第3話 覚悟

キャストタウンを眩しい夕焼けが照らす。

夕方になると王族の元で働く兵隊たちも自宅に帰る。

王の側近以外は街の住宅区へと帰れるのであった。


屋敷で働くことは街の住民から非難されることだが、その代わりに安定した生活を保障されている。

それでも入りたての下っ端はやはり生活の保障も薄く、苦しい暮らしをしている人が最近では増えてきたとノエルは聞いたことがあった。

なぜそんなことが記憶の片隅にあるのかノエル本人も疑問だが、母がどこか懐かしい声の人物と話しているのを聞いたのかもしれない。

そう思った。


「来たぞ」


ヴェンは小声で呟くと、屋敷の方からは仕事を終えた人たちが中央区を抜ける。

開発区にお酒を飲みに行く人。住宅区にいる家族の元へ真っ直ぐ帰る人。

その集団の中でひと際細く、今から葬式にでも行くような面持ちで歩く男を見つけた。


「お、あいつなんてどうだ? 今にも死にそうな顔してる」


ヴェンが彼を指さしてノエルに聞いた。

お金で情報を買おうとしている二人は、王族に仕えている兵隊の中でもお金に困っている人を探す必要があった。


開発区にお酒を飲みに行くという人たちは、とてもお金に困っているようには見えない。

住宅区に家族を持つ人たちは悪事に手を染めないだろう。

ノエルとヴェンがしていることが悪事かと言われると、そうでもないのだろうけど、王族に歯向かうとはやはりいいことではないのだろう。


そこで二人は先ほどの彼に目を付けた。

一見冴えない細身の男は、フラフラと住宅区の方にも、開発区の方にも向かわずに、市場のある農業区の方へ向かった。

彼の後を追って行くと、彼は市場で売れ残った食材を購入している。


晩御飯の買い物であろうか。

王族に仕えている者が市場で買い物とは、なんとも珍しい光景である。

大抵、王族たちは働いている者も含めて、屋敷から食材を提供されているはずだが、彼にはその恩恵がないようだ。


「当たりかな」


ノエルがヴェンにそう告げると、コクっと一つ頷いた。

彼は可哀そうになるくらい、市場の人たちから文句や皮肉を言われながらも、生きるために食材を求める。

別に彼が悪い訳ではない。

大人たちもそれは分かっているが、収まりのつかない怒りを屋敷の者に当たるには彼が丁度いいだけなのだ。


そんな光景を見てノエルは少しだけ同情をした。

ヴェンは何も感じていない様子で、買い物が終わった彼の前に立ちはだかった。


「あのさ。話があるんだけどいいかな」


「君は……」


彼はヴェンの姿を見て少し考えた後、「君はヴェンか?」と優しい笑顔で言った。

ヴェンは「そうさ」と否定することなく言う。


ノエルはヴェンよりも三歩程後ろの辺りで、二人の会話に耳を澄ませていた。


「おっちゃん、洞窟って知ってる?」


「おっちゃんって。僕はこう見えてもまだ二十代だよ」


ヴェンのおっちゃんと呼ぶ声が嫌だったのか、質問に応えるよりも先に自分の年齢を口にした。


「じゃあ、兄ちゃん。洞窟って知ってる?」


ヴェンはおっちゃんという部分を兄ちゃんに変え、もう一度同じ質問をする。

彼は渋い顔で何かを考えているが、ヴェンの質問にはすぐに答えなかった。

洞窟を知らないのか、それとも知っているが答えれないのか。

二人は彼の返事を黙って待っていた。


「洞窟ってなんのだい? それを聞いてどうするんだい?」


今度は彼が尋ねてきた。

質問に答えるのではなく、ヴェンが何の目的で洞窟を探しているのかを探っている。


「オイラたちは洞窟の先にある海ってのを探してる」


「ちょっとヴェン。いいの?」


真実を話してしまったヴェンをノエルが止める。

まだ子供とは言え、王族の秘密を知ったからにはこの街にいられないかもしれない。

もしかすると牢屋に閉じ込められて、一生そこで過ごすことになるかもとノエルの頭を駆け巡る。


「そうかい。君たちは何も知らない方がいい。子供にはどうしようもないことがある」


「待って。お金ならある。情報が欲しいんだ」


ほら。言わんこっちゃない。ノエルはそう思った。

結局はいつもの正面突破だと思いながらも、ヴェンと一緒になってお願いする。


「兄ちゃんもこの街の秘密知ってるんだよね? 僕たちはそれを知りたい。この街を変えたいんだ」


