イルヴィル -3

 日が昇ると、まもなく肌がひりつくように痛んだ。

 かつて一年ほど過ごしたこの島の気候に、イルヴィルは結局馴染むことができなかった。月が巡り、星が巡っても、季節は常に夏だった。太陽の光が肌を焦がし、空気は水を含んで重く、常に潮の匂いが鼻につく。



 南の島は、大陸南端に位置するスレフティア王国にとって、長い間謎に秘められた存在だった。船で最短二週間はかかる距離があるこの両地域は古代から民間レベルでも交流はなく、ただ時折伝承や伝説が残されるぐらいだった。

 曰く、そこには、大陸にはない、不可思議な生き物が住んでいる。

 四十年前、国営の貿易船が座礁し、乗組員の一人が南の島に流れ着いた。そこで彼は未開の地で遅れた生活をする人々と、二本の力強い足で山野を駆け回る勇ましい生き物を見た。美しい鱗に包まれ、雄々しい姿で立ち回るそれを、彼は帰還後に著した旅行記で「竜」と称した。

 遠い南の島から奇跡の生還を果たした男の物珍しい体験を記した書物は評判を呼んだ。多くの人々が、他愛もない物語として親しんだ。


 先代の王がそれをただの物語と思えなくなったのは、病のせいで耄碌したからなのだと、自身も衰弱しきったシーゼルは言う。

「まさか先王があんなに早く亡くなるとは思わなかった。誤算だった」


 現王の父である先王が、南の島への派兵を考え始めたのは十六年前のことだ。噂を聞きつけたシーゼルは、伝手を頼ってその計画に加わった。

 元々ヴィートトク家は馬の育成や管理を手がけていた商家である。三代前には王族からの仕事を独占し栄華を極め、侯爵の位を戴いたが、その後は衰退し、イルヴィルの父が家督を継いだ時には没落寸前であった。シーゼルは王の発案した新しい事業に関わることで起死回生を計るつもりだったのだ。


 最初に、国軍が南の島に派兵された。制圧はすぐに済んだ。報を受け、次に、シーゼルを含む文官や貴族の使者が島に上陸する。

 言葉も文化も気候も、まるで大陸とは違う異界での生活に、やんごとなき生活を送っていた人々はすぐに音を上げた。やがて制圧を指揮していた将軍が大陸へ戻った頃には、島に残った者はほんのわずかになる。だが大陸での立場を半ば捨ててやってきたシーゼルには、戻るという選択肢はなかった。泥水をすするような生活にしがみつくうちに、彼は「白い人々」を統率する立場を手に入れていた。


 奴隷化した原住民を使役し竜を山から狩りだし、島を開拓させ、竜を家畜化する試行錯誤は十年以上続いた。その間に都では先王が病死する。跡を継いだ四十過ぎの息子は極めて現実的な思考の持ち主で、南の見知らぬ僻地で行われている夢物語のような生物事業に興味を示さなかった。

 シーゼルは、平地での飼育のルーティン化がある程度整ったという報告を王宮に送るとともに、ヴィートトク家に応援を要請する。なんらかの進捗を王宮に示し、立場を回復したかったのだ。白羽の矢が立ったのは宗家三男のイルヴィルだった。


 都に送られてきた叔父からの報告を読み込んでイルヴィルが考え出した一つの案は、蒸気船に卵を載せ、大陸で孵化させる試みだった。成長して巨大化した竜を船に載せて運ぶのは極めて難しい。卵を孵す方法が構築できれば、あとは島で行っているのと同じ方法で飼育すればよいだけである。

 問題は、島でも竜が抱卵から孵化を行っている様子の観察に成功したことがないということだった。

 イルヴィルが島に渡って一年が過ぎた頃、偶然に山中の竜狩りで、抱卵中であった母竜を死なせてしまう事態が起こった。これを好機と見て、イルヴィルは、死んだ母竜が巣で守っていた卵を全て集め、すぐに都へ帰還する計画を立てる。卵は人肌ほどに温められていた。船の蒸気を熱源として調整し、長い船旅の間も一定の温度を保つように心配りながら、それを大陸に持ち帰った。まだ小さな雛竜二頭は、ついでに連れてきたものだ。大陸で竜が同じように生き抜けるかの実験でもあった。二頭のうち一頭は間もなく死んだが、生き延びた一頭にシーゼルとイルヴィルは期待をかけていた。


 そして三年後、もう駄目かと思われていた卵が、突然に孵った。




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