第2話 夏(9)

「ピンポーン」チャイムの音が鳴り響く。


朝早くから俺と元喜は両手に大荷物を抱え、航の家の前に立っていた。


片方の手には着替えや歯ブラシなどのお泊りセット。


反対の手には大量の課題をぶら下げ、玄関が開くのを待っていた。


「ガチャ」と玄関の鍵が開く音が聞こえ、玄関からは航のお母さんだろうか? 優しい顔で微笑み「どうぞ」と家に招き入れてくれた。


「お邪魔します」いつもより深々と頭を下げ、靴をしっかり揃えてから航の部屋へと向かった。


玄関の正面にある階段を登り、突き当りを右に曲がるといくつかの扉が見える。


その扉の一番奥にある部屋が航の部屋みたいだ。


元喜は自分家のように「こっちこっち」と得意気に俺を先導し、勢いよく航の部屋の扉を開けた。


「もっと静かに入って来いよ」


航はベッドに横になって雑誌読んでいた。


部屋は白と黒を基調にしたシックな部屋で、机にソファ、本棚やオーディオなど、一目見ただけで航のセンスの良さがが感じられた。


俺の部屋とは違い、綺麗に整理整頓されて床に物など何も落ちていなかった。


そんな洗礼された部屋に、元喜は自分の持っていた荷物を無造作に下ろし、撒き散らすように課題を並べ始めた。


そんな元喜を見ながら航はため息を吐き、自分の机の上にあった課題を取り元喜に渡した。


元喜は拝むようにその課題を受け取り、筆箱からシャーペンを取り出しカタカタと写し始めた。


俺も元喜の正面に腰を下ろし、苦手な英語から取り掛かった。


三十分ぐらい経っただろうか。俺は正面に座る元喜の頭が、徐々に机に向かって沈んで行くのが気なってしょうがなかった。


「元喜! まだ三十分ぐらいしかしてないぞ!」


元喜は一生懸命睡魔と戦った末に「無理! ちょっと休憩」と言って床に寝転んだ。


「集中力無さすぎなんだよ。だから徹夜でやる事になるんだよ」航は呆れた表情で元喜を見る。


元喜は放っておいて、俺は苦手なアルファベットと睨めっこしながら、間違えないように何度も何度も確認しながら課題を写した。


航が不意に携帯を触り「あっ、今から夢が帆夏連れてくみたいだわ」と元喜に聞こえるように言うと、床に寝ていた元喜が勢いよく起き上がると、目を輝かせ「ほんとに?」と興奮気味に尋ねた。


「単純だなお前は。嘘に決まってんだろ」


航が笑いながら言うと元喜は「なんだぁ」と残念そうに萎れた。


「そういえば元喜、花火大会の日の事まだ聞いてなかったから聞かせてよ。あの後どうなった?」


俺は前のめりになり元喜を問い詰める。


「ていうか二人とも騙したでしょ! 歩実が携帯落とした事、俺本気で心配したんだからね!」


「待って! その事は俺も知らなかったから! 騙したのは航と歩実と夢だって」


航は仰け反りながら笑っていた。


「二人になれたんだから良かっただろ?」


悪びれる様子もなく航が元喜に言うと「まぁね」と照れ臭そうに答えた。


俺達はそれから課題の事を忘れ、花火大会の日の出来事を語り合った。


元喜の話が終わって時計に目を向けると、時刻は既にお昼前だった。


予想以上に盛り上がり、かなりの時間をロスしてしまった。


「あぁ、お腹減った」元喜が床に寝転ぶ。


「今家に誰もいないから、下に行って皆のカップラーメンでも作って来いよ」と航が言うと、元喜はすっくと立ち上がり部屋を出た。


「元喜が台所使っていいのかよ」


他所の家の台所を使うなど普通はしない。疑問に思った俺は航に尋ねた。


「あいつは昔から俺の家政婦だからな」


航は本気なのか冗談なのか判断し辛い言葉で返してきた。


元喜が来るまで少しでも課題に手を付けておこうと思い、机に投げ捨てられたシャーペンを握り、航の課題を写す俺に航は聞いてきた。


「そういえばお前、あれから歩実とはどうなんだよ」


「何にも。会ってもない、話してもない、連絡も取ってない」


俺は手を止めずに答えた。


「連絡も取ってないのかよ。お前に一つ教えといてやる。告白した奴よりも振った奴の方が相手に気を使うもんなんだよ。お前がいつまでもくよくよしてんじゃねぇよ」


航は俺に人差し指を指しながら言った。


「じゃあなんて言えばいいんだよ! 俺だって悩んだけど思い付かなかったんだよ」


俺は口を尖らせ航に反発した。航は俺の言葉に呆れた表情を浮かべ、語りだす。


「まず振られたお前がいつまでも気まずそうにしてると、余計歩実がお前に対して申し訳ないって気持ちになるだろ。別に悪い事をしてないのに、なぜか嫌悪感に押し潰されそうになるんだよ。それもこれも全部お前が情けないのが原因だ。告白したら、次の日には友達じゃいられないなんておかしいだろ? だったらお前が徐々にでも、今まで通りに接してやれば歩実も少しは気が楽になるもんなんだよ」


「わかってるよ」


俺は力の無い声で言った。航の言葉を否定する事も言い返す事も出来ない。


「わかってねぇよ」


そう言うと航は誰かに電話を掛け始めた。


携帯からコールする音が漏れて聞こえる。三コールすると女性の声が聞こえた。


「もしもし、今日家来れる? 今、元喜と大地来てんだけど」


航はその女性と馴れた様子で話している。


「でさぁ。歩実も一緒に連れてきてくれない? 頼んだ」


会話の口振りからすると、電話の相手は夢である事に気付いた。航は淡々と要件を伝え、二人を家に呼びつけた。


電話を切り終えた航に「お前急過ぎだろ!」と俺は言った。


「善は急げ。て言うだろ? それにお前わかってんだろ? だったら言い機会だろ」


航のそのあっけらかんとした姿に、俺は言い返す気にもなれなかった。


それとは別に、約一か月ぶりに会えるのを楽しみに感じている自分もいた。


ドンドンと下から階段を上がる音がする。


ガチャと部屋の戸が開き、元喜がカップラーメンのスープを零さないように慎重に机へと運ぶ。


なぜかおぼんの上には四つカップラーメンが用意されていた。

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