ノエルは去り行く彼の背中に言う。

彼は足をピタッと止めて、二人を見てこう言った。


「明日、また同じ時間に噴水広場で会おう。詳しい話はその時に」


それだけ言うと、またフラフラした足取りで帰って行った。



                ※



翌日。昨日と同じ時間に、指定された場所で待つ二人。

しばらくすると細身の彼はフラフラしながら現れた。

二人を手招きして、人通りの少ない路地に入り、木箱の上に腰を落ち着かせた。


そこは夕方の日も、騒がしい街の声も、鳴り響く音楽も聞こえない場所。

辺りは薄暗く、その雰囲気は暗く重い空気を漂わせていた。

ノエルは初めて森に入ろうとしたあの時の感覚に似ていると感じた。


「で、なにが知りたいの」


男は唐突に話を切り出した。

昨日見た顔とは違い、今日の顔つきはかなり強張っていた。


「洞窟の場所について」


ヴェンが淡々と要件を伝える。


「洞窟の場所は知らない」


彼はそう答えるとヴェンがすぐに「昨日知ってるって」と食い付くが「知ってるとは言ってない」と一蹴される。

確かに彼は場所を指定して話を聞いてくれる態度はとったが、洞窟のありかを教えるとは言っていない。

大人の汚い罠に引っかかったと思ったが、彼の口から思わぬ言葉が。


「洞窟の場所は知らない。でもその場所を知ってる人は知ってる」


「まさか、それってルーク? ギル?」


ノエルがその名を発した瞬間に彼は驚いた表情をし、「君たちは一体どこまで」と小さく吐く。

仕切り直し、彼は「ルークは分からないが、ギルって男は知ってるよ」と二人に告げる。


彼はギルの居場所を教える代わりに、自分はこの件に一切関係していないこと。

そして深入りをしないことを二人に誓わせた。

二人は彼の言うことを聞き入れ、ギルの居場所を聞いた。


ギルはルークの日記に出て来た登場人物。

恐らく洞窟を知っているということは本人に違いないだろうが、二人は本人に会ったとしてもそれを確認する術はない。

だからと言って彼が嘘を吐くメリットもないので、ここは彼の情報を頼りにギルを探すことにした。


彼には謝礼としてお金を渡そうとしたが「子供から金は取れない」とどこまでも律儀な男だった。

あんなにやつれてまで王族の元で働く意味があるのだろうか。

ノエルは言葉にしかけたが、彼の姿になにか意味深のような物を感じ、その言葉は飲み込んだ。


彼の情報によるとギルは開発区に住んでいるらしい。

二人は開発区の地域にはあまり詳しくない。

そこである一人の男の顔が思い浮かんだ。サイだ。


二人はサイから渡された地図を元にサイのいる研究室に向かう。

開発区にはサイのような恰好した人が多くいて、時折遠くの方で「ドカン」と何かが破裂したような音もしていた。

道中には奇妙な色の液体を眺めながらニヤついている老人や、本を難しい顔で眺める青年まで様々だ。


開発区に入って数キロほど歩いたところに、地図が記す研究室があった。

恐る恐るその研究室に足を踏み入れ、薄暗い廊下を進む。

プッシュと空気が抜ける音や、コポコポと液体が蒸発するような音まで響いている。


曲線になっている廊下を進んだ先にサイの姿が見えた。


「サイ。聞きたいことが」


「伏せろ!」


ヴェンの声に気付いたサイは二人に向けってそう叫んだ。

そしてサイ本人も二人のいる方に向かって走り、何かから逃げていた。


数秒もしない内に大きな炸裂音が研究室中に響き渡る。

それと同時に黒い煙が辺りを覆いつくす。

真っ黒の顔になった三人はお互いの顔を見て、笑うしかなかった。




               ※




「ロイ! ロイはいるか!」


王が怒鳴るような声でロイを探し回る。

その声を聞きつけロイはすぐに王のいるところへと向かう。


「御用でしょうか?」


「そこにいたか。近頃妙な街のガキが洞窟について嗅ぎ回ってるらしい。見つけて躾といてやれ」


「かしこまりました」


深々と頭を下げるロイは、王が立ち去るまで同じ姿勢を維持する。

王が部屋に入ると、近くの兵隊に「街のガキってのは?」と尋ねた。


彼は街で起こっていることを簡潔に話すと、二人の特徴を語る。

