三まいのおさつ

よしづき一

三まいのおさつ

「ナルミ。それ食べおわったら、出かけるわよ」

 キッチンからママが言った。

「どこに?」

「ふふ、どこでしょう」

 ピンときた。これは「ようちゅうい」のサイン。

 ママがこんな言いかたをするとき、よくもわるくもサプライズがまっている。


 たとえば、こないだのばんごはん。「よこく」なしにハンバーグだった。

 びっくりして、ママだいすき!と思ったら、にんじん入りのハンバーグだった。

 これはとてもわるいサプライズ。このときもママは「ふふ」とわらっていた。


 だからこんなとき、わたしはドキドキしながら何がおきるか「ちょうさ」する。

 どうしようもないこともあるけど、心のじゅんびはできるでしょ?

 パパは「いやなことなら、『ゆうき』を出して立ちむかわなくちゃ」と言う。でも、パパがママにかったところ見たことない。うちではママが「さいきょう」なのだ。


 今日は土曜日で、わたしは朝ごはんのとちゅう。ママは、はな歌まじりでおさらをあらってる。

 よし。ちょうさかいし。わたしは食べかけのパンをおいて立ち上がった。

「トイレ!」

「おぎょうぎわるいわよ」

 そんなこと気にしてらんない!


 いちどトイレのドアをあけて、そのまましめる。「ぎそう工作」だ。

 しのび足でろうかをすすむと、パパはまだふとんの中でゴロゴロしていた。

「パパ」

 ゆさぶってみる。

「ん~、もうちょっと」

「シーッ!」

 パパがまぶしそうにふとんから顔を出した。

「なに?」

「パパ、ないしょの話」

「ないしょ……ママに?」

「うん、ないしょ」

 パパは体をおこして、目をこする。

「なんだい?」

「今日、ママ、わたしとお出かけするって、言ってた?」

「お出かけ? うーん」

 少しかんがえてから、パパは「ああ」と手をうった。

「どこどこ、教えて?」

「あなた、もういいかげんおきてよー?」

 ママがキッチンからパパをよぶ。思わず二人で「シー」をした。

 パパは、声に出さずにくちびるだけうごかした。


『びょ・う・い・ん』


 思わずさけびそうになった。

 やだやだ! わたしは首をふる。

 だって、ねつはないし、おなかもいたくない。わたしはどこもわるくないのだ。

 どこもわるくないなら? 

 行き先はきまってる。「はいしゃ」だ。「虫ば」がないか、見にいくのだ。


「いやなのかい?」

 のんきなパパ! 当たり前だ。わたしはなんどもうなずいた。

 チューンと音のするきかいでぐりぐりされて、はぐきのおくがゾッとするあのかんじ。そうぞうすると、すっぱい顔になる。

「でも、ずいぶん行ってないんだろう?」

 あったかい手がわたしの頭をなでる。

「だって、いたくないもん」

「そりゃいたくはないだろうけど、お手入れしとかないと」

「ナルミ、ちゃんと毎日、みがいてるよ!」

「そ、そうなのか? さすが小さくても女の子だな」

 かんしんしてるばあいじゃない。

「ねえ、パパ、わたし行きたくない」

「そんなにかい?」

「そんなに!」

「パパがたのんでも?」

「たのんでも!」

「ママがおこっても?」

「おこっ……ても!」

「うーん」

「おねがいパパ! ママをせっとくして!」

 わたしは目をつぶり、手をあわせていのりをささげた。かみさまパパさまほとけさま、どうかわたしをたすけて。おねがいおねがいおねがい……へんじがない。

「あら。今日は、早いのね」

 キッチンからママの声。目をあけると、パパのすがたがない。

 もうっ!


 パパが早おきしたので、ママはごきげんでおけしょうをはじめた。せんめんだいから、ようきなはな歌がきこえてくる。

 わたしはパンをかじるパパをにらんだ。……だめだ、こっちを見もしない。パパのたすけは「きたい」できない。

 よし。

 にげよう。

 ママのしたくがおわるまえに家を出よう。

 でも、その後がもんだい。このあたりでわたしが知ってるのは、おばあちゃんちか、ユミちゃんち、あとは「としょかん」くらい。どこに行っても、ママはすぐにわたしをさがしあてるだろう。

