イルヴィル -4
腰に下げていた布で、顎から滴りそうになった汗を拭いながら、イルヴィルは島の畑の様子を眺めた。
この島の人間は、長らく漁業と採集が中心の生活を営んでいた。
大陸の人々は、竜の餌を安定して生産するため、また、決まった労働を与えることで彼らを大陸人の統率下に置くため、開墾と農作業を島の人々に強制した。
標高差の高い島の中で、耕作地として使用できる領域は限られていた。大陸にあるイルヴィル・ヴィートトク邸の敷地とほぼ同じくらいの広さを、島の女子供と、一部の男が手入れしている。四季がない土地では生産できる作物も限られた。竜に食べさせる草の生産は比較的安定しているが、人間の食糧をこの畑のみで供給するには至っていない。大陸人は大陸からの支援なしで生活ができていないのが現状だ。
開拓から十年以上経った今、彼らの農作業の様子は、大陸の農民と遜色なく思えるぐらいには慣れているように、イルヴィルの目には、見えた。気がかりなのは、その無表情さだ。イルヴィルら大陸人よりも濃い色をした細い目からはほとんど感情が読みとれず、頬や口元の筋肉もあまり動かない。
大陸人の表情と照らし合わせてみた場合、彼らが、ただ肉体疲労てくたびれているのか、勤勉に取り組んでいる故に表情が乏しいのか、それとも、強制されているこの行為に憤怒の感情を抱き、それを抱え込んでいるのか、そのどれでもあるような気がしたし、それでもないようにも思えた。
二本の手と足を持ち、同じような食べ物を食べ、言語を用いて意思の疎通を図る。人種は違えども人間だった。だが、「わかり合える」と感じるまでの距離は果てしなく遠く感じる。
かつての旅人は、この島の人間の「表現の乏しい気質」であると記した。長年、この島に滞在し、住民の言葉を学び、直接接する機会の多い者も、島民はおしなべてそういう性格であり、ある種の文化であるらしい、とイルヴィルに説明した。
「しかし、それでは、意思の疎通が難しくなることもないだろうか。彼らにも独特の表情や身体表現の癖があり、それを知ることは今後のこの島民の統率を進めていく上で、助けになるのではないか」
イルヴィルは、この島に来るときに実質通事として補佐をさせている、ラウナス二等兵に問うた。兵学校を卒業後、王宮周辺の警備を数年勤めた後、この島への派兵に自ら名乗りを挙げてやってきたという青年は、イルヴィルより数歳ほど年が上であるはずだ。
「特に問題はありませんよ。言語による指示や命令が、理解の不足で滞ったり、いざこざを引き起こしたりしたことは、ほとんどありません。大陸の言葉は強制せず、使用言語に関してこちらから歩み寄ったことが大きいと思っています」
島の人間は、この島固有の言語を話す。彼らの言葉はこの島以外では話されず、理解できる者も、開拓されるまではほとんど存在しなかった。助けになったのは、スレフティア王国と島の人間が共通して交易を行っていた、近隣の群島で使われている言語だった。これを主軸にして、大陸側の開拓者と、島民との間での意志疎通が行われた。ただし、この言語を理解できる島民は、一部に限られるため、ラウナスはこの十年ほどの間、島の固有言語についても、多少の研究を重ねたのだという。
「言語のやりとりで大きな齟齬が発生していないのは、わかっている。ただ例えば、こちらからの指示に不満があることを読みとれなかったことで、後に徒党を組んで反乱を起こされる危険なども考えられるだろう」
「それは、心配ないと思いますよ」
ラウナスは軽い調子で肩をすくめる。
「この島を制圧したときの彼らの様子を見ていれば、そんな心配をする必要はないとおわかりいただけたと思うんですがね。この島の人間は、長い間、他者と争いをする経験がなかった。完全に圧倒されていましたよ。少なくともあの時の生存者がいる内は、反乱なんて思いもしないでしょう」
「竜の飼育状況を確認させてもらったが」
イルヴィルは額の汗を拭いながら、目の前の島の男二人を交互に見やった。
炎天下の中やってきた白い人々が、自分の家の中に入るのを、村長は拒否した。ラウナスは元々島の人間の家の中に入ることに気が進まなかったようで、これを受け入れた。
イルヴィルは島の状況の聞き取りのため、彼らを大陸人の屋敷に呼び出すことを最初は考えていたが、この十四年、大陸人の建物の内部に島の人間を招き入れたことがないと、シーゼルやラウナスらに反対され、断念している。
結果として、村長の家の前の小さな広間に、4人の男が座って向かい合う形となった。かつて、村長のみがこの島の人間をまとめていたとき、この広間で人々は交流を深めていたのだと聞く。
差し出された砂埃まみれの小さな椅子は、成人男性の膝の位置よりも低く、長く座っていると足腰が疲弊しそうだった。
「記録にある竜の頭数と、実際に小屋にいた数が違っているのだが」
ラウナスが、イルヴィルの言葉を二人に伝えている。この島ではない、群島の言葉だ。イルヴィルはその言語自体を習得してはいないが、群島の商人と接する機会はこれまでにも何度もあって、言語自体は何度か耳にしている。
