第2話 夏(6)
あと少し。頭の中で何度も呟く。
花火大会当日、俺はバイトが終わる時間を絶えずチェックしていた。
今日は茂田さんの計らいでいつもより早くバイトを上がれる事になっていた。
終わりの時間が近付くに連れ、気持ち盛り上がっていく。
バイトが終わり次第、俺達三人は歩実と夢とバス停付近で落ち合う段取りになっている。
落ち着きなく動き回る俺に、茂田さんが「大地、どれだけ楽しみなんだよ。今日はもういいから行け!」と口に出す。
その言葉を聞いた瞬間、俺は一目散に着替えを済まし、店のトイレでぼさぼさの髪の毛を濡らした。
無造作に置かれたタオルで髪を拭き、今日の為に持ってきた自前のワックスで髪の毛をいじくり回す。
あまりに一生懸命な俺を見て「青春だなぁ、俺にもそんな時代があったよ」と茂田さんが懐かしそうに呟いた。
「大地! 早くしないと歩実達きちゃうよ?」
元喜の言葉に焦りながらも、なんとか髪の毛をセットし終える。
「お疲れ様でした! じゃあちょっと青春してきます!」
俺は茂田さんに一礼すると、茂田さんは俺に向かって拳を突き上げた。
その意味はよくわからないが、茂田さん風の激励なのかもしれない。
早足でバス停まで向かう三人。人の波に逆らいながらなんとか時間内に到着した。
到着とほぼ同時にバスがやって来て、ものすごい数の集団が降車してくる。
女性達は綺麗な模様の浴衣を纏い、片手には巾着を持ち背中にうちわを挿している。
下駄の独特な音と、会場全体に鳴り響く太鼓の音が夏の祭りを更に色付ける。
集団の最後尾辺りまで待つと「お待たせ」と声がする。
最初に歩いて来たのは夢だ。黒を基調とした花柄の浴衣で、長い髪は複雑な構造をした結び方で可愛くセットされていた。
夢の後ろに続いてピンクの浴衣に花びら模様の浴衣姿で歩実が降りてくる。
綺麗に着付けされていて、きっとバスの中でも崩れない様に気を使っていたに違いない。
ショートカットの髪はいつも見ているのとは違い、緩いパーマが掛かっていて、花の髪飾りが着いている。
その浴衣姿を見て凄まじい衝撃が俺の胸に刺さる。
言葉を失ったまま歩実を見続ける俺の横で口を開けたまま、呆然と立ちすくむ元喜がいた。
元喜は歩実に見惚れている訳では無く視線はその後ろにあった。
水色の浴衣姿の女の子が歩実と少し距離をあけて歩いて来る。
「じゃじゃーん。帆夏も誘っちゃった」
夢は帆夏の手を引き俺達の前に連れてきた。
「あの、私も一緒にきてよかったのかな?」
周りの雑音にかき消されそうなくらいか細い声で言う帆夏に、元喜が高速で首を縦に振る。
「じゃあ行こうか」
夢はそう言って航と先頭を歩く。
元喜と帆夏が後ろに続き、最後尾に俺と歩実が隣同士で進む。
先頭の航と夢は、何を話しているかは聞こえないが、はしゃいでいる夢の話を航が只々聞いていた。
前の元喜達は、一生懸命話題を切らさない様に元喜が猛烈にトークをしている。
帆夏も心なしか嬉しそうに見える。
「なんか話してよ」
歩実は俺の服を引っ張りながら膨れた顔で言った。
特に話題も用意していなければ、さっきの衝撃でまだ少し麻痺している俺は暑さからなのか、焦りからなのか体中から汗が噴き出る。
「暑いな」
我ながら中身の無い会話だ……。
「ぷっ。なにそれ。普通楽しみだねとか、なに食べようかとか他にもっとあるでしょ?」
「今の独り言だから! まだ話し掛けてないの! 今から掛けようと思ってたのにお前が変な事言うから忘れちゃったよ」
本当に言いたい事はそんな事じゃない。
ただ歩実の浴衣姿が綺麗だと伝えるだけなのに、俺にはこの言葉がどんな物より重く感じた。
「じゃあ待ってるから話し掛けてきてね?」
「あー、あれだ、帆夏誘ったんだな」