 土曜日の「はいしゃ」は十二時まで。今は八時半だからまるまる三時間はある。近くはだめだ。でもとおくは一人で行ったことがないし、わたしはお金をもってない。


 どうしよう、どうしよう。ママのはな歌がおわるのがこわい。

 ふと、パパと目があう。――そうだ。

「パパ」

「うん?」

「お金ちょうだい!」

 パパはのみかけのコーヒーをふきだした。きたないなぁ。

「お、おまえな」

「にげるの、ママから。だから、『とうそうしきん』をよういして!」

「『とうそうしきん』って、ドラマの見すぎだろ」

 パパがあきれる。

「だって……」

「しょうがないなぁ」

「くれるの?」

「ナルミ」

 ちょっとおこった顔。しまった。

「ナルミ。おねがいしたらすぐにお金がもらえると思っちゃいけない」

「……はい」

 やっぱり、だめだ。

 パパはしばらく「ふーむ」とうなっていたけど、一つためいきをついて言った。

「たまには、とことんにげてみるのも、いいかもしれないな」

「え?」

「あげられないけど、あずかりものをわたすことはできる」

 パパが後ろのひきだしをごそごそしてふりむくと、その手に三まいの千円さつがにぎられていた。

「これをもっていきなさい」

「いいの?」

「ああ。でも、大切につかうんだぞ」


                 §


 しっかりとあつぎして、わたしは家を出た。

 パパのスマホがポケットの中でほんのりあたたかい。何かあったられんらくするように、とパパはしんけんだった。でも、わたしだってしんけん。一人でとおくに行くのははじめてだ。すれちがう人みんなにおこられるような気がしてドキドキする。

 たよりになるのは三まいのおさつ。これがわたしの「とうそうしきん」だ。

 へんなところにおり目があるけど、気にしない。わたしは大切にかばんにしまうと、えきへと走った。


 ちかてつは何回かママとのったことがある。

 土曜日でも、えきには人がたくさんだ。一人ずつ「ピッ」とかいさつをとおりぬけていくのは、なんだか「長なわ」をとぶのににてる。

 わたしは「ピッ」のカードはもっていないから、さっそく一まいめのおさつのでばんだ。

 いつもママと買いものに行くのは……うん、あのえきだ。だいじょうぶ、きっぷの買いかたは、ママがやるのをなんども見てる。

 まずはお金。

 よし。

 ちょっとつっかえたけど、きかいはおさつをのみこんでいく。

 つぎに、大きい人と小さい人がならんだボタンをおす。

 とどかない。

 ジャンプ!

 よし。

 がめんがかわる。

 そうだ、「おうふく」のボタン。これをわすれると、帰りのきっぷがないのだ。

 よし、ここまでくればオッケー。あとは金がくの書かれたボタンをえらぶだけ。

「ナルミーッ!?」

 ビクッとして思わずふりむいた。

 ママ! もうおっかけてきたの? 

 まわりをみまわしながら、ママはかいだんをおりてくる。

 わ、へんな顔。おけしょうのとちゅう? 目だけパッチリ、ギラギラしてる。絵本にでてきた「山んば」みたい。

 わたしはあわててボタンを……とどかない。

 ジャンプ!

 またはずれ。もういちど!

 やった!

 きっぷが出てくるあいだにもママの声は近づいてくる。一、ニの三……四まい、これでぜんぶ!

「あ、ナルミ!」

 気づかれた!

 おつりをうけとっているひまはない。わたしはきっぷをつかみとると、かいさつへ走った。

「こら、まちなさい!」

 まてって言われてまつ人はいない。わたしはかいさつにきっぷを……あれ、なんで四まいもあるの? 

 しまった、ママのぶんまでかっちゃった!

 足音がせまる。つかまったらおしりたたきじゃすまない。なんとか「行き」と書かれたきっぷを見つけると、きかいにつっこむ!

 ピロンという音をききながら、わたしはホームへかけこんだ。「長なわ」でもこんなに上手にかけこめたことはない。ママが後ろで何か言ってるけど、やってくる電車の音に、その声もきこえなくなった。


 電車の中はこみあっていた。

 わたしくらいの子もいたけど、みんなママやパパといっしょだ。わたしは目立たないよう、近くのお姉さんのそばにじっと立っていた。

 だれも話しかけてきませんように。

 頭の中で、おりるえきの名前をなんどもくりかえした。


                 §


 もくてきちについてかいさつをぬけると、まずわたしは出口をさがした。ばんごうのついたかいだんがたくさんある。いつもの出口はどこだっけ?

