第六章 -3
その日、子竜は一歩、また一歩と歩み、ついに、檻の端から端までの距離を一度も休まずに歩き続けることに成功した。
だが、男たちはこの出来に未だ満足がいかぬようだった。
「足取りが弱すぎるし、時間もかかりすぎている。殿下にご満足いただけるだろうか」
「陛下の前で少し歩く姿が見せられれば良いと仰ってはいたが」
「さすがにこの弱々しさでは体裁が悪いのではないか」
いつものように苛立ちが混じったような会話を、リージャは視線を送らぬようにして聞いていた。
「しかし、これ以上は無理じゃないのか」
一人が、ため息混じりに言い放った。
「最初から無理があったんだ。ヒュアリウス殿下は最初に預かった竜を全て死なせたわけだろう。もともと体が弱くて死にやすい生き物なんじゃないのか。それを三年も前に大陸に来た竜を盗んで身代わりにしようなんて――」
「おい、娘が聞いているぞ」
「大丈夫だろう、どうせこの娘、物わかりも悪いし、喋れやしないんだ」
自分が話題に上がったことにリージャは体を強ばらせたが、いつものように無反応に徹した。男たちはちらりとそのリージャの様子を確認したようだが、問題ないと判断したようで、同じ調子で会話を続けた。
「しかし、イルヴィル殿の竜を盗んで自分の竜のように仕立て上げるなんて、上手くいくものだろうか」
「竜の見分けなんて誰もつかないし、さすがにイルヴィル殿も証拠もないのに殿下が式典で召し出した竜を自分のものだと主張はしないだろう。自分の竜がいなくなったことについては、何かお咎めがあるかもしれないな。ヴィートトク家の立場が不利になればヒュアリウス殿下にとってはなお好都合なんじゃないのか」
突然出てきたイルヴィルの名前に、リージャは息を飲んだ。男たちは会話に集中していて、もはやリージャに興味を向けていなかった。
その日、子竜はそれ以上動かなくなったので、男たちは諦めて、しばらくするとどこかへ行ってしまった。
男たちの会話の半分も、リージャは理解できなかった。結局、何が起ころうとしているのか。聞き取れた断片的な単語を反芻していると、その日の夕食は喉を通らなかった。
でんか、へいか、という単語には聞き覚えがあった。思いを巡らせる。以前にフュラスが、王宮について説明してくれたときに出てきた言葉ではなかっただろうか。ここはその王宮という場所なのだろうか、と考える。
だからと言ってもやはり状況は把握できなかった。だが会話の中から、イルヴィルによくないことが起こっている予感がリージャにはひしひしと感じられた。それが自分がここにいることと関係があるのに、何もしていられないでいられるだろうか。
男たちの会話を何度も反芻する。彼らは、竜を盗んだと言っていた。これまでにも竜が何度か狙われているのをリージャは知っていた。そして、それに屋敷の中で荷担している者がいたことも。それは、ザルフではないかとアンドゥールは言っていた。その疑惑がどうなったのかわからぬまま、リージャは気付いたらここに来ていた。リージャが今ここにいるのも、ザルフの手引きによるものなのだろうか。
そこで、一つの違和感に気付いた。
男たちは、リージャの前で、自分たちの事情について会話をしていた。
リージャは、物解りが悪く、口も利けないから会話を聞かせてもいいのだと言って。
だがリージャは、全く言葉が話せない訳ではない。それを馬丁の中でザルフだけが知っている。
だから、ザルフではない。
また、間者がケスリーでもないだろうというのは、ヴォルブが以前にかまをかけているので、リージャは知っていた。
日はすっかり落ちていた。月明かりが窓からわずかに差し込んでいる。リージャは子竜に歩み寄る。子竜は、檻の中で更に革製の首輪をつけられ、厳重に逃げられないようにされていた。男たちは、かつての馬丁たちのように、そして島の人間たちのように、竜を未知で凶暴な生き物として恐れ警戒しているのだろう。
一番弱そうな場所を手探りで見つけ、両手で引きちぎろうとした。とてもではないが、リージャの手の力では破けそうになかった。うとうとしていた雛竜が目を覚まし、リージャの膝元に歩み寄った。それには構わず、もう一度、リージャは力を入れたが、わずかに皮が伸縮するだけに終わった。きゅう、と雛が鳴き、リージャの膝に乗った。いつの間にか、またずいぶんと重くなっていたことに、リージャは驚いた。
雛はリージャの手元に顔を差し入れた。驚いてリージャが首輪から手を離すと同時に、雛が、子竜の首輪に歯を立てた。子竜の鱗と雛の鱗がわずかに接触したらしく、不快そうに子竜が身をよじった。何度か歯を立てると、疲れたのか、雛が一度首輪から顔を放した。
暗がりの中で目を凝らす。さっきまでびくともしなかった首輪に、亀裂のようなものが入っているように見えた。もう一度、リージャは首輪を裂こうと引っ張る。両手に、繊維が少しずつちぎれる手応えのようなものが伝わった。
リージャの引き裂く動作と、雛の歯を立てる作業の繰り返しを何度か行うと、ついに首輪は千切れた。
首輪の感触がなくなった子竜が、藁に首を何度かこすりつけた。いつの間にか、窓の外が青白く染まっていた。
擦れて痛くなった手のひらに息を吹きかけた。
もう何度目かわからない同じ繰り返しだった。朝日が昇ると同時に、すっかり顔を覚えた名前を知らない、薄汚れた服装の男が、まずは、竜たちのために飼い葉を運んでくる。
錠のかけられた扉が、開かれる。その瞬間、リージャは陰になった場所から、小石を投げつけた。頭を狙ったつもりだが、頬をかすめるだけに終わった。続けて、昨晩引きちぎった子竜の首輪を投げた。当たる直前に、石に驚いた男が声を上げた。
「うわっ!?」
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