三まいのおさつ
よしづき一
三まいのおさつ
「ナルミ。それ食べおわったら、出かけるわよ」
キッチンからママが言った。
「どこに?」
「ふふ、どこでしょう」
ピンときた。これは「ようちゅうい」のサイン。
ママがこんな言いかたをするとき、よくもわるくもサプライズがまっている。
たとえば、こないだのばんごはん。「よこく」なしにハンバーグだった。
びっくりして、ママだいすき!と思ったら、にんじん入りのハンバーグだった。
これはとてもわるいサプライズ。このときもママは「ふふ」とわらっていた。
だからこんなとき、わたしはドキドキしながら何がおきるか「ちょうさ」する。
どうしようもないこともあるけど、心のじゅんびはできるでしょ?
パパは「いやなことなら、『ゆうき』を出して立ちむかわなくちゃ」と言う。でも、パパがママにかったところ見たことない。うちではママが「さいきょう」なのだ。
今日は土曜日で、わたしは朝ごはんのとちゅう。ママは、はな歌まじりでおさらをあらってる。
よし。ちょうさかいし。わたしは食べかけのパンをおいて立ち上がった。
「トイレ!」
「おぎょうぎわるいわよ」
そんなこと気にしてらんない!
いちどトイレのドアをあけて、そのまましめる。「ぎそう工作」だ。
しのび足でろうかをすすむと、パパはまだふとんの中でゴロゴロしていた。
「パパ」
ゆさぶってみる。
「ん~、もうちょっと」
「シーッ!」
パパがまぶしそうにふとんから顔を出した。
「なに?」
「パパ、ないしょの話」
「ないしょ……ママに?」
「うん、ないしょ」
パパは体をおこして、目をこする。
「なんだい?」
「今日、ママ、わたしとお出かけするって、言ってた?」
「お出かけ? うーん」
少しかんがえてから、パパは「ああ」と手をうった。
「どこどこ、教えて?」
「あなた、もういいかげんおきてよー?」
ママがキッチンからパパをよぶ。思わず二人で「シー」をした。
パパは、声に出さずにくちびるだけうごかした。
『びょ・う・い・ん』
思わずさけびそうになった。
やだやだ! わたしは首をふる。
だって、ねつはないし、おなかもいたくない。わたしはどこもわるくないのだ。
どこもわるくないなら?
行き先はきまってる。「はいしゃ」だ。「虫ば」がないか、見にいくのだ。
「いやなのかい?」
のんきなパパ! 当たり前だ。わたしはなんどもうなずいた。
チューンと音のするきかいでぐりぐりされて、はぐきのおくがゾッとするあのかんじ。そうぞうすると、すっぱい顔になる。
「でも、ずいぶん行ってないんだろう?」
あったかい手がわたしの頭をなでる。
「だって、いたくないもん」
「そりゃいたくはないだろうけど、お手入れしとかないと」
「ナルミ、ちゃんと毎日、みがいてるよ!」
「そ、そうなのか? さすが小さくても女の子だな」
かんしんしてるばあいじゃない。
「ねえ、パパ、わたし行きたくない」
「そんなにかい?」
「そんなに!」
「パパがたのんでも?」
「たのんでも!」
「ママがおこっても?」
「おこっ……ても!」
「うーん」
「おねがいパパ! ママをせっとくして!」
わたしは目をつぶり、手をあわせていのりをささげた。かみさまパパさまほとけさま、どうかわたしをたすけて。おねがいおねがいおねがい……へんじがない。
「あら。今日は、早いのね」
キッチンからママの声。目をあけると、パパのすがたがない。
もうっ!