「おー。大ちゃんにしてはまともな滑り出し。元喜が喜ぶかなぁって思ってサプライズで誘ってたの!」
「ん?お前も元喜の好きな人知ってたの?」
「当たり前でしょ? バレバレだよ」
会場に近付くに連れ人の波と熱気が増してくる。
俺達は会場の入り口前で一旦止まると先頭の航が振り返ってこう言った。
「わりぃ元喜、俺海の家に財布忘れたから取りに行ってくるわ。先に行っといて」
「一人じゃ迷子になるでしょ? 私も行くよ」
夢が航の後を追う。
四人で顔を見合わせ「どうする?」と相談してると、なにやら横で歩実がゴソゴソと必死に何かを探している。
「うそ! 携帯落としちゃったかも」
「嘘だろ? こんな人混みの中じゃわかんないぞ?」
俺は焦りながら歩実の携帯に電話を掛けようとしたが、その手を止められ「いいから一緒に探しに行こう」と手を取られた。
「元喜達は気にせず先に行っといて! 後で連絡するから」
歩実は大きな声でそう言うと、人の流れに逆らう様にもう一度バス停の方に向かった。
少し歩くと、持っていた巾着から携帯を取り出し、誰かに電話をし始めた。
「もしもし? 無事成功したよ」
何の話かさっぱりわからない。歩実の電話が終わると俺は「携帯あるじゃん」と指を指した。
歩実は小さく微笑むと「大ちゃんって本当鈍感だよね」と言ってまた会場へと引き返して行く。
どうやらこの計画は最初から決まっていたようで、航と夢、歩実によって仕組まれた元喜の為のハッピー計画だそうだ。
なぜ俺だけに知らせて貰えなかったというと、事情を知ると俺はすぐに顔に出て、元喜にばれる可能性があったからだ。
事情を知らない俺が、歩実の携帯に電話を掛けようとした事は予想外だったらしく、危うく計画が丸潰れになる所だったみたいだ。俺は今その計画の全貌を知った。
この後、海の家で航と夢と落ち合う予定になっている。
人波に揉まれながら、逸れないように俺の服の袖を掴む歩実の手がやけに嬉しかった。
海の家は会場と逆方向にある為、自然と人だかりは減っていき、歩実の手が俺の服から離れた。
俺は人が減り、逸れる事が無くなったからと思ったが、その後すぐに歩実は俺の後ろに隠れた。
俺はその行動が不思議に思い振り返ると、歩実は不自然な程下を向き「いいからこのまま歩いて」と呟いた。
とりあえずそのまま歩く事にし、視線を前に向けると前方から見た事のある二人が歩いて来る。
その二人に接点があるのかどうかはわからないが、今日この日に手を繋いで歩いているという事は、つまりそういう事なのだろう。
俺はすぐに察知した。そう言えば彼女の方は俺達の高校の卒業生だ。
という事は彼と接点があってもおかしくはなかった。
「大地君!」
大きな声で俺の名を呼び、手を振りながら歩いて来る彼女は麗香さんだ。
その横で手を繋いでいる焼けた肌の爽やかな彼は、水田先輩だった。
歩実が俺の背に身を隠したのは、水田先輩との接触を避ける為だった。
「麗香さんの彼氏さんって水田先輩だったんですね」
後ろから背中を叩かれる。
恐らく「早く行け」と歩実が合図しているのだろうけど、俺にこの場を切り抜ける術が無かった。
俺の背中の異変に気付いた水田先輩が覗き込む。
「あれ? 歩実じゃん。来てたんだ」
水田先輩は驚いた顔で歩実を見た。
歩実は下を向いたまま「こんばんわ」とだけ挨拶をし、またすぐに俺の背に隠れた。
歩実はたぶん、水田先輩に彼女がいた事は知らなかったのではないだろうか? その事実をこうして突き付けられ戸惑っている様に見えた。
俺はとにかくこの場を切り抜ける為、半ば強引に会話を断ち切りその場を後にした。
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