第9話~真実と記憶の9ページ 後編~

 ジャパリパークがまだヒトと活気で満ち溢れていた頃、“それ”は突然訪れた。


「セーバル、きっとこれが最後なんだね」

 キョウシュウチホーの火山の火口前でサーバルが言った。その周りをカラカル、トキ、トムソンガゼル、シロサイ、ギンギツネと、かつて自分を女王の呪縛から解放してくれた仲間たちが取り囲んでいる。みんなその顔に悲痛の表情を浮かべ、しかしギンギツネだけは毅然とした態度でセーバルを見つめていた。

「このお守りにはもう四神の力は残っていない……。あるのはオイナリサマの力だけ。それも尽きかけてきている。だから……うぅ」

「ギンギツネ……」

 声を詰まらせたギンギツネが口元を覆う。お守り、と言われたボロボロのペンダントがその手からするりと抜け落ちそうになった。

 避難する前に園長から渡されたというこのお守りは、フレンズの能力を最大限まで引き出し、文字通りこのジャパリパークをずっと守ってきた大切な宝物だ。それを今から自分が持つということがどういうことを意味するのか、セーバルはもう理解していた。

「オイナリサマがね、言ってたの……。“私にあなたを救う力がないことがとても悔しいです……。でも、いつかきっと、必ず、あなたを救う者がこのジャパリパークを訪れるでしょう。だから、どうか最後まで希望を捨てないで”って」

 その言葉を聞いて、ああ――、とセーバルは天を仰ぐ。

 まだ夕暮れ時でもないのに真っ赤に燃えた空は、比喩などではなく、本当にこの世の終わりを見ているようだった。そこに立ち上る、絵の具をぶち撒けたようなどす黒い煙が視界を塗りつぶし、今にも頭上から落ちてきそうな勢いでこちらに迫っている。

 とうの昔に覚悟を決めた――そう思っていた。

 しかし今ギンギツネに言われたことで、またその決意が揺らぎ始めている自分がいる。もう迷わないと決めたのに、改めてこの先に待ち受ける運命を突き付けられると真綿で首を絞められているようだった。

 ――これからこの火口に飛び込み、四神たちと同じようにその身を結晶化させて火山の噴火を鎮める、それがセーバルに課せられた使命だった。初めから拒否権などない、自分にしかできない務め――。

 どうして自分が選ばれたのかはわからない。

 ただ何となく予感はしていた。この事態を収束させられるのは、フレンズでもセルリアンでもない、自分だけだと。

 かつて女王から言われた、“ミュータント”という言葉が蘇る。

 ミュータント――突然変異で生まれてしまった半端者の異物。セルリアンとして生を受けながらその役目を果たさず、特別を持ったことによりフレンズとして生まれ変わったセーバルという個体。

 奇跡が奇跡を呼び、この世にフレンズとして新たな生命を宿した自分は、今思えばとても、とても、幸せ者だったのだろう。こんなことは前例がないし願ったところで叶うようなものでもない。

 あれほどまでに望んだ、サーバルとの日常を手にできたことはかけがえのない宝物だ。もう女王の影に怯える必要もなく、自分の意思で考え行動するということがどれだけ素晴らしいか、そんな当たり前のことでさえこの身体になって初めて知った。

 でも……。ふとみんなと一緒にいると考えることがある。

 自分は本当は何者なんだろう、と。どうして生まれてきたのか、ずっとその答えを探してきた。

 サーバルがサーバルキャットのフレンズとして生まれ、カラカルがカラカルのフレンズとして生まれてきたように、フレンズにはそれぞれのルーツがある。では自分のルーツは何なのかと考えた時、やはり真っ先に思い浮かぶのはセルリアンだった。

 フレンズはサンドスターを全て失ってしまえば元の姿に戻る。それはつまり、仮に自分がサンドスターを全て失った場合、セルリアンに戻ってしまう可能性もある、ということだ。もし自分の中にセルリアンとしての何かが1パーセントでも存在していたら……。

 フレンズとセルリアンは相容れない。同じサンドスターという物質から生まれたのに、その存在は光と闇ぐらい正反対に位置している。遭遇すれば逃げるか、或いは倒すか、その二択になるだろう。