パパが早おきしたので、ママはごきげんでおけしょうをはじめた。せんめんだいから、ようきなはな歌がきこえてくる。
わたしはパンをかじるパパをにらんだ。……だめだ、こっちを見もしない。パパのたすけは「きたい」できない。
よし。
にげよう。
ママのしたくがおわるまえに家を出よう。
でも、その後がもんだい。このあたりでわたしが知ってるのは、おばあちゃんちか、ユミちゃんち、あとは「としょかん」くらい。どこに行っても、ママはすぐにわたしをさがしあてるだろう。
土曜日の「はいしゃ」は十二時まで。今は八時半だからまるまる三時間はある。近くはだめだ。でもとおくは一人で行ったことがないし、わたしはお金をもってない。
どうしよう、どうしよう。ママのはな歌がおわるのがこわい。
ふと、パパと目があう。――そうだ。
「パパ」
「うん?」
「お金ちょうだい!」
パパはのみかけのコーヒーをふきだした。きたないなぁ。
「お、おまえな」
「にげるの、ママから。だから、『とうそうしきん』をよういして!」
「『とうそうしきん』って、ドラマの見すぎだろ」
パパがあきれる。
「だって……」
「しょうがないなぁ」
「くれるの?」
「ナルミ」
ちょっとおこった顔。しまった。
「ナルミ。おねがいしたらすぐにお金がもらえると思っちゃいけない」
「……はい」
やっぱり、だめだ。
パパはしばらく「ふーむ」とうなっていたけど、一つためいきをついて言った。
「たまには、とことんにげてみるのも、いいかもしれないな」
「え?」
「あげられないけど、あずかりものをわたすことはできる」
パパが後ろのひきだしをごそごそしてふりむくと、その手に三まいの千円さつがにぎられていた。
「これをもっていきなさい」
「いいの?」
「ああ。でも、大切につかうんだぞ」
§
しっかりとあつぎして、わたしは家を出た。
パパのスマホがポケットの中でほんのりあたたかい。何かあったられんらくするように、とパパはしんけんだった。でも、わたしだってしんけん。一人でとおくに行くのははじめてだ。すれちがう人みんなにおこられるような気がしてドキドキする。
たよりになるのは三まいのおさつ。これがわたしの「とうそうしきん」だ。
へんなところにおり目があるけど、気にしない。わたしは大切にかばんにしまうと、えきへと走った。
ちかてつは何回かママとのったことがある。
土曜日でも、えきには人がたくさんだ。一人ずつ「ピッ」とかいさつをとおりぬけていくのは、なんだか「長なわ」をとぶのににてる。
わたしは「ピッ」のカードはもっていないから、さっそく一まいめのおさつのでばんだ。
いつもママと買いものに行くのは……うん、あのえきだ。だいじょうぶ、きっぷの買いかたは、ママがやるのをなんども見てる。
まずはお金。
よし。
ちょっとつっかえたけど、きかいはおさつをのみこんでいく。
つぎに、大きい人と小さい人がならんだボタンをおす。
とどかない。
ジャンプ!
よし。
がめんがかわる。
そうだ、「おうふく」のボタン。これをわすれると、帰りのきっぷがないのだ。
よし、ここまでくればオッケー。あとは金がくの書かれたボタンをえらぶだけ。
「ナルミーッ!?」
ビクッとして思わずふりむいた。
ママ! もうおっかけてきたの?
まわりをみまわしながら、ママはかいだんをおりてくる。
わ、へんな顔。おけしょうのとちゅう? 目だけパッチリ、ギラギラしてる。絵本にでてきた「山んば」みたい。
わたしはあわててボタンを……とどかない。
ジャンプ!
またはずれ。もういちど!
やった!
きっぷが出てくるあいだにもママの声は近づいてくる。一、ニの三……四まい、これでぜんぶ!
「あ、ナルミ!」
気づかれた!
おつりをうけとっているひまはない。わたしはきっぷをつかみとると、かいさつへ走った。
「こら、まちなさい!」
まてって言われてまつ人はいない。わたしはかいさつにきっぷを……あれ、なんで四まいもあるの?
しまった、ママのぶんまでかっちゃった!
足音がせまる。つかまったらおしりたたきじゃすまない。なんとか「行き」と書かれたきっぷを見つけると、きかいにつっこむ!
ピロンという音をききながら、わたしはホームへかけこんだ。「長なわ」でもこんなに上手にかけこめたことはない。ママが後ろで何か言ってるけど、やってくる電車の音に、その声もきこえなくなった。
電車の中はこみあっていた。
わたしくらいの子もいたけど、みんなママやパパといっしょだ。わたしは目立たないよう、近くのお姉さんのそばにじっと立っていた。
だれも話しかけてきませんように。
頭の中で、おりるえきの名前をなんどもくりかえした。
§
もくてきちについてかいさつをぬけると、まずわたしは出口をさがした。ばんごうのついたかいだんがたくさんある。いつもの出口はどこだっけ?
