一小節目 ある晴れた春の日の深夜
音楽室の片隅に二人
「それで、昨晩の稼ぎはどうだったんです?」
「はちみつ味」
放課後の音楽室、行儀悪く机に腰掛け、私はアンプに繋いでいないギターを弾き鳴らしながら、部屋の主からの問いに返す。
「例のアメさんですか。それは儲けましたね」
「馬鹿にしてンスか……」
ヘラヘラと皮肉を言ってくる眼鏡をギターで叩き割ってやりたいが、毎度そんなことをしていれば何本ギターを買い換えればいいのか分からなくなる。
「けど、一年続けた甲斐があったんじゃないですか。ようやく固定のファンがついたってのは」
「そッスかね」
私はノートにコードを書きとめながら適当に返事をする。
互いに音楽室の角と角。離れた距離だが声を張ることはない、この空間に雑音はない。私と非常勤講師、
「そろそろ交代ですよ」
「うい」
もうそんなに経ったのかと掻き鳴らす手を止め、ギターを床に置き壁に立てかける。
めちゃんこ軽いリュックから音楽雑誌を取り出し、特に七弥に目を向けることなく取りとめもない会話を続ける。
「そもそも場所もやる時間も悪い思うんですよ」
「それは分かってるんスよ。けど場所を変える前にあの人が聴きに来るようになったから動くに動けなくて……」
七弥は自分の楽器であるベースを取り出しチューニングを始めていた。
この男は音楽の講師だ。
とはいえ決して吹奏楽部が強いとか、音楽に力を入れているとかというわけではない、ただの普通科のウチの高校には音楽の授業時間数はめちゃんこ少ない。
特別な魅力を持たないうちの学校には大した重要度でない科目に常駐の教師や講師を置いておくほど余裕はないらしく、七弥は週二でしかやってこない。
聞くところによると他の学校でも講師をしているらしく週四の割の良いバイトみたいなもの、だと本人は語っている。
講師をしているとき以外、コイツが何をしているのか、というと――
「確かに固定のファンが付くのは嬉しいことですよね。俺も聞きに来てくれる顔ん中に同じのがあるとめっちゃ嬉しい」
バンド活動をやっているらしい。
私とは違いちゃんと仲間と一緒に人のいる場所、時間帯で。
「うらやましい」
「
「一応、ね」
七弥の言うとおりウチには軽音楽部はある。だが、こう言ってはなんだが……。
「熱量が違う……」
彼ら彼女らは決して路上ライブなんてしないし、毎日楽器の練習もしない。ましてや自分達で曲を書いたり詩を綴ったりもしない。
けどそれは音楽の楽しみ方の一つだ、悪いことじゃない。
むしろ、正しい意味での軽音楽をしていると言える。
そんな中に一人だけ突っ走ってる奴が混じったりするのは無粋極まりない。
「それはそうと、丹華。メロディーラインを頼んでも?」
「あいよ」
チューニングを終えた七弥は私にコード譜を寄越して来た。
バンドメンバーと練習出来ない時間は私が代わりに
私もギターの練習になってWin-Winな関係ってやつだ。
「何なら歌ってもいいッスよ」
「歌詞知らないのにどうやって歌うんですか? 余計なことしなくていいです」
新しいのを渡して来たってことは彼らの新曲だろう。
アップテンポで激しめ、いつも思うが軟派な見た目の七弥の割にハードロックよりな曲ばっかりだ。
七弥が音楽室に持ち込んだアンプにギターを接続する。
「んじゃ、合わせますか。とりあえず一番のサビまで」
「うい」
初見譜、だけど、私には頭でイメージできる。この曲の主旋律が。
「1,2――1、2、3、4」
七弥のカウントで、音楽室は一変する。
爆発するようなイントロ、そして息つく間もなく頭サビ。序盤からトップスピードで駆け抜けていく音がこの空間を学び舎の一室から、自由を叫ぶ会場へと変貌させる。
忙しい。だがそれ以上に――めちゃんこ楽しい!