だがその特徴は実に曖昧で、どこにでもいる子供の特徴と変わりがない。

それだけで人物を特定するのは困難であった。


ロイは難しい顔をして彼の話を聞き終えると、「ありがとう」とだけ言いその場を後にした。

屋敷の中で『街のガキ』というワードを元に情報を集めるが、みな似たような情報でこれと言って決め手にかける。

仕方がないので屋敷の外まで情報を探しに、ロイは街の方まで行くことにした。


「ロイ様、お勤めご苦労様です」


通りすがりに細身の彼がロイに頭を下げる。

ロイは「ああ、お疲れ様」といつものように返事をする。

今にも倒れそうな彼にダメもとで「そうだ。街のガキについてなにか知っているか?」と尋ねた。


どうせ屋敷で聞いたことと同じ情報が返ってくるだろう。

そう思っていた。


「彼らのことですか?」


そこに立つ細身の男は、首を傾げるでもなく、屋敷で噂になっている情報でもなく、『彼ら』と既にその人物を知るかのような返事をした。


「なにか知っているなら教えてほしい」


「いえ、なにも」


細身の男は知らないふりをする。

口を滑らせたことを後悔しているのか、少し目が俯き、ロイとは目を合わさなくなった。

男もまた自分の保身の為に、その事実を話す訳にはいかなかったのだろう。


「悪いようにはしない。頼む」


ロイは自分よりも明らかに階級の低い彼に頭を下げた。

それを見た彼もさすがに「頭を上げて下さい」と焦りを隠せない。


ロイは王の側近ではあるが、屋敷での信用は誰よりもあった。

王からも、そして屋敷で働く者からも。

だからロイに頭を下げられるというのは、失礼に当たる行為だと下の者なら誰でも知っていた。


彼は「これは内密にお願いします」と言い、ロイに事実を打ち明ける。

事実を聞いたロイは「そうか」とだけ言うと、屋敷の中へと戻って行った。

彼は何かまずいことをしたのではないかと不安そうな顔をして、ロイの後姿を眺めていた。



カランコロン

入口のベルがお客さんの入店を知らせる。


「いらっしゃい」


渋い声で挨拶をするマスターに会釈をして一番端のカウンター席に腰を落ち着かせた。

ロイは着ていたコートを脱ぎ、隣の椅子に掛けると「いつものを」とマスターに注文する。


レットリートはいつもの薄暗い店内に落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

ここに屋敷の者が飲みに来ているなんて誰も思わない。

そのぐらい静かで過ごしやすい場所だった。


「準備の方はどうだ」


ロイはふと隣の男に声を掛ける。


「順調だよ。予定通りさ」


男はロイの問いに答えるとグラスの氷を躍らせた。


「ところで」とロイが話を切り出すと、カウンターには静かに頼んだ飲み物が届く。

お礼を言い、一口喉を通すと話の続きを語った。


「最近街で噂になっているガキって知ってるか?」


すると男は深刻そうな声で「あぁ」とだけ答えた。




                ※




ロイは珍しく興奮していた。

滅多に感情を表に出さないロイは、息を切らしながら家路を急いだ。


ロイにも家族があり、家では妻に子供を任せきりの生活がもう何年も続いていた。

だが王族の屋敷で働くということは、こうなると理解している妻は、辛抱強く子育てに家事などを快く引き受けてくれた。

ロイにとってはこれ以上にない妻である。


勢いよく家の扉が開いたことに驚くラミ。

それと同時に絶対にいない時間に、絶対にいない人物を見た驚きは一層ラミを驚かせた。


「あなた、仕事は」


心配そうに声を掛けるラミに「あぁ、大丈夫だ」と返し、肩で息をする。

何かを探しているロイに「どうかしたの?」と尋ねるラミ。


「ノエルはどこに行った?」


「ノエルなら部屋にいますよ」


ラミは不安そうな顔を浮かべ、ロイは一目散にノエルの部屋へ向かい、その扉を開けた。

ノエルもまたラミと同様に驚いた顔を隠せない。


「父さん……。どうしてここに?」


「お前! 今何について嗅ぎまわってる!」


ノエルの質問を無視し、ロイは叫んだ。

それは家中に響き渡る声で、ノエルは父の怒鳴り声に怯んだ。


「子供が森の外について調べるな!」


