第1話~はじまりの1ページ~
~数時間前~
「デデデ……電池……。バスノ電池ガ……」
「ここでー!?」
ヒトを探す、という新たな目的のためにこれまでいたキョウシュウエリアを離れ海へ出たかばんは、右腕で光るラッキービーストから突然そう告げられた。
先程まで勢いよく唸り声を上げていたエンジンが今は嘘のように静かで、もうこれ以上の航行は不可能だということを無言で訴えている。
「ど、どうしよう。困ったなぁ……」
船を動かすのに電池は必要不可欠だ。オールでもあれば話は別かもしれないが、生憎そんな物は積んでいないし、今あるのはキョウシュウを出る時に貰った食糧と水だけだ。これらが最後の晩餐になるのではないかと最悪の結末が頭をよぎる。こうなってしまうともうかばんには手も足も出なかった。
運転席の上で膝を抱えぼんやりと海を眺める。
自分は今たった一人でこの広大な海の原に投げ出されてしまった――。そう思うと不安と心細さで頭がどうにかなりそうだった。
遠くの方では海鳥がきゃーきゃーと鳴いている。今晩の夕飯はどの魚にしようかとか、今日は風が穏やかだな、などと話をしているのだろうか。
自分にも羽根があればひょいっと空を飛んで今すぐにでもこの状況から抜け出せるのに、とつい現実逃避してしまう。
ふと、こういう時サーバルならどうするだろう、と考えた。まだ別れて半日も経っていないというのにもう彼女のことが恋しくなっている自分に気付き、少し恥ずかしくなる。そして、自分にとっての彼女の存在の大きさに改めて気付かされる。
それほどまでに、かばんにとってのサーバルは大切な、かけがえのない存在だった。
反対にサーバルにとって自分がどういう存在なのかなど考えたこともないし、別に今更考えるようなことでもないが、それでもサーバルには今まで幾度となく助けられてきた。
つまり、彼女ならどうするか、と考えるのは必然なのだ。恥ずかしがらずにそう開き直ることにした。
気を取り直してもう一度辺りを見回す。
目の前に広がる海はどこまでも青く、大きく、澄んでいて、ずっと眺めているとどっちが空でどっちが海なのかわからなくなるほど美しかった。
この辺りは岩が多いのだろうか。コバルトブルーの海に点々とするように浮かんでいる黒い物体は恐らく岩礁だろう。もし船が直ったら座礁しないように気をつけた方がいいと頭の片隅に入れておく。
ふとその岩に紛れて遠くの方に小さな島のようなものが見えた気がした。
もしかしたら――。かばんがラッキービーストに尋ねる。
「ラッキーさん、この辺りに電池を充電できる場所ってありますか?」
「チョット待ッテネ。ケンサクチュウ、ケンサクチュウ……」
かばんの言葉に反応したラッキービーストがすぐさま辺り一帯の地図を表示する。
一体どれだけの技術がこの小さな丸いレンズに集積されているのだろう。
残念ながら先の黒セルリアンとの戦いでボディは失われてしまったが、彼の頼もしい頭脳は健在だ。バスを動かし、フレンズや土地のことにも精通し、道案内もお手の物。パークガイドロボットの名は伊達ではない。少々抜けたところがあるものの、それはそれで親しみやすさがあってかばんは好きだった。
彼の検索が終わるまで祈るようにその光を見守る。
ほどなくしてその地図の一番端にある小さな点に印を付けた。「コノ島ニアルヨ」と彼が告げる。どうやらかばんの睨んだ通り、あそこに見える島らしき場所に何かあるらしい。
「わかりました。僕一人で行ってくるのでラッキーさん、その間船をお願いできますか?」
「マカセテ」
彼の威勢のいい返事を受け、かばんは電池をリュックに担ぎ入れるとその身を海へ投げ出した。
そうして辿り着いたのがこの孤島であり、ほどなくしてかばんは“彼女”の洗礼を受けることになる――。
◇
「サーバルちゃん!?どうしてここに!?」
かばんが驚きで目を見開く。
しばらくは声が出せなかった。ようやく口をついて出てきた言葉がそれだった。
馬乗りになったその少女の瞳に映る自分の顔は、まるで魂が抜けたみたいに色を失っていた。
一体これはどういうことだろう。
目の前のサーバルを見る。彼女もきょとんとした表情でこちらを見つめている。
サーバルとはキョウシュウの港で皆と一緒に別れたはずだった。必ず戻ってくると約束をし、自分の帽子を渡して。
頭を確認する。
やはり帽子はない。
ではまさか自分を追ってここまで来たというのだろうか。
そう考えてすぐに思い直す。ここは当初の目的地であるゴコクエリアでもなければ、肉眼で見つけることも困難なような孤島だ。例えバスのような海を渡れる乗り物を使ったとしても、かばんの先回りをするようにこの島に来るということはやはり考えられない。