 きゅうにふあんになってきた。

 知らないばしょに出たら、どうしたらいいんだろう。

 ママは?

 いるわけがない。今にげてきたんだから。

 あせってうろうろしていると、ホームのほうがさわがしくなった。つぎの電車がとうちゃくしたみたい。たくさんの人がゾロゾロとかいだんを上がってくる。その中に、ひときわ目立つ女の人が見えた。

 ママだ!

「マ……」

 のどまで出かかったけど、その「はんにゃ」のような顔を見て、やめた。これはただごとではない。

 とにかく外へ出よう。近くのかいだんをかけあがった。


 わたしはうんがいい。そこは、いつもの出口だった。

 近くのバスていからショッピングセンターまで「むりょう」のバスが出ているのだ。やった、と思ったとたん、いつものバスが、目のまえを走っていく。

「まって!」

 ダメ、まにあわない。バスはすぐに見えなくなった。つぎをまちたいけど、ママもきっとこのバスていをめざしてやってくるだろう。

 どうしよう、時間がない!


 と、そばのタクシーに気づく。

 買いものの帰り、たまにのることがある。雨の日とか、いそいで帰るときだ。もったいないとママはブツブツ言うけど、べんりだと思う。

 よし。

 まよっているひまはなかった。タクシーにかけよると、すっとドアがあいて、中から「どうぞ」と声がした。ええい、のっちゃえ!

「うん?」

 うんてんしゅさんは、うすい茶色のサングラスをかけたおじさん。細くて色が白くて、こわいかんじはしない。いちど、かがみごしにこちらを見て、それからふりむいた。

「おじょうちゃん、一人?」声もちょっと高い。

 わたしはむちゅうでなんどもうなずいた。ダメって言われるかな?

「えーと、お父さんか、お母さんは?」

 そう言って、サングラスを外す。「ママは……はぐれて」とこわごわ目をあわす。おじさんはやさしい目をしていた。あれっ?