きゅうにふあんになってきた。
知らないばしょに出たら、どうしたらいいんだろう。
ママは?
いるわけがない。今にげてきたんだから。
あせってうろうろしていると、ホームのほうがさわがしくなった。つぎの電車がとうちゃくしたみたい。たくさんの人がゾロゾロとかいだんを上がってくる。その中に、ひときわ目立つ女の人が見えた。
ママだ!
「マ……」
のどまで出かかったけど、その「はんにゃ」のような顔を見て、やめた。これはただごとではない。
とにかく外へ出よう。近くのかいだんをかけあがった。
わたしはうんがいい。そこは、いつもの出口だった。
近くのバスていからショッピングセンターまで「むりょう」のバスが出ているのだ。やった、と思ったとたん、いつものバスが、目のまえを走っていく。
「まって!」
ダメ、まにあわない。バスはすぐに見えなくなった。つぎをまちたいけど、ママもきっとこのバスていをめざしてやってくるだろう。
どうしよう、時間がない!
と、そばのタクシーに気づく。
買いものの帰り、たまにのることがある。雨の日とか、いそいで帰るときだ。もったいないとママはブツブツ言うけど、べんりだと思う。
よし。
まよっているひまはなかった。タクシーにかけよると、すっとドアがあいて、中から「どうぞ」と声がした。ええい、のっちゃえ!
「うん?」
うんてんしゅさんは、うすい茶色のサングラスをかけたおじさん。細くて色が白くて、こわいかんじはしない。いちど、かがみごしにこちらを見て、それからふりむいた。
「おじょうちゃん、一人?」声もちょっと高い。
わたしはむちゅうでなんどもうなずいた。ダメって言われるかな?
「えーと、お父さんか、お母さんは?」
そう言って、サングラスを外す。「ママは……はぐれて」とこわごわ目をあわす。おじさんはやさしい目をしていた。あれっ?
「おじさん……おばさん?」
思わずしまった、と口をおおう。だけどおじさん――じゃない、おばさんはニコッとほほえんだ。
「びっくりしたよね。おばさん、こんなみじかいかみだから」
そう言ってするりと自分の頭をなでる。
「あ、きれい!」
おばさんのかみの毛はうすくむらさき色にそまっている。とてもおしゃれで、ママに見せたらきっと「ひんがある」って言うだろう。
おばさんは「あらやだ。おばあちゃんほめても何も出ないよ」とわらう。おこってないみたいで、ほっとする。
「ママ、はぐれちゃったの?」
そうだった、ママのことだった。わたしはあわてて口をひらいた。
「でも、あの、ショッピングセンターにいるの。だから」
「ショッピングセンター? このへんだと……」
おばさんがいくつか名前をあげる。さいごに言われたばしょが、ママといつも行くところだった。
「そこ、そのさいごのところ!」
「そこにママがいるの?」
「うん、ちゃんと電話で、話したもん!」
そう言ってパパからかりたスマホを見せる。
「お金もあるよ!」
二まいめのおさつ、わたしはかばんから千円をとりだした。
おばさんは「わかったわかった」とうなずくと前をむいた。
「のせてってあげるけど、もうママとはぐれちゃだめよ」
「うん!」
「では、しゅっぱつ」
「しゅっぱ~つ」
ごうれいをかけると、タクシーはゆっくりとえきをはなれていった。
ショッピングセンターについたら、本やさんでお昼まですごそう。あ、ペットショップもいいな。もしかしたらマジックショーもやってるかも。ちょっとわくわくしてきた。
でも帰りはぜったい、バスにしよう。お金はだいじ。ってママの口ぐせ。
「ねえ、おじょうちゃん」
「わたし、ナルミだよ!」
「じゃあナルミちゃん」
「うん!」
「おばさんね、前にもナルミちゃんをのせたことがあるのよ」
「え、そうなの?」
赤しんごうでタクシーが止まると、おばさんがふりかえる。わたしはおぼえがなかった。
「うーん、わかんない」
「いつも前、むいてるからね」
おばさんがわらう。
「わたしのことおぼえてるの?」