思考が堂々巡りをしているうちに目の前のサーバルが立ち上がり、そして答えた。
「わたし、サーバル、じゃない」
え、という声にもならない音が口から漏れる。
「サーバル、セーバルのトモダチ。でも……ここには、いない」
自分のことをセーバルと呼んだ彼女はどこか遠くを見るようにして言った。それはかばんに向けてというよりは殆ど独り言を言っているような微かな声だった。
彼女がサーバルの友達?それにここにはいないとはどういう意味だろう。考える暇も与えず今度はセーバルが尋ねる。
「あなた、名前は?」
「かばん、です」
「かばん……?」
セーバルが首を傾げる。
そして言った。――変わった名前だね、と。
サーバルと初めて会った時に交わした会話を思い出す。
かばんという名はサーバルからつけてもらったものだ。変わった名前と言われるのはこれが初めてではなかったが、それをサーバルそっくりの彼女から言われるのは何だか自分を否定されたようで複雑な気持ちだった。
それに名前を聞かれたこともかばんにとっては少なからずショックだった。
――彼女は、サーバルではない。
その事実がずっしりと重くのしかかる。
本当はわかっていたことだった。彼女が自分の知っているサーバルではないということくらい。
きっと彼女はこの島で生まれた別個体のサーバルなのだろう。ろっじアリツカで見た、ラッキービーストの映像に映っていたサーバルのように。或いは、サーバルに似たまったく別のフレンズかもしれない。
それでも、そんな可能性を全て捨て去って、もしあのサーバルが自分を追ってきてくれたのだとしたら――。どこか心の隅でそう期待してしまった自分の弱さを痛感する。
やはり自分は、彼女に依存している。
そんな自分を変えたくて一人で旅に出たというのにこれでは何も変わっていないじゃないか。勝手に期待して裏切られて、落ち込んでいる自分にも嫌気が差した。
サーバルそっくりの顔のセーバルが「どうしたの?」と顔を覗き込んでくる。かばんはなるべく平静を装いながら「何でもありません」と
倒れた身体を起こしながら「そうだ」と話題を逸らす。
「僕、電池を充電できる所を探しにこの島に来たんですけど、セーバルさん何かご存知ないですか?」
セーバルが「電池……」と呟く。
そう言えば他のフレンズは電池と言っても何のことかわからない子が多かった。もしかしたら実物を見せた方が早いかもしれないと思いリュックの中を漁っていると、セーバルが「ついてきて」と言った。
「セーバル、電池を充電できる所、知ってる」
「本当ですか!」
ひとまずほっと胸を撫で下ろす。
セーバルが何も教えずとも電池のことを知っていることや、それを充電できる場所まで知っていることにも少なからず驚いた。もしかしたら彼女はこの島のことに詳しいのかもしれない。自分からガイドを買って出てくれたこともかばんにとっては嬉しい一言だった。
実際この島のことはほぼ何も知らない。初め遠くから見た時はそこまで大きな島だとは思わなかったが、着いてみると予想以上に広そうであることがわかった。キョウシュウほどではないにせよ、少なくともその半分かそれ以上はありそうだ。この浜辺の奥に広がっている森をとっても、一度入ったら簡単には出られなさそうだ。
電池の入ったリュックを担ぐと、それを合図と取ったセーバルが海とは正反対のその森の方へ入っていく。かばんも後に続くように足を進めた。
◇
鬱蒼とした森の中、セーバルを先頭に草木を掻き分け歩いていく。セーバルはただ何も言わずに黙々と、だがたまにこちらを気にするように振り返ってはすぐにまた足を前へ向けて進んでいた。それだけで彼女が優しい子なのだということが伝わってくる。
森の中は背の高い木々に覆われているせいで暗く、どこかじゃんぐるちほーを彷彿とさせるような雰囲気があった。たまに差す木漏れ日が眩しく感じるほどだ。
それに植物も、前にラッキービーストが説明してくれたような熱帯雨林気候のものに似ている。気候が先程の砂浜とは一変していることを見るにやはりこれもサンドスターの影響なのだろうか。
セーバルがかばんの一歩先をぐんぐん、ぐんぐん進んでいく。
迷いのないその足取りはかばんにとってとても心強かった。さっき入ってきたであろう入り口はいつの間にか木々によって遮られ、後にも先にも続いているのは獣道だけだ。彼女と出会っていなければ今頃遭難していたかもしれない。
「セーバルさんはいつからこの島にいるんですか?」
