第1話 春(3)

「おはよー! なんで昨日先に帰ってたの?」


翌朝の登校時、いつもように挨拶をしてくる歩実。


俺はあの後、歩実を待たずに先に帰ったのだ。


「男のとこに行ったのはお前だろ?」


少し皮肉を言って返す。


「お前じゃありません! 歩実って名前がありますよーだ」


ガキみたいなこと言い出したので、俺は無視して校舎に入る。それから教室に入るまで「ちょっと、なんで無視するの?」と歩実は後ろからついてくる。


「面倒くさいから」


そう言うと歩実はだいたいねぇ、と説教を始めだす。そこへ夢がやって来た。


「なに朝からジャレてるの?」


俺達を見て少しからかい気味に言ってきた。


「夢聞いてよ! 大ちゃんが昨日無視して帰っちゃうんだよ」


歩実は夢に一生懸命に昨日起こった出来事を説明した。


「いや、だから先にいなくなったのはお前だから」


火に油を注ぐように俺が言うと、夢が程々にしときなよ、とニヤニヤしながらその場を去った。


俺と歩実の言い争いは朝礼前まで続いた。


確かに昨日は少し悪かったと思っているが、そもそも歩実が先にいなくなったのだから帰るのが普通じゃないのか?と思い1日モヤモヤしていた。


胸の奥の方に、黒くグチャグチャしたようなものがあって心底気持ちが悪かった。


その日の昼、イライラした状態に追い打ちをかけるかのように航が言った。


「お前、断り方感じ悪いな」


いや、待て。お前だけには言われたくない。


いつも最初に断る奴に、こうも言われたらさらに腹が立つ。航のせいでモヤモヤが増す俺。


昼休みが終わり、夢が俺の所に近寄ってきて歩実と仲直り出来た?と俺の表情を伺いながら聞いてきた。


「話してもない」


少し強い口調で返す。夢はポンッと俺の肩を叩いた。


「私に任せときなさい」


そう得意げに言うと歩実に何かを言いに行ったようだ。


午後の授業はいつも以上に頭に入ってこない。


俺は外を見つめたまま心を落ち着かせていたが、次第に強烈な睡魔が襲ってきた。


こんな状態でも眠くなるのかと、不思議に思いながら俺は机に伏せ眠りについた。


チャイムの音で目が覚める。既に午後の授業は終わっているようだった。


一時間ぐらい寝ていただろうか、俺は皆が帰り支度をしている間に、トイレに行った。


用事を済ませ教室に戻ると夢が俺の席に座っていた。


「何やってんの?」


目を赤くして言う俺を見て夢は笑っている。


寝起きのせいか、目が少し赤く腫れていつもと違う顔になっていたようだ。


「目、変だよ」


夢は笑いながら立ち上がる。続けて夢が俺の耳元でこう言った。


「歩実が話あるから一緒に帰ろう。だって」


少し悪戯そうな笑顔で俺を見る。俺は不覚にもニヤついてしまう。


夢は俺の口角が少し上がった瞬間を見逃さなかった。


「嬉しそうでよかったよ」


夢は満足そうに俺の席から離れて行った。


放課後、俺は下駄箱で歩実を待っていた。


夢と楽しそうに話しながら下駄箱へやって来る。


靴に履き替える時、俺に気付いた夢は歩実にバレない様に口パクでじゃあ、あとよろしくと口を動かした。

「また明日ね」


夢は手を振り帰って行った。下駄箱は帰宅ラッシュで人が溢れ返っていた。


「お待たせ。私達も帰ろうか」


俺達は人混みを割きながら玄関を出た。


帰り道、俺は今日一日のイライラが嘘のように緊張していた。


歩実と帰りに偶然会う事はあったが、一緒に帰ろうと誘われたのは初めてだった。


沈黙のまま時が過ぎる。俺は話があると誘って来たのに何で何も言わないんだ?と疑問に思ったが敢えて歩実が口を開くのを待った。


それから数分の時が流れ、長かった沈黙を歩実が破る。


「話ってなに?」


「え? 話あるの、お前だろ?」


「夢から大ちゃんが話あるって言うから」


不思議そうに俺を見る。


「俺も夢から言われたんだけど……」


どうやら夢は二人に同じ事を言っていたようだ。


「なんだー、話あるって言ったのに全然話してこないから、おかしいなとは思ったんだよね。しかもあの、超超超人見知りの大ちゃんが、一緒に帰ろうって誘うのは珍しいなぁと思ったんだよね」


歩実は笑いながら言う。


「何だよ。じゃあこんなに緊張する事無かったのに」


小さな声で呟く。


「なに?告白されると思った?」


冗談で俺をからかってくる。俺は心の片隅に小さな期待があった事は歩実には黙っていようと思った。


「そんな訳ないだろ。お前が今日の事謝ってくるのかと思った」


「何で私が謝るの? 謝るのは大ちゃんの方でしょ?」


「そりゃ、俺も悪かったけどお前も悪かっただろ?」


「じゃお二人で謝ろうよ」


無邪気な笑顔で俺を見る。


俺達は「せーの」と言ってお互い一緒に謝ろうとした。


しかし、その後に「ごめん」と謝ったのは俺だけだった。


「おい。話が違うぞ」


俺は歩実を問い詰める。


「いいよ! 許してあげる」


歩実は満面の笑みで俺を見る。


「お前も謝れよ」


「男の子が終わった事をグチグチ言わないの」


何とも都合のいい事言っている。


俺にも小さいながらプライドがある。


その小さなプライドの為にも、俺は歩実にそれ以上は言わなかった。


その後、俺達はいつもの分かれ道まで色んな事を話した。


家族の事、中学時代の事、将来の事、昨日の事。


その時間はあっという間に過ぎた。昨日の声の主はどうやら歩実の中学時代からの先輩らしい。


二つ年上の先輩でサッカー部のキャプテンをしていて、歩実は中学時代からその先輩から可愛がられているようだ。名前は水田先輩だそうだ。


先輩の話を楽しそうにする歩実を見ていると、俺は胸が苦しくなった。


春風が歩実の短い髪を撫でる。桜が散り終わる頃、俺はその横顔に恋をしていた。

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