島の人間でも、この言語を話せる人間は一部に限られるという。目の前にいるのは、開拓が行われる前から村長であったという初老の男と、その婿だという、イルヴィルより幾ばくか年長に見える青年だった。
村長の方が、ラウナスに向かって何か言葉を返した。短く、抑揚のないしゃべり方だった。群島の商人に比べても音の高低が極端に少なく、この島の人間の訛りだと思われた。イルヴィルと目を合わせようとしない横顔にもやはり表情がなく、感情を推測するのが難しい。
「記録をつけるのは我々の仕事ではない、と言っています」
「記録を我々がつけるために、あなた方からは正確な報告をしてもらわなければならない。この一ヶ月ほどの間に、山から連れてきた竜が飼育中に死んだのを、報告せずにあなた方だけで埋葬したことがあるな?」
イルヴィルは目の前の二人を交互に見やりながら話した。初老の男はこちらをちらりと見やったが、若い方の男は目の前で腕を組み、イルヴィルの足下のあたりを眺めるようにして、視線を逸らしている。
肌の色は浅黒い。大陸の人間とは人種が違う。太陽の光を浴び続けた証を刻み続けられる皮膚をしていた。目はやや細く、鼻が低く、唇が厚いのが概ね、この島の人種の特徴だった。人種が違うと、顔の区別をつけ難い傾向があった。目の前にいる二人は血の繋がった「親子」ではないと聞いているが、ひどく似て見えた。
「死んだのは我々のせいではない、と言っています」
ラウナスが、村長の言葉を訳した。イルヴィルは逡巡する。
「……あなた方のせいではない可能性が大きいと思っている。具体的に、死因がどういったものか、調査をしたり、それを記録をするようにしたいのだ。そのために、今後は異変があったり、死んだ個体がいた場合は、必ず我々に報告して欲しい」
ラウナスが訳した。兵学校では異国語を学習する機会があるはずだが、彼どれぐらい通事としての能力を有しているのかはわからない。この十四年ほど、現地の人間と接する機会が多かった者のうちの一人というから、大きな問題はないのだろうと思っている。
今のイルヴィルの言葉は、長すぎたのか、訳すのに戸惑ったのか、時間がかかっていた。
そのラウナスの長い言葉が終わった後、村長は表情ひとつ変えず、例の抑揚のない言葉の紡ぎ方で、ラウナスに向かって短い一言を放った。それを聞いたラウナスが、イルヴィルに対して訳をせずに、自分の言葉で何かを返している。冷静さを失ってはいないが、つり上げられた目から、ラウナスが村長の言葉に何か気分を害したのだということが簡単に予測された。
「ラウナス、俺にわかるように一度訳してくれ。俺を挟まずに会話をするな」
「……『竜が死んだのはお前たちのせいだ』と言っています」
「どういう意味か聞いてくれ」
ラウナスの不機嫌が増しているのがわかった。それに対し、村長の表情は変わらない。婿は相変わらずイルヴィルともラウナスとも目を合わせていなかった。
「『森にいれば、竜は我々の目の前に現れなかった。あれは姿を現したことで汚れた者となった。穢れたことで、あれは死んだ』」
「穢れ……」
不可解な言葉に、イルヴィルは一瞬、記憶を巡らせる。そう、旅人の出した旅行記に、そのような言葉があった。島で信仰されている土着の宗教の教義だったと記憶していた。
「……竜の家畜化は、すでに始めてしまったものだ。我々大陸では、このように生き物を自分たちで育て、使役することは日常的に行っている。それと同様に、竜を管理したいのだ。そのためには、あなた方の協力が欠かせない。情報を、しっかりと共有させて欲しい」
「『そう、お前たちは私たちの暮らしに踏み込み、何もかもを変えていった』」
ラウナスがその村長の言葉を訳した後、続けて、村長が何かを口にしながら、突然、イルヴィルを真っ直ぐ見た。
皺の多い、浅黒い肌、少し白の混じった頭髪は太い髪質で、無造作に肩まで下ろされている。目元や口元の形は相変わらず、わかりづらく大きな表情を演出していなかった。しかし、細い目の中心にある茶色の目が、射貫くようにイルヴィルを見つめ、その鋭さだけで、イルヴィルは、はっきりとした強い、敵意があることを、直感で理解した。
「……ラウナス、彼はなんと」
この視線を自分から逸らしたら最後、背後から斬られるのではないかと思ってしまうぐらいの何かがあった。村長から目を離さないまま、イルヴィルはラウナスに問うた。ラウナスが、先ほどまでの憤りとは別の、困惑したような様子であることが視界の端で見て取れた。
「彼は、なにを言った。ラウナス」
「……その……あの、持ち帰った娘のことを……つまり、『気に入っているか』と……」
言葉を選ぶようにして歯切れ悪くそういう様子に、おそらくはもっと露骨な言葉で、品のない揶揄をされたことが予測された。
イルヴィルは静かに立ち上がった。村長が静かに視線を逸らした。
「明日、また来ると伝えてくれ」
ラウナスにそう言うと、イルヴィルは歩き出す。
汗が頭から、うなじまで、流れるように落ちた。それを腰に下げた布で拭き取る。
この島で、この暑さは永遠に終わらない。
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