 では自分がもしセルリアンに戻った場合、誰が倒してくれるのだろうと考えたら、答えはもう初めから出ていた。

 サーバルだ。一番優しくて、一番近い存在だからこそ、きっと彼女は自分を倒す。

 その場面を想像した時、これまで感じたことのない衝撃がセーバルを襲った。胸を千々に切り裂かれる思いがした。

 そんなことはさせない。絶対に。サーバルを悲しませたりなんてさせるものか。

 彼女には笑っていてほしい。その笑顔に何度元気づけられたか。その笑顔に何度勇気をもらったか。その笑顔に何度救われたか――。

 だから決めた。そうなる前に、そうならないために、今ここで自分の命を捧げよう、と。それがサーバルを、パークを、みんなを救うことに繋がるなら、それこそがきっと自分が生まれてきた理由なのだと。

 火山の噴火を自らがフィルターとなって阻止する――それがどれほどの苦痛を伴い、いつまでその状態を保ち続ければいいのかはセーバルにもわからなかった。

 ただ一つ、何となくもうこの姿には戻れないんだろうな、という気はした。

 今までのようにみんなと話したり、ジャパまんを食べたり、旅をしたり、当たり前だった日常がなくなる。死ぬことすら許されず、かと言って意識があるわけでもなく、ただ悠久の時をこの火山の火口の奥底で、たった一人眠り続ける――。その覚悟を、セーバルは決めていた。

「……セーバル、ほんとにいいの?」

 トキが尋ねる。

「うん。もう、決めたから」

「うぅ……何か他にいいアイデアはないのかな? ほら、前みたいにこう奇跡が起きてドドーンってなるとか」

「奇跡は起こそうと思って起きるものではありませんわ」

 唸るトムソンガゼルを制するようにシロサイが割って入る。「でも――」と続けた。

「カコ博士もガイドさんも、みんな頑張って今必死に解決策を練ってるところです。きっとすぐにセーバル様を救う案が見つかると思いますわ」

「そうだよね……! それになんてったって私たちは一回パークを救ってるんだから! これくらいのことで弱気になってちゃ駄目だよね。奇跡を信じよう!」

「……ありがとう、みんな」

 彼女たちの優しさが身に沁みた。トムソンガゼルの言った奇跡、という言葉がうっすらと心の奥を照らす。

 そうだ。自分はその奇跡に導かれてここまで来たんじゃないか。大丈夫、きっと今回も大丈夫。そう繰り返し、自分に言い聞かせる。彼女たちのその泣き顔に目を背けながら――。

 ここまで来るのにもう何人ものフレンズがセルリアンに襲われて元の動物に戻るところを見てきた。

 たった今まで会話していたはずなのに、次に瞬きをした時には野生を取り戻した、知らない、見たこともない動物が目の前にいる。その光景を目の当たりにして、冗談ではなく、心臓が凍ったように止まった。

 フレンズの輝きを奪っていたかつてのセルリアンはもういない。彼らは輝きどころかフレンズそのものを捕食し、このパークを、この世界をも侵略しようとしている。今やパークの危機は、全人類の危機と言っても過言ではない。それほどまでに逼迫ひっぱくした、もっと言えば後がない状況だった。

 だからパークの職員がセーバルのことよりももっと他の対応に追われていることくらい知っている。ここがもうじき爆撃されるということも――。

 時間が迫っていた。

 焼けるような熱風が頬を掠め、肺の中をジリジリと焦がしていく。火山灰によって広まった山火事は、丘を越えて平原を、そして海までもを燃やし始めていた。その現実味のない明るさだけが、不気味に島全体を照らす。

 ギンギツネから無言でお守りを受け取ると、セーバルはその足を火口に向けた。園長じゃない自分がこれをどこまで使いこなせるかはわからない。ただ心の中で奇跡を信じ、拳とともにそれをぎゅっと握りしめた。

 一歩歩くごとに涙が零れ落ち足跡を固める。どうかこの涙がみんなにバレませんように――そう祈りながら一歩、また一歩と歩みを進める。「……だよ」というサーバルの微かな声を聞いたのは、セーバルが火口まであともう一歩というところまで来た時だった。