これまで会話らしい会話がなかったことに少々気詰まりし、かばんがその背中に語りかける。セーバルは振り返らずに「いつから?」と聞き返した。
「こんな目印も何もないジャングルを迷わずに進めるなんて凄いなって思って。もしかしてここに住んで長いんでしょうか」
「うーん……」
セーバルが立ち止まる。そして言った。
「100年前くらい?」
「ひゃ、ひゃく!?」
その答えに思わず声を上げる。
「……うそ。セーバルジョーク」
そう言うとさっきまで真面目だった顔を急に砕いて微笑んだ。笑ったその顔が、サーバルそっくりだった。
「セーバルさぁん……」
「かばん、何だか元気なさそうだったから、セーバル、冗談言った。……お気に召さなかった?」
セーバルから発せられたお気に召す、という言葉が彼女のイメージと合わず思わず吹き出してしまう。
確かにかばんはこの島に来てから笑う余裕もなかった。たった一人でこの島を訪れ、右も左も分からない状態でサーバルそっくりの彼女に出会い、次から次へと変化していく状況に何とかしがみつくのが精一杯だった。きっとその余裕のなさが顔にも表れていたのだろう。
セーバルが自分のことを心配して気を遣ってくれたのだと思うと、申し訳なさと同時に心にこみ上げてくるものがあった。身体の奥の方をじんわりと柔らかいあたたかさに包まれたような気持ちになる。
彼女が「やっと笑った」とはにかむ。
「ありがとうございます。もう大丈夫です。セーバルさんて面白い方なんですね」
「うん、セーバル、面白い。だから、みんな、笑顔にする」
そこから彼女との会話が少しずつ弾むようになった。
大体はセーバルの他愛もない質問にかばんが答える、というものだったが、時にはかばんの質問にセーバルから思いも寄らぬ賢い答えが返ってくることもありかばんは驚いた。彼女は聡い。
「それにしてもセーバルさんて物知りなんですね。まるでこの島の長みたいな」
セーバルが「おさ?」と首を傾げる。
「島で一番偉い人のことです。何でも知ってて、どんな相談にも乗ってくれて、皆に等しく知恵を分け与えてくれる、とっても頼りになる人のことです」
そこまで言ってふと博士と助手の顔を思い浮かべた。果たしてあの二人はそこまで手放しで褒め称えるほどの人物だっただろうかと思ったが、今はそっと心に閉まっておくことにする。
「じゃあ、セーバル、えらい?」
「はい。偉いです!」
セーバルが目を輝かせながら「おぉー。セーバル、えらい」と頷いている。
しかしこうしてセーバルを眺めていると、どうして最初サーバルと見間違えたのか不思議に思えるくらい彼女とは違うことに気付いた。
まず着ている服の色だ。黄色を基調としたサーバルと違い、セーバルの服は全体的に黄緑がかった不思議な色をしている。まるで実体がないかのように澄んだその色は、彼女のどこか神秘的なイメージをそのまま表しているようだ。
次に耳の形。これが決定的に違っていた。
そもそもこれは耳といってでいいのだろうか。彼女の頭から生えたそれは、まるで宝石のように七色の輝きを放ち、今にも羽ばたきそうな力強さを感じる。
そう、これは耳というよりは羽根だ。もしかしたら鳥のフレンズなのかもしれない。
他にも瞳の色が赤かったり、スカートについた紐やブーツの形が違っていたりと見れば見るほどその差が浮き出てくる。
サーバルにそっくりなようで全然違うセーバル。彼女は一体何のフレンズなのだろう。そう言えばまだ訊いていなかった。
「ずっと気になってたんですけど、セーバルさんて何のフレンズなんですか?」
何気ない質問にこれまで笑っていたセーバルの表情が一瞬だけ翳ったような気がしたが、単なる思い過ごしだろうと思い話を続ける。
「セーバルさんもフレンズなんですよね?とっても素敵な見た目をしているから是非聞いておきたいんです」
しかし彼女は黙ったままだった。
答えを探しているのか、或いはどうしてそんなことを聞くのかわからないといったように、ただじっとかばんの方を見つめている。
奇妙な沈黙が二人の間を流れた。
どこか遠くの方でざざ、ざざざざと場違いな波の音がしている。こんな森の奥で、どうして今更こんな音が聞こえてくるのだろう。
しかしその音は、次第に勢いを増してどんどん強くなっていく。自分の今いる場所がどこなのかわからなくなるほど、頭を打ち付けてくる。
そしてゆっくりと、セーバルが口を開いた。
「あのね、かばん。実は――」
その時、目の前で大きな波がざばーん、と音を立てて弾けた。
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