ロイの言葉にラミは驚愕した。

みるみる内にラミの顔は真っ赤になり、ノエルを怒鳴りつける。


「ノエル! あれだけ言ったのに!」


「うるさい!」


二人の怒鳴り声を遮るようにノエルが叫ぶ。

ロイもラミもこんなに怒った表情をしたノエルを見るのは初めてで、怒鳴るのをやめた。

ノエルは興奮してか両腕は震え、瞼には涙が溜まっている。

堪えていた感情が爆発したかのようなその表情は、二人に牙を剥くように向けられた。

その目には涙こそ見せるが、威嚇をする獣を見ているかのようだった。


「俺は二人の操り人形じゃないんだ! いつもあれをしないさい。これをしなさいって。僕にも自分のやりたいことぐらいあるんだよ!」


ロイもラミも知らずの内にノエルの感情を押しつぶしていた。

始めて自分の感情を口にしたノエルの言葉を二人は黙って聞き、ノエルが落ち着くまで待つ。

ノエルは今まで溜まっていた感情を吐き捨てるように、ただその思いを語った。


「もうお父さんやお母さんの言いなりは嫌だ!」


ノエルは乱暴に言葉を投げつけ、二人の間を割り部屋から飛び出した。

「待ちなさい!」とロイが呼び止めるが、ノエルはそのまま家から出て行ってしまった。



住宅区では家族の時間を楽しむ声が溢れていた。

道を照らす街灯はノエルに気の効いた言葉をかける訳でもなく、ただ光を放つだけ。

笑い声が絶えない街中を抜け、いくつも折れ曲がった小道に入る。

この先にはヴェンの家の近くの道に繋がっているのだが、別にヴェンに会おうと思った訳じゃない。

気付いたらこの道に向かって走っていた。


はぁはぁと息を切らしながら大通りに出ると、そこにはオレンジの街灯が道を照らし、暖かみのある色をしていた。

左には噴水広場に繋がる階段があり、それを下る途中にヴェンの家があることは知っていた。


何の用がある訳でもないが、ノエルは一段ずるゆっくり階段を下る。

等間隔で並ぶ街灯は、半分程の電気が切れ、明かりを灯さない物があった。


歩みを進めると一つの影がある。

そいつは見慣れた背格好をしており、こちらを見ては驚いた表情して見せた。


「ノエル。こんなところでなにしてんの?」


「やぁヴェン。君こそそこで何やってるの?」


質問し合う二人だが、お互いの質問には答えず、打ち合わせをした訳でもないが、二人は広場の方へと歩き出す。

互いに事情があることを察知したのか、二人の間に特に会話はない。

それでも二人でいると心が落ち着くのだろう。

二人は静かに笑っていた。




                  ※     




まだ太陽が高い位置にある中、ノエルとヴェンは噴水広場に木箱を積み上げ演説の準備をしていた。

サイに作ってもらった拡声器を使って、街中に自分たちの気持ちを聞いてもらおうというのだ。

こんなことが王族にバレた時には取り返しのつかないことになる。

誰もがそう思いながら、二人のすることには口を出さずに、他人事のように眺めていた。


二人はサイの紹介でギルと接触をした後、洞窟の奥に続いている『海』の話やそこで行われていた王族たちの取引、街の住民たちにしてきた行いもギルの口から聞いた。

ギルの情報を元に二人は実際に海というものを見に、何度も森の中に行ったりもした。

海の水は塩っ辛く、とても飲み水としては飲めないことや、船という物が行き来している場所も知った。

こんな場所があるのに、住人をだれ一人として外に出そうとしない王族に怒りが増すヴェンと、この海の先に何があるのか気になって仕方ないノエルがいた。


ギルは海のことや洞窟のことは話してくれたが、ルークのことについてだけは何も話してはくれなかった。

ヴェンがルークの息子であることを明かすと「あいつに似てる訳だ」と鼻で笑うだけで、それ以上は喋らない。


腑に落ちない二人だが、子供ながらに空気を読み、それ以上追及はしなかった。

ギルは最後に「海を見るのはいいが、絶対に見つかるな。時間は昼間だけだ」と注意を述べる。

ルークの日記に書かれていたことは全てが真実で、キャストタウンの住民たちは王族の手によって知らずの内に支配されていた。


その事実をギルも知っているはずなのに、何もしないギルを見てノエルは言う。


