第2話 真実

「これがこの街の秘密とオイラが外に出たい理由さ」


「なら王族たちがこの街を支配してるってこと?」


「本当かは分からないけど、これにはそう書いてある」


ヴェンの手にはルークが書いた日記があった。

その日記からこの街の秘密を知ったヴェンは、街のみんなに外に出ようと問い掛けていた。


「だけどルークって人って……」


ノエルが気まずそうに体をもぞもぞさせて言う。

ヴェンはノエルが何か言いたいかすぐに理解したのだろう「ああ、そうさ」と被せるように答えた。


「オイラの父さんは災悪のルークさ」


妻と子供を残し、ルークが街を出た後に起こった悲劇からそう呼ばれるようになったのだ。

街は天災に見舞われ、作物は全滅。

食べ物は減り、街の住民は衰弱しきっていた。

王族はここぞとばかりに恩を売り、住民たちの心を掴んだ。

だが、元々体の弱かったヴェンの母は、その環境に耐える事が出来ず、そのまま息を引き取ったのだ。

ヴェンの口から語られる事実はノエルにとって、とても受け入れがたい真実でもあった。


「でも気にしてないさ」


ヴェンは明るく振る舞う。

だが目の周りは赤く腫れ、瞳には大きな雫が今にも落ちそうになっていた。


「オイラの父さんは誰よりも勇敢だったんだ! それをオイラが証明するんだ!」


ノエルもまた、ヴェンの熱い思いに心を突き動かされていた。

この街で生まれ、この街で死んでいくのだと思っていた概念が崩された。


ヴェンが街の住人に外の楽しさを伝えようとしたのは、外に出ることに何の弊害も無いことを伝えたかったのだろう。

そうすることで住人たちの不安を取り除き、外部との交流を促進するのが目的だったのだろうが、長く植え付けられた概念はそう簡単には取り除けない。

現にノエルもこの話をちゃんと聞くまでは、森の外に行くなんて不可能だと感じていたのだから。


ヴェンと別れ、ノエルは重い足取りで自宅に帰る。

別に絶望を味わった訳ではないが、ヴェンの話があまりにも想像を超えてしまっていた。


「ただいま」


暗い表情をしたまま自宅に入る。

「おかえり」と明るく出迎えるのはノエルの母、ラミだ。

テーブルには豪華な料理が並べられ、ラミはリズミカルに鼻歌を歌いながら鍋にあるスープをかき混ぜている。


「今日はノエルの誕生日だから奮発しちゃった」


柔らかく笑う彼女の顔は、優しさで溢れていた。

食卓には美味しそうな匂いが充満し、ノエルの腹の虫が騒ぎ始めていた。

晩御飯の完成を大人しく待っていると、ようやくラミが料理を終え、椅子に腰を下ろす。

二人で手を合わせ「いただきます」と声を揃えた。


二人分の料理にしてはとても食べきれない量が用意されている。

湯気を立て、ノエルの鼻、目を更に誘惑する。

見ているだけでよだれが溢れて出てくる料理を飛びつくように食べる。


「こらこら、慌てないの」


微笑むラミは、ノエルの嬉しそうな表情に満足そうに言う。

食事中は食べるのに必死で二人の間に会話は無かった。

ラミは夢中になって食べるノエルの姿を見て、お腹一杯なのかあまり料理には手を付けていなかった。

しばらくし、食事を終えるとノエルは母に疑問を投げる。


「ねぇお母さん」


「なに?」


「この森の外にはさ、何があると思う?」


ノエルの質問にいつも優しいラミが目の色を変えた。

丸い目を見開き、高い金切り声で「何を言ってるの!」とノエルに向かって叫ぶ。

ラミの姿にノエルは一瞬怯む。

いつも穏やかなラミがこんな姿になるのは見たことがない。


「いや……。ちょっと気になったから」


「いい? 外のことなんて考えなくていいの。あなたはここでずっと生きていけばいいの」


ラミはノエルの顔を両手で包み込むようにし自分の顔を近づけ、そう言った。

さっき程の勢いはなく、次はどこか悲しげな表情を浮かべ最後には「お願いだからあなたはここにいて」と涙を落とした。

その涙はノエルのズボンに一粒落ちて、そのまま染みていく。


どういう意味だろうか。

ノエルは父となにか関係しているのか気になったが、ここはあえて黙っておいた。



                  ※