「おじさん……おばさん?」

 思わずしまった、と口をおおう。だけどおじさん――じゃない、おばさんはニコッとほほえんだ。

「びっくりしたよね。おばさん、こんなみじかいかみだから」

 そう言ってするりと自分の頭をなでる。

「あ、きれい!」

 おばさんのかみの毛はうすくむらさき色にそまっている。とてもおしゃれで、ママに見せたらきっと「ひんがある」って言うだろう。

 おばさんは「あらやだ。おばあちゃんほめても何も出ないよ」とわらう。おこってないみたいで、ほっとする。

「ママ、はぐれちゃったの?」

 そうだった、ママのことだった。わたしはあわてて口をひらいた。

「でも、あの、ショッピングセンターにいるの。だから」

「ショッピングセンター? このへんだと……」

 おばさんがいくつか名前をあげる。さいごに言われたばしょが、ママといつも行くところだった。

「そこ、そのさいごのところ!」

「そこにママがいるの?」

「うん、ちゃんと電話で、話したもん!」

 そう言ってパパからかりたスマホを見せる。

「お金もあるよ!」

 二まいめのおさつ、わたしはかばんから千円をとりだした。

 おばさんは「わかったわかった」とうなずくと前をむいた。

「のせてってあげるけど、もうママとはぐれちゃだめよ」

「うん!」

「では、しゅっぱつ」

「しゅっぱ~つ」

 ごうれいをかけると、タクシーはゆっくりとえきをはなれていった。


 ショッピングセンターについたら、本やさんでお昼まですごそう。あ、ペットショップもいいな。もしかしたらマジックショーもやってるかも。ちょっとわくわくしてきた。

 でも帰りはぜったい、バスにしよう。お金はだいじ。ってママの口ぐせ。


「ねえ、おじょうちゃん」

「わたし、ナルミだよ!」

「じゃあナルミちゃん」

「うん!」

「おばさんね、前にもナルミちゃんをのせたことがあるのよ」

「え、そうなの?」

 赤しんごうでタクシーが止まると、おばさんがふりかえる。わたしはおぼえがなかった。

「うーん、わかんない」

「いつも前、むいてるからね」

 おばさんがわらう。

「わたしのことおぼえてるの?」

「とっても、かみが長いでしょ。目立つ人はよくおぼえてるの」

「そうなんだ、すごい!」

 おばさんが「ふふ」とてれている。

「でね、ママのことも何となくおぼえてるんだけど」

「うん」

「ナルミちゃん、本当はママからにげてるんじゃないの?」

 しんぞうが止まるかと思った。

「おこらないから、本当のこと教えてくれるとうれしいな」

「あ、あの、わたし」

「うん?」

 わたしは、すごくこわくなって、しゃっくりが出たみたいになきだしてしまった。

「ああ、ごめんね。おばさん、こわかったね。ごめんね」

 おばさんはあわてながらわたしにハンカチをかしてくれた。

「あ!」

「ど、どうしたの?」

「キュアモニ!」

 ハンカチのイラストは、わたしのすきな『キュアモニ』のセシルだった。

 『キュアモニ』は、大人気のアニメだ。女の子がわるものとたたかうのがかっこよくて、わたしはぜったい見のがさないようにしてる。

 とくに、フランスしゅっしんのセシルは、せが高くてむらさき色のショートカット。まるで男の子みたいだけど、とてもすてきなのだ。トレードマークはサングラス。本気になったときに外すしぐさもきまってる。

「あ、それはね、まごがプレゼントしてくれたのよ。はずかしいと言ったんだけどね」

 おばさんはオロオロしている。

 わたしは、そのようすがおかしくて、クスクスとわらいだしてしまった。

「はずかしいと言ったのよ、わたしは」とおばさんもくすぐったそうにわらう。セシルが年をとったら、こんなかんじなんだろうか。


 しんごうが青にかわって、タクシーが走りだす。すっかりおちついたわたしは、これまでのことをしょうじきにうちあけた。

「そうか、『はいしゃ』にね」

「うん。すごく、いやだったから」

 そう言いながら、なんだか声が小さくなってしまう。

「ナルミちゃんはおきゃくさんだからね、ちゃんとおくってあげるよ」

 おばさんは、やさしい声でそう言った。

「でもね、むこうについたらぜんりょくで走ることね」

「どうして?」

「じつはね、後ろのタクシーにママがのってるの」

「うそっ」

「ふりむかないで!」

 思わずふりむいてしまう。わたしはすぐ、ざせきに顔をかくした。

 しんぞうがバクバクいってる。後ろに、ママが?

「本当に?」

 前をむいたまま、おばさんはうなずく。

「ばれちゃったかな。すごい顔でこっち見てる」

 わたしは「山んば」をそうぞうしてぶるぶるとふるえた。

「あのえきでおりたなら、ショッピングセンターに行くと思ったんだろうね」

 そうだ、ママはあのえきまでおっかけてきたのだ。

 でも、どうしてわたしのおりるえきがわかったんだろう。ふしぎだった。

「それはね、たぶんおつりだよ」

「おつり?」

「けんばいきに、おつりをおいてきたんでしょ? きっとママは、おつりの金がくからどこまでのきっぷを買ったのか、けいさんしたんだろうね」

 なんだか、けいじドラマみたいだ。さすが、ママ。

 おばさんはこまった顔で「ママ、ずっと見てるよ」と言った。わたしはちぢこまって、なきそうになってしまった。

 でも、おばさんをこまらせちゃだめだ。わたしはいちどウソまでついたんだから。


 のこりのお金は手の中の千円と、かばんのなかの千円。それだけ。

 このままえきにもどっても、ママはおってくるだろう。ショッピングセンターでなんとかしないと。

 帰るときも、バスはつかえない。まってるあいだに見つかりそうだ。そうすると、またタクシーに……。

「ねえおばさん、ショッピングセンターまで、いくらくらいかかる?」

「そうだね。六百円くらいかな」

「帰りも同じくらい?」

「そうだね」

「うーん」

 ゆびをおって数える。すると、のこりはもう千円もない。

「少しなら、まっていてあげるけど」

「ほんと?」

「ほんと。それならえきまでおうふくで千円くらいかな。足りないぶんは、おまけしてあげる」

 ほめてくれたからね、とおばさんはまたむらさき色の頭をなでる。

「ありがとう!」

 やった!

