第6話~おばけなんてないさの6ページ~

 次の日の朝、目を覚ますと外は雨と風で荒れに荒れていた。

 昨日の晴天が嘘のように真っ黒な雲が立ち込め、風がびゅいんびゅいんとその身を容赦なく灯台に叩きつけてくる。頑強な煉瓦に囲まれていても、その雨音が痛く感じるほどだ。窓から見える海が怒り狂ったように暴れていた。

 ラッキービーストは大丈夫だろうか。ちゃんと錨は下ろしてきたはずだが、これほどまでの嵐では意味を成さないのではないか、と不安になる。荷物も心配だ。流されていなければいいが――。

 せっかくのセーバルとの冒険初日なのに出鼻を挫かれた気持ちになる。そのままぼーっと窓から外の様子を眺めていると、先に起きていたらしいセーバルが「あ、かばん。おはよう」と声をかけてきた。かばんも「おはよう」と返す。

「嵐だね」とセーバルが言った。

「うん……。これじゃ今日出発するのは無理だね」

「えー。残念」

 セーバルががっくりと肩を落とす。彼女も自分と同じ気持ちだということに安堵しつつも、こればかりはどうしようもない。この嵐の中を進める者がいるとすれば、それはおとぎ話の主人公くらいだろう。その時セーバルが言った。

「でも、この嵐の中、突き進むのも、映画みたいでカッコいいかも?」

「映画、ってそう言えば昨日も言ってたやつ?」

「そうだよ。かばん、映画観たこと、ない?」

 セーバルの問いにかばんが頷く。

「じゃあ、せっかくだし、今日は映画観よう」とセーバルが提案した。

「何観る? 色々あるよ。SF映画、カンフー映画、インド映画――」と、昨日のようにまたわけのわからない単語を羅列していく。どうやら映画というのはラッキービーストが時折見せるあの映像を長くしたようなもので、いろんなおはなしをテレビに映して見ることができるらしい。

「セーバルが出演したのもあるよ」という驚きの発言がセーバルの口から飛び出てきて「えっ!? 何それ! 見てみたい!」と言ったが「……やだ。やっぱり恥ずかしい」とすぐに拒否されてしまった。

 暫くしてセーバルが一つのパッケージを持って戻ってきた。

「これなんか、どう?」

「これは――どういう映画なの?」

 セーバルの持ってきたパッケージをまじまじと見つめる。白い服を着た女の子が井戸からこちらを覗いている表紙に何となく嫌な予感がした。タイトルにはどす黒い色で『輪っか』と書かれている。

 口元にうっすらと笑みを浮かべてセーバルが言った。「観てからの、お楽しみ」と。


 案の定かばんの嫌な予感は当たった。

 登場人物が一人、また一人と表紙の少女(正体は幽霊だった!)の手にかかり消されていく中、主人公があれこれ手を尽くしてその幽霊から逃げ延びる、という所謂ホラー映画だった。

「ね、ねぇセーバルちゃん……。もう止めにしない……? 僕こういうのちょっと――」

 そう言いかけた次の瞬間、画面いっぱいに少女の霊の顔が表示され「きゃ――――!!」という登場人物の悲鳴とかばんの悲鳴が重なる。

 咄嗟に隣のセーバルの腕にしがみついたが、当のセーバルは怖がるどころか映画よりもかばんの反応を見て楽しんでいるようだった。タイリクオオカミの怪談ですら聞くに堪えなかったというのに、これでは心臓がいくらあっても足りないではないか。

 結局エンドロールが流れるまでかばんの絶叫が止むことはなかった。流れていく文字を半分放心状態のまま眺めていると、横からセーバルが「どうだった?」と尋ねてきた。

「と、とりあえずもうホラーはいいかな……」

「そんなに怖かった?」

「うん。セーバルちゃんが隣にいてくれなかったら僕一人じゃとても最後まで観られなかったと思う」

「かばん、ずっと叫んでたね。声ガラガラ」

「そういうセーバルちゃんだって、笑いすぎて声ガラガラ」

 お互いにしゃがれた声で笑い合う。「でも」とかばんが続けた。

「最後はちょっとイメージと違ったかも。まさかあんな風に終わるなんて」

 かばんの声がまだ辛うじて枯れる前、この映画は予想外の結末で幕を下ろした。これまで逃げ続けてきた主人公がいきなり少女の霊に成仏しろと呼びかけ、何故か少女もそれに従い呆気なく成仏していくというもので、ここまで一応は真面目に本筋を追っていたかばんもこれには面食らってしまった。結局最後まで少女が何故主人公に従ったのかもよくわからないまま映画は終わり、もやもやとした気持ちだけが残ってしまう結果となった。

 しかしセーバルは涼しい顔で「そう? セーバルはあのシーン、とっても好き」と言った。そのままソファに凭れかかっていた背をゆっくりと正すと、静かに語り始めた。

「だって、あの子は成仏したくてもできなかったんだよ。普通に食べて、普通に寝て、普通に生活してたのに突然事故で死んじゃって――。今まで普通にできてたことが何もできなくなった。ずっと独りぼっちで彷徨って、きっと苦しかったと思う。だから最後にちゃんと成仏できて、あの子もきっと嬉しかったはず」

 虚をつかれた、と思った。

 セーバルはこの物語の主人公をあろうことか少女の霊になぞらえて観ていたのだ。これにはかばんも思わず舌を巻いた。彼女の繊細で思慮深い性格に感動すると同時に、自分はこの物語の本質を何も見抜けていないではないかと悔しくなってしまった。しかし一つ釈然としないことがある。