「とっても、かみが長いでしょ。目立つ人はよくおぼえてるの」
「そうなんだ、すごい!」
おばさんが「ふふ」とてれている。
「でね、ママのことも何となくおぼえてるんだけど」
「うん」
「ナルミちゃん、本当はママからにげてるんじゃないの?」
しんぞうが止まるかと思った。
「おこらないから、本当のこと教えてくれるとうれしいな」
「あ、あの、わたし」
「うん?」
わたしは、すごくこわくなって、しゃっくりが出たみたいになきだしてしまった。
「ああ、ごめんね。おばさん、こわかったね。ごめんね」
おばさんはあわてながらわたしにハンカチをかしてくれた。
「あ!」
「ど、どうしたの?」
「キュアモニ!」
ハンカチのイラストは、わたしのすきな『キュアモニ』のセシルだった。
『キュアモニ』は、大人気のアニメだ。女の子がわるものとたたかうのがかっこよくて、わたしはぜったい見のがさないようにしてる。
とくに、フランスしゅっしんのセシルは、せが高くてむらさき色のショートカット。まるで男の子みたいだけど、とてもすてきなのだ。トレードマークはサングラス。本気になったときに外すしぐさもきまってる。
「あ、それはね、まごがプレゼントしてくれたのよ。はずかしいと言ったんだけどね」
おばさんはオロオロしている。
わたしは、そのようすがおかしくて、クスクスとわらいだしてしまった。
「はずかしいと言ったのよ、わたしは」とおばさんもくすぐったそうにわらう。セシルが年をとったら、こんなかんじなんだろうか。
しんごうが青にかわって、タクシーが走りだす。すっかりおちついたわたしは、これまでのことをしょうじきにうちあけた。
「そうか、『はいしゃ』にね」
「うん。すごく、いやだったから」
そう言いながら、なんだか声が小さくなってしまう。
「ナルミちゃんはおきゃくさんだからね、ちゃんとおくってあげるよ」
おばさんは、やさしい声でそう言った。
「でもね、むこうについたらぜんりょくで走ることね」
「どうして?」
「じつはね、後ろのタクシーにママがのってるの」
「うそっ」
「ふりむかないで!」
思わずふりむいてしまう。わたしはすぐ、ざせきに顔をかくした。
しんぞうがバクバクいってる。後ろに、ママが?
「本当に?」
前をむいたまま、おばさんはうなずく。
「ばれちゃったかな。すごい顔でこっち見てる」
わたしは「山んば」をそうぞうしてぶるぶるとふるえた。
「あのえきでおりたなら、ショッピングセンターに行くと思ったんだろうね」
そうだ、ママはあのえきまでおっかけてきたのだ。
でも、どうしてわたしのおりるえきがわかったんだろう。ふしぎだった。
「それはね、たぶんおつりだよ」
「おつり?」
「けんばいきに、おつりをおいてきたんでしょ? きっとママは、おつりの金がくからどこまでのきっぷを買ったのか、けいさんしたんだろうね」
なんだか、けいじドラマみたいだ。さすが、ママ。
おばさんはこまった顔で「ママ、ずっと見てるよ」と言った。わたしはちぢこまって、なきそうになってしまった。
でも、おばさんをこまらせちゃだめだ。わたしはいちどウソまでついたんだから。
のこりのお金は手の中の千円と、かばんのなかの千円。それだけ。
このままえきにもどっても、ママはおってくるだろう。ショッピングセンターでなんとかしないと。
帰るときも、バスはつかえない。まってるあいだに見つかりそうだ。そうすると、またタクシーに……。
「ねえおばさん、ショッピングセンターまで、いくらくらいかかる?」
「そうだね。六百円くらいかな」
「帰りも同じくらい?」
「そうだね」
「うーん」
ゆびをおって数える。すると、のこりはもう千円もない。
「少しなら、まっていてあげるけど」
「ほんと?」
「ほんと。それならえきまでおうふくで千円くらいかな。足りないぶんは、おまけしてあげる」
ほめてくれたからね、とおばさんはまたむらさき色の頭をなでる。
「ありがとう!」
やった!
