第一章 -2

 太陽はすっかり地平線から顔を出して、白くなっていた。小屋の前にリージャがたどり着いたとき、扉は開け放たれていた。痩せ形の若い青年が小屋の床に敷かれていた藁を外へ掃き出しているところだった。

 竜小屋の掃除や、餌を与える仕事は、イルヴィルの屋敷に勤める若い使用人の男が三人、交代制で行っていた。元々は馬の世話をするために雇われた男たちで、馬小屋の世話と竜小屋の世話を数日おきに交代で行っているのだ。白い人々が生臭い小屋に出入りし、汚物を掃除したり重いものを運んでいる光景は初め、リージャの目にはきわめて奇怪なものに映った。竜の世話は島の人間が、白い人々に使役されて行うものだと、長年頭に刷り込まれていたからだ。それは極めて苦痛な行為であり、島の受難の象徴でもあった。だがこの牧舎を出入りしている男たちは、島の男たちのような苦痛を張り付けたような表情は決して見せず、それもまた初め、リージャを困惑させた。

「全く、ほんとに竜ってやつは、臭くてかなわんなあ」

 世話役の一人であるケスリーは三人の中で最も口数が多く明朗な性格で、しばしばそんな風にぼやく。彼はリージャが屋敷に来たときから屈託なく何でも話しかけてきた。そんなことはこれまでの人生ではあり得ないことだった上に、ケスリーはリージャが話をしないということをイルヴィルから聞かされていたにも関わらず、初めのうちは質問を浴びせてきたりするので、リージャはかなりの苦手意識を持って逃げ回っていたのだが、ケスリーは全く意に介さないのだった。

「リージャのやつ、竜小屋に時々忍び込んで眠ってるんですよ。故郷が懐かしいんですかねえ。俺ぁあんな臭い部屋で眠るなんて無理だなあ」

 イルヴィルが、リージャがしばしば竜小屋にいることを知っているのも、ケスリーが他意なくそんな風に報告したせいだった。屋敷に来て一月ほど経った頃で、初夏の空気は島の夏よりも湿り気を帯びており、島で感じた悪臭よりよりきついと感じていた頃だった。いつもケスリーや他の使用人の目につかないようにこっそり小屋に忍び込んでいたつもりだったのに、実は気づかれていて、そんな風に目の前で報告される覚悟など全くしていなかったリージャは震え上がったものだった。

「そうか」

 とその時イルヴィルは小さく呟いた。

「リージャ、別に隠れて竜に会いに行かなくても良いんだぞ。ケスリーたちの仕事の邪魔をしなければ、好きに出入りして構わない」

「別に邪魔になんかなりやしませんよ。リージャは良い子ですからね」

 そうやって小屋の出入りが公認になってから、ケスリーたち馬丁係はそれまでよりもよりリージャに気の置けない様子で話しかけるようになってきた。そうしているうちに、リージャも使用人たち、特に苦手意識を抱いていたケスリーにも警戒心を解けるようになってきたのだった。


 この日、竜小屋の世話をする順番なのは、ザルフであるようだった。三人の中で一番若く、背も低く、顔色が悪く痩せ形であるこの男は、他の二人に比べると大人しく口数も少ないので、元々口を利かないリージャと二人になると、竜小屋はただただ静かになる。

 汚物などで汚れてしまう藁を、数日に一回、外に掃きだし、入れ替える作業が必要になる。時間と体力が必要になる仕事だ。汚れた藁を外に出したザルフは、そこでリージャの姿を見留め、一瞬じっと見つめた後、また目をそらして作業に戻った。他の二人がこの作業をしているとき、リージャはよく、中の幼竜と雛を外に出して見張ることを頼まれるので、寡黙なザルフはそんなことを直接リージャに頼みはしないのだが、いつものように、小屋の中を覗いた。

 既にリージャの訪いを待ちわびていた竜の雛と、ザルフが小屋に入ってきたことで安眠を妨げられ渋々覚醒していた子竜が、リージャの姿を見つけて立ち上がった。小さな足で駆けようとする雛の後ろから、ゆっくりとした足取りで、子竜が迫ってきた。子供と言っても、いつの間にかそれは成長して、既に十四歳のリージャの背丈と同じぐらいにまでなっていた。普段はほぼずっと小屋の隅で眠っているので、こうして立ち上がると、その大きさに、存在感に一瞬圧倒されてしまう。この三年間ずっと弱っているように見えていたし、イルヴィルたちも、長くはないのではないかと危惧していたが、しかし、徐々に、確実に成長しているのだった。

 首と足が長く、胴体はリージャの腹ぐらいの高さにあった。ダチョウのようなシルエットをしているが、足は短く、動物のように太い。雛よりも随分とのんびりした歩調だが、歩幅の違いからあっという間に追い越してしまった。それを見た雛が、対抗意識を燃やしたかのように、追いかけるようにして足を速める。

「この赤ん坊は、人間のリージャのことを母親と思っているけど、子竜のこともやっぱり仲間だと思っているんだねえ」

 最近よく繰り広げられるこの光景を見て、そんな風に推察したのは、もう一人の馬丁のフュラスだった。この男は三人の中で一番年長で、竜の生態に興味を持って観察や考察をしているようだった。

 そんな風に言われたとき、やはりリージャはなんと反応すべきかわからず、戸惑ったように首を傾げた。同じ島に生まれた人間だって仲間とは認識されないこともあるのに、どうして雛は、この無気力な年長の竜や、ただ生まれたときそばにいただけの種も違う娘を無邪気においかけるのだろうか。

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