「で、どう思う?」


「どうって、これじゃ無理じゃない?」


ヴェンの案を否定するノエル。

もうこのやり取りを何度もしている。


「はー、なんか良い案ないかな」


「ヴェンはさ、なんで僕を誘ったの?」


ヴェンは呆れた表情でノエルを見た。

「今更かよ」と笑いながら、寝ている体を起こし、腕を上に伸ばした。


「ノエルが答えを求める人だったからかな」


「なにそれ。よく分かんないだけど」


ノエルは困惑した表情でヴェンに言うが「分かんなくてもいいよ」とすぐに話しを切られた。

二人はルークの日記に書かれていたことが本当なのか、まずはそれを確かめようとしているのだが、全くいいアイデアが思い浮かばない。

日記の中では洞窟に入ったと書かれているが、方角も地図も何も記されていない。


「なんで父ちゃんは地図を描いてくれなかったんだろうな」


愚痴を言いながら再び横になるヴェン。

今日は学校が休みで朝からずっとこの調子だ。


「実際に外に出てみたら?」


「なんで他人事なんだよ」


ヴェンの厳しい突込み。

ノエルは昨日の母の姿から、自分が森の外に出る事に少し戸惑いを感じていた。

そんなことを知らないヴェンは、ノエルと一緒に外に出ることばかりを考えている。


戸惑いの中、ヴェンに昨日の出来事を話し、理解してもらうことは可能だろうか。

ノエルの頭の中では外に出ることよりも、ヴェンに納得してもらえる方法を模索していた。


「あのさ」


なんの考えもまとまってないが、気付いた時にはノエルはそう言っていた。

この後の言葉なんて特に考えていなかったノエルだが、「昨日、母さんに話したんだ」と素直に起こった事実を伝える。

見たこともない表情で叱られたこと。

本当は外に出たいという気持ちはあるが、自分の中で決心がついてないこと。

まだ子供の自分たちだけでこの問題が解決できるのか。


喋りだすと不思議なくらい次の言葉が出てくる。

考えるよりも先に口が動き、思った事が次々と声となってヴェンの元に届く。


ヴェンはノエルが喋っている間、横から口を挟むことはなかった。

時々相槌を打つ程度で、肯定も否定もしない。

ただ隣に座って、じっとノエルが話し終えるのを待っていた。


ノエルは一通り自分の気持ちを口にした後「これが僕の気持ち」と話の終わりを告げた。

ヴェンは「分かった」と小さく呟くと、ゆっくりと立ち上がりお尻についた砂を払う。

ノエルに背を向け「巻き込んで悪かった」と言うその背中は、どこか寂し気で申し訳なさそうにも見えた。


「うん」


ノエルの声は、ヴェンに聞こえるか聞こえないかぐらいの大きさしか出ていなかった。

ヴェンが靴を擦りながら去って行く音だけが二人の間に虚しく響く。


すると突然物凄い音を立て、突風が街を襲う。

「ビュオオオ」唸るような音は、一瞬で街を通り抜け、街中の物を飛ばして回る。


「うおッ」


ヴェンは頭を抱えて小さく丸くなる。

砂埃がひどく、とても目を開けていられる状況ではない。

それはヴェンの体に打ち付けるように吹き荒れ、ノエルもまた同じように顔を伏せその場を凌いでいた。


「あッ!」


ふとノエルが声を上げる。

ヴェンは声のする方へ「どうした!」と尋ねるが返事が無い。

状況を確認しようにも砂埃でとても目が明けられる状態ではなかった。


ノエルの身に何か起きたのではないかと心配するヴェンは、風が吹き止むのを待った。

しばらくすると吹き荒れていた風も止み、目を開けることが出来た。


「ノエル。大丈夫か?」


よく見るとノエルがいつも身に着けているある物が無い。

肌身離さず身に着けているそれは、父から譲り受けた大切な物で、ノエルがそれをどれだけ大切にしていたかも知っている。


心配そうに駆け寄るヴェンを他所に、ノエルは突然と走り出す。


「おい! 待てよ!」


ヴェンも必死になって後を追うが、ノエルとの差はどんどん離れていく。

日頃から街を走り回っているヴェンは、足の速さや体力には自信があったのだが、そう思っていたことが恥ずかしくなるほどにノエルは速かった。

