第六章 -5
「リヴォルバーン殿下、おやめ下さい、こちらはヒュアリウス殿下の敷地にございます、おい、門を閉めてくれ」
「うるせえ、ヒュアリウスは留守だろう。宮中であんな異様な音がして黙ってられっか」
「誰も入れるなと殿下のお達しで――」
その声を聞いて、リージャは思わず声を上げた。
「うー! うー、お、ぉ、ヴォル、ヴォルブ、ヴォルブ」
子竜が腰を落とした。リージャは慌てて子竜から降りて、その影に駆け寄ろうとした。確かに、聞き覚えのある声だった。だが、どこかその姿には違和感があった。いつもよりずっと上等な服を着て、髪も前髪を上げ油のようなもので固めて整えられている。隙のない姿だった。
「――っ リージャ? なんでお前こんなところに――」
「おい、なんだこの娘、殿下に近づけるな」
「待て、俺の知っている娘だ!」
叫ぶ声は明らかにヴォルブの声だった。周りにいる男が動こうとしたのを、手を出して止めている。それにリージャは駆け寄った。
「どうした、リージャ」
「う、う、りゅう、竜」
膝を折ってヴォルブは走り寄ってきたリージャの両腕にそっと触れた。リージャの背後に視線をやる。
「あれは、イルヴィルの家にいた竜じゃないのか」
「う、う、竜、盗む、イル、ヴィル、困る、ザル、フ、ちがう」
「ザルフ?」
「ザルフ、リージャ、しゃべる、喋れる、知って、る、ここの人たち、知らない、ザルフ、犯人、違う」
「わかった、とにかく落ち着け」
ヴォルブは立ち上がって自分の後ろに立っていた男の一人に向かって言い放った。
「おい、至急、ヴィートトクの家に使いを出してイルヴィルを呼んでこい。それから、ユイリスの兄上にも、連絡を。その竜二頭を中央の広場に連れて行くぞ」
「殿下、なりませぬ、これはヒュアリウス殿下のものにございます」
門番らしき男がヴォルブを止めた。
「馬鹿を言え、これがヒュアリウスの竜だというなら、なんでこの娘を背中に乗せたり後をついて歩いているんだ。この娘はどう見ても南の島の出身だろう。ヒュアリウスはイルヴィル・ヴィートトクから数頭の竜を引き継いでいるが島から連れて来た人間も一緒に引き取ったなんて記録はどこにもないぞ。これはイルヴィルが三年前に連れてきた娘だ。調べれば証言も取れるだろう。その娘に懐いているんだからイルヴィルが三年前に連れてきた竜に違いない。それがここにいる理由についてはユイリス兄上の前で申し開きをしてもらうぞ。とにかくこいつらは今すぐ連れて行く」
淀みなく放すヴォルブの横顔をリージャはじっと見つめた。これまでに見たことのない厳しい表情だった。気圧されたのはリージャだけでなく、ヴォルブを止めようとした男もそうであったようで、何も言い返しはしなかった。
「行くぞリージャ、竜を連れてこい」
促され、リージャは振り向いた。雛と子竜が当たり前のようにリージャの背後に構えていた。
ヴォルブが歩きだし、リージャはそれに着いていく。竜たちのかすかな足音が聞こえる。
リージャたちは石畳の上を歩いていた。
門の外は、イルヴィルの屋敷がそうであるように、森が広がっているのかと、リージャは思っていた。しかし、そこはまだ建物の敷地のような場所だった。石畳の道がまっすぐに続き、人が行き交っている広い場所を、塀で囲まれている。
「お前がどうしてここにいるのか、何があったのか、これから、証言してもらわなきゃならねえ」
「イルヴィル、困る」
「困らねえ。イルヴィルを助けるためだ。俺と、イルヴィルと、俺の兄の前で証言してくれ」
「ヴォルブ、あに」
ふと、ヴォルブが立ち止まった。
「すまねえな、今まで黙っていて。俺の本名はリヴォルバーン、国王の第三子だ。イルヴィルは学生時代からの友人でな。気兼ねしたくなくてあいつの家に行くときは身分を商人に偽ってたんだ」
リージャは困惑して首を傾げた。それが何を意味するのか瞬時に理解はできなかったが、ヴォルブがどこかいつもと違う装いをしていることや、周辺に彼を憚るような態度の男たちがいたことと関係があるのかもしれないと推測した。
リージャの反応をみてヴォルブが気が抜けたように小さく笑った。
「まあ、いい。とにかく、俺には兄が二人いて――一人はおそらくお前をこんな目に遭わせた犯人だろうが、今から会わせるもう一人は、必ずお前の話を聞いて公平に裁いてくれるはずだ」
