第2話 夏(8)
夏休みも終盤に差し掛かり残り一週間となった。
あの花火大会以降、俺は歩実とは会う事はなかった。
何度か連絡しようと思って携帯を手に取り文章を考えるが、これといっていい言葉が思い浮かばない。
「良い天気だし、どこかに遊びに行く?」振られた直後の男が言う言葉じゃない「ちょっと会えない?」これは重すぎる「なにしてるの?」お前に関係ないだろ、と思われそうだし何より中身が薄い。
結局何もしないまま俺はバイトに明け暮れた。
俺達は今日が最後のバイトで茂田さんに晩御飯をご馳走になる事になった。
海の家から海岸線を車で十分程走り、町中に入るとある店に茂田さんは車を止め「着いたぞ」と運転席のドアを開けた。
俺は助手席のドアを開け店の看板を見てみると<茂ちゃん>と木枠の板に大きく書かれていた。
「え? ここって茂田さんの店ですか?」
「おぉそうだ。驚いたか?」
茂田さんは自慢気に胸を張り店に入って行く。
確かに日頃何をしているか聞いた事は無かったが、まさか自分の店を持っているなんて思わなかった。
俺は茂田さんの後を追うように店に入った。
入り口に掛かっているのれんを掻き分けると、お世辞にも広いとは言えないが綺麗で落ち着いた雰囲気の店だった。
入るとすぐカウンター席が並んでいて、その奥に六人テーブルの置かれた掘りごたつの部屋が二部屋あった。
キッチンはオープンキッチンになっていてカウンター席の向かいにあった。
茂田さんは俺達を奥の部屋へ招き入れ、メニュー表を渡してきた。
「今日は好きなだけ食え! 何でもいいぞ!」
腰にエプロンを巻き、腕を組み準備している。
「茂田さん大好き!」
元喜が無邪気に喜ぶ中、航は真剣にメニューを眺めていた。
航が見ているメニュー表を横から覗き込み始めてここが居酒屋なのだと気付いた。
俺達はありったけの料理を注文し今か今かと待ちわびていた。
俺は料理の完成が待ちきれず、カウンター席から茂田さんの姿を見て思った。
茂田さんは普段はふざけているが、仕事になると凄いオーラを放つ。約一か月の間だが、俺は茂田さんの隣で働いてそれを肌で感じていた。
手際良く下準備をし、衣がたっぷり付いた天ぷらを丁寧に油へと忍ばせた。
隣では並行して豚肉が炒められている。これは恐らく航が頼んだ豚キムチだろう。
その更に隣では、串が炭の上で焼かれていた。俺はこの一か月の間に料理に興味が湧いたのか、茂田さんの作業を見入った。
「大地」とキッチンから俺の名を呼ぶ。
俺は茂田さんを見て「なんですか?」と尋ねた。
「お前は将来何になりたいんだ?」
考えた事も無かった。ついこないだ中学を卒業した俺には、就職という言葉は縁の無いものだった。
「特には無いです。深く考えた事も無いです」
「お前、料理の道に進んだらどうだ? 短い間だが、お前を見てきた俺からすると良いものは持ってる。手先は器用で、要領も悪くない。お前が興味あったらって話だが」
「まぁ、少しはありますけど、仕事になるとまだわかんないです。正直、働くって事をこの前お覚えたばかりですよ?」
「それもそうだな。ほら! 出来たぞ!」鉄板に上に乗せられた豚キムチはジューと音を立て湯気をだしている。
俺は「いただきます」とカウンター席から割り箸を取り、食べようとすると、それに気付いた航が後ろから強引に豚キムチを取り上げ、奥の席へと移動した。
俺はその湯気を辿るように付いて行った。
料理は次々に運ばれては三人の胃の中に消えていき「お前達よく食べるなぁ」と茂田さんも感心する程食べた。
腹が満たされると俺は横になった。
茂田さんが焼酎を片手に座敷に上がり込んできて、今一番聞きたくない言葉を言った。
「そういえばお前らバイトばっかりしてたから、夏休みの課題終わってないんじゃないのか?」
「とっくに終わったに決まってるでしょ」
航は得意げに言った。
「航。俺もね、頑張ってやったんだけど……全部わからなかったんだよぉ。でも頑張ったんだよ? だからお願いします!」
元喜が泣き付くようにお願いしていた。
不思議に思った俺は「どういうこと?」と質問すると、元喜が中学時代の話を語りだした。
どうやら中学の時から航の課題を丸写しするのが恒例になっているらしい。
元喜は昔からお世話になっていて、夏休みや冬休みが終わる前になるとこうして航に頼み込んでいるらしい。
確かに航は勉強も出来が良かったので夏休みの課題ぐらい訳ないという事か。
「そういう事な。元喜は航にいつ見せてもらうの?」
「いつも航の家に泊めてもらって徹夜でやるんだ。航! 明日家に行ってもいい?」
「全く。ほんと毎年だな。別にいいけど丸写しはするなよ」
元喜は明日航の課題を写す事を承諾された。
両手を天に突き上げ大袈裟なくらい喜んでいる。
人の事は言えないが、俺も夏休みの課題はまだ終わっていなかった。
それどころか、夏休みに入ってから一度も鞄を開けていない。
鞄は無造作に部屋の隅に投げ捨てたままである事を、俺は今まで忘れていた。
「大地は課題終わったの?」元喜が尋ねた。
「終わってない、というか触ってない。航兄さん俺もお願いします!」
屈辱だとかそんな話は課題が無事終わってからだ。
今はただあの膨大な量の課題を終わらせる事が最優先だ。俺は床に手を付き、渾身の土下座を航にした。
「カシャ」
カメラのシャッター音が鳴る。顔を上げると航の手には携帯カメラが軌道され、俺の土下座姿を携帯カメラで撮っていた。
俺は航の顔を睨み上げ「お前趣味悪いぞ」と航の携帯に飛び付こうとした。
「いいのか? 見せてやらねぇぞ?」
「お前の血の色は何色だよ」
俺達のやり取りに「ぎゃはは」と元喜の笑い声が部屋中に響いた。
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