 咄嗟に聞き取れず「え?」と振り返る。

 まるで鏡に写したような、自分と同じ泣き顔がそこにあった。

「やっぱりやだよ!! こんなのおかしいよ!! どうしてセーバルなの!? 私たちだってセーバルと同じフレンズなんだよ!? なのにどうしてセーバルだけ――!!」

 うわーん、と堰を切ったようにサーバルの泣き声が辺り一面に響く。横でカラカルが「サーバル、それは言わないってさっきみんなで決めたでしょ」と肩を寄せて慰めていた。

 それを見たら、もうだめだった。

 もっと遊びたかった。もっと色んな場所に行きたかった。美味しいものを食べ、たくさんお喋りし、もっともっとみんなと一緒に過ごしたかった。今になって際限のない欲望がわっと押し寄せセーバルの心を掻き毟っていく。もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと……。

 もっと――生きたかった。

「ありがとう、サーバル」


 いつだって、あなたはわたしのために一生懸命考えてくれた。

 たくさん、たくさん、考えてくれた。

 名前がないのは不便だと言って、セーバルという名前を与えてくれた。

 セルリアンと知りながら、それでもわたしを受け入れてくれた。

 女王にその特別の殆どを奪われた時も、最後まで諦めずに信じてくれた。

 だからわたしは、あなたと同じフレンズになれた。

 ――そうだ。わたしにはわたしの“輝き”があるじゃないか。

 わたしは半端者なんかじゃなかった。

 あの時のサーバルが、自分を救ってくれたように、今度はセーバルが、みんなのために頑張る。


 だから――。


 どうかあなただけは生きてほしい。


 平和になった世界で、強く、強く、生きてほしい。


 わたしの分まで。

 

「サーバル――――ばいばい」

「セーバル――――――――――――――――!!!!!!!」











 ◇


 そうしてどれだけの時間が経ったのだろう。

 次に目を醒ました時、セーバルはこの島にいた。

 混濁する意識の中、辺りを見回す。ざざざざざざざざ、という穏やかな音に誘われて森を抜けると、目の前には見渡す限りの青い海と白い砂浜が広がっていた。

 ――平和だ、と思った。

 一瞬前までいたはずの自分の場所との記憶がどうにも重ならず、セーバルはますます混乱する。

 もしかしたらここは天国なのだろうか。そう思った。このままここで待っていればお迎えの一人や二人来てくれるかもしれないと、そのままぼんやり海を眺めていると、ふと微かな違和感を覚える。

 どこかで自分はこの景色を見たことがあるのではないか。

 天国がどういうところなのかは誰にもわからない。しかし海の向こうに霞んで見えた島と、そこにそびえる大きな山を見た時、これまで忘れかけていた記憶が一気になだれ込んできた。視界が開ける。思考がめまぐるしく駆け回る。

 ここは天国なんかじゃない。

 そして――あれはキョウシュウチホーだ。

 その姿を一目見て、安心した。ここからでは島の詳しい状態まではわからないが、それでもここと変わりないくらいの緑と平穏な空気に包まれている。それが遠目からでもはっきりとわかった。むしろ自分がさっきまで見ていた光景の方が夢か幻だったんじゃないかとすら思えてくる。

 あの後火山はどうなったのだろう。自分は無事フィルターとしての役割を果たせたのだろうか。色々気になることはあった。

 でも――。元通りになったキョウシュウチホーを眺めていると、きっと何とかなったんだと、そう思えた。その悠然とした佇まいに勇気づけられている気がした。


 この島での暮らしは、時の流れを忘れてしまうほど長閑なものだった。

 最初に島を一周して気づいたことがある。それはどうやらここにはフレンズはおろか生き物すらいない、ということだ。自然は豊かで食べ物も豊富にあるのに、そこに息づく生物がいないというのは少し不気味で、慣れるまではその不思議な静寂が怖かった。

 それから何度か沖まで泳いで島の外に出ようと試みたこともある。しかしある一定のラインまでは行けるのだが、そこからはどれだけ泳いでも先に進めることはなかった。まるでこの島全体が見えない壁で囲まれているかのように、向こうの世界とは完全に隔絶されてしまっている。そもそも向こうからこの島が見えているのかさえわからなかった。身体の感覚がなくなっていることに気づいたのもこの時だ。