これでのこり一まいのおさつを、何かにつかえる。
おばさんはサングラスをずらして「ないしょよ」とわらった。そのとき、わたしの頭にひらめくものがあった。
のこりの千円で、できることがある。
ショッピングセンターの手前で、うんよくママのタクシーは赤しんごうにひっかかった。
おばさんはタクシーのりばにつくと、言った。
「じゃあ、このあたりでまってるけど、もしつかまったら、ママといっしょに帰るんだよ」
「うん!」
わたしはいきおいよくかけだした。後ろからママのよぶ声がした。
さあ、三まいめのおさつだ。
§
お店から出たわたしは、すぐにタクシーめざして歩きだした。
人ごみの中をずんずんかきわけていく。キュアモニのセシルみたく、かっこよく、じしんをもって。
わたしのすがたにびっくりしたのか、すれちがった男の子が目を丸くする。いっしょにいるおばさんが「まあ」と言っているのがわかった。
やがてバスのりばが見えてきた。その先がタクシーのりばだ。
今きた人、もう帰る人、おおぜいでごったがえしている。
そこにはやっぱりママがいた。バスのじこくをなんどもたしかめて、まわりをキョロキョロ、おおぜいの中から「山んば」の目でわたしを見つけようとしている。
それでもママは気づかない。わたしはゆうゆうと、おばさんのまつタクシーへとのりこんだ。
「いやぁ、見ちがえたね」
おばさんが目をみはる。首の後ろがスースーして、はずかしい。
「これ、ありがとう。つかまってたら、かえせなかった」
そう言ってわたしはサングラスを外した。やっぱり、おばさんのほうがにあう。
「でも、思い切ったね。そんなにバッサリ切っちゃうなんて」
「セシルみたいで、かっこいいでしょ?」
おばさんがハンカチのがらと、わたしを見くらべてうれしそうにうなずいた。
ママならたぶん、わたしがえきに帰るところを見はるだろう。だったらもう「へんそう」しかない、と思ったのだ。
のこり千円でも「かみを切る」ことはできる。ママが「やすいけど、入ったことないわ」と言ってたお店。ゆうきを出して入ってみたら、やさしいおねえさんが声をかけてくれた。おねえさんはキュアモニを知っていて、のぞみどおりにカットしてくれたのだ。
あとは、おばさんにかりたサングラスをかければ、くろかみのセシル、かんせい。
ママをごまかすことができるかドキドキしたけど、何とかわたしはタクシーにもどってきた。そしていま、おばさんと楽しくお話している。
「じゃあ、二十円のおつりね」
えきのずっと手前で、おばさんはお金をけいさんするきかいを止めてくれた。
わたしはおれいを言っておつりをうけとった。
「じゃあまたね、おばさん」
「あ、ナルミちゃん」
タクシーをおりようとしたところでよびとめられる。
おばさんはサングラスのままこっちを見ていた。
「家に帰って、ママにあったら、ちゃんとあやまるんだよ」
少しかなしそうな顔に見えた。
「今もたぶん、しんぱいしているからね」
バスのりばでわたしをさがすママの顔がうかぶ。
しんぱい? とてもおこっているようにしか見えなかったけど。
「きっとよ。おばさんと、やくそく」
おばさんがこゆびを出してきた。
「わかった。ゆびきりげんまん、ね!」
わたしはゆび切りすると、帰りの電車めざして、えきへとかけていった。
§
そろそろ十二時になるころ、スマホがブルブルとふるえだした。がめんにはパパの名前。わたしはあわてて「としょかん」のロビーまで走った。
もういちど、とけいを見る。今ならつかまっても「はいしゃ」にはまにあわないはず。きっとだいじょうぶだ。
『もしもし、ナルミ?』
「パパ!」
『いま、「としょかん」にいるんだろう?』
ドキッとして、あたりをうかがう。
「どうしてわかるの?」
『ふふん。パパにはわかるのだ。ナルミがちかてつにのって、ショッピングセンターにいったこともね』
「すごいすごい、どうして?」
パパは電話のむこうでせきばらいすると、まじめな声で言った。
『それはこんど教えてあげる。それより、もう帰ってこないか』
やさしいけど、いやとはいえない声だった。
「……わかった。ママは?」
『れんらくした。もうすぐ帰ってくるよ』
おいかけてきた「山んば」の顔を思いだす。どんなにおこられるだろう。
だけど「はいしゃ」よりよっぽどいい。
わたしは、かったんだ。三まいのおさつで、ママからにげきったのだ。
§
先に家についたのはわたし。こちらを見るなり、パパは「わお」と目を丸くした。
「また、思い切ったね。かっこいいし、かわいいよ」
そう言って頭をなでてくれた。
「でも、かみのけがいっぱいついてる。とりあえず顔だけでもあらっておいで。あと、うがいもね」
せんめんじょで顔をあらっていると、げんかんがバタバタとさわがしくなる。ママ?