常に仕事が供給され弾き続けろと、鳴らし続けろと、言わんばかりの音の嵐。それをとっ散らかさないようにベースが仕事をする。ドラムの拍車が掛かってこないのが惜しいほどに心を沸き立たせる。
曲を書くのは七弥じゃなくて、今私が弾いているパートを担当するギタリスト兼ボーカリスト。
頭おかしい。
こんなのを弾きながら歌ってるなんて。どっちか一個に集中したとしてもアホみたいに難易度が高いのに、それを両立しているなんて。
筋金入りのギター中毒者だ。こんなに楽しく弾ける曲を書けるのは!
「やっぱ、好きだ……」
「惚れましたか? いつでも告白受け付けてますよ」
「七弥のことじゃないッスよ」
まるで一瞬の出来事のようで、それでいて高まった気分は何時間も冷めない。
これこそ、私が音楽をやっている一番の理由といっても過言ではない。
しかも、この世でおそらくまだ私と作曲者の二人しか弾いてない産声を上げたばかりの曲を弾けた。けっしてメジャーではないけど、名声なんて関係ない。いい曲はいい曲なんだから。それがなにより音楽をやっていて良かったと思える瞬間だ。
「これ、いつCDにするんスか。絶対欲しいッス」
「あのですね、まだバンドメンバーとの通しの練習もしてないのに分かるわけないでしょ」
「さいですか」
曲に参加している七弥にそう言われたのなら仕方ない。
「というか、初見譜を一発で合わせてる丹華の方がおかしいんですよ。相変わらずギターの腕は化物ですね」
「歌も褒めてくださいよー」
「丹華の歌、聞いたことないんで。それに俺、ボーカルに関しては門外漢ですし」
そう言いながら七弥は早くも自分の楽器を片付け始めていた。
「まだ、5時過ぎッスよ」
「俺はこれからバンドの練習なんで」
「えっ⁉ 七弥いないと音楽室使えないんスけど!」
「つまりは丹華もお家に帰れってことです。ほれ後始末」
全力で嫌そうな顔をして見せたが、所詮は平メンバーでしかない七弥は可愛い教え子よりもバンドメンバーを優先し、私の帰り支度を急かすだけだった。
「タダで使える練習場所だったのに……しゃーない、カラオケで練習するか……」
結局、教室の管理者である七弥には逆らえず、私達は音楽室を出て昇降口へと向かっていた。
「そういえば七弥は今日はどこで練習するンスか」
「今日は俺らもカラオケです。普通はスタジオを借りて練習ですけどね。あと路上でライブ形式の通しでやったりとか」
「仲間がいるとやれることが多くて羨ましい……一人だとカラオケでも金が掛かるしな……」
「それは一重に丹華のコミュ力の問題でしょ」
七弥の癖に的を射たことを言ってきやがる。
そんな取りとめもない話をしながら廊下を並んで歩いていると前の方から女子生徒のグループが何やら雑談をしながら歩いてきた。
彼女達は対面の私と七弥に気づくと急にそそくさと小走りになりすれ違っていった。
「こんな噂を知ってます?」
七弥は若干うんざりした様子だった。
「私と七弥がデキてて音楽室でヨロシクやってるって話ッスか」
「おう……まさか本人からそんなに淡々と口にされるとは思わなかった」
「よかったじゃないッスか、噂の中だけでも自分の理想が叶ってて。七弥言ってたッスよね。『俺が音楽の講師になったのは、股の緩い女子生徒を引っ掛けて、しこたまハメたいからだ』って」
なんというか、人畜無害そうに見えて、中身はやっぱりバンドマンだったなって、一年近く付き合ってわかってきた。
「あんまそういうこと学校で言わないでくれますか……一応反省してるんで」
「反省って、私を股の緩い馬鹿な女だと思って釣ろうとしたことッスか?」
「ごめんて。というか丹華は嫌じゃないんですか? 今の同級生でしょ。そんな噂されて居心地悪いでしょ」
「屑の癖に先生っぽいことも言うんスね。けど、私は気にしたことないッスね。七弥なんかに股開くような尻軽だと思われるのは癪ッスけど、そういう下らない噂をしてる奴らが私に関わってくることなんてないッスから」
この学校は中途半端な都立高校だ。どいつもこいつも事なかれ主義で、どんなに気に食わないやつがいたとしても大きなことはしない。影で嫌味を垂れるのが精一杯だ。
そういうのと同調したくないから。私はどのグループにも属してない。
「随所に棘があるな……一応、俺はこの学校で数少ない丹華の味方のつもりなんですけど」
「ふーん、スカートの中を狙ってたのにッスか?」
スカートの裾を持ち上げて七弥をからかってみる。当然下には短パンをはいているが。
「もうそんなこと考えてない。丹華みたいな狂犬には手を出す気にはなれないですよ。今くらいの距離がベスト」
「まあ、私も七弥はタイプじゃないですし」
というか、私は誰かに恋愛感情を抱いたことがないかもしれない。
異性とあまり触れ合ってこなかった……というか、あまり友達もいないし、人との関わりが極端に少ないせいか音楽以外に何かを愛したことがまるでない。
七弥ともう一年も友達みたいな関係を続けているが、ときめいたことは一度もない。
よく男と女である以上は云々みたいなことをいうが、『男女の関係』ってやつに発展するようなことはない。
「好き、ってなんなんッスかね……」
「哲学ですか?」
「別にそこまで真剣な話じゃないッスけど、どうして同世代の連中は恋ってやつに熱中してるのか分かんないなって」
それは私の音楽が好きと同じなんだろうか?
激しく胸が高鳴って、ずっと熱が尾を引くような。そんなものが音楽以外にあるのだろうか?
そんな話をしていたら一階についており、昇降口はもう目と鼻の先だった。
校舎で部活動をしているような文化部も下校のタイミングなのか、ちらほらと見受けられる。
「んじゃ、俺鍵返してくるんで。また来週」
なんというか、このまま七弥と別れるのは癪だ。
本来、あと二時間は自由に使えた音楽室を管理者権限で強制退室させられたのに対していまだ腹の虫は収まっていない。
よし。
「じゃあね七弥! 今日も……激しくって気持ちよかったよ……! またやろうね!」
少し恥ずかしがってる風を装い、出来るだけ自然な大きさ且つ、下駄箱の連中に聞こえる程度の声量で七弥に返事をしてやった。
「え、アレって石戸先生?」
「一緒にいるのって例の二年生かな? 噂って本当だったんだ……」
私の今の台詞に反応して下駄箱にいた生徒達はざわめき始めた。
それからの七弥の動きは実に機敏だった。
すでに背を向けていた身体を勢いよく反転させ、一瞬で詰め寄ってきて、小声で問い質した。
「……何が目的だ、ですか!?」
慇懃無礼な先生モードの仮面が脱げそうになるほどに七弥が慌てているのが分かる。
「ふふ……このまま去らせはしないッスよ。本来の無料練習時間を奪われた恨みは忘れてないッス」
「何をすればいいんだ?」
冷や汗をかきながら先生状態が完全に解け、素の状態になっている。
「まあ、何も悪い話じゃないッスよ。これから行くカラオケ代をちょっと私の分も払ってくれればいいだけの話しッスから」
「そんなことのために俺の首に王手を掛けやがって……! その程度いくらでも奢ってやるから……!」
「言質は取ったッスよ――七弥とのセッション楽しかったよ! 今度はギターソロもある曲持ってきてね!」
「ハハ、そんなもんいくらでももってきてあげますですよ」
さっきと同じくらいの声量で台詞を付け足すと、なんだ音楽の話か、と他の生徒たちの空気は白け、ざわめきは次第に納まっていった。
「生きた心地がしなかった……」
「じゃあ七弥、校門で待ってるッスよ」
気晴らしもしつつ練習場所代もチャラになったし、今日も空も気分も快晴、いい路上ライブ日和だ。
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