幕間

イルヴィル 1

 金色の窓枠に縁取られた王宮の中庭を、イルヴィルは眺めていた。

 真冬だというのに緑は褪せることなく均質に広がっている。先代の王が腐心して、国内外の方々から寒さに強い植物を探させ、持ち帰り、栽培して、一年中美しさの途切れることのないよう計算されて作られた庭だ。城の外では見たことのない針葉樹林が、淡い色の草花を取り囲み、その中央で鮮やかな花が凛と開いている。その見慣れない色と形を一瞥すると、イルヴィルは正面に向き直った。

「これで、ようございます」

 ヴィートトク家の本邸からやってきた、使用人のカズルが、イルヴィルの胸元に勲章を挿し、そう言った。四十ほどになる男は生真面目で無口であり、滅多に表情を崩さない。

「手間をかけたな、王宮まで付き添ってもらって」

「旦那さまの命にございますゆえ」

「父上は息災か」

「お忙しくなさってございます」

「それは何よりだ」

「此度のことも、大変誉れ高く思われておいでです」

「……そうか」

 曖昧にヴィートトクは頷いた。

 竜が孵り、その後王宮から参上するよう知らせが入っても、本家からは一度も便りはない。父が竜の事業に全くと言って良いほど興味がないのを、島に行く前からイルヴィルははっきりと感じ取っていた。三男である自分が選ばれたのが、何よりもの証だと思っている。

「陛下からお役目を賜るのであれば、いくらでも支援をすると、言付かっております。島からのお帰りの際には、何なりとお申し付けを」

「それは、ありがたいことだ」

 要は、向こうで金を使い果たしてみすぼらしい姿で都に戻るなと言うことだ。イルヴィルは唇の端に自嘲の笑みを浮かべた。

「行って参る。父上には、ご心配をおかけするようなことはないと、伝えてくれ」


 王宮はいくつかのエリアに分かれている。イルヴィルたちのような、貴族の身分が出入りできる場所、実際に宮中で役職をもらっている者が勤めている場所、王族の者が住んでいる場所、などだ。

 赤い絨毯の引かれた、特段に広くもない廊下は、文官の詰め所に繋がるものだ。この先に、高官の待つ部屋があり、そこで、今後のイルヴィルの「役目」を正式に言い渡されることになっている。

「これはこれは」

 突然、歩いていた廊下に声が響きわたって、イルヴィルは反射的に顔を下げた。伏せている間に、その視界に仕立ての良い上着がしっかりと入って、自分の反応が不適切に遅れたことを悟った。物思いに耽っていて、隙があった。あるまじき失態だった。

 ここで会うとは思っていなかった相手だった。会うと思っていなかったこと自体が、浅慮であった。絨毯の深紅に視点を会わせ、じっと睨みつける。

「馬屋のヴィートトク家の御曹司じゃあないのかい。ああ、失敬、名前を忘れてしまったよ。こんなところで会うとはね」

 芝居がかった甲高い声が降ってくる。イルヴィルがここに来ることを知っていてわざわざ待ち伏せていたことは間違いないと思われた。

「ヒュアリウス殿下に置かれましては、ご機嫌うるわしく」

「まったく」

 努めて冷静に、平坦に発した口上を、口早に遮られる。

「何やら廊下が随分と臭うと思ってねえ。ああ、馬糞みたいな臭いだよ。来てみたら君がいたというわけさ。下流貴族の息子が一体王宮の中で何をしているんだい」

「恐れながら、陛下からの勅命を拝しに参りましてございます」

 鼻を鳴らす音がした。イルヴィルは尚も俯いている。耳を澄ますと、そばにいる衛兵の息づかいからわずかな戸惑いのような気配を感じた。

 現王の第二子であるヒュアリウスがイルヴィルのことを毛嫌いしているのを、イルヴィルは幼い頃から知っていた。感情を隠すことをしない男だ。一つ年上の王子は、初等教育を同じ学院で受けていた頃から人間の好き嫌いを露骨に表現した。

 幼い頃は戸惑いもしたが、関係の修復を図る機会には恵まれなかった。このような状況になれば、ただ相手の気が済むまでの時間をやり過ごすしかない。

「勅命だって?」

 小馬鹿にしたように、もう一度ヒュアリウスが鼻を鳴らした。

「馬屋の息子が何の仕事をするんだい」

「……南の島へ出向き、竜を連れて帰ってくるようにと」

 ヒュアリウスがすべて知っている上で尋ねていることを承知の上で、イルヴィルは答えた。尚も腰を曲げ続けていると頭に血が上りそうだった。学院時代に教官権限の軽い懲罰を受けたときのようだった。そういった機会があるのは、たいていの場合理不尽な他人の策略に陥れられたときだった。

「馬鹿馬鹿しい」

 吐き捨てるようなヒュアリウスの声が頭上から降ってくる。

「南の島から生き物を連れてかえって軍事用に使役するなんて馬鹿げた計画、父上は本気で承認するつもりなのか。無駄な人材を僻地に追いやるだけならまだしも、国庫から軍や船を出すなんて、金の無駄だ。先王みたいに、父上も耄碌してしまったのか」

「殿下」

 止めどないヒュアリウスの言葉をイルヴィルが遮った。

「お心にもないことを仰いませぬよう」

 小さく息を飲むヒュアリウスの気配がする。直接仕えているわけでもない王子の失言をフォローするのは義務ではなかったが、黙って聞いているわけにもいかないとイルヴィルは考えた。たとえそれが相手の機嫌を益々損ねる結果になるとわかっていてもだ。

 予想に違わず、ほんの少しの沈黙の後に、ヒュアリウスが小さく舌打ちした。

「どうせ、うまくいきっこないんだ」

 吐き捨てるように、ヒュアリウスが言い放った。ようやく解放されると、イルヴィルは内心胸をなで下ろした。

「せいぜい、今のうちに父上のご機嫌を取っておくんだな」

 足音が遠ざかるのを、イルヴィルは息を詰め、耳を澄まして聞き取った。ブーツと絨毯のこすれるわずかな、鈍い音が、完全に聞こえなくなってから、ようやく顔を上げた。

 イルヴィルはその場にしばらく立ち尽くし、無人になった廊下の先を見つめた。白い内装の広い道に、大きな窓から明かりが入った真昼のそこは、眩しいぐらいに明るいはずなのに、どこか空気の淀みが実像を持って漂っているようだった。

 都には、目に見えぬ悪意が漂っている。

 背後にいる衛兵に気付かれぬように小さくため息を吐くと、イルヴィルは再び歩き出した。

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