大切な物が風に飛ばされたことで、無我夢中になっているのだろうけど、それにしてもトップスピードを維持したような走りは、後ろから見ていても凄い気迫だ。


あの突風で飛ばされたのはノエルのトレードマークであるハンチング帽。

父から譲り受けた先代からの帽子で、ノエルはその帽子を実に気に入り大切にしていた。


それがあの突風で飛ばされ、森の方へと向かって飛んでいく。

風に乗り、空を踊るかのように宙を舞い、ヒラヒラと森の中へと吸い込まれていく。


ノエルは森に入っていくその帽子を見て「待って!」と大きく叫ぶが、当然帽子に意思はないので止まりもしない。

それどころかノエルを森の中へ誘い込むように消えていく。


帽子を追い、森に飛び込もうとするノエルだが、目の前にある森が「おいで」と手招いているように見える。

森は不気味に笑うかのような表情で、この先に入ると二度と出てこられないと思わされるほど暗く、濁った雰囲気が漂っていた。


ノエルの足が森の目の前でピタッと止める。

自分の意思で止めた訳じゃない。

体がこの先は危険だと勝手に判断し、足が止まったのだ。

ノエルの全身がこの森を拒絶していた。

なにか深い理由がある訳ではない。ただ危険なのだ。


ガタガタと震える足を抱きながら、ノエルは膝を折り地面にお尻を着けた。

もう無理だ。帽子のことはもう諦めようと思うほど。


すると少し遅れて大声で叫びながら走ってくる少年がいた。

その少年はボサボサの頭をして、勢いよく走りノエルの横を駆け抜けた。


「ヴェン!」


ノエルが呼び止めるが、ヴェンはそれを無視して森の中へと消えていく。

ヴェンの後姿はすぐに見えなくなり、それと同時にもう二度とヴェンと会えないかもしれないという不安が頭の中を一気に駆け巡る。


後を追う勇気も、この状況を打開出来る案もなく、ノエルはただ震える膝を抱きその場に座ることしか出来なかった。

森が大きな口を開け、ヴェンのことを食べてしまった。

そんな不吉なことばかり頭の中を過る。



夕刻。

日も暮れ始め、工業区や開発区、農業区で働く住民たちが家路に向かう時間になってもヴェンは森から出てこなかった。

時間が立つに連れ、不安と鼓動が比例するように大きくなる。


するとノエルが座っているよりも数メートル向こうの方から、ガサゴソと音がする。

その音の方へ駆け寄ると、ボロボロの服がさらに破け、頭には枝や木の葉を乗せたヴェンが現れた。

靴は泥で汚れ、顔にはさらに小傷が増えている。

元々ボロボロのようなヴェンが今まで以上に使い古されたような格好で帰ってきたのだ。


あまりの驚きに声が出ないノエルは言葉よりも先にヴェンに抱き着いていた。


「痛いよ。心配かけて悪かったな。それよりこれ」


ヴェンは右手に持っていたハンチング帽をノエルに差し出すと、ノエルは大きな声で泣いた。

人目も気にせず、目からは大粒の涙を流し、どれだけ不細工な泣き顔であろうと関係無いと言わんばかりに泣いた。


ノエルにとって大切な友人と、そして大切な帽子。

そのどちらもが自分の元に帰ってきた喜びは計り知れないだろう。

ヴェンの目も少し赤みがかっているが、「そんなに泣くなよ」とどこか嬉しそうな声で言った。



                   ※



「うわぁぁあ」


森の中で大きな叫び声と共に走り回る二つの影。

ノエルとヴェンだ。

二人はルークの日記に書かれた事実を確認する為に、あれから森の調査を始めていた。

まだ何も知らない二人は森の中で起こる出来事に目を丸くして驚くことばかりだ。


ニョロニョロと体を右往左往にくねらせ、顔からは舌らしき物をチロチロだしている生き物にも会った。

奴は二人を見るなり、顔を上げコチラを見定めるかのように上体を起こす。

どこから上半身でどこから下半身なのかは一見分からないが、恐らく二人を威嚇している姿勢には違い無かった。


鉄の棒を持ち戦闘態勢に入るヴェンと、隙を伺うノエル。

ノエルの手には農具の鎌が握られていた。


ヴェンに向かって飛びつくその生き物は、見た目とは裏腹に物凄いスピードで飛んでくる。

咄嗟に横に飛び、攻撃を何とかかわすヴェンだが、奴は未だに戦闘態勢に入っていた。