 これでのこり一まいのおさつを、何かにつかえる。

 おばさんはサングラスをずらして「ないしょよ」とわらった。そのとき、わたしの頭にひらめくものがあった。

のこりの千円で、できることがある。


 ショッピングセンターの手前で、うんよくママのタクシーは赤しんごうにひっかかった。

 おばさんはタクシーのりばにつくと、言った。

「じゃあ、このあたりでまってるけど、もしつかまったら、ママといっしょに帰るんだよ」

「うん!」

わたしはいきおいよくかけだした。後ろからママのよぶ声がした。

さあ、三まいめのおさつだ。


§


お店から出たわたしは、すぐにタクシーめざして歩きだした。

人ごみの中をずんずんかきわけていく。キュアモニのセシルみたく、かっこよく、じしんをもって。

わたしのすがたにびっくりしたのか、すれちがった男の子が目を丸くする。いっしょにいるおばさんが「まあ」と言っているのがわかった。

やがてバスのりばが見えてきた。その先がタクシーのりばだ。

今きた人、もう帰る人、おおぜいでごったがえしている。

そこにはやっぱりママがいた。バスのじこくをなんどもたしかめて、まわりをキョロキョロ、おおぜいの中から「山んば」の目でわたしを見つけようとしている。

それでもママは気づかない。わたしはゆうゆうと、おばさんのまつタクシーへとのりこんだ。

「いやぁ、見ちがえたね」

おばさんが目をみはる。首の後ろがスースーして、はずかしい。

「これ、ありがとう。つかまってたら、かえせなかった」

そう言ってわたしはサングラスを外した。やっぱり、おばさんのほうがにあう。

「でも、思い切ったね。そんなにバッサリ切っちゃうなんて」

「セシルみたいで、かっこいいでしょ?」

おばさんがハンカチのがらと、わたしを見くらべてうれしそうにうなずいた。


ママならたぶん、わたしがえきに帰るところを見はるだろう。だったらもう「へんそう」しかない、と思ったのだ。

のこり千円でも「かみを切る」ことはできる。ママが「やすいけど、入ったことないわ」と言ってたお店。ゆうきを出して入ってみたら、やさしいおねえさんが声をかけてくれた。おねえさんはキュアモニを知っていて、のぞみどおりにカットしてくれたのだ。

あとは、おばさんにかりたサングラスをかければ、くろかみのセシル、かんせい。

ママをごまかすことができるかドキドキしたけど、何とかわたしはタクシーにもどってきた。そしていま、おばさんと楽しくお話している。


「じゃあ、二十円のおつりね」

えきのずっと手前で、おばさんはお金をけいさんするきかいを止めてくれた。

わたしはおれいを言っておつりをうけとった。

「じゃあまたね、おばさん」

「あ、ナルミちゃん」

タクシーをおりようとしたところでよびとめられる。

おばさんはサングラスのままこっちを見ていた。

「家に帰って、ママにあったら、ちゃんとあやまるんだよ」

少しかなしそうな顔に見えた。

「今もたぶん、しんぱいしているからね」

バスのりばでわたしをさがすママの顔がうかぶ。

しんぱい? とてもおこっているようにしか見えなかったけど。

「きっとよ。おばさんと、やくそく」

おばさんがこゆびを出してきた。

「わかった。ゆびきりげんまん、ね!」

わたしはゆび切りすると、帰りの電車めざして、えきへとかけていった。


§


そろそろ十二時になるころ、スマホがブルブルとふるえだした。がめんにはパパの名前。わたしはあわてて「としょかん」のロビーまで走った。

もういちど、とけいを見る。今ならつかまっても「はいしゃ」にはまにあわないはず。きっとだいじょうぶだ。

『もしもし、ナルミ?』

「パパ!」

『いま、「としょかん」にいるんだろう?』

ドキッとして、あたりをうかがう。

「どうしてわかるの?」

『ふふん。パパにはわかるのだ。ナルミがちかてつにのって、ショッピングセンターにいったこともね』

「すごいすごい、どうして?」

パパは電話のむこうでせきばらいすると、まじめな声で言った。

『それはこんど教えてあげる。それより、もう帰ってこないか』

やさしいけど、いやとはいえない声だった。

「……わかった。ママは?」

『れんらくした。もうすぐ帰ってくるよ』

おいかけてきた「山んば」の顔を思いだす。どんなにおこられるだろう。

だけど「はいしゃ」よりよっぽどいい。

わたしは、かったんだ。三まいのおさつで、ママからにげきったのだ。


§


先に家についたのはわたし。こちらを見るなり、パパは「わお」と目を丸くした。

「また、思い切ったね。かっこいいし、かわいいよ」

そう言って頭をなでてくれた。

「でも、かみのけがいっぱいついてる。とりあえず顔だけでもあらっておいで。あと、うがいもね」


せんめんじょで顔をあらっていると、げんかんがバタバタとさわがしくなる。ママ?

