第10話~お別れの10ページ 後編~

 屋上に続く重い扉がぎいー、と音を立てながら開いていく。「最後にもう一度星が見たい」と言い出したのはかばんだった。一歩外に出ると、昨日と変わらない満天の星空が二人を出迎えてくれた。

 深く息を吸って吐き出す。夜露に濡れた空気はとても新鮮で、鼻腔に広がる潮の香りがとても気持ちいい。それまで胸につかえていたものが取れたような、そんな清々しい気分になった。

 相変わらず外は波と風の音がするだけで、不思議なほど静かだ。その静謐さの中、月明かりが世界で自分たちだけを照らしているように見えた。

 空を見上げながらそのまま「月が綺麗だね」と思ったことを呟く。すると隣りにいたセーバルがからからと笑いながら言った。「かばんに、告白されちゃった」と。

「どういうこと?」

「月が綺麗だね、っていうのはね、あなたが好き、っていう意味なんだよ」

「えぇ!? そうなの!?」

 あまりにもかけ離れたその意味に面食らってしまう。一体何をどうしたらそんな解釈になるのだろう。そしてその後セーバルが言った「告白されたの、これで二回目」という発言にもかばんは驚かされた。

「じゃあ一回目は誰だったの?」

「サーバルだよ」

 それを聞いてかばんは何故か妙に納得してしまう。自分の知るサーバルとセーバルの知るサーバルは別人なのだろうが、きっと彼女もまたその意味を知らずに言ってしまったに違いない。何となくそんな気がした。

「そう言えば」とセーバルが続ける。

「かばん、わたしを初めて見た時、サーバルと間違えたよね。もしかして、サーバルのこと知ってるの?」

 その質問に胸がどきり、とする。

 本当はもっと前から話そうと思っていた。

 でもセーバルのことを知れば知るほど、サーバルとの間にあった辛い過去を思い出させてしまいそうな気がして、どこかでその名前を出すことを避けていた。

 でも今は違う。セーバルに、もっとサーバルのことを知ってもらいたかった。自分の知る、大切な、自慢の友達のことを。

「サーバルちゃんはね、僕が生まれて初めて出会ったフレンズで、かけがえのない友達なんだ」

 それを聞いたセーバルの顔が綻ぶ。「やっぱり」と微笑んだ。

「だってあの時のかばんの顔、本当に嬉しそうだったんだもん」

「うん。サーバルちゃんならきっと僕のこと追いかけてきてくれると思ってたから……。だからあの時は本当にセーバルちゃんがサーバルちゃんに見えてびっくりしたよ。――でもまさかまた襲われるなんて」

 セーバルに襲われた時、かばんは猛烈なデジャブを覚えた。右も左も分からない状態で一人広大な自然の中に投げ出されたかと思えば、今度は得体の知れない何かが襲いかかってきて食べられそうになる。いつだってそういう時は叫びたくなるものだ。――食べないで下さい、と。

 今でこそそんなサーバルとの出会いは笑い話にできるが、当時は本当に怖かったし本気で食べられると思った。そのせいで未だに驚いたりすると、つい口癖のように食べないで下さい、と言ってしまう。

 その話をセーバルは「サーバルのそういうドジなところ、何か想像つく」と他人事のように笑って聞いていた。

「でもセーバルちゃんも結構似てるところあるよね」

「……むっ。セーバルはドジじゃないよ。それにセーバル、サーバルの真似するの得意だけど、ドジっこなとこはうまく真似できなかったし。むずかしい、くろうする」

「どうしてそんなことを……」

「きっと、サーバルみたいになりたかったんだと思う」

「サーバルちゃんみたいに?」

「うん。サーバルみたいに」

 セーバルが繰り返しそう言う。

 サーバルのドジな部分をセーバルが真似しているところを想像すると、何だか双子みたいで可愛いと思った。兄弟は下の者が上の者の真似をして成長していくものらしいが、サーバルから生まれたセーバルにとって、もしかしたらサーバルはどこかお姉さん的な存在だったのかもしれない。