肌で身の危険を感じたヴェンは「撤退だー!」と言いながら街の方へと逃げ帰っていく。


これが最近の定番だ。

そして今日もまた、別の獣に襲われながら逃げ回っていた。


今回の獣はかなり大物で、全身毛で覆われ、短い鼻で攻撃しようと二人に向かって突進してくる。

鼻息を荒くしながら向かってくる獣は、この森の中では少し走りづらそうだが、そんなのは二人に関係ない。

むしろ好都合とも取れる。


「逃げろー!」


後ろを振り返ることもせずにただ真っすぐと走るヴェン。


「だから言ったじゃん!」


その後ろをノエルが追う。

不満そうな声を吐き捨てながら、森の中を駆け抜け街に辿り着いた。

二人は肩で息をしながら、顔を見合わせた。


「無計画過ぎるんだよヴェンは!」


「じゃあ他にいい案があったのかよ!」


言い合いをするのもこれが初めてではない。

無鉄砲に突き進むヴェンと、とにかく保身第一のノエルとでは考えが合わないのも当然だ。


「くそー! これじゃいつまで経っても海ってとこに着かないじゃんか」


ヴェンは大きくため息を吐くとその場に座り込んだ。

海とはあの日、ルークとギルが見た大量の水のことを差していた。

日記には『海』と書かれており、二人もまたその呼び名を使って会話をする。


「そもそも海ってのがこの先にあるの? ヴェンのお父さんは洞窟を進んでるんでしょ?」


息を整えながらノエルはヴェンに問う。

本来ルークが見た海は洞窟を潜り抜けたその先にあったもの。

二人はその洞窟すらも見つけておらず、方角も適当にただ真っすぐに進んでいるだけだった。


「ある!」根拠のない返事に次はノエルがため息を吐く。


「ここを進めば必ずあるはずなんだ」


ヴェンは森の方を指さした。


「とにかくあの獣をなんとかしないとね」


額にかいた汗を拭いながら言う。

ヴェンは頭を抱え「うーん」と考えては見るがこれといっていい案が思い浮かばないようだ。

途方に暮れている二人の背後から、「なにしてるんだ?」と透き通るような声がした。

二人はその声に驚き振り返ると、そこには二人と背丈の変わらない男が立っていた。


「お前らはそこでなにやってんだ?」


男は汗だくの二人を不思議そうに眺めている。

彼の名は「サイ」

頭にはゴーグルを付け、顔は黒く汚れ何かの爆発に巻き込まれたような髪の毛。

白いシャツは既に元の色を保てておらず、ボロボロの靴を鳴らしながら陽気に歩きながら、二人に近づいて来る。

声と容姿の差がありすぎて戸惑っているノエルはキョトンとしていた。


「森の外に行こうとしてるんだ」


ヴェンがいつもの軽口でそう言うと「ほう」とサイは眉を上げた。

興味深そうに「それで?」と話の続きを追及してくる。


この街でヴェンのことを知らないなんて珍しい人もいたものだ。

ノエルはそう思いながらも二人の会話を眺めていた。



                 ※



「なるほど。失敗続きって訳か」


サイは綺麗な声でそう言うと「俺も似たようなもんさ」と笑った。


サイは開発区の研究所にこもりっきりで、時々研究に必要な物や食料を買い出しに街に繰り出す程度。

街で噂されていることなんてどうでもいいと聞き耳すら立てない。

そんな彼は面白そうなことにはめっぽう弱く、二人が森から出てくる所を発見して声をかけたという訳だ。


ヴェンが事の経緯を話すとサイは「なるほどね。じゃあ、ちょっくら罠とか仕掛けてみるか?」と提案した。


「罠?」


ノエルとヴェンの声が重なる。


「そうさ。罠を仕掛けてその獣を誘い出し、そして身動きを封じる。そうすれば森の奥に進めるだろ?」


「なるほど。で? その罠ってのはどうすればいいんだ?」


「それは俺に任せときな!」


なぜここまで良心的に手伝いを申し出てくれるのだろう。

ノエルはサイの行動が不思議でならなかった。

だが、ノエルの疑問も「楽しみだな!」というサイの一言ですぐに無くなる。

理由も知らないサイを突き動かしているのはその好奇心という訳だ。


現状を打開出来る案もないので、二人はすぐにサイの意見を採用し、獣を罠に仕掛ける方向で話を進める。