「ナルミ!」

顔がぬれたまま、わたしはママのほうをみた。ママのすがたがにじんでみえる。

やっぱり、おこってる?

でもへいきだ。「は」をチューンてやられるほうがいたいにきまってる。わたしは目をとじて、みがまえた。


気がつくと、あたたかいものがわたしをつつんでいた。

ふわ、といいにおいがして、それがママのにおいだと気づいたとき、わたしはだきしめられているんだとわかった。

ママの手がわたしのせなかをさすっている。頭もなでられた。どうしてなでてもらえるのかふしぎだったけど、ママがないていることはわかった。

ふと、とてもわるいことをママにしたような、そんな気もちになって、いつのまにかわたしも声をあげてないていた。ママはくりかえしなんども、わたしの名前をよんだ。

むねがずきずきといたかった。「は」をチューンとされるより、なんばいもいたかった。


§


「まったく、一人で行かせるなんて、あなたどうかしてるわよ」

ママがパパをしかりながら、あらいたてのわたしの頭をタオルでふく。いつもよりちょっといたい。

「でも、もう二年生だぞ? おれらのころはさ……」

「じだいがちがうの、じだいが! 今は何かと『ぶっそう』じゃない!」

「ちょっと『かほご』なんだよ。きみの子なんだから、たくましいにきまってる」

ママのうなりごえがして、パパは「ごめん」とつぶやいた。

「まぁ、れんらくようにスマホもたせてたし、ナルミの『いちじょうほう』はつかまえてたから」

ママの手がタオルからはなれた。あ、これはつねられるパターンだ。

「だったら、それを、言・い・な・さ・い・よ!」

「いた! ひた! ひふぁい!」

「しかもいつのまにスマホ二台も!」

「一台は会社のっ……て、ごめ、ごめん!」

「ったく、もう」

 タオルのすきまからママの顔が見えた。まだ少し、目が赤い。

「あーあ、こんなにみじかくするなら、ためしてみたいかみがた、いっぱいあったのに。あそこまでしてにげるなんて、そんなにいやだったの?」

今さらなことを言う。パパが口をはさんだ。

「ママ、ナルミにはナルミの……」

「ちょっとだまってて」

ぴしゃりとやられてパパはだまりこむ。わたしはゆうきを出して、言った。

「だって、『はいしゃ』さん、いやだもん。虫ばなんか、ないもん!」

 二人はポカンとして「はいしゃ?」と、首をかしげた。

「わたし、『はいしゃ』につれていくなんて、言った?」

「だって、パパが、教えてくれたもん」

ママがふりかえる。

「おれ、『はいしゃ』なんて、言ってないぞ」

「言ったよ! パパ、『びょういん』って言ったもん」

「いや、パパは、『びよういん』って」

「へっ?」

「だから、『び・よ・う・い・ん』……あっ」

今朝のパパの顔がよみがえる。

び・よ・う・い・ん?

「「「あーっ!」」」

こんどは三人いっしょにおどろいた。


「うーん、ベリーショートか。これはこれでかわいいけど……」

「ママが行き先をはっきり言わないからだろ」

「あなたが言うこと? なにが『び・よ・う・い・ん』よ!」

「それは、ママにきこえないようにと」

「ほらまた、言いわけ! すなおにあやまらない!」

「なんだと?」

「なによ?」

「二人ともけんか、やめてよ!」

パパとママがどうじにわたしを見た。しまった、これはだめなパターンだ。

「だいたいね、『はいしゃ』がこわくてにげるってどういうこと?」

「パパもそう思う」

「わるいところがあるから、なおしに行くのよ?」

「パパもそう思う」

ずるい、パパ!


今日わかったこと。

ママはやっぱり「さいきょう」で、パパはママにはかなわない、それと――

「こうなったら、らいしゅうは『はいしゃ』ね」

「えーっ!」

にげても、いつかは立ちむかわなくちゃならないってこと。


§


「そういえば、あなたナルミにお金あげたの?」

「あげたんじゃないぞ」

パパが小さなふくろをとりだす。

キュアモニのイラストがかかれてて、見おぼえがあるふくろ……。

「あれは、ナルミの、お年玉だ」


〈了〉

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