第23話 3・6 見つかった逃げ道

 胸にナイフが突き刺さったまま、僕の体は倒れ込む。

 視線は俯き、焦点が流れる血に合わせられた。

 視界の端ではアクラムが、サトリに挑みかかっている。

 そして、シオは、僕の側に駆け寄ってきた。


「どこまでバカなの、あなたは……!」


 彼女は泣きながら、僕の胸に手を当てた。

 それでも血は止まらない。血はシオの涙と混じって流れ、そして、消えて行く。


「……え?」


 消える。なんて、有り得ない。

 ここは塔の中だ。排水の為の機構もない。水が染みいる素材でもない。

 僕は何とか顔を持ち上げた。

 すると、僕の流す血は、エレベーターのカゴ、その接地面。地下に向かっている。

 耳を澄ましても、その血の滴りは、聞こえない。

 そこには、ここから見えない、遙か下層がある。


「……シオ」

「喋るな。とにかく血を止めて……!」

「ここに地下が隠されている。とにかく、そこに逃げるんだ」

「だから……!」

「それが、この島で唯一の、ほころびかも知れない。そこに行けないなら、結局、僕ら全員は死ぬ」


 シオは、首を振って涙を振り払うと、立ち上がった。


「だったら、あなたも、それまでちゃんと生き延びてみなさい」


 僕は返事をせず、俯く。

 塩の代わりにエリオットが僕の元に近づいてくる。

 彼は僕の傷を見ても冷静だ。死を見慣れているのだろうか。


「……エリオット。僕が死んだら、みんなを守る為に使ってくれ」

「止めろ。お前、自分の事だって、そう簡単に諦めるなよ!」


 言いながら、彼はポケットから針を取り出した。


「……ダメだ。まだ、血管を塞がないで」

「何でだよ!」

「……僕の血で、アクラムが何とかする」


 目の前で、僕の流した血が、無数の蝶に変わった。

 いや、それは毒蛾だ。

 鱗粉を振りまきながら、サトリの周囲を飛び回ると、彼女の動きが鈍くなる。

 そこを狙いアクラムが槍を突き出すが、サトリは槍の穂先を容易く折ってみせる。


「敵は放って置けばいいだろ! おい。行くぞ!」


 エリオットが叫ぶと、アクラムが戻ってくる。

 彼はエレベーターのカゴを蹴りつけ、更なる地下へとたたき落とす。

 かなりの時間、落下し続けている。

 衝突の音は、地上に立つ僕らの耳に、僅かに届くぐらいだ。

 アクラムは、シオとエリオットに引きずられてきた僕を持ち上げ、抱きしめる。


「この先は奈落の底だ。何があると言うんだ?」

「……僕らの足掻きの、結末かな」

「希望か、絶望か」


 アクラムは、僕を抱えて闇へ飛び込んだ。

 躊躇うエリオットをシオが引っ張り、続く。

 すると、アクラムの従えていた毒蛾は姿を変えた。

 タンポポの綿毛を思わせる生物。

 それが、狭い空間内を埋め尽くし、僕らの体にブレーキを掛ける。

 そして最下層まで落ちると、綿毛は、僕らの体を受け止めて見せた。


「くそ。出血が止まってない……!」


 アクラムは僕の怪我に焦りながら、微かに輪郭の見える扉を蹴り開ける。

 そこから光が差しこんだ。

 引きずり出された僕が見たのは、海の底に造られた、駅のプラットホーム。

 線路は、チューブ状のトンネルに包まれており、遙か彼方まで続いている。


「本当に、島からの脱出口が、あった……」


 惚けたようにアクラムが言うと、その背中をエリオットがひっぱたく。


「さっさと列車の中に運べ! そのままじゃ、そいつ、死ぬぞ!」


 言われ、アクラムは慌てて僕の体を、停車する列車に運び込んだ。

 座席に座らせた僕を、エリオットが見下ろす。


「手術する。いいな?」

「……任せるよ」

「人の体を切り刻んだ事はある。でも、俺は死体を弄る事しか、してない。生きた人間の体なんて、分かんないけど……!」

「……ごめん。全部、君に背負わせて」


 手を動かして、彼の手を取ろうとするが、ピクリとしか動かせない。

 エリオットは、代わりに僕の手を握った。


「俺がそうするって決めた。お前を助けるって。だって、正しい事をしてたのは、お前の方だ」


 そして彼は、指先で、僕の瞼を閉ざした。

 決意を込めるように、エリオットは息を吐き出す。


「あんたらの能力は何だ? 正確に言え」

「……私は、大した力を使えない。火をおこしたり、物を動かしたり」

「そっちのオッサンは?」

「お前を信じて良いのか? ハルキの命を預けるなんて」

「あんたには出来ないだろ? それに、そのハルキが俺に任せたんだ。黙って従え」


 アクラムは、割り切ったように言う。


「生物を喚び出せる能力はあるが、さっきの戦いで、代償になる血を使い果たした」

「臓器移植か、輸血か、できそうな生物は無理なのか?」

「……無理だ」

「だったら、その……、どこからでも良いから、鎮痛剤を探してくれ。それと、手術に使えそうな道具。何でもいい」


 アクラムが列車を離れる音がする。

 シオは、張り詰めた声を出す。


「……ねえ、何とかなるの?」

「知るか」

「知るかって、ハルキの命が懸かってるのに……!」

「出来る事をやるしかないだろ! 俺だって、こんな事……」


 エリオットの引きつるような声がした。


「ごめん。あなたが一番、プレッシャー掛かってるのに」

「止めろ。敵に、情けを掛けるな」

「敵じゃない。こうなったら、もう協力するしかないでしょう?」

「……」

「ハルキがあなたを信じるなら、私もそうするから」


 扉が開く音がする。

 そして、すぐさま僕の口に何かが注がれる。


「ハルキ。寝ろ。あとは、生きて起きる事を願ってくれ」


 意識が遠ざかっていく。

 それと同時に、僕の胸から、ナイフが抜かれた。

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