獣用の罠に必要な道具はサイが研究で作ったあまりの部品で作るようだ。

でもその余りの部品で作れるのは一つだけ。


森の中に一匹しかいないってこともないだろう。

そのことはノエルとヴェンはすぐに予測し、新たな罠がいくつも必要に思えた。

でも罠をいくつも用意するにはそれだけ資金が必要だ。


「さてどうしたものか」


ヴェンが再び頭を抱える。

サイは自分の研究室の場所を記した紙を渡して、走って研究室に向かってしまった。

どれだけ楽しみにしているのかは、その後ろ姿を見ればすぐに分かった。


「売ろう」


突然のノエルの提案に「え?」と目を丸くして聞き直すヴェン。

それに対してノエルはもう一度同じ言葉を言い放つ。


「いや、何を売るんだ?」


「森のある物をだよ」


「例えば?」


「うーん。木になっている実とか下に生えているキノコとか」


ノエルは右手で顎を触りながら、森の中にある食べ物を考えつく限り上げた。

それは市場で販売されている物によく似ていたことをノエルは知っていたからだ。

実際に食べられるかどうかは別にして、アイデア自体は悪くないとヴェンもノエルの意見に賛同し、二人で売れる物を探す。


でも二人で言い合いをしてもそれが実際に売れるかなんて分からない。

誰が何を買い求め、この街で何が必要とされているのかを知る必要があった。

この街で買い物と言えば東の農業区にある市場が食材の宝庫だ。

そのことに気付いたノエルは「市場に行ってみよう!」と提案してみた。


「俺もそう思ってた」


「嘘だー!」


「本当だよ。さっ! 早く行こうぜ!」


ヴェンの顔はいつも以上に興奮気味で、走るその姿もワクワクが隠しきれていないように見える。

そんなことを考えているノエルもまた、ヴェンの走る姿とそう変わらなかった。



                  ※



市場では魚、野菜、肉など生活に必要な物が左右に多く並び、その間を街の人たちが気になった物に手を付ける。

大きな声で客寄せをする人もいれば、椅子に座って黙って物を売る人までいた。


「すごいね」


ノエルは思っていたことが言葉となって出ていた。

母と二人で買い物に来ることがたまにある程度で、ほとんど市場などに来たことが無かったノエルは、その光景に驚きを隠せない。

右を見れば生きている魚が水の中を優雅に泳ぎ、これから誰かの胃に入ることなんて気にしていないようだった。

左を見ればツヤのある綺麗な野菜が綺麗に並べられ、赤い果菜のものや紫の物、緑の物まで多くある。


これらの野菜は農業区の老人たちが毎日、汗を流しながら必死に育てた野菜である。

左右に魚、野菜と並べられた道を数十メートル進むと次はお肉が売られていた。

赤いブロックになった肉はその原型がなんなのか想像も出来ない。


「これってさ、なんの生き物なんだろうな」


ヴェンがふと呟く。

ヴェンは市場へ買い物に来ることなんて日常茶飯事で、市場のおじさんたちとも仲が良かった。

買い物に来るのは主婦が主な中、買い物カバンを肩に掛けた街の問題児が市場に来るなんて珍しいのだ。

そんなヴェンを気に入った市場のおじさんたちは、ヴェンが買い物をする度にサービスをしてくれた。


「獣?」


ヴェンの呟きにノエルが答える。

獣という声を聞いて、ヴェンがすぐに店番をしている肉屋のおじさんに尋ねた。


「おっちゃん! これってなんの生き物の肉なの?」


陳列された肉を直すショーケースにのめり込み、ヴェンは前かがみになる。

突然話しかけられたおじさんはビクッと驚いた。

顎髭を伸ばし、髪の毛もモジャモジャ頭のおじさんは、体も大きく、喋る口調も優しいイメージ通りの人だ。


「これは確か獣の肉とか言ってたかな」


見た目通りの低い声と、ゆっくり喋る口調はおじさんのイメージにどんどんはまっていく。


「やっぱり」


ヴェンは何かを確信したように頷く。

ノエルもまた、言葉にはせずともヴェンの考えていることを理解していた。


「ところでその肉ってどこで手に入れたの?」


「これか? これは王族から仕入れたんだ」