二人は再び歩き出した。二つ、大きさの違う門をくぐると、全面が石畳になっている、開けた場所に出た。そこは、これまでの場所と違い、人があまり行き交いしていなかった。
広間の中央に、見知った顔を、リージャは見つけた。
どこか遠くへ出かけるとき、あるいは上等な客人を迎えるときに着ているような、見慣れない服を身につけていた。
「リージャ!」
先に動いたのはイルヴィルの方だった。リージャの名を叫び、こちらに駆け寄ってくる。リージャはヴォルブの隣で硬直していた。イルヴィルと会うことをヴォルブに宣告されていたので、その姿を認めたことに驚きはなかった。ただ、会った後に、自分が何をしなければいけないかも同時に聞かされていた。
三年前、島を出るとき、自分自身に課した戒めを、解かなければならなかった。
「リージャ、どうして、こんなところに、無事なのか」
リージャの前でひざを突き、険しく目を細めて全身を見回している。その腕が気遣うようにリージャの肩に延びてきた。リージャは息を吸った。震えるように、喉が鳴った。空気が妙に冷たく感じられる。
ひゅう、と、いびつな音がかすかにした。イルヴィルの耳にもそれが届いたらしく、わずかに眉がぴくりと動いた。
「大丈夫か、どこか怪我を――」
「ぃ、い、いる、イル、ヴィル」
イルヴィルが息をのんだ。見開いた目がリージャの顔を凝視している。リージャは震える手でイルヴィルの膝を掴んだ。立っていられずに半ば倒れるような形になった。
もし、イルヴィルの前で声を発することがあるのなら、何か意思を伝えることがあるのならば、リージャは、一つだけ、ずっと、伝えそびれたと思い続けてきたことがあった。
「リージャ、行く、イルヴィル、と、行く。しま、出る。リージャの、きめたこと」
数秒、まるで時間が止まったかのように、イルヴィルは何も反応を示さなかった。リージャはそれ以上何も出来ずにただイルヴィルのトラウザーズを握る手のひらに力が入るばかりだった。自分の言葉が完璧ではなく、ともすれば何も伝わっていないかもしれないと思いながらも、それ以上に紡げる言葉が、リージャの中にはなかった。
やがて、ゆっくりと、イルヴィルが息を吐く気配がした。そっと、右手が延ばされ、リージャの頬に触れた。
「リージャ、お前は、お前は……そう、そうだったのか……」
それから、また数瞬の沈黙が訪れた。わずかに細められたイルヴィルの目を、リージャは息を詰めるようにして見つめていた。
そのとき、二人のそばに別の気配がふと現れ、弾かれたようにイルヴィルが、リージャの腰を抱えながら、そちらに体を向けた。
そっと、後頭部に回された手が、優しい強さでリージャに頭を下げさせる。わけもわからずリージャはそれに従った。
「畏まらないで、二人とも、顔を上げておくれ」
柔らかい、若い男性の声だった。これまでに聞いたことのない美しいしゃべり方だと、リージャは思った。
イルヴィルの手の力がわずかに弱まり、リージャはその言葉に従うようにして、顔を上げる。
白い肌に、目鼻立ちのはっきりとした、長身の男が、リージャに微笑みかけていた。
「リージャ、と呼ばれていたね。僕はユイリス」
「殿下、礼儀作法も知らぬ娘故、ご無礼を」
「良いんだよ。さあ、君も顔を上げて、イルヴィル」
イルヴィルがその言葉に従い、ゆっくりと顔を上げるのを、リージャはすぐ隣で見ていた。殿下、と呼んだその男と目が合い、すぐにわずかに逸らすその瞬間、リージャの胸に、唐突なひらめきと確信が生まれた。
ここに、イルヴィルを清く美しいものにする、ただ一つの理由があるのだという確信だった。
それは、目には見えないものだった。瞬きをするほどのほんの一瞬の隙にだけ、実体のようなものを表し、すぐに消えた。それが何なのかわからないのにも関わらず、しかしリージャは、強い確信を持ってそれの存在を認めた。
そしてそれは何なのかわからないまま、その事実はまた、リージャをこの先苦しめるかもしれない、と予感した。
だがそれでも、リージャはイルヴィルを救うためにここまで来たのだった。
「さあ、では――話を聞かせてもらおうか」
どこまでも優しげで屈託のない、美しい王子の笑みに、リージャは頷いた。
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