「馬鹿って大変だよな」航は蔑んだ目で俺を見る。


こいつらは悪魔か何かに違いない。


人の邪魔をする事が生き甲斐で、人の不幸を餌として生きてる悪魔だ。


この部屋には悪魔しかいないのか……。


いや、待てよ。天使がいるではないか。俺は歩実の方に視線を向ける。


「まぁ自業自得だよね……」こいつも悪魔の仲間だったか。


「もう辞めた!」俺の言葉に元喜が「よっ! それでこそ大地!」と盛り立てる。


時刻は夜の七時を回っていた。


外はほんのり暗くなり始め、八時から花火をする予定みたいだ。


元喜の腹の虫が耳障りになり始めた頃、航のお母さんが人数分の手料理をご馳走してくれた。


食事中は元喜と帆夏の話題で持ち切りだった。


終始顔を赤らめていた元喜を羨ましくも思ったが、何よりも元喜の恋が実りそうなのを嬉しく思った。


食卓には賑やかな話し声が絶え間なく響きあっという間に八時となった。


大量の花火を抱え二階から夢が下りて来る。


航は庭に水の入ったバケツを用意し、元喜は今か今かとロウソクの前でそわそわしている。


俺は庭のベンチに腰掛け、その光景を眺めていた。


吹き出し花火をいくつも並べ、順番に火を点けて行くと勢いよく火花が吹き上がる。


一つならそれ程インパクトは無いが、数十個も並べられた花火が次々に吹き上がるとそれは見事な光景だった。


夜のカーニバルのような輝きを放つ花火は、数秒で終わってしまった。


「すごかったねぇ」夢が手を叩き感動を表すと「次はこれ!」と手持ち花火を四人に渡した。


それぞれがロウソクに向かって一斉に火を点ける。まず火が点いたのは元喜だった。


その後を追うように次々と花火に火を点した。元喜は両手に持った花火をグルグル回し、庭中を走り回る。


俺は再びベンチに腰掛けると、航が色んな種類の手持ち花火を俺の前に置き、「二人にしてやるから後は何とかしろ」と航はそう言って、向こうで元喜を見ながら笑う歩実を呼んだ。


「なに?」


「まぁ、座れよ」航は俺のの隣を指差し、歩実を誘導した。


歩実がベンチに腰掛けると航は何も言わずにその場を去った。


俺は去って行く渡るに「お前が座れって言ったのに何も言わないのかよ」と心の中で叫んだ。


「どういう事?」歩実は首を傾げ俺に尋ねた。俺も「わかんない」と首を傾げる。


歩実の花火の火が消えかけた時、俺の前に投げ捨てられた花火を一つ渡した。


「今日はバイト休みだったの?」


「うん。昨日で最後だったんだ」


「そうなんだ……なんかこうして喋るの久しぶりだね」


向こう側で元喜が騒いでるのを眺めながら歩実は言った。


今も会話はどこかぎこちなく、お互い気を張ってる感じがあった。


「あのさ……」


俺は歩実の方に顔を向けた。「なに?」と歩実もこちらを向く。


「この前の事、もし気にしてるなら全然大丈夫だから。俺もタイミング悪かったっていうか、ここのタイミングで言うのかよ、みたいな所あったし……。でも気持ちは変わらないし何て言うか……俺はいつまでも待ってる。てそんな立場でもないけど……」


しどろもどろになる俺は花火の火が消えている事にも気付かなかった。


「ありがとう。気持ちはすごい嬉しかったよ。そんな風に思ってくれてたなんて知らなかったから……。あれから考えてたんだけど、やっぱり大ちゃんと気まずいままじゃ嫌だし、今までみたいに仲良くしたいと思ってるんだけど……。仲良くしてくれる?」


少し照れながら話す歩実に、俺の胸は大きく高鳴った。


「当たり前だろ!」


気持ちが高まってついベンチから立ち上がってしまう。


「いや、立たなくてもいいから」と歩実は笑顔で言った。


歩実の笑顔は本当に久しぶりに感じた。


今まで当たり前に見ていた笑顔も、今思うと幸せな時間だったと気付かされる。


「おっしゃぁ! 皆で線香花火大会しようぜ!」


「お前何で急にそんなのテンション上がってんだよ」


声を張り上げる俺に航が言った。


こうして、夏休み最後の思い出作りが終わったのだが、俺と元喜の課題が終わらなかった事は言うまでもない。

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