「サーバルはね、凄いんだよ。あったかくて、そこにいるだけでみんなを笑顔にして、優しくて、純粋な心を持ってて……。そんなサーバルに、わたしは憧れてた」

 セーバルの話をかばんは無言で頷きながら、しかし内心ではとても驚きながら聞いていた。

 彼女の言ったそのどれもが、自分の知るサーバルも持っていたからだ。困った子のことを放っておけず、誰とでも仲良くし、それでいて強く純真な心を持つサーバル。それはキョウシュウにいるサーバルそのものだ。

 二人で異なるサーバルの話をしているはずなのに、不思議とその内容がシンクロしていることが何だかおかしかった。

 だがきっとなのだろう。

 サーバルのフレンズにはそういう人を惹きつける不思議な魅力があるのだ。彼女が世代を超えてなおその輝きで周りの人を救ってきたということが自分のことのように嬉しく、そして誇らしい。

「でもね、今はもう違うよ」

「違う?」

「うん。今までは真似することで大好きなサーバルに、フレンズに近づこうとしてきたけど、そうじゃないってわかった。サーバルが、気づかせてくれた」

 ふっと息を吐いてかばんの方を見る。

「だって、セーバルはセーバルだもん」

 セーバルが笑った。

 その笑顔に、彼女がこれまで積み上げてきたものがすべて表れているようだった。


 ――平気平気。フレンズによって得意なこと違うから

 サーバルと初めて会った日のことを思い出す。

 あの時のかばんはまだ未熟で、一人で生きていく術を何も知らないか弱い存在だった。崖からずり落ちたり、川に落ちたり、木登りがうまくできなかったり……。

 それでもサーバルはそんなかばんを何一つ否定せず、励ましてくれた。これでいいのかな、という不安が、これでいいんだ、これが自分なんだ、という自信に変わった。自分らしく生きることの大切さを教えてくれた。あの日かけてくれた言葉の数々は未だに心に深く刻み込まれている。

 サーバルは言葉の持つ価値というものを知っているのだ。きっと彼女自身はその価値の大きさや、そもそもそれがどれほどの力を持っているのかなんていうことは知らないだろう。

 だが無意識だからこそ、純粋で心にすっと入り込んでくる。傷ついた時、落ち込んだ時、それらを全て包み込んで優しく寄り添ってくれる。サーバルの言葉は、輝きそのものだ。


「もうすぐ夜明けだね」

 セーバルの見つめる方向に目をやる。空にはまだ無数の星々が瞬いていたが、闇の黒が少しずつ薄くなり藍色に変わり始めていた。こんな時でも時間は止まることなく進む。確実にその時を刻んでいく。

 このままゆっくりと朝日が上るのを二人で眺めるのもいいかもしれない、とぼんやり考えていると、セーバルが思い出したように「あっ!」と声を上げた。

「ど、どうしたのセーバルちゃん!?」

 驚いてセーバルの方を向くと、彼女が「日記!」と言った。

「日記がどうかしたの?」

「かばん、日記書いてないでしょ」

「あっ」

 セーバルに言われてはっとする。そう言えば今日はかばんが交換日記をつける番だった。

 しかしその日記を探している最中にセーバルの日記を見つけてしまい、結局書くタイミングもなくここまで来てしまった。

 まさか今になってそのことを指摘されるとは思わなかったが、元はと言えば自分から言い出したことだし、確かに何も書かずに去ってしまうのも無責任な話だ。

「ちょっと取ってくるから、かばんはここで待ってて」と言い残すと、セーバルは足早に階段を下りていってしまった。

 セーバルのいなくなった屋上で一人空を見上げる。

 薄闇で瞬く無数の星たちはとても綺麗で、見ているだけで吸い込まれそうだ。これだけ沢山あって同じように見えても、一つとして同じものは存在しない。星にも個性がある。大きい星、小さい星、明るい星、暗い星……。

 そして頭上で一際強い光を放っているのは昨日セーバルと一緒に名づけたかばん座とセーバル座の星たちだ。たった一日前のことなのに、それがもう随分昔のことのように感じられる。