「ギルはなにもしないの?」


別に悪気があった訳でも、喧嘩を吹っ掛ける気もないが、ノエルにはそれが気になった。


「俺は動く時を待ってるんだ。今はまだその時じゃない」


ギルと別れて数日後。

二人は真実を告げる為に、人通りの一番多い噴水広場を選んだ。

ピーだとかザーというような音が鳴り、耳を塞ぎたくなるがノエルは懸命に音の調整をし、「あ、あ、あ」というヴェンの声を拾う。

次第に雑音は消え、ヴェンの音だけを拡声させ歩く人々の耳に吸い込まれていく。


「えー、この度はどうも」


ヴェンはぎこちなく挨拶をする。


「いいから! いつも通りに!」とノエルは緊張しているヴェンを励ますが、どこか浮ついており、いつもヴェンじゃない。


街の人たちもいつもの悪ふざけだろうと、無視をし始めるが、「待ってください!」というヴェンの一言に足を止めた。

噴水広場の視線が一気にヴェンに集まる。

木箱の下でしゃがんでいるノエルですらヴェンに視線を向けていた。


「オイラたちはこの街で生まれて、王族の支配の元に生活をしてる。みんなは森の外に何があるか知っているかい? オイラとここにいるノエルはそれを確かめてきた」


いつもの調子が戻ってきたのか、ヴェンの声には元気が戻り、軽快に言葉が出てくる。

だが、森の外というワードを聞いた住人たちは一気にざわつき始めた。

災悪をもたらしたルークの記憶が蘇るのだ。


「そこには海という青い綺麗な水が広がっていたんだ。魚は海の中で生きていることを知ってるかい? オイラたちが食べていた肉は獣の肉で、その獣にも家族がいるのを知ってるかい?」


ヴェンの声は次第に震え始めた。

森の中で出会った獣の家族のことを思い出しているのか、はたまた自分の父を思い出しているのか分からないが、ヴェンの言葉には強い意志があった。

ざわついていた人たちも、今でもヴェンの演説を真剣な眼差しで聞いている。

中には「それがどうした」と吐き捨てる人もいたが、そんなのは誰も気にしない。


ヴェンは王族たちがしてきた事実を、知っている限り公開した。

街で作っている物は外に売られ、それをお金に換えては自分たちの娯楽に注ぎ込むこと。

タバコは外の世界で高く売れるので、大量に作らせているが、生産者に与えられる賃金はわずかなこと。

食料は屋敷に沢山確保されており、腐らせるほど大量にあること。


「一緒に外の世界に行こう! 今の王族たちに頼らなくてもいいように、自分たちの手でこの街を創りなおそう」


「無理に決まってる。だいたい森の外に行く方法なんてないだろ」


どこかから声がした。

その声は住民たちの感情を代表した言葉に感じる。

もう何十年もこの街で暮らしている人からすれば、いきなり外の世界に行こうなんてふざけた提案だった。

その声と共にヴェンへの罵声が強まる。

さっきまでの空気とは違い、次はヴェンに殺意でも向けているかのように彼らは荒れた。


「まぁ待ちなさい」


一人の老人がヴェンの前に立ち、騒ぐ彼らをなだめた。

老人は長い顎髭を触りながら、「一度見てみようではないか。その海とやらを」と述べる。


「爺さん。ボケたのか? そんなのないって」


「誰も見たことも聞いたこともないんだぜ?」


「行く必要なんてないわよ。王族にバレたら何されるか分かんないし」


それぞれが好き勝手に老人に言葉を投げる。

矛先はヴェンではなく、老人に向いていた。


「ワシらはそうやっていつも目を反らしてきた。そろそろ向き合う時なのかものう」


老人は二人の方に振り返り「案内してくれるか?」と優しく微笑んだ。

ノエルは老人の左側に寄り添い「こっち」と案内する。

ヴェンもすぐに木箱から降りて、二人の後追う。


それに釣られるように何人かがぞろぞろと列を作り始めた。

その姿は獲物を見つけ、そろそろと近づく大蛇のように見える。



                ※



いつもの洞窟を抜け、海を目の当たりした住民たちは言葉を失っていた。

老人は「ふむ」と頷くだけですぐに街に帰って行く。

途中「君らの言ってることは正しいようだね」とノエルとヴェンの肩を叩いたが「でもワシらはもう歳だ。なんの力にもなってやれないことを許してくれ」と悲しい表情を浮かべた。