ふむふむ。ノエルは小さく二度頷く。


「ところでさ。オイラたちがここに、その獣ってのを持ってきたらおっちゃん買ってくれる?」


すると肉屋のおじさんは「はっはっは」と大口を開けて笑った。

なにがそんなに可笑しいのだろうか。

二人はおじさんが笑っている理由が分からず、「なんで笑ってるのさ」と少し食い気味に言い放つ。


「それは王族たちから盗んで来るということだろ? 無理に決まってるよ」


それでも真剣な目をしている二人を見ておじさんは「悪いことは言わない。王族には手を出すな」と小さく呟いた。

大人たちも王族に歯向かってはいけないと感じていた。

それに王族が何やら不穏な動きをしているのを知ってはいるが、口を挟めば自分たちの身が危ない。

そう言っているようにも見えた。



                 ※



「これでいいのか?」


獣の足跡が残る場所に、サイの作った箱状の罠を仕掛ける。

ヴェンは慎重に罠を床に置き、その中には獣をおびき寄せる果実を入れておいた。

サイの指示通りに罠を設置し終えると、すぐに近くの木に登りその光景を眺めることにした。

ノエルとサイは既に木の上で獣の姿を待っていた。


「さぁ、後は待つだけだよ」


サイは両手を擦り合わせ、今か今かとその時を待ちわびていた。

ヴェンはその罠から目を一切そらさず、真剣な眼差しで眺める。

ノエルは二人を見ながら、少しだけ可笑しくなった。


二時間程、息を潜めて待っているとそこに茶褐色の獣が現れた。

やつはこの前襲われた獣によく似ていたが、前見た時よりもサイズは大きい。


のっそりとした動きは、二人を追っていた時とは違い、歩行に余裕を感じさせる。

しばらくその様子を眺めていると、獣が罠を仕掛けている方へと近づいてきた。


「ガシャン!」


金属が弾けるような音と共に箱の中で獣が暴れだす。

鉄柵で出来た壁に何度も突進を繰り返していた。

その度に箱を大きく揺れ、その突進の強さを物語っていた。


「やった! かかった」


ヴェンが喜びの声を上げると共に、勢いよく木から飛び降りる。

暴れ回る獣を眺めながら「こいつがあの肉なのか?」と少し疑問にも感じていた。


ヴェンに釣られるように二人が木から降りてくる。


「ていうかこれどうやって運ぶんだ?」


ヴェンが暴れ回るそいつを指さす。


「確かにこれじゃ無理だね」


ノエルが少し離れたところから言う。


「俺に任せな!」


サイは大きなリュックからなにやら小道具を用意し始めた。

不思議そうに眺める二人のことは気にせず、着々と準備を進めるサイ。


「どうするの?」


我慢出来ずにノエルが言葉にする。


「止めを刺してあげるんだ」


「おいおい。待てよ。殺すのかよ」


サイの言葉にヴェンが驚いた表情をした。

二人はまだよく理解してないのだろうが、これが現実であった。

弱い物は強いものに食べられるという食物連鎖は、どこに住んでいる生き物にも当てはまる。

まだ幼い二人には、この現実はとても簡単に受け入れられる物ではなかったのだ。


「ならやめるのか?」


サイは何食わぬ顔でヴェンを見る。


「なんでお前は平気なんだよ」


「やろう」


弱々しい声で嘆くヴェンの横で、ノエルが決意した。

街から肉が無くなれば困る人もいる。

それに今、街は人手不足と食料不足にあり、食材の値段はかなり高くなっていた。

そんな現状を変える為にも、ここで獣の肉を確保するのは街の為であり、なにより真実に近付ける自分たちの為でもあった。


「ヴェン。ここまで来たんだ。もう戻れない。僕も母さんの思いを反対してまでやってるんだ。君も覚悟を決める時だよ」


ヴェンはこの時、二人が異常に大人びて見えた。

言い出しっぺの自分が、偽善者ぶってどうする。

オイラが言い出したことに、二人を巻き込んでしまったのに、何を迷っているんだ。

何度も心の中でそう言い聞かせ、ヴェンは「分かった」と小さく頷いた。


二人はサイが準備を終えるまでの間、ずっとその獣に合掌をし、感謝の気持ちを込めた。

今までなんとなく食べていた物にも命があり、それを頂いているというありがたさ。

