序章-5

 扉の開く音がした。イルヴィルが入ってきた。扉の開け方も、藁の踏みしめ方も、イルヴィルのものだと、リージャにはすぐにわかる。光が差し、すぐに薄暗くなった。

「やはりここにいたか」

 ため息交じりにそう言うと、イルヴィルがゆっくりと歩み寄る。踏みしめられる藁の音を聞きとがめ、竜の雛が、きゅう、と小さく鳴いた。小さな口から、生えかけの白い歯が覗く。たどたどしい足取りでリージャに歩み寄ると、もう一度小さく声を上げ、再びイルヴィルに向かって歯を見せつけるように大口を開いた。小さな、リージャの手のひらほどもない翼を、精一杯羽ばたかせるように動かす。竜の子どもは、リージャ以外の人間が近寄ると、時折こうしたしぐさをすることがあった。威嚇のつもりなのだろう、と以前イルヴィルは推測していた。

「まったく、お前は本当に母親思いだな。いつになったら俺がリージャの敵ではないとわかってくれる?」

 子竜にそう語り掛けるイルヴィルから目をそらし、リージャは小さな生き物を抱き上げた。

「すまなかったな」

 イルヴィルはそう言うとリージャの隣に座り込んだ。腕の中で暴れる雛を、強く抱え込むようにして、リージャは抑えた。

「いきなり知らない男が部屋に入って来て、驚かせてしまったな。あれは昔馴染みで、どうも礼を欠いて勝手に上がり込むんだ。困ったものだ」

 リージャは黙って、ゆっくりと顔を上げた。いつものように、物を言わぬリージャの表情から、何かの感情や意志を推しはかろうとしている、イルヴィルの切れ長の明るい茶の瞳とかち合った。イルヴィルはリージャが肌の薄い理由を知っているようだったが、それを見知らぬ男に指摘された故に逃げ出したとは思ってもみないようだった。イルヴィルの中でリージャは、言葉を解せず、トラウマによって無差別に大人に怯える少女なのだ。

「ここ数日で急に大きくなった。歯も生えそろってきているな」

 急に話題を変え、イルヴィルはリージャの腕の中のものに指先を伸ばした。真っ白く細い指先に、黒い鱗の小さな生き物が牙を剥いた。慌ててリージャはそれを遠ざけた。

「リージャ」

 少しの沈黙の後、イルヴィルはリージャの名を呼んだ。その目を見て、何か重要なことを告げられる、と感じた。パイプの鳴る音と、小屋の端で眠っていた子竜の、身動ぎする音がした。

「俺はまた、竜の島へ行かなければならなくなった」

 リージャは首を傾げた。わからないということを示したつもりだった。だがイルヴィルはいつものように、苦笑して同じ言葉を繰り返したりはしなかった。いつになく真剣な目でリージャをじっと見つめていた。

「しばらくこの家を留守にする。必ず戻って来るから心配するな。心細い思いをさせるかもしれないが、タマラたちがいる」

 リージャはまた、どう反応すべきなのかわからず、身動ぎもせずただ黙することしかできなくなった。小屋の中は生ぬるい空気と、パイプの音と、子竜の立てる小さな藁のこすれる音で満たされていた。リージャはふと急に、腕の中の重たさに気付いた。いつの間にか、赤ん坊は深く眠りについていた。ゆっくりと規則正しく、胸が上下している。リージャの視線に気づいたイルヴィルが、自身もそちらに目をやり、小さく笑った。

「お前の腕の中はよほど寝心地が良いようだな」

 どこか満たされたような笑みを唇の端に浮かべるイルヴィルは、いつもリージャにとって美しく清いものであり、そしてそういう時、この男は決まって、リージャを困らせる問いを発するのだ。

「お前が安眠できる場所は、どこだ、リージャ。私はお前をここに連れてきて、本当に、よかったのだろうか」

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