第9話 2・1 虐殺者の少女
パキンと音がした。
澄んだ音の出所を追って、ホテルの廊下から、窓の外を見る。
すると、小さな隕石が落下したような衝撃が地面に走った。
老朽化した建物は、その振動に揺らぐ。
息を止めて震える天井を見る。
やがて、揺れが収まると、僕は呼吸を再開し、廊下を歩く。
そして、201号室とプレートの掲げられた部屋に入り込んだ。
シングルルームの客室だ。
机に置かれた電気式ランタンを点灯させる。
すると、ベッドの上で座り込む、狙撃手の少女が僕を見ていた。
マットレスの上には弦の外された弓が置かれている。
「氷柱が落ちたみたいだ。大丈夫、寝てていいよ」
「……」
少女は、何か言いたげに、丸い目で僕を見ている。
「寒い? 丘に近くて、すごい冷えるよね。足りないならもっと毛布を持ってくるけど?」
「いい」
「じゃあ、お腹空いた?」
「空かない」
「それなら、ちゃんと寝ないと。今日は疲れただろうし」
近寄り、はだけられた掛け布団を手に取ると、少女は弓を抱きしめて、寝転がる。
その体に布団を掛ける。
手を離そうとすると、少女は僕の手を掴んだ。
「……怪我、どう?」
「もう平気。ちゃんと塞いだし、薬も手に入ったからね」
僕は冷たくなった少女の手を両手で包みこむ。
手のひらが温かくなると、少女の表情も少しだけ和らいだ。
「ゆっくり寝て」
「……ん」
「それじゃあ、お休み」
彼女が目を閉じるのを見てから、僕は電気を消して部屋を出る。
廊下を歩いて、非常階段の収められた部屋に入り、階段を上りきった。
屋上へ出ると、冷たい風が一気に吹き付ける。
ホテルに捨てられていたダウンジャケットを着込んでも、まだ厳しい。
僕は背負っていたリュックを下ろした。
こちらはホテルの備品だ。
非常用として、救急品や、水と食料。避難用具が入れられている。
その中から取りだしたマフラーを首に巻き付けながら、僕は声を掛けた。
「シオ。見張りを交代しよう。もう、休んで」
「眠ったところで、悪夢しか見られない」
黒いウールのコートを着込んだシオ。
彼女は僕に背を向けたまま、眼下の地上を見つめている。
ヘリポート機能のある屋上には、大小様々な氷が散乱していた。
ジャリジャリと踏みしめながら、僕は彼女に近づく。
「悪夢の方がマシだよ。本当の戦いに比べたらね」
シオは振り返り、憎々しげに僕を見た。
「現実よりも辛い過去はある。……記憶のない人間が知ったような事を言わないで」
「どんな夢?」
「そうやって、ズケズケと入り込むのは……」
「知らなきゃ、何も言えないよ」
「言った所で、理解はされない」
「どうして?」
「私の人生は、普通の人間とは違う」
シオは見下げ果てた視線で言う。
僕は小さく笑った。
「そうだね。力を持つ人間は、その代償に運命を狂わされる」
「……」
「でも、この島のみんなは、君と同じように強大な力を持っている。誰もが、それぞれの世界で英雄や聖者、あるいは悪魔と呼ばれてきた。だったら、理解できるかも知れない。君の事を」
「あなたの人生も、まともじゃなかったの?」
「記憶喪失の身じゃ、自信を持って頷けないんだけど」
シオは鼻で笑う。
「やっぱり、話しても意味ないじゃない」
「そうだったね。ごめん」
シオは一瞬黙り込むと、僕から視線を逸らしてから口を開いた。
「一つの国を滅ぼした経験はある?」
「……どうかな」
「そして、何十万人と殺した罪を、自分一人だけに押し付けられた事は?」
「きっと、無いだろうね」
僕の返事を聞いて、シオは目をキツく閉じた。
「あなたがさっき言ったとおり、私は昔、英雄だった。だけど今は、誰からも悪魔と呼ばれている」
「……うん」
「誰かを救おうって気持ちがあったって、悪魔には、何の同情も向けられない。あなたが、この島でやってる事も、結局は空回りで終わるかもね」
「それは、覚悟してるよ」
「そう」
あざ笑う表情を作ると、シオは再び目を見開いた。
「シオ。それでも、君は元の世界に戻りたい?」
「その国は、今も凍り付いている。私の力でなければ、氷は永遠に溶かせない」
シオは僕を見る。
「だけど、元の場所に戻れるのは、この戦いで、生き残った一人だけ」
「ああ」
「二日後までに私が生き残っていたら、あなたも含めて全員が死ぬ」
「……それが、シオの能力だったね」
「ええ。だから、私を殺すなら、さっさとやった方がいい」
僕が首を振ると、シオはそこで興味を失ったように、歩き出す。
「おやすみ。シオ」
彼女は何も言わず、屋上を後にした。
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