第六章 -2



 朝がやってきた。

 日が昇ると、知らない男たちが竜の餌と共に、リージャのための食事も檻の中に運んできた。

 食事が終わると竜の世話係らしい男たちと入れ替わりに、昨日の男たちがやってくる。彼らの要求は前日と同じで、彼らが出した合図と同時に、竜を立たせ、指示した方向へ歩かせろ、ということだった。前日と同じく、子竜は緩慢に立ち上がり、多少歩くものの、すぐに座り込んだ。雛竜は無秩序にリージャの足下を走り回っている。何度繰り返しても同じだった。男たちは、竜たちが人間の指示に従う気がなく、それはリージャの手腕不足によるものだと決めつけた。

「埒があかない」

 苛立ちを押さえようともしない声音に、リージャは思わず身をすくめた。昨日のように張り手は飛んでこなかった。リージャは檻の中から一歩も出ることができなかったし、男たちは檻の中には入ってこなかったからだ。

 丸一日同じことを繰り返し、夕刻になると男たちは悪態をつきながら姿を消した。それと入れ替わりに飼い葉とリージャの食事が与えられた。日が沈み、辺りは冷え込んで暗くなる。落ち着かず眠れない夜がまたやってきた。

 そして、そのような日々が繰り返されることとなった。

 繰り返すうちに、子竜の歩く歩数は少しずつ増えた。リージャの目には、子竜はリージャが何かの誘導をしなくても、男たちの合図で歩き始めようとしているように見えたし、座り込むのは最初に感じたのと同様に、反抗ではなく体力の問題であるように思えた。島での野良仕事や、屋敷での使用人としての仕事のように、リージャがすべき作業はそこには何もなかった。ただ子竜の、毎日の微細な変化を見届けるだけだ。男たちは子竜の進歩には気付いているようだが、それをリージャの功績だと褒めたたたえもしなければ、お前は不要だと言うこともなかった。

 ただ肌寒さと臭いのきつさに耐えて毎日をやり過ごせば、打たれることもない、と気付いてから、リージャにほんの少しの心の余裕が生まれた。過剰な怯えや不安から解放されると、自然に頭はリージャに考えることを強いるようになった。

 臭気については、リージャの鼻が徐々に麻痺しはじめたために、変化があっても気付くことは困難になった。それに代わって浮かんだ疑問は、子竜の歩ける距離が徐々に伸びているということについてだった。

 子竜はリージャと共に島から大陸にやってきたばかりの頃はとても病弱で、日がな一日小屋の中で横たえるばかりだった。だが屋敷から姿を消す直前には、長距離を歩きあまつさえリージャを背に乗せて走ることも可能になるほどの体力や筋力をつけていた。

 そうなったのは何がきっかけだったのか、リージャは暗がりの中で、雛と子竜の規則正しい寝息を聞きながら、思いを巡らせる。そうだ、少なくともそれは、雛が生まれた後ではないだろうか。

 思いついたときにはまた朝が来ている。前の日と同じように、下働きの男が来て飼い葉とリージャの食事を運んでくる。それをただ食す。同じことの繰り返しがただ続いている。男たちの合図に従い、子竜が立ち上がり、歩く。徐々に足取りが安定し始めている。リージャは何をすることもなくただそれを眺める。眺めていると、考えがまた生まれる。そうだ、「散歩」を習慣づけたばかりの頃は、二頭ともそれほど長くは歩けなかったはずだ。それが、徐々に距離を伸ばしたのだ。体を動かすことが竜の健康に繋がるかもしれないと、フュラスも推測していなかっただろうか。

 そんなことを考えているうちに、また夜が来ている。ふと、リージャは思い起こした。何故散歩をするようになったのだったか。リージャは竜小屋の近くで石を集めていたのだった。イルヴィルの帰る日を数えるために。そう言えば、この檻に入って、何日が経過したのだろう、と考える。これまでの記憶を思い起こしても、頭の中で日数を数えるのは困難だった。

 日数を数えたところで、無意味な気がした。この繰り返しの日々がどれだけ続けば終わりが来るのかリージャにはわからないし、終わった先に自分にとって望ましいことが起こるのかもわからなかった。その一方で、ただ何をすることもなく、これからもこの繰り返しを続けることに落ち着かない感情が湧いてきた。

 翌朝、わずかに屋外の空気が青白い光を含んで来た頃、リージャは二頭を起こさぬようにそっと立ち上がり、檻の中を静かに歩いてみた。くまなく探したが、かつて日数を数えるのに使ったような小石は、一つも見つからなかった。ため息をついたと同時に、目覚めた雛竜がリージャの足下に歩み寄ってきた。きゅう、と小さく鳴くと、服の裾を食んで軽く引く。そのとき、リージャはふと、ポケットの中に何かが入っているのに気付いた。右手を差し込み確かめる。それは、表面がすべすべと滑らかな、手のひらに収まるほどの大きさの、小石だった。かつて、ヴォルブに庭で数え方を教わったときに、「余分」と言われた石だった。何気なく拾って、ずっとそこに入れていたのを忘れていた。

 だが一つだけ石があっても数は数えられないと、リージャはそれを元のポケットに戻した。

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