目の前にして初めて実感する。


「下がって」


サイが槍のような物を持ち、二人に言う。

ゆっくりと獣の入った箱の中にそいつを忍ばせると、一気に突き付けた。

すると獣は一度大きく飛び跳ね、バタンと倒れ込む。


サイの持つ槍の先には、発電機が繋がれており、獣はその電圧によって息を引き取った。

目をつぶっていた二人は目を開けると少し離れたところに綺麗な縞模様の獣がトコトコ歩いている。


もしかするとここで倒れている獣の子供かもしれない。

母親を探して、ここまで追ってきたのかもしれない。

そんなことが頭を過る度、食べ物への感謝と命の大切さを痛感する二人だった。



                 ※




肉屋のおじさんはそれに驚いていた。

まだ体の小さな三人が、自分たちと同じぐらいの獣を引きずってやってきたのだから。


「おじさんこれ買ってくんない?」


先ほどとは違ってかなり暗い表情のヴェンだが、覚悟は決めた様子だった。

おじさんはしばらく黙った後、「分かった」と言い店の奥へと入って行く。


しばらくすると、何枚かの紙を持ってきてヴェンに手渡す。

この街で使われている紙幣だ。

それはどれも薄汚れており、何度も折り曲げられた跡があった。

おじさんから渡された金額は、この街でひと月は暮らしていける程の値段であった。

それを渡されたヴェンは「こんなに?」と言うが、「あぁ」と小さく呟いておじさんは獣を店の中へと運ぶ。


とにかく資金を手に入れた三人は今後のことについて話し合う。

いつの間にか楽しいことをしている二人に釣られて、サイまで一緒にいるようになっていた。


「お金は手に入ったから、これで罠を沢山仕掛ける?」


当初の予定を再確認するノエル。

それに対してヴェンは「それはやめる」と首を横に振った。

サイは「次は何をするんだ? 俺は何を作ればいい?」とかなり興奮している。


「サイには一つお願いがあるんだ」


「ほう」


サイは癖であるのか、興味がある話が舞い込んでくると眉を上げる。

するとヴェンはなにやら紙に自分のイメージする物を書き、サイに渡した。


「作れるか?」


ヴェンがそう言うとサイはニコッと笑い、右手を差し出した。

ヴェンはその右手を握り「よろしく」と言うが、サイに振り払われてしまう。


「違う。お金」


差し出した右手は握手を求める手ではなく、依頼された物を作るのに必要なお金を要求する手であった。

ヴェンはさっき肉屋のおじさんに渡されたお金の半分をサイに渡した。


「一週間はかかると思う。用があるなら研究室まで来て」


そう言い残す。


「何を頼んだの?」


「まぁ、お楽しみだな。もう後には引けないぞ?」


不敵な笑みを浮かべるヴェンを見て、ノエルはその場から逃げようとしたが「帽子の恩があるから、ノエルは裏切らないよな!」とヴェンは笑ってみせる。

ノエルは「当たり前じゃないか」とぎこちない様子で言うが、内心ではとんでもないことに巻き込まれたと後悔しかなかった。


「でもさ、これからどうやって海まで行く気なの?」ノエルが気を取り直してヴェンに尋ねる。


「俺にいい作戦があるんだ」


「ヴェンに作戦? まさか」


鼻で笑うノエルを睨み付けるヴェン。

今までヴェンが考えてきた作戦は一言で言うなら正面突破。

そんなヴェンに作戦などある訳がないとノエルはそう思っていた。


「洞窟から海に行こう」


ヴェンの言葉にノエルが呆れる。


「その洞窟が分かんないから僕たちは苦労してるんだろ?」


「だから、その洞窟の場所を聞こう」


「聞こうって、誰が教えてくれるの? まさか王族が簡単に教えてくれると思ってる?」


パサパサとお札の束を叩かせ、「これを使うんだ」とヴェンは勝利の笑みを浮かべた。


「つまり、お金を使って洞窟の場所を聞こうって作戦だ!」


自信満々に言うヴェンに、「そう簡単に行くかな」と不満そうなノエル。


「大丈夫。大人はみんなお金が大好きだから」


二人はそう言いながら市場を後にした。

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