 無邪気に笑いながら星を繋げて遊ぶセーバルの顔を思い出しながら、どうか彼女もあの星のようにいつまでも輝きを失わずにいてほしい、と願う。

 そしてかばん座とセーバル座が交わるあの星のように、もしお互いのことを忘れてしまったとしてもまたここに戻って来られるようにと心の中で祈る。

 その時すっと、視界の端で何か光の線のようなものが流れた、気がした。

「何だろう……今の」

 放物線を描きながら瞬き、一瞬にして消えた謎の光。かばんにはそれが星が落ちたように見えた。

 しかしそんなことがあるのだろうか。もしかしたらただの見間違いかもしれない。そう思っていたら、いつの間にか戻ってきたセーバルが「流れ星だね」と言った。初めて聞く言葉だった。

「流れ星にね、お願いごとをすると叶うんだって」

「ほんとに?」

 ではさっきの願い事も叶えてくれるのだろうかと少し高揚したが、その期待は「消えるまでに三回、心の中で唱えるってルールがあるけど」というセーバルの付け足しによりあっさりと打ち砕かれてしまった。

 でも――きっと大丈夫だ、と思う。

 流れ星の瞬きは短い。落ちてしまえばその輝きは潰えてしまう。

 でも星が落ちずにいつまでも空で煌めいている限り、自分たちはそれを道標にして何度だって出会えるだろう。道を間違えた時、道に迷った時、そしてたとえ別々の道を歩んでしまったとしても、きっとその光が征くべき道を照らしてくれる。

 セーバルからペンを受け取る。日記を開くと、真っ白いページが月明かりを反射してまるで自ら発光しているようだった。

 そこにすっと線を入れたところであることに気づく。

「あれ? これ色がついてるね」

 よく見るとセーバルから渡されたペンは黒ではなく黄色だった。弧を描いた黄色い線が一本、薄闇に浮かび上がっている。

「何か、さっきの流れ星みたい」とセーバルが言った。それを聞いたかばんがあることを閃く。

「そうだ! ここに絵を描いてみるっていうのはどうかな?」

「おぉ……かばんとセーバルの交換日記が、かばんとセーバルの交換絵日記に進化した。楽しそう……!」

 その一言で火がついたのか、セーバルが持ってきた他のペンもばらばらと並べていく。

「急いでたから適当に何本か持ってきちゃった」と言ってセーバルが出してきたのは赤、青、緑、オレンジ、藍色、紫……どうやらこれはクレヨンらしい。

 まっさらなキャンバスにそれぞれが示し合わせたように星を描いていく。かばんはかばん座を、セーバルはセーバル座を、そしてそこに幾つもの星を散りばめる。

 そして空の星がいよいよ薄くなりかけてきた頃、それは完成した。

「できたー!」という二人の声が重なる。

 日記に描かれた二つの星座をお互いに見比べる。お世辞にも絵心があるとは言い難い出来だったが、それでも二人からすれば一緒に作り上げた星図の完成だ。まるで二人にしかわからない暗号を散りばめた宝の地図のようで、見ているだけでワクワクした。

 その下にかばんとセーバルの名前を、一言ずつ添えて刻む。その文字が、少しずつ朝日で照らされていく。

 かばんが言った。「これを紙飛行機にして一緒に飛ばそう」と。

 セーバルも頷く。もう何も言わなくても全部わかってるといったように、かばんに従う。

 折る時の手が、震えていた。

 そう言えば初めて紙飛行機を折った時もこんなふうに震える手を抑えながら必死で作ったな、ということを思い出しながら、一回、二回と折り進めていく。

 下を向いているせいで途中何度も涙が零れ落ちそうになった。

 せっかくの絵が濡れないように、そう思っていても堪え切れずにぽたぽたと滴り落ちる。

 今横で黙って見ているセーバルはどんな顔をしているだろう。今彼女の顔を見てしまったらこれ以上手を動かすことができなくなるような気がして、なるべく考えないようにした。