二人に向かって頭を下げる老人。

それよりもさらに深く頭を下げる二人。

街に帰り着くと、数人が二人の元に近寄ってきた。


「俺たちに出来ることはないか」


あの演説は無駄ではなかった。

ヴェンの思いは一人の老人の心に響き、その老人の行動で数人の心は揺れ動いた。

森の外に出ようと、この街を変えようとしてくれる人がいた。


そして彼らと共に王族の支配から逃れる計画を立てる。

リーダーはもちろんヴェンだ。行動力があり、それに物事を決断する力がある。盤上一致の選択だ。


ヴェンを中心に話し合いを始めるが、まずはどうやってその支配から逃れることが出来るのか。

ノエルはノートに意見をまとめながら、集まった人たちの意見を聞く。


出て来た意見は屋敷を破壊するだとか、住民みんなで取り押さえるだとか、中々難しい提案が続いた。

確かに王族に戦いは挑むが、武力戦となれば多くの人を犠牲にし、命を落とすリスクがあった。

人数比では圧倒はしてはいるが、その中には老人や女、子供もいるので、武力を使った争いは出来れば避けたいとノエルは考えていた。

それにこちらの武器なんてせいぜい農具とサイの作った失敗作だけだ。


「そうだ。タバコとかいうのを止めてみるのはどうかな?」


ノエルがふと言葉に出した瞬間、一同が一斉に振り向く。

数多の目がノエルに向けられ、それに驚くように後ろに仰け反る。


「それで?」


ヴェンが興味深そうに聞く。

一同も同じようにノエルの方に顔を近づけ、ノエルに迫る。


「いや、タバコを止めたら船での取引がダメになるじゃん? そしたら船はもうキャストタウンにはこないんじゃないかな?」


「でもそうしたら次はオイラたちが食べ物に困るだろ?」


「元々、王族たちに収めてた食材は街の人たちに分けよう。魚は海に取りに行けばいいし、肉は森にある。食べ物にはしばらく困らないと思うんだ」


「おー」


ノエルの説得に一同は大きく頷き納得した。


「つまり持久戦になれば、僕らの方が有利だと思うんだ」


「食べ物に困った王族は許して下さいって言いに来る訳だな!」


ヴェンは立ち上がり「おっしゃ!」と意気込んでいる。

そこでノエルが「でもこれには一つ問題があって」と付け加えると、一同はまたノエルの方に迫り寄った。


「なんだ? その問題は」


「これには街の人たちの協力と、許可が無いと勝手にはできない」


「そんなの別に必要ないだろ」


「ダメだよ。そうしないと住民たちで争いが起きてしまう」


キャストタウンの住民たちが争いあっても、王族にとって痛くも痒くもない。

勝った方に褒美をやるとか言って、優遇してあげればそれだけでいいのだから。

それからはいつものように食料を作らせれば、人手は減るもののシステム上には何の問題もない。


遅かれ早かれ住民たちへの説得は余儀なくされた。


反対派の殆どが若い者の集まりで、今の生活に特に困っていない人たちだった。

若い世代は高い賃金で雇われている為、お金にはそれなりに余裕があり、無理に反乱を起こす必要なんてなかったのだ。


逆に賛成派の人たちは老人や女性が多かった。

老人は働き口がなかったり、女性は賃金が安かったりと若い男性に比べて、優遇はよくない。


多くの若者たちに反対されたことは痛手だが、農業区で働く老人たちを味方に出来たことは不幸中の幸いだった。

食料やタバコの生産に関しては、老人たちが牛耳っている。

ヴェンは悪い顔をしながらその事実を若者に伝え、そして「オイラたちはいつでも食べ物を止めることが出来る」と半ば強引に納得させた。


「ちょっと強引すぎない?」と心配するノエルに「大丈夫、大丈夫」と能天気に返事をするヴェン。

こうして無理やり街の賛同を得た二人は、当初予定していた計画を街のみんなにも伝えた。

実行は明日。工業区のタバコの納品から始まる。


納品されないことに王族たちは作業者を責め立てるであろう。

だが、工業区は明日から無人化だ。


怒った王族は街まで来て、事情を追及するだろう。

そこでこちらの要望を告げる。


王の交代と街の住民の自由だ。

森の外との交流は自由にし、そして森の外へ行くことも、逆に迎え入れることもよしとする。

勿論強制ではなく、それを望む者に権利を与えるということ。


これで王族が引かなければ持久戦だ。

だがそうなればこちらの方に分がある。

問題は王族が怒って街を襲撃した時だが、人数的にはこちらが有利な上、若い力が味方になってくれたことでこちらにも分があった。

王族にとってはリスクが高いので、襲撃という線は薄いだろう。ノエルはそう考えていた。


時計の針は一定間隔で針を進め、実行に向けて人々の緊張が街中を巡っていた。

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