 セーバルは途方に暮れてしまった。

 一体この島で自分は何をしろというのか。出られない、というのも何者かがここに意図的に自分を縛りつけているような気がして気味が悪かった。

 ふとギンギツネが言っていたオイナリサマの言葉が脳裏を過る。

 ――いつかきっと、必ず、あなたを救う者がこのジャパリパークを訪れるでしょう。だから、どうか最後まで希望を捨てないで。

 その時ようやくその意味を理解した。

 火口に飛び込む直前、セーバルは一瞬躊躇った。もっと生きたかった、という気持ちを抱いてしまった。その未練がセーバルの肉体と精神をバラバラに引き離し、それぞれを別の場所に縛りつけたのだ。

 もしかしたらオイナリサマはこうなることを予言していたのかもしれない。自分で自分は救えない。どこかのお伽噺のお姫様のごとく、ここで助けが来るのを待ち続けるしかないのだ。

 セーバルは待った。途方もない時間を、ただひたすら、独りで待ち続けた。

 探検の途中で見つけたこの灯台を家に改造し、一から本を読み漁り、ゲームをし、星を眺め、日記を書き、映画を鑑賞し、食べる必要もないのに食べ、眠る必要もないのに眠り、そうしてまた朝日を迎え……。

 その全てを誰とも共有することなく繰り返す。繰り返しながら、たまに夢想する。もしこれが、誰かと一緒にできたらどんなに楽しいだろうか、と。

 誰でもいい。一日でもいいから、話がしたかった。


 そんなある日、一人のフレンズがこの世界に迷い込んできた。


 有り得ないはずの、奇跡が起こった。


 彼女は名前をかばんを言った。頭には羽根も耳もフードも何もない、変わった名前のヒトのフレンズ。

 初めて彼女を見た時、何故かとても懐かしい気持ちになった。それは長い間誰とも会わなかったからではなく、ずっと前にどこかで会った、或いは自分と似た何かを持っている、そんな感じがした。

 だから――。

 あまりにも嬉しくて、柄にもなく大笑いして、逃げる彼女を追いかけ回して、思わず飛びかかった。

 最初に交わした言葉が「食べないで下さい」って。自分はもうセルリアンじゃないのに。おかしくて、笑いそうになった。

 かばんとの出逢いが、セーバルの止まっていた時を動かした。

 世界が明るさを取り戻し、潔いほどの青空が頭上を照らす。それまでくすんで見えていた景色に、初めて、色がついた。

 新しい出逢いは新しい発見を呼び、新しい発見は新しい遊びに変わり、新しい遊びは心の奥底に眠っていた楽しい、という感情を呼び覚ました。

 一緒にいるだけで心が踊るように歌う。気持ちが高鳴り、いてもたってもいられなくなる。かばんはセーバルに輝きをもたらしたのだ。

 そうして迎えた最初の夜――。

 今までずっと一人でつけてきた日記に、その日初めて、自分以外の文字が刻まれた。

 それを見た瞬間、これまで張りつめていた糸がぷつっと途切れてしまったように涙が零れ落ちた。喜び、安堵、不安、孤独……。これまで溜め込んできた感情という感情が綯い交ぜになって洪水のように押し寄せ、涙となって心から溢れ出る。頬を伝う、その一粒一粒が重かった。

 長かった。

 本当に長かった。

 どれだけこの時を待ち望んだことか。

 ああ――、これでもう自分は独りじゃない。あの日から一体どれだけの月日が流れたのだろう。何度も諦めそうになりながらも、それでも終わりのない道を進み続け、そしてようやく辿り着いた友達トモダチという輝き。

 だから最初、彼女がキョウシュウから来たと聞いた時は驚いた。やはりあの島ではちゃんと次代のフレンズが息づき、しっかりと新たな生態系が育まれていたのだ。そう思うと、自分のやってきたことが無駄じゃなかったんだと報われた気持ちになった。

 彼女がどうやってこの島を見つけ、何故彼女だけが入り込めたのかなんてことは正直どうでもよかった。ただ、彼女と過ごす一分一秒が楽しくて、これが夢ならどうか醒めないでと何度も何度も心の中で願った。

 でも――。

 それももうじき終わりを迎える。魔法にかかっていられるのは、それに気づいていない間だけ。別れの時はきっともうすぐそこまで迫っている。

 恐らく、これがかばんと過ごす最後の夜となる。

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