「ナルミ!」
顔がぬれたまま、わたしはママのほうをみた。ママのすがたがにじんでみえる。
やっぱり、おこってる?
でもへいきだ。「は」をチューンてやられるほうがいたいにきまってる。わたしは目をとじて、みがまえた。
気がつくと、あたたかいものがわたしをつつんでいた。
ふわ、といいにおいがして、それがママのにおいだと気づいたとき、わたしはだきしめられているんだとわかった。
ママの手がわたしのせなかをさすっている。頭もなでられた。どうしてなでてもらえるのかふしぎだったけど、ママがないていることはわかった。
ふと、とてもわるいことをママにしたような、そんな気もちになって、いつのまにかわたしも声をあげてないていた。ママはくりかえしなんども、わたしの名前をよんだ。
むねがずきずきといたかった。「は」をチューンとされるより、なんばいもいたかった。
§
「まったく、一人で行かせるなんて、あなたどうかしてるわよ」
ママがパパをしかりながら、あらいたてのわたしの頭をタオルでふく。いつもよりちょっといたい。
「でも、もう二年生だぞ? おれらのころはさ……」
「じだいがちがうの、じだいが! 今は何かと『ぶっそう』じゃない!」
「ちょっと『かほご』なんだよ。きみの子なんだから、たくましいにきまってる」
ママのうなりごえがして、パパは「ごめん」とつぶやいた。
「まぁ、れんらくようにスマホもたせてたし、ナルミの『いちじょうほう』はつかまえてたから」
ママの手がタオルからはなれた。あ、これはつねられるパターンだ。
「だったら、それを、言・い・な・さ・い・よ!」
「いた! ひた! ひふぁい!」
「しかもいつのまにスマホ二台も!」
「一台は会社のっ……て、ごめ、ごめん!」
「ったく、もう」
タオルのすきまからママの顔が見えた。まだ少し、目が赤い。
「あーあ、こんなにみじかくするなら、ためしてみたいかみがた、いっぱいあったのに。あそこまでしてにげるなんて、そんなにいやだったの?」
今さらなことを言う。パパが口をはさんだ。
「ママ、ナルミにはナルミの……」
「ちょっとだまってて」
ぴしゃりとやられてパパはだまりこむ。わたしはゆうきを出して、言った。
「だって、『はいしゃ』さん、いやだもん。虫ばなんか、ないもん!」
二人はポカンとして「はいしゃ?」と、首をかしげた。
「わたし、『はいしゃ』につれていくなんて、言った?」
「だって、パパが、教えてくれたもん」
ママがふりかえる。
「おれ、『はいしゃ』なんて、言ってないぞ」
「言ったよ! パパ、『びょういん』って言ったもん」
「いや、パパは、『びよういん』って」
「へっ?」
「だから、『び・よ・う・い・ん』……あっ」
今朝のパパの顔がよみがえる。
び・よ・う・い・ん?
「「「あーっ!」」」
こんどは三人いっしょにおどろいた。
「うーん、ベリーショートか。これはこれでかわいいけど……」
「ママが行き先をはっきり言わないからだろ」
「あなたが言うこと? なにが『び・よ・う・い・ん』よ!」
「それは、ママにきこえないようにと」
「ほらまた、言いわけ! すなおにあやまらない!」
「なんだと?」
「なによ?」
「二人ともけんか、やめてよ!」
パパとママがどうじにわたしを見た。しまった、これはだめなパターンだ。
「だいたいね、『はいしゃ』がこわくてにげるってどういうこと?」
「パパもそう思う」
「わるいところがあるから、なおしに行くのよ?」
「パパもそう思う」
ずるい、パパ!
今日わかったこと。
ママはやっぱり「さいきょう」で、パパはママにはかなわない、それと――
「こうなったら、らいしゅうは『はいしゃ』ね」
「えーっ!」
にげても、いつかは立ちむかわなくちゃならないってこと。
§
「そういえば、あなたナルミにお金あげたの?」
「あげたんじゃないぞ」
パパが小さなふくろをとりだす。
キュアモニのイラストがかかれてて、見おぼえがあるふくろ……。
「あれは、ナルミの、お年玉だ」
〈了〉
三まいのおさつ よしづき一 @124
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