「というかそんな話、劇中でしてたっけ……」

「あ、ごめん。これ2の話だった」

「2!?」

 セーバルの思いがけない発言にかばんが声を上げる。見ると彼女の手にはいつの間に持ってきたのか、ちゃっかり『輪っか2』と書かれたパッケージが握られていた。

 ――あぁ、今日はもう声が出なくなるまで叫んでやろう、とかばんは心のなかで一人覚悟を決めた。














◇ 


 晩ご飯のジャパリまんがない、と気づいたのはちょうど今日何本目かの映画を観終わったあとのことだった。

 最後に観たSF映画のパラレルワールドやループといった難解な設定を頭の中で整理しながらふと横のセーバルに目をやると、彼女はすぅすぅと寝息を立てていた。最初の方で「やっぱりこの映画つまらない」と言ったっきり喋らなかったのはどうやら眠っていたかららしい。

 彼女を起こさないように今度は外を見る。

 あれだけ猛威を振るっていた外の嵐もお昼過ぎには過ぎ去り、今は昨日と変わらない穏やかな気候に戻りつつある。これならば明日には出発できるだろう。

 ぐぅー、とかばんのお腹が鳴る。そこでようやく今日一日何も食べていないことに気づいた。

 そう言えばまだこの島でラッキービーストに出会っていない。いつもなら大体朝、昼、晩とお腹が減る時にどこからともなくひょっこり現れるのだが、昨日はそういったことがなかった。もしかしたら昨日はまだジャパリまんの残りがあったから来なかったのかもしれない。

 となれば日が暮れる前に何とかしてラッキービーストを見つけ出さなければならない。それができなければ今日はご飯抜きになってしまう。それにラッキービースト同士は確か通信ができたはずだから、もし見つけたら沖で待たせているラッキービーストにも連絡を取りたいと思った。

 かばんが肩に寄りかかっていたセーバルをゆっくりとゆする。

「セーバルちゃん、起きて。そろそろラッキーさんにジャパリまん貰いにいかない? 僕お腹空いちゃった」

「うぅん……? かばん、ジャパまん食べたいの?」

 ふわぁ、と大きな欠伸をしてセーバルが目を開ける。猫の手で瞼をこするさまがサーバルそっくりだ。

「うん。昨日の夜食べたのが最後だったみたいで、もう残りがないんだ」

「それは大変。じゃあ、どうするの?」

「とりあえずこの島にいるラッキービースト――みんなはボスって呼んでるみたいだけど、を探そうと思う」

「ラッキービースト、ってピュアビーストやクールビーストやパッションビーストの仲間?」

「え?」

 出かける準備をしようと扉に向かったかばんが思わず足を止める。しかしセーバルはすぐに「――ううん、何でもない」と首を振った。

「でも驚いた。かばん、この島に知り合い、いるんだね」

「知り合い、というか何というか……。とにかくラッキーさんに会えば今夜の分のジャパリまんは貰えるだろうから」

 セーバルがまだ少し眠そうに「へぇ」と呟く。

 彼女はまだお腹が空いていないのだろうか。そう言えば最初にジャパリまんを分けて食べた時もたった半分で満足しているようだった。少食なのかもしれない。

 しかし今はそんなことを言っている場合ではない。仮にこの近くの海岸にラッキービーストがいなかった場合、またあの森に入らなければならないのだ。いくらセーバルが一緒だからといっても日の暮れた森の中を歩くのは危険だと感じた。

 かばんが言う。「とりあえず行こう」と。


 外に出ると潮風がぶわっと頬を撫でた。やはりまだ風は少しばかり強いようだ。

 海は相変わらず波が高いままで、遠くに見える夕日がいよいよ水平線に差し掛かろうとしている。その横を二人でどこ行く宛てもなく歩く。

「かばんは食いしん坊だね」

「えっそうかな? セーバルちゃんこそ昨日からあんまり食べてないけど大丈夫?」

「セーバルは、平気。ダイエット中」

 彼女の口からダイエット、というもっとも似つかわしくない単語が出てきて思わず吹き出してしまう。彼女がダイエットなんかしようものなら、後に残るのは骨と皮だけだろう。

「セーバルちゃん、ちゃんと食べなきゃ駄目だよ。それじゃいざって時に力出せなくなっちゃうよ」

「いざって時って?」

「うーん……。たとえばみんなで何かつくったり、遊んだりする時とか……。あとは――」

 かばんが宙を仰ぎながら顎に指を当てる。そして、言った。

「セルリアンと戦う時、とか」

 何げなく言ったその一言にセーバルの足が止まる。

 かばんが振り返ると、すっと温度を下げた瞳が、じっとこちらを見据えていた。

「……セーバルちゃん?」

「かばん」

 セーバルの声が冷たかった。夕日がちょうど逆光になり彼女の顔が陰ってよく見えなくなる。表情が読み取れなかった。まるでそこだけ空間が切り取られてしまったかのように暗く、浮いて見える。

 そのままお互いの間に沈黙が流れた。きっと時間にすればほんの数秒の短い間だったのだろうが、かばんにはそれがとてつもなく長く感じられた。

 先に沈黙を破ったのはセーバルの方だった。

「危ない――!」

 一瞬何が起きたのか理解できなかった。

 セーバルがそう叫んだと同時に、物凄い勢いで腕を掴まれ引っ張られる。「え?」という声を出すより先に肩が悲鳴を上げた。そのままもつれ込むようにして二人は砂浜に倒れてしまった。

「かばん、あれ――!」

 セーバルが指を差す。

 セルリアンが、いた。

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