 指に入る力が少しずつ消えていく中、それでも最後まで折ることを止めない。この翼が、遠く遠く、どこまでも飛んでいってくれるように。そう祈りながら、あと少しだけ時間を下さいと懇願する。

 完成した紙飛行機は、これまでで一番いい出来だった。すっと伸びた純白の羽が力強く朝日を反射してかばんの手を照らす。

 その手が、透けていた。

 それを見て、ついにその時が近づいたのだと、瞬時に悟る。覚悟する。

 ここを去るということは、これから記憶を失う。

 お別れの時が、とうとうやってきた。

「かばん……。わたしたち、また会えるよね?」

 その声を受けたかばんがようやく顔を上げる。

 セーバルの顔が、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

 その顔を真正面に受けながら、「うん」と頷き、心の中で決意する。ようやくセーバルに打ち明ける時がきた、と。

「ねぇセーバルちゃん。セーバルちゃんは僕たちが出会えたのは偶然だってさっき言ってたけど、僕はそうじゃないと思うんだ」

 セーバルの話を聞いてからずっと考えていたことがある。それはどうして自分が生まれたか、ということだ。

 セーバルは自分の生まれた理由をパークを守るためだと語った。

 この世界に生きる誰もが使命を持って生まれてくるのだとしたら、自分は何のために生まれたのだろう。何ができるのだろう。それを考えた。

 そして自分の命のルーツを辿った時、その答えがはっきりとわかった。

「セーバルちゃん、僕ね――キョウシュウの火山から生まれたんだよ」

 その声を受けたセーバルの顔が稲妻いなずまに打たれたようになる。真っ赤な瞳を大きく見開き、その場で胸を射貫かれたように棒立ちになった。

 セーバルが尋ねる。「どういうこと?」と。

 それに「セーバルちゃんのいた時代がどうだったかはわからないけど」と前置きをして続ける。

「パークには火山が沢山あって、フレンズはみんなそこから噴火して出たサンドスターが当たって生まれるんだよ」

 そしてかばんはキョウシュウで生まれた。

 四神と、そしてセーバルが命を賭けて守ったあの火山で。それに気づいた時、自分はセーバルと出会い、そして彼女を救うために生まれたのだと悟った。

「そして僕は多分、ミライさんって人の体毛からフレンズ化した」

 今度はセーバルの息を呑む音がはっきりと聞こえた。呆気に取られたように何度も目を瞬かせる。

 その時ふとミライさんの側にはもう一人のサーバルがいたことを思い出す。もしかしたらあれがセーバルの知るサーバルだったのだろうか。

 それを聞こうとした時、セーバルが言った。

「待ってるから」と。

「わたし、ずっと、ずっと、ここで待ってるから。だから――」

 セーバルの声が掠れる。息が詰まり、最後まで言葉が満足に出てこなくなる。それでも、咽喉の奥から絞り出すようにセーバルが言った。

「また来てね」

 涙でぐずぐずになった顔を上げて、そう囁いた。

 頷くのが、精いっぱいだった。

 会いに行く、と約束する。

 セーバルの手を取って、約束する。

 大丈夫――きっと大丈夫。

 どこにいたって、心は繋がっているから。

 だから――。

「行ってくるね」


 透明でもう殆ど見えなくなったかばんの手にセーバルの手が重なる。


 二人で声を合わせて叫ぶ。


「いちっ、にの、――さん!」


 新しい朝が来る。


 朝焼けに紙飛行機が吸い込まれていく。


 二人分の願いを乗せて、飛んでいく。


 そしてその眩しいほどの輝きに包まれながら、かばんは目を瞑った。










 あなたは忘れてしまうでしょう




 ともに過ごした日々と私のことを




 私は忘れない。




 あなたの声、温もり、笑顔……その優しく純粋な心




 どれほどの時がたっても……



 

 あなたが全てを忘れてしまっても……



 

 私は決して忘れない



 

 本当に、ありがとう




 いつかまた、きっと私たちは出会えるから……




 今